タグ

2009年3月24日のブックマーク (6件)

  • 上野千鶴子編『構築主義とは何か』勁草書房

    上野千鶴子編 20010220 『構築主義とは何か』 勁草書房  305+10p.,2800+税 *ここでは、序章、第2章、第6章および第9章を紹介する。 〈目次〉 はじめに             上野千鶴子 序章   構築主義の系譜学 千田有紀 第1章  臨床のナラティヴ 野口裕二 第2章  言説分析と構築主義 赤川学 第3章  文学とジェンダー分析 飯田祐子 第4章  〈文化〉? 〈女〉? ――民族誌をめぐる質主義と構築主義 中谷文美 第5章  歴史学における構築主義 荻野美穂 第6章  構築主義と身体の臨界 加藤秀一 第7章  構築されるセクシュアリティ ――クィア理論と構築主義 伊田真一 第8章  「資主義社会はもはや異性愛主義を必要としていない」のか ――「同一性(アイデンティティ)の原理」をめぐってバトラーとフレイザーが言わなかったこと 竹村和子 第9章  〈構築されざる

  • 構築主義の困難

    ■016■ 「構築主義の困難――自己と他者の〈語る〉場所」 現代社会理論研究会発行.『現代社会理論研究』第11号.P1〜P15.2001年11月. 天田城介(AMADA Josuke) 脱稿:2001.08 最終更新日:2004.04 ※稿は1999年9月に立教大学大学院社会学研究科に提出した学位請求論文「〈老衰〉の社会学――老いとケアの相互作用論」の一部に加筆・修正を施して執筆しました。 【全文】(以下、草稿です) 構築主義の困難 ―― 自己と他者の〈語る〉場所 ―― ●天田 城介 0.はじめに いわゆる「痴呆」や「呆け」と呼ばれる言動を呈する卆寿を迎えたある高齢女性は、ある時には「通帳がない」と狼狽し、またある時には「傘がない」「赤い駒下駄がない」と言うので、散々探し回った挙句、結局、彼女の愛用するお財布を手元に渡すとなぜか落ち着きを取り戻した。また別の時には「ない

  • 「妊婦撃てば2人殺害」 イスラエル兵Tシャツ - MSN産経ニュース

    アラブ人妊婦に銃の照準を合わせた絵に「1発で2人殺害」の文字-。イスラエル軍兵士が部隊の仲間内で、パレスチナ人の生命を軽視するような図柄のオリジナルTシャツを作って着用していることが24日までに、イスラエル紙ハーレツの報道で分かった。 照準の中に少年の絵を描き「小さいほど難しい」と書かれたTシャツもあり、兵士の一人は「子どもを撃つのは道徳的に問題で、また標的として小さい(から難しい)」という意味だと解説した。シャツを町中で着れば非難されるため、軍務時に着用しているという。 兵士や士官はこうした絵柄について「当に殺そうと考えているわけでなく、内輪の冗談」などと説明。同紙は一方で「2000年のパレスチナとの大規模衝突以降、イスラエル世論が右傾化し、兵士の間でパレスチナ人の人権を無視する傾向がみられる」とする社会学者の話も伝えた。 軍報道官は同紙に対し「兵士が私的に作ったものだが、軍の価値観と

    pon-zoo
    pon-zoo 2009/03/24
    >>シャツを町中で着れば非難されるため、軍務時に着用←着るなよ。ジョークとか言って、Tシャツが何を意味しているのか、何故作る気になったか、絶対考えない気がする。軍も考えさせないだろうし。これが戦争
  • 「ホロコースト」は使ってはならないか?あるいは日曜歴史家 - 過ぎ去ろうとしない過去

    「ホロコースト」と無冠詞でいえばふつうナチス・ドイツによるユダヤ人の大量虐殺のことを指し、シンティ・ロマの人々や障害者の虐殺については一般的にはこれを含めない*1。「ホロコースト/Holocaust」という言葉はそもそも、「完全に焼く」という意味のギリシア語「holokaustos」から来ており、旧約聖書に出てくる5つの犠牲の内のひとつ、つまり獣を丸焼きにして神に捧げるという宗教的な意味を持っている言葉である。ナチスのジェノサイドによって犠牲になったユダヤ人たちは収容所の焼却炉で最終的に焼かれたことから連想された言葉だが、それが一気に広まったのは1978年に放映されたアメリカのドラマ「ホロコースト」である。 このドラマは、多くの実証的な研究を下敷きにしつつも、あるドイツ人とユダヤ人二つの家族がナチズムの時代にどのような運命をたどったかという、より物語性を重視したフィクションである。とはいえ

    「ホロコースト」は使ってはならないか?あるいは日曜歴史家 - 過ぎ去ろうとしない過去
  • “単に「知らないから勉強します」”はなぜ「知的に極めて真っ当」ではないか - Apeman’s diary

    http://d.hatena.ne.jp/nagonagu/comment?date=20090323#c cf. http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/nagonagu/20090323%231237780327 まず重要な点として、このエントリ以降の negative_dialektik氏の振る舞いはとても“単に「知らないから勉強します」”という意思の表明としては要約できないという問題があるのだが(つまり id:tari-G氏の「単なる読解力の問題」)、これについてはすでに hokusyuさんが指摘しているので割愛。まあひとことだけ言っておくと、「勉強」するまでは踏み込むべきでないところに踏み込んじゃったら「知らないから勉強します」だとは言えないよね、ということ。具体的には次のような一節だ。 かかるアレルギーの抗体保持者は

    “単に「知らないから勉強します」”はなぜ「知的に極めて真っ当」ではないか - Apeman’s diary
    pon-zoo
    pon-zoo 2009/03/24
    自分でもやりかねない論法の落とし穴なので自戒を込めてブクマ。/id:flurryさん、chuuburarinさんは落とし所の問題と見ているかと。終わりのサインで深追いするかどうかの。囃されて理解する人は多分いないかと。
  • 本質主義と構築主義 - Danas je lep dan.

    整理しておくと,民族問題へのアプローチとしては,おおまかに次の2つの流れがある。 ・質主義(Essentialism),原初主義(Primordialism) ・構築主義(Constructionism),手段主義(道具主義,Instrumentalism) 前者は,アイデンティティや民族性というものには歴史的に継承される生得的な固有性,普遍性があるという考えで,後者はアイデンティティが後天的に作られ,操作されるものとみる。 最近の研究では後者の考え方が主流で,この前紹介したアンダーソンの「想像の共同体」も後者に属する。A・D・スミスは,その著書で両者を極端だと批判して「エトニ(ethnie)」概念を提唱したが*1,これは佐原徹哉によって「ネイションに規定された前ネイション意識」と批判されている*2。両者のうちで,後者は民族主義を相対化する役割を果たし得るのに対して,前者は民族主義を補強

    pon-zoo
    pon-zoo 2009/03/24
    デリダではない