ブックマーク / fktack.hatenablog.jp (25)

  • チェーホフは良い - 意味をあたえる

    ここのところ小説をあまり読んでいなくて小説を読むというのも続けないと筋肉のように衰えてしまうのか昨日ひさしぶりに「寓話」を読んだら何が面白いのかわからなくなっていた。山下志津のお母さんが手紙を寄越した場面でお母さんは怒っている。何を怒っているのかというも山下志津の父親が小島信夫であるというのを小島信夫が暗に肯定してしまったことでお母さんは「ぜんぜん違う」と否定するのである。その後山下志津人から手紙が来て「私はどっちでもいいしどっちでもいいのがベストだ」みたいなことを言い当の小島信夫はここのところ目が悪くなって助手に手紙を読ませていて手紙の中には「ここのところ目の具合が悪いそうですができれば私の手紙は小島さん人が読んでほしい」とか書いてあってすっかり気を悪くした助手はとちゅうで読むのをやめて帰ってしまった。折しも小島の目は良くなってきていて結局自分で読むのであった。話としてはめちゃくちゃ

    チェーホフは良い - 意味をあたえる
    ponkotukko
    ponkotukko 2017/08/14
    かもめかも
  • 幸福 - 意味をあたえる

    100分で名著の「人生論ノート」の第1回を見た。少し前に私は幸福についてあえて追い求めるものではないし追い求めればむしろそれを利用されてしまうのが世の中なのだということを考えまたどこかに書いたがそれについて裏付けを得られたような気持ちになった。私は少なくとも番組で紹介された内容については言われなくともわかっていた。腑に落ちるというのはそういう感覚を言うのである。 甥が来て寿司をべに行った。甥はまだ2歳と0歳なので寿司はほとんどべられずべたのは母親であった。回転寿司である。回転を見張っていたら首が痛くなった。筋肉を休めるために反対側に首を回したら一組の家族がちょうど2歳くらいの女の子の口を母親がペーパータオルでわしゃわしゃと拭いていた。父親はキャップをかぶっていて若く見えた。下はハーフパンツだから実際に若い。私は昼間は半袖だったが朝晩は寒いので上着を羽織った。朝目が覚めてコタツがないか

    幸福 - 意味をあたえる
    ponkotukko
    ponkotukko 2017/06/03
    生きるとは何だろうと延々と考えてしまいそう
  • 頭のよい人 - 意味をあたえる

    幼いころから「頭がいいね」と言われて育ったせいか周りに頭のいい人がいない。理屈では私よりも頭のいい人が世の中にいくらでもいることはわかっているが実感として「この人頭がいいなあ」と思うことは皆無だった。そういう友人や集団に恵まれなかったという面もある。大抵は私より頭が悪かったので集団の中の「頭良いポジション」は常に私がとることになった。考えてみたら子供のころはサッカーが流行っていてサッカーがうまかったり運動ができる子がもてはやされ仕方なく私は笑いをとる方面に行くしかなかった。私は頭はよかったが勉強はあまりできなかった。成績にはムラがあった。自分よりも学年順位が上の人に勉強を教えることもあった。教えた人が満点をとることもあった。そのとき私は99点で平仮名を間違えたために一点減点されたのだ。それは当に悔しかったから覚えている。私のほうが先に名前を呼ばれ99点なら私はクラスでトップだろうと思った

    頭のよい人 - 意味をあたえる
    ponkotukko
    ponkotukko 2017/05/08
    何をもって頭が良いとするか今も基準は曖昧だ
  • 世間とのズレ - 意味をあたえる

    学校で好き嫌いをする児童に教師が給を無理に口に押し込んで嘔吐させるという事件があって私の地域では教師が比較的若いせいなのかこの前も小学四年の子供が 「先生は野菜全般が苦手でべない」 と報告してきたりそういえば上の子が中学のときもソフト部の顧問でもある自衛隊みたいな女教師が 「私、キノコ類だけら駄目なんだあ」 とあっけらかんとカミングアウトしてまさかこういう教師が生徒に対してべ物の好き嫌いを厳しく指導するとは思えない。そういうズレをかんじた。しかし私は当たり前のように人は自分の出来ないことを他人には強要しないだろうと考えているがこここそズレで実際は自分のことを棚に上げ「反面教師にしろ」とキノコや野菜をわすのが一般的な指導なのかもしれない。もっと最低なパターンとして野菜嫌いは許容するが肉や麺類が嫌いなんて理解できないからうべしと自分を基準にしてしか物事をとらえられないパターンであるが

    世間とのズレ - 意味をあたえる
    ponkotukko
    ponkotukko 2017/05/04
    大学には元祖イマイみたいな先生たくさんいた
  • 思考はすすむ - 意味をあたえる

    タイトルは最後の一文から拝借した。昨日に自分の子供に「考えないというのは生きていないのと同じなんだよ」みたいなことを言われ「こしゃくな」と思った。生きているすなわち思考なのか。この子供の頭の中は言葉であふれているのか。しかし私は感情とは思考とはまた別のもので、感情に支配される時間というのも一日のうち少なからずある。ふと、頭の中に「思考<私<感情」という図式が浮かんだ。感情には支配されるが、思考はむしろ制御するものだからである。孫悟空がお釈迦様の手のひらに気づかないように、ある程度成長しないと気がつかないのが感情というものなのだろう。たしかに若いうちはムキになっても、なかなかその事実を受け入れがたい。夫婦の会話で「なに怒ってんの?」「怒ってねーし!」と語尾を強めても、人は至って冷静なつもりなのだ。 ぜんぜん関係ないが頭の中に仕事にたいするちょっとした懸念があって落ち着かない。そんなときにと

    思考はすすむ - 意味をあたえる
    ponkotukko
    ponkotukko 2017/01/09
    頭がぐるぐるしたら思考を止めるということが出来ると精神衛生上良いと思ってます
  • 自己肯定なんて言葉は邪魔だ - 意味をあたえる

    私がインターネットでおぼえた言葉のひとつに「自己肯定感」というのがあるが、そのワードはだいたいそれが低い人によって使われ、高いから云々、というのは見たことがない。そもそも自己肯定感なんて言葉はあるのだろうか。自己否定はなんか高校時代から使っていた気がする。生い立ちがどうのとか、とにかく自分がダメな理由探しをする時期は誰にでもあると思う。なぜならそれは気持ち良くて手軽だから。何かにつけて「俺はダメだ」と主張する人が私の友達にいるが、結局それはチヤホヤされたいだけのように見えた。私は、だから、人はいかに無個性になるかとか、他人に無関心になるかがとても大事だと思っている。他人に対する興味がなくなれば、なにができるとかできないとか、些末な問題になるのではないか。私は最近ボルダリングを始めて、私はまったくの素人だからなるべく人のいない時間に行ってこそこそ練習しているのだが、そういう自分に自己嫌悪をか

    自己肯定なんて言葉は邪魔だ - 意味をあたえる
    ponkotukko
    ponkotukko 2016/12/04
    自己肯定というか、自分を許せたらいいなと思います。
  • こたつ - 意味をあたえる

    11月になったがコタツはまだない。私は決してコタツ至上主義ではなく、あったまればなんでもいいのだが、なんの暖房もなければコタツでもあればと思う。エアコンとか、あと最近では長細くて白い暖房器具とかあるが、あれらは少し頑張るとなぜか涼しい風をはきだしたりして、信用置けない。白い長細暖房器具はサボったりはしないが、いかんせん力が弱すぎる。寒いからと私は私の右半身をつけたりすると、右半身のみ温まり、左半身は置き去りである。だから反転して今度は壁に向かうと右が冷える。しかしないよりかはマシだから、 「君がいて良かった」 みたいな顔をして温風を浴びる。コタツの良いところは、暑くなったら体を外に出せば、外は意外と寒いところだ。ヒーターなどで暖めると部屋全体が暑くなるから、暑いときは大変だ。昔は家に石油ストーブがあって、目覚まし時計が乗っているのに気づかずダリの時計の絵を地で行くみたいになったこともあった

    こたつ - 意味をあたえる
    ponkotukko
    ponkotukko 2016/11/02
    こたつなら俺の横で寝てるよ
  • コクリコ坂から 感想 - 意味をあたえる

    さあ書くぞ。 昨日私は先週の金曜ロードショーで放送された「コクリコ坂から」をビデオに録画していたので、二回見た。録画したのは私の子供であった。再生するとまず大写しになったチキンが円陣を組んでいる映像が流れた。CMであった。私はだいたいどの映画を見ても最近では飽きてしまうから、途中で見るのをやめるか、そうじゃなきゃ途中をすっ飛ばして最後だけ見るとかそういう見方ばかりをする。それじゃあストーリーが把握できないじゃないですか、と言われそうだが、ストーリーくらいなら把握できる。だからとにかく子供とはそばにいて、夏休みの自由研究とか感想文の話をしているから最初のうちは知らない女の人がどんどん出てきて勝手なことをしゃべるから話についていけなくて、とにかくお父さんは死んでいるようだ、それにしたって私は適当なところで切り上げて自室にこもるつもりだった。すぐに切り上げないのは子供に 「見なさい」 と言われ

    コクリコ坂から 感想 - 意味をあたえる
    ponkotukko
    ponkotukko 2016/08/16
    次回!ゴーストバスターズ!ご期待ください!
  • 頭痛 - 意味をあたえる

    私の母方の祖母はまだ存命で、もう90才を超える。祖母がまだ80代のある日、かかりつけの歯医者に行ったら、 「少し太ってきているので、甘い物は控えましょう」 と言われた。確かに祖母は祖父が死んだ頃には周りが心配するくらい痩せたが、ある日を境にまた以前と同じように事をとるようになり、髪を金だとか紫に染めるようになった。祖母は私が子供のころから髪を黒く染めており、逆に祖母の妹は全く染めずに真っ白だったから、頭の色が彼女たちのトレードマークだった。祖父は毛そのものがなかった。その祖父が一足先に亡くなり、祖母は一時期髪を染めるのをやめたら一気に白髪になり、私は 「おばあちゃんになったな」 と思った。それが再び髪を染めるようになり、事もよくとるようになってお尻も大きくなり、歯医者に「太りすぎだ」と注意された。祖母は 「どうしてこんなババアになってまで、色々我慢しなきゃいけないんだよ」 と、歯医者に

    頭痛 - 意味をあたえる
    ponkotukko
    ponkotukko 2016/07/17
    頭痛悩みあるあるですな
  • 書くことがない系 - 意味をあたえる

    最近、過去の記事について再び読まれているような形跡があり、その中に「書くことがなくなったらどうするか」みたいな記事があって、私は最初この記事かと思った。 書くことがない - 意味をあたえる この記事は私がブログを始めてほんの少しの頃に書いたもので、そういう目で見るとまだまだ堂々としていないぶぶんもある。ブログとは友達付き合いみたいなもので、仲良くなるとだんだんとふてぶてしくなるのが友情である。だから長く続くブログとはたいてい 「この前のアレだけどさあ」 みたいな、身内にしか通じないようなしゃべり方をする。人はそれですっかり得意なのである。 まあそれが良いか悪いかは別として。 【突然短歌コーナー♪】 題:田所あつし オキアミが、田所あつしをたぶらかし潜水艦は夏を運ぶか 【短歌終わり】 私がなぜ、「書くことがなくなったら」について勘違いしたのかというと、実は私のブログルールとして、「書くこと

    書くことがない系 - 意味をあたえる
    ponkotukko
    ponkotukko 2016/07/16
    はてなフォース
  • 社会に出たからって - 意味をあたえる

    プロブロガー、という言葉をよく目にする。なりたいという人がいるのなら、なったら良いと思う。ぜったいなれる、という人も、無理かもしれない、という人もいるかもしれないが、人の心意気は結果にはあまり影響しない。 先に社会に出て、という意見を目にし、それはブロガーに限らずだがそういう意見には耳を貸さないほうがいい。私からアドバイスがあるとしたら、基的に他人の言うことは聞かないほうがいい、である。どっちに転んでも後悔するのが人生だが、自分の決断による結果なら、まだ諦めもつくからだ。と、言ってみたがそうじゃないかもしれない。とにかく後悔はする。 私は十代のころに親に盛んに 「後悔しない人生を送れ」 と言われたような気がしたが、二十代の終わりくらいに父親と話をする機会があり、私は親を満足させようと、 「何にせよ、後悔しない選択をしたい」 と言ってみたら、 「そんなの無理に決まってんだろ、どうして未来

    社会に出たからって - 意味をあたえる
    ponkotukko
    ponkotukko 2016/07/07
    社会は広いようで狭いようで
  • 人生外 - 意味をあたえる

    私がブログを書いているときというのはかなり集中していてイメージとしては、脳をコルクのように圧縮してぎゅうぎゅうの状態である。だから書き終わった後というのはヘトヘトの状態であるが、同時に清々しい状態でもある。気分転換、という言葉があるが私は実は気分転換がすごく苦手でたとえば煙草などを吸う人は一時間とか経過すると煙草に誘われるのか、そそそ、と部屋の外へ出て行く。吸わない私は 「サボってんな」 と思うのだが、気分転換にはなるようだ。しかし私はそういう人が 「忙しい、忙しい」 と言うのが理解できなくて、そんなに忙しいのなら煙草吸う時間を減らすとかすればいいじゃないですか、と思う。しかしそういう発想が私の気分転換下手の理由であり、私は確かに忙しくなると、ぎゅうぎゅう詰めにしてしまう癖が過去にはあって、苦しくなった。だから今では忙しかろうが暇だろうが、人のパフォーマンスには変わりはない、むしろ暇な方が

    人生外 - 意味をあたえる
    ponkotukko
    ponkotukko 2016/05/16
    社会に会社があるの
  • ごついパン/考え抜いたことを書いてもつまらない - 意味をあたえる

    昼間私は一番に昼べ終え、席を立つと、向かいに座っている後輩の、後輩というかほとんど新人の人がパンをべていることに気づいた。なぜ立つまでパンの存在に気付かなかったのかというと、私の座っている目の前には卓上のでかいプリンターが置いてあるからです。それはA4サイズとA3サイズに対応しているが、A3の紙はでかいから、その給紙トレイのサイズだけ、下側がでっぱっていて、そのいびつさが愛おしくてしかたがない。横から見るとL字なのである。私の側から見ると逆L字なのだが。そしてLの横棒の上に、人々は重要度は低いけれど、捨てるに捨てられない書類を積み重ねていくのだ。 プリンターの向こうに後輩のパンがあり、それはチーズなどが使われているのだろうか、表面がごつごつしていて、まるで上空から見たロッキー山脈のような、あるいは恐竜の背中のようなごついパンだった。サイズもでかい。後輩は20歳そこそこの、ひょろっと

    ごついパン/考え抜いたことを書いてもつまらない - 意味をあたえる
    ponkotukko
    ponkotukko 2016/03/31
    理屈をこねるのもパンをこねるのも人間にしかできないことだからどんどんこねていこう
  • 人生観ってなんだろう - 意味をあたえる

    最近「旅と人生」についての記事をよく目にする。人それぞれでよいと思う。私も思い出したことが二点あったので以下に書く 1 叔父が若い頃に欧州に行ったら、向こうの人は暑いときには半袖を着て、寒いときには長袖を着ていることに衝撃を受けた。彼はそこで考え方が決定的に変わったらしい。 2 友達が大学時代にオーストラリアに留学して2ヶ月ホームステイしたら人生観が変わった。しかしまた2ヶ月くらいしたら 「戻った」 と言った。あとホームステイ先ではすごい不味い飲料ばかり提供され、あるとき冷蔵庫にコカ・コーラが入っていることに気づき、コカ・コーラは万国共通だろうと思い飲んだらうまかった。しかしホームの人に見つかると、そこの主人に顔を真っ赤にして怒られた。オーストラリア人はケチンボなのである。あるいは個人主義が発達しているのだろうか。 抽象は抽象だからこその自由があるのだろうが、結局は足場のないところに家を建

    人生観ってなんだろう - 意味をあたえる
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    ponkotukko 2016/03/27
    そこまで他人のことを知ろうとする余裕がない世界なのかな
  • 私は文章がうまい - 意味をあたえる

    私は時折自分の今まで書いた記事を読み返すときもあるが、そういうときはもっと下手くそだろうな、という覚悟を持って読み始めるのだが、予想に反して上手に書けており、時間を忘れて読みふけってしまうこともある。しかしそういうのは誰でも同じことであり、誰でも自分の書いた文章は面白く読めるものだ。 私はまた、他人のブログも数多く読むが、内容に対しては浅いとか酷いとか感じることもあるが、 「この人の文章はとても下手だな」 と思うことはまずない。さすがブログというのは、腕に覚えのある人ばかりが集まる場所のようだ。 ところで、私はこのところ「プレバト」というテレビ番組を見ることが多く、その番組とは俳句とか活け花とか、とにかくなんでもかんでも芸能人が挑戦して専門家が作品にケチをつけ、順位付けするという番組である。私が番組を見るときは俳句の回であることが多く、そうすると複数の芸能人がそれぞれの自信作を披露する。そ

    私は文章がうまい - 意味をあたえる
    ponkotukko
    ponkotukko 2016/03/11
    上手だなっていつも思う。今度ラップバトルしましょう。
  • わたしはあなた - 意味をあたえる

    昨日Twitterで、 「「私とは、あなたのことである」というのが理解できない」 というつぶやきを目にして、私からしたらたまに話しかけるくらいの関係の人だったので、 「ああそれは○○みたいな考えなんですよ」 という風に自分の思慮深さをひけらかそうと思ったが、いざ文字を打とうとすると、肝心の「○○」に何を入れていいのかわからなくなった。「私」が他者に融け込むかんじ、あるいは「私」をどんどん突き放して突き放して、豆つぶみたいにするかんじ、というのは「かんじ」しかなく文字にできないものなのだろうか。あるいは、書いている最中にしか存在しない論理なのだろうか。 今日は他人の声について触れたい。 昨日の記事で私は、自分のかつて住んでいた家の棚のことと、公民館で私がを借りパクしたとの疑いをかけられたが、それは全くの濡れ衣であり、私は確かに低学年の頃にはそこでカブトムシの薄い冊子を借りたこともあったが

    わたしはあなた - 意味をあたえる
    ponkotukko
    ponkotukko 2016/03/10
    この記事好き
  • 字のうまい人が「うまくないよ」と言う現象 - 意味をあたえる

    私はその生涯において、ときたま 「字がうまいね」 とほめられることがあるが、今日の午前中、新しい仕事をやるにあたって原のエクセルファイルの場所などをメモしたら、私がメモをとるなんて極めて珍しいことだが、その字は下手くそであった。字自体書くのがひさしぶりなせいもあるし、字をちんたら書く余裕もなかったのである。字が上手い人というか、達人の域じゃないかというくらい上手い人が過去にいたが、その人は急いで書いても達人級だった。しかも急いで書いた感じも伝わってくるくせに、字はきれいなので、だまし絵を見せられているような気分になる。しかしその人は仕事そのものはぱっとせず、特に優先順位とか段取りが全くダメで、おかずに例えるなら必ず好きなべ物からとりかかるような人だった。兄弟の多い家庭だったのかしら。しかし実際は弟がひとりいるだけで、その人は姉で、弟はかなりの三国志マニアで、なんとか版の三国志を図書室か

    字のうまい人が「うまくないよ」と言う現象 - 意味をあたえる
    ponkotukko
    ponkotukko 2016/03/09
    字は心っていうのはあんまり信用してない
  • 春になったら - 意味をあたえる

    少し前にブログで、一日20記事投稿した人がいてどうこうという話を目にした。私はその20記事の人を直接見てはいないし、それについて何か意見を表明している人の言明も、あまり気を入れて読まなかったからどんな論旨だったか忘れた。ただ、あじさいさんが、 「20だろうが40だろうが、書く人の勝手だろ」 というようなことを書いていて、その通りだと思った。もちろん、ただ書いていたわけではないから、色々な人が何か言いたくなっちゃったのだろうが、それにしたってそれを含めて勝手だろう。しかし、私は当の記事を目にしたことがないから、実際目にしたらやっぱり、 「やりすぎだ、このやろう」 とか思うかもしれない。特にホットなときはそうだ。ホットなとき、というのは大勢の人が注目しているときで、そういうときに自分の意見、考えを持つのは難しい。いくら自分のオリジナルの意見を掲げているつもりでも、旗を立てた足場が流されていると

    春になったら - 意味をあたえる
    ponkotukko
    ponkotukko 2016/02/13
    に、日経デジタル...
  • 友達に株式会社の考えを持ち込んでも仕方ない - 意味をあたえる

    私の友達で犬好きの人がいて、その人はそもそもそんなに犬は好きではなかった。しかし実家では犬だかだかを飼っていた(私はどちらだか忘れた)から、それなりに好きだったのかもしれぬ。元は人間のほうが好きだったから結婚をし、自分の実家の敷地内に家を建て、そこで夫と生活を始めた。そこは私の実家の近所であり、私の小学時代の通学路の途中であり、私の通学路の風景は変わった。しかし変わったのはそこだけの話ではなく、随分と家が増えた。堆肥が臭くて仕方なかった通りぞいにも小綺麗な家が立った。そこに住む人は「新住民」と呼ばれ、かつて私たちが 「くせえ、くせえ」 と大騒ぎしながら通り過ぎたことなど知らない。新住民は、ゴミ捨て場の掃除当番とか、そういうのもやりたがらなかった。堆肥の中には実はカブト虫の幼虫がうようよいて、実は宝の山だったが、私はどちらかと言えば成虫のほうに興味があったから、そこに手をつっこむことは

    友達に株式会社の考えを持ち込んでも仕方ない - 意味をあたえる
    ponkotukko
    ponkotukko 2015/12/13
    これだけのことを文章にできるのはすごいね。一方で口にするのは不得手だったりするものだ、私がそうだと読んで気づいた
  • 写真についての覚書 - 意味をあたえる

    私の父はそういえば写真が趣味であり、実家の一室は現像室になっている。今は物置になっている。私はその部屋に生涯でたぶん100回くらいしか入ったことがないので、そういえば二十何年暮らした家で唯一なじみのない部屋であった。それどころかその部屋には窓がなく、今頃の時期から風がそこから吹き込むようになり、ドアをがたがた言わせるから、小学生くらいまでは怖くて仕方がなかった。私が怖がると、母はドアの隙間に新聞を挟み、ドアががたがた言わないようにしてくれた。新聞は一日分が入ったから、かなりの隙間だった。父が家にいれば嫌がるので、母は父がいない日に新聞を挟んだ。父は障害者の施設に勤めていて、そこは泊まりの日もあったから、父はしょっちゅう不在だった。 窓が開けっ放し、とはどういうことなのだろうか。毎夜玄関に鍵はかけ、出かけるときにもかけているのに、開いている窓があっては全く鍵の意味をなさない。暗室の窓は家の裏

    写真についての覚書 - 意味をあたえる
    ponkotukko
    ponkotukko 2015/11/26
    fktackさんの文章はなんか好き