最近、取材先から興味深い話を聞いた。洗濯機の構造が日本、米国、欧州で大きく異なっているというのだ。「そもそも、日米欧の洗濯文化の違いなんですよ」。日本石鹸洗剤工業会の洗たく科学専門委員長の山田勲さん(花王・上席主任研究員)がこう教えてくれた。取材を進めてみると、日米欧の洗濯にまつわる意外な歴史や秘話が浮かび上がってきた。「桃太郎」が洗濯文化の原点?「昔々、あるところにおじいさんとおばあさんが
南極のシャクルトン(Shackleton)基地付近で、アデリーペンギンの群れの横をそりで通り過ぎる英連邦南極横断探検隊(Commonwealth Trans-Antarctic Expedition)のヒラリー隊(1958年1月撮影、資料写真)。(c)AFP 【6月11日 AFP】悲劇の探検隊として知られる英国のスコット南極探検隊の隊員が約100年前に書き残した記録から、この隊員がペンギンの「性的堕落」に衝撃を受けていたことが明らかになった。 9日の英紙ガーディアン(Guardian)によると、1911年から12年にかけての南極の夏にアデア岬(Cape Adare)で観察したアデリーペンギンの記録を残した探検隊員ジョージ・マレー・レビック(George Murray Levick)は、ペンギンの同性愛行為や幼鳥の虐待、オスのペンギンによるメスの死骸との交尾などを発見して非常に恐怖したという
授業で習った吉田松陰は、松下村塾を開いた聖人君子のイメージかもしれないですが、とんでもない。彼は相当クレイジーな人間だったんです。 吉田松陰はこの人。 多少厳しそうな眼差しをしつつも、偉人らしく穏やかに見えますが、この人の人生は無茶の連続でした。 たとえば、21歳の時、松陰は親友と東北旅行を計画します。しかし、自藩の長州藩に申請した通行手形がなかなかもらえず、友と約束していた旅行日に間に合いそうにありません。 そこで彼はどうしたか? しょうがないので、松陰は死罪覚悟で脱藩します。 いくら目的が東北の海防調査という意義深いものとはいえ…。 旅行の約束をした親友・宮部鼎蔵(みやべていぞう)も正直ドン引きしたと思います。 ちなみにこの方、後に池田屋事件で新選組に襲われ自害します。 さて。吉田松陰 23歳の時、黒船が来航しました。 当時は鎖国まっただ中。武士も農民も、畏敬と好奇の目でアメリカ艦隊を
「変わった?変わらない?」115年前のロンドンと現在の街並みを比較した写真19枚 19世紀(1897年)に撮影されたロンドンの街並みと、今の姿を比べてみたそうです。 伝統ある街が、1世紀あまりの間にどう変化したのか(あるいは変化していないのか)、写真をご覧ください。 1. ビッグベンと橋。変わったのは乗り物くらいでしょうか。 2. 上から見下ろした街並み。高層ビルが増えました。 3. 遠くのビル以外はほとんど変わっていません。 4. 観覧車やビルが増えました。 5. 橋以外は当時のまま。 6. 帆船からモーターボートに。 7. 近代化した地域。 8. 緑が増えました。 9. 人は変わりましたが、建物はそのまま。 10. 昔ながらの建物もあれば、すっきりした建物もあります。 11. 池はどこへ行ってしまったのでしょうか。 12. 馬車も渋滞はしていたようです。 13. 橋がなくなってしまった
ナチス政権下のドイツで人類史上最大級のホロコーストが起きたポーランドのアウシュビッツ強制収容所。足を運んでみて分かったことがあり、分からないことがそれ以上にありました。 皆さん、こんにちは。世界新聞社の松崎敦史です。世界一周中のわたくし、現在ハンガリーの首都ブタペストにいます。 今回はポーランドで行ったアウシュビッツ強制収容所について。 アウシュビッツ強制収容所はこの辺り より大きな地図で アウシュビッツ を表示 アウシュビッツ強制収容所とはポーランド南部オシフィエンチム市に作られた、第二次世界大戦中のドイツナチス政権が推進した人種差別的な抑圧政策により、史上最大級の犠牲者を生んだ強制収容所である。アウシュビッツとは第1~3まであった収容所の施設群の総称を指す。(一部wikipediaより引用) 時代背景として、1939年9月1日、ドイツ軍がポーランドへ侵攻し、第二次世界大戦が始まった。ア
2012年04月17日07:00 この場所どこか分かる?1960年代の写真だけど Tweet 1:名無し募集中。。。:2012/04/15(日) 19:26:00.16 ID:0 2: 名無し募集中。。。:2012/04/15(日) 19:32:06.19 ID:0 熱海かな 3: 名無し募集中。。。:2012/04/15(日) 19:32:18.51 ID:0 1962年の千歳(北海道) http://www.flickr.com/photos/29366079@N00/2214974602/ 5: 名無し募集中。。。:2012/04/15(日) 19:34:25.77 ID:0 >>3 すげえ ありがと 4: 名無し募集中。。。:2012/04/15(日) 19:34:15.93 ID:0 ここが出典のようだね http://asachitose.com/ChHokPhotoindex
1 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/04/16(月) 01:51:16.24 ID:QrceNjI50 立ったら畫くわ 5 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/04/16(月) 01:54:04.06 ID:QrceNjI50 おお立ったな そこの家に直接つながる固有名詞と地名は伏せる それ以外は基本原文通りにする 7 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/04/16(月) 01:55:04.50 ID:DE9Wrz8WO よくわからんが期待 8 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/04/16(月) 01:55:05.40 ID:QrceNjI50 1月(水)1日 天氣 曇後晴 温度 暖(比) 起床五・三〇 就床九 今年は元旦と云っても何も新たまった感
【画像あり】幕末〜明治の変化は異常。たった十年くらいなのに変わりすぎじゃね? Tweet 1:名無しさん@涙目です。(関西地方):2011/11/12(土) 14:35:15.12 ID:S12QV4330 近世・近代遺墨展:伊藤博文、正岡子規らの書紹介 先人の心振り返る−−行橋 /福岡 幕末〜昭和に活躍した著名人の書を紹介する企画展示「近世・近代遺墨展〜著名人の遺芳を辿(たど)って」が行橋市行事の増田美術館で開かれている。13日まで。 人柄がにじみ出るとされる筆跡を通して先人の生涯や時代背景を振り返る試み。同美術館所蔵の勝海舟、福沢諭吉らが残した掛け軸に加え、外部から借り受けた市出身で明治の内相・末松謙澄、 その義父で初代首相の伊藤博文、歌人の正岡子規ら名士の遺品44点を展示している。 幕末の志士、高杉晋作が尊皇攘夷の主張を書き残したとされる掛け軸は「激励応振天下与(愛国心を奮い立たせよ
2011年10月21日04:42 日本って柳生十兵衞とか武蔵とか有名な剣豪がたくさんいるけど、西洋は一人もいないよね(嘲笑) Tweet 1:名無しさん@涙目です。(アラバマ州):2011/10/20(木) 23:55:07.54 ID:eLVWhhv50 「日本のサムライと西洋の剣士!」どっちが強い? 海外の反応 ・個人の技量による ・フェンシングの事なら、西洋が勝つね。日本の剣術は攻撃に長けているが、フェンシングは守備だ。 西洋の剣の丈が長い事も考えれば、きっと勝つ。 ・ピストルを隠し持ってる西洋人が勝つ。 ・サムライだね。刀は地上最高の剣だと既に証明されてるんだ。西洋の剣なんて真っ二つだ。 ・歴史的に、サムライはナイトに勝っていたらしいよ。サムライが強いと言う訳じゃなくて、戦術と運の 要素もあるんだろうけど。ナイトは装備は分厚いから、ヨーロッパ内の戦場しかダメだ。
63年でこうなった…エリザベス女王とフィリップ殿下のビフォー・アフターに感動の声 写真が残せるようになって、時の流れを比較することができるようになりました。 ビフォーとアフターを並べた写真もいろいろありますが、エリザベス女王とその夫フィリップ殿下のビフォー・アフターの写真が大きな話題を呼んでいました。 63年の年月を感じる写真をご覧ください。 驚くほど表情もポーズもそのままです。 このふたりは長い激動の歴史を乗り越えても、いつも仲がよさそうですよね。 人に歴史ありといいますが、タイムスリップしたようなふたりを見て、海外サイトでもやはりため息の声が多いようでした。抜粋してご紹介します。 ・すごーーーく、かわいい。夫と私がこの二人のようにずっと幸せでいれるといいのに。 ・すばらしい写真だね。女王が同じネックレスとブローチをしているのに気づいたかい。 ・木の立ち方と傾き方を見るに、場所もいっしょ
東日本大震災に伴う津波で大きな被害を受けた仙台平野で、浸水域の先端が、江戸時代の街道と宿場町の手前に沿って止まっていることが、東北大の平川新教授(江戸時代史)の調査で確認された。仙台平野は400~500年おきに大津波に見舞われており、街道は過去の浸水域を避けて整備された可能性が高いという。平川教授は「先人は災害の歴史に極めて謙虚だった」と話し、今後の復旧計画にも教訓を生かすべきだと提言する。 国土地理院が作製した東日本大震災の浸水図に、平野を縦断する奥州街道と浜街道を重ねたところ、道筋の大部分と宿場町が浸水域の先端部からわずかに外れていたことが分かった。宿場町の整備後に仙台平野を襲った慶長津波(1611年)では、伊達領で1783人が死亡したとの記録が残る。平川教授は「慶長津波を受けて宿場町を今の位置に移したとも推察できるが、今回の浸水域と比べると見事なほどに被害を免れる場所を選んでいる。津
masaki tomita @stayfoolish_me 半分当たってて、半分外れていると思います。「一神教は限界だ」とはぼくも思います。でも、日本人は決して寛容ではありません。 http://htn.to/5Exr5v 小沢氏「一神教の欧州文明は限界」 #ozawa 2011-02-15 14:19:01 masaki tomita @stayfoolish_me 日本に定着した外来宗教は、日本人をよく知り、順応したから根付いたのであって、決して日本人が宗教的に寛容だからではないと思います。キリスト教が日本への伝道を失敗しているのは、日本人を「研究」し、「順応」しようとしたのではなく、「改宗」を迫ったからです。 2011-02-15 14:20:43
『ジャップの見分け方』(1942) 第二次大戦中、中国に駐留していた米国陸海軍の兵士達に『中国ポケット・ガイド』が配布されたらしいよ。 これは米国陸軍省作成の75頁の小冊子で、そのうち10頁あまりにわたり、日本人の見分け方を示した図版が収録されているんだ。 今回は、この図版部分を紹介するよ。なにしろ戦時中の物なので差別意識丸出しだけど、気分を悪くしないでね! 01 まずは表紙から (あれれ?これって中国じゃなくて台湾の国旗じゃないの?って思った人は、世界史の教科書をこっそり復習してね!) 02 黒髪のスーパーマンみたいなのがライアンで、金髪がテリーだよ。 『ジャップの見分け方』 上官:ライアン、君とテリーは中国に来てから長いよね。ジャップと、わが東洋の同盟(中国人のこと)との違いを教えてくれないか。 ライアン:イェッサー! (※ジャップは戦前は「差別語」じゃなかったよ。スコットランド人をス
1 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/11(月) 21:34:42.84 ID:OnOLKBs+0 女が男の首をねじ切って去っていく(平家物語) 2 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/11(月) 21:35:44.43 ID:cKDwwCNL0 飴で髪の毛固めて5本の角にして鬼と呼ばれた女 4 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/11(月) 21:37:01.49 ID:h3Ey7A7T0 「何か射る。な射そ、な射そ。」 続きを読む
『本日の水木サン』より 「戦争中の話だが、敵のいる前線に行くために、「ココボ」という船着場についた。ここから前線へ船が出るのだ。そういうところには必ずピー屋がある。ピー屋というのは女郎屋のことである。(中略)ピー屋の前に行ったが、何とゾロゾロと大勢並んでいる。日本のピーの前には百人くらい、ナワピー(沖縄出身)は九十人くらい、朝鮮ピーは八十人くらいだった。これを一人の女性で処理するのだ。僕はその長い行列を見て、一体いつできるのだろうと思った。一人三十分としてもとても今日中にできるとは思われない、軽く一週間くらいかかるはずだ。しかし兵隊はこの世の最期だろうと思ってはなれない、しかし・・・・・いくらねばっても無駄なことだ。僕は列から離れることにした。そして朝鮮ピーの家を観察したのだ。ちょうどそのとき朝鮮ピーはトイレがしたくなったのだろう、小屋から出てきた。 (彼女がナニカを排泄する様子の描写)
http://www.geocities.jp/norin/gegege/books/etc/senki/sensoumanga.htm 『水木しげる戦記ドキュメンタリー・全4巻』(1991年から1992年にかけて講談社から出版) 第1巻『総員玉砕せよ!』、第2巻『敗走記』、第3巻『白い旗』、第4巻『姑娘』 この中の『総員玉砕せよ!』は メジャーな戦争漫画であるが、それ以外の3巻が、朝ドラ『ゲゲゲの女房』の影響からか、ことし7月から8月にかけて講談社から文庫化され復刻されていることを知る。 5つの短編漫画がおさめられている戦争漫画『姑娘(クーニャン)』 姑娘 (講談社文庫)posted with amazlet at 13.05.29水木 しげる 講談社 (2010-08-12) 売り上げランキング: 8,316 Amazon.co.jpで詳細を見る この表題作になっている戦争漫画『姑娘』
(最初の文章は色々と情報が欠落していたので、一部修正と追加をしました) BoingBoingで1865年8月22日付けのニューヨークデイリートリビューンに掲載された元奴隷ジョーダン・アンダーソンからかつての奴隷所有者P・H・アンダーソンへの手紙の文章がアップされていました。詳しい事は判りませんが、どうも南北戦争中に自由の身になり南部のテネシーから北部のオハイオへ逃げた元奴隷の夫婦のもとへ、戦後、かつての所有者から戻って来いという手紙が届いたようで、新聞に掲載された手紙はそれへの返信という事です。特別な美文ではなく、別に歴史的価値があるわけでもないですが、読んでみて訳すことにしました。卑屈にならずとも良く、人に対等な要求ができる独立した自由人という事は素晴らしいことだと思いましたから。 (なお、原文は19世紀後半のものなので、正直一部誤訳などがあるかもしれません。何かありましたら、コメント欄
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