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ごちそうさんと政治に関するpopoiのブックマーク (9)

  • 空襲被害者の救済を/“差別なき補償へ、党派超え力尽くす” 小池氏あいさつ/集会開く

    さきの大戦で国内の空襲で被害を受けた民間の人たちに国の責任で救済を行うことを求めている全国空襲被害者連絡協議会は5日、国会内で集会を開き、空襲被害者ら100人余が参加しました。 これまで、旧軍人・軍属にたいしては総額約50兆円の国家補償、援護が行われたにもかかわらず、民間の空襲被害者には補償はなく、取り残された戦後処理の課題となっています。集会はその援護制度の確立を求めたもので、同協議会の星野弘運営委員長は「戦後70年となる2015年までになんとしても成果をあげたい」と訴えました。 大阪空襲訴訟弁護団の大前治弁護士が「戦時下の防空法と国民」と題して講演。「空襲は怖くない、逃げずに消火せよ」と非科学的な指示をした当時の防空法制のため多くの被害が広がった事実を告発しました。 名古屋空襲を体験した杉山千佐子さん(98)ら空襲被害者が訴えました。 日共産党の小池晃副委員長・参院議員、笠井亮衆院議

    空襲被害者の救済を/“差別なき補償へ、党派超え力尽くす” 小池氏あいさつ/集会開く
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    popoi 2014/03/11
    《旧軍人・軍属に対しては総額約50兆円の国家補償、援護が行われたにもかかわらず、民間の空襲被害者には補償はなく、取残された戦後処理の課題と》被曝者との #差別 にも要留意。
  • 防空法制下の庶民生活8・完

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    popoi 2014/03/02
    #ごちそうさん #防空法 《内務大臣・安倍源基/「東京に対する一九四五年五月二三日~二五日の空襲後東京の民防空手段は、日本の他の場所のものと同様に無益な努力であると」(『東京大空襲戦災誌』三巻七六一頁)》
  • 防空法制下の庶民生活6

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    popoi 2014/03/02
    #NHK ドラマ #ごちそうさん に描写、戦中日本の悪法・防空法による惨禍。水島朝穂氏の調査と考察。《『米国戦略爆撃調査団報告書』を検索しても、燈火管制が米軍に困難を与えたという記述は見られない》
  • 防空法制下の庶民生活5

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    popoi 2014/03/02
    #ごちそうさん #防空法 《文部省「学校防空指針」/「自衛防空上緊急に整備すべきもの」のトップ/「御真影、勅語謄本、詔書謄本の奉護施設/第二順位は、「教職員学生生徒及び児童の退避施設」である(『週報』12頁)》
  • 防空法制下の庶民生活4

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    popoi 2014/03/02
    #NHK ドラマ #ごちそうさん に描写、戦中日本の悪法・防空法による惨禍。水島朝穂氏の調査と考察。《「隣組システム」こそ、日本の軍事的脆弱性を補完し、国民を戦争に動員していくまさに日本的装置だったのである》
  • 防空法制下の庶民生活3

    さしなみのとなり さしなみのとなりにかよふ道ならむ 籬の竹のひまのみゆるは (明治三九年) 隣組の運営マニュアルの巻頭に掲げられた明治天皇「御製」の歌である。「さしなみ」は隣の枕詞、「籬」まがきは竹や柴を荒く組んだ垣、「ひま」は隙間をいい、「隣同志互ひに垣根を通つて往来し親しむ姿を御歌ひ遊ばされたもの」と解説されている(鈴木嘉一『隣組と常会--常会運営の基礎知識』誠文堂新光社、1940年)。 古典落語の世界にも登場する日独特の隣近所システムの分析は、その方面の専門研究に譲り(鰺坂学他編『町内会の研究』御茶の水書房、1989年ほか参照)、ここでは、太平洋戦争を目前にした時期に、なにゆえに国家が隣近所の問題に上から介入し、その体系的組織化・管理化に乗り出してきたのかについて少しこだわりたいと思う。この問題は、防空法体制のもとで、隣組がどのような位置を占め、またどのような役割・機能を果たしたの

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    popoi 2014/03/02
    《「これぞ皇國一家の単位であり、八紘一宇の具体化の第一歩である」という思想がある/戦前の支配体制の特徴の一つとして家族主義イデオロギーの強調があるが、隣組のレヴェルにもそれは貫徹していた》
  • 防空法制下の庶民生活1

    1942(昭和一七)年4月18日12時30分、アメリカのドゥーリトル爆撃隊(B25爆撃機一六機よりなる)が日土に第一弾を投下した。この日、伊藤整は、日記にこう記した。「初めての当の空襲であるが、晴れて明るい日のこととて、のん気である。あの飛行機が敵機というのだそうだが、ふだんの日の飛行機を見るのと変らない気持。今まで受け身でばかりいたアメリカ人も初めて少しは仕事らしいことをしたと、ほめてやりたい位の気持ちである。昼間の東京に入って来るなど、なかなかやるわい、といかにも冒険好きなアメリカ青年の顔が目に浮かぶやうだ」(伊藤整『太平洋戦争日記』新潮社、1983年105頁)。 この直後にやってくる日の運命を考えると、そこからは、庶民が、のんびりしたムードで初空襲を迎えたことが読みとれる。伊藤の筆致には余裕すら感じられる。この「余裕」は、いったいどこから生まれたものなのだろうか。 この連載

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    popoi 2014/03/01
    #ごちそうさん 《自国で毒ガスを製造・使用しながら、国内に向けては脅威を叫んで/初空襲の十年以上前から市民生活の細部にわたってテンションを高める宣伝が繰返し行われ「民間防空体制」が整えられつつ》#政治
  • 直言(2014.2.17)『検証 防空法―空襲下で禁じられた避難』のこと

    『検証 防空法―空襲下で禁じられた避難』のこと             2014年2月17日 1月10日10時10分。ネット上の話題のキーワード、注目度11位にあがった言葉が「東京大空襲」だった。YAHOOリアルタイム検索で、たまたまこの言葉を入力して驚いた。なぜだろうと思ったら、その前日、1月9日21時6分に、東京都知事選に立候補した元航空幕僚長の田母神俊雄氏が次のようにつぶやいていたのだ。 「日は東京大空襲の日です。…一晩で10万人以上の人が亡くなりました。民間人に向けての攻撃は戦時国際法違反です。しかしこれが戦争の現実なのです。戦争に巻き込まれないためには軍事力が強いほうがよいのです」(Twitter)。 これに対して、10日朝から翌日にかけて、たくさんの人が反応していた。その一例。「歴史に疎いぼくでも東京大空襲は3月10日だと思うのですけど」、「今日は1月10日。3月ではない。月

    直言(2014.2.17)『検証 防空法―空襲下で禁じられた避難』のこと
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    popoi 2014/03/01
    #NHK ドラマ #ごちそうさん で描写の「防空法」に纏わる戦中日本の悪政関連。《大河内輝耕議員は大達茂雄内務大臣に対して「火ハ消サナクテモ宜イカラ逃ゲロ、之ヲ一ツ願ヒタイ」と要求/大臣はこれを拒否》
  • 防空法制下の庶民生活7

    永井荷風の怒り 1945年5月5日(土曜)曇り。作家・永井荷風はこの日午前、麻布区役所に向かう。「途すがら市兵衛町舊宅の焼跡を過るに一隊の兵卒處々に大なる穴を掘りつゝあり。士官らしく見ゆる男を捉へて問ふに、市民所有地の焼跡は軍隊にて随意に使用することになれり。委細は麻布区役所防衛課に就いて問はるべしと答ふ。軍部の横暴なるや今更憤慨するも愚の至りなれば、そのまゝ捨置くより外に道なし。吾等は唯この報復として国家に対して冷淡無関心なる態度を取らんことのみ」(永井荷風『罹災日録』扶桑社〔1947年〕53頁)。 1937年制定の防空法(法律第47号)は、行政が土地・家屋を使用できるのは、防空上「緊急ノ必要」がある場合であって、かつ「一時使用」であると定めていた(九条)。だが、一九四三年改正防空法(法律第104号)は五条ノ八を追加し、防空上必要な場合、市民の土地や工作物等を収用・使用できるとしたのであ

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    popoi 2013/05/12
    #ごちそうさん #防空法 《防空法八条ノ三「主務大臣ハ防空上必要アルトキハ勅令ノ定ムル所ニ依リ一定ノ区域内ニ居住スル者ニ対シ期間ヲ限リ其ノ区域ヨリノ退去ヲ禁止若ハ制限シ又ハ退去ヲ命ズルコトヲ得」と定める》
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