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ブックマーク / www.refugee.or.jp (9)

  • 米兵と出会った祖母のこと。大阪、横須賀、語られなかった強さと生き様の歴史|ニッポン複雑紀行

    戦後の大阪には1955年まで米軍の駐屯地(現・大阪市立大学)があった。黒島トーマス友基さんは、そんな「キャンプ・サカイ」に第65エンジニア部隊の一員としてやってきた占領軍の米兵を祖父にもつ。 実は私も祖父が沖縄の米軍属で、これまでトーマスさんとは色々なことを語り合ってきた。二人の共通点は、祖父が米軍と関係しているという事実にだけでなく、「アメラジアン」としてのアイデンティティをもって暮らしていることにもあるかもしれない。 これまで、アメラジアンにまつわる一人ひとりの歴史が積極的に語られることは決して多くはなかった。例えば、芸能界などにも有名な方はいるが、自分の家族のことを積極的に語る人たちは少なかったように思う。 トーマスさんはそのことを少し残念に思っているようだった。自分のおじいさん、おばあさん、そして二人の間に生まれたお父さんのことについて、語るべきこと、語り継ぐべきことがたくさんある

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    ppummu 2020/01/17
  • あの頃日本人になりたくて、毎日軍歌を聴いていた。大阪の右翼少年が「なにわのアメラジアン」になるまで|ニッポン複雑紀行

    「アメラジアン」という言葉を知っているだろうか?アジア各地に展開する米軍基地の軍人・軍属と現地の女性との間に生まれた子どもやその子孫がそう呼ばれることがある。アメリカとアジアでアメラジアン。日だけでなく、韓国やフィリピン、ベトナムなど米軍が展開する地域に数多く存在する。 かく言う私もアメラジアンの一人である。私の母は沖縄の祖母と米軍の祖父との間に生まれた。私は「クオーター」で、「アメラジアン」で、私が名乗り始めた「ローレンス」という名は、私が一度も会ったことのないアメリカ人の祖父の名である。 私は長い間、自分と似た出自を持つ他者と出会ったことがなかった。アメラジアンという言葉を使う使わないに関わらず、このような出自の子孫が日にも少なくないはずだが、そのことをあえて言わない人や自分自身が気づいていない人も多い。そんな中、私が25歳の夏、初めて出会った人が黒島トーマス友基さんだった。 トー

    あの頃日本人になりたくて、毎日軍歌を聴いていた。大阪の右翼少年が「なにわのアメラジアン」になるまで|ニッポン複雑紀行
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    ppummu 2020/01/16
  • 自分は何者なんだろう。「非正規滞在」を経て、私は日本で看護師になった|ニッポン複雑紀行

    「不法滞在」や「非正規滞在」と聞いてどのような人を思い浮かべるだろうか――。 「不法」という言葉からあまり良くない印象を持っている人が多いだろうか。テレビの中のモザイク処理がかけられた人々をイメージする人が多いだろうか。そもそも「非正規滞在」がどんな状態のことか、どんな人々のことか、知っているだろうか。 非正規滞在とは通常、外国人が何らかの理由で在留資格が無い状態に陥ったときのことを指す言葉だ。日には2018年7月時点で少なくとも7万人近い非正規滞在者が存在し(※超過滞在者=いわゆる「オーバーステイ」のみの統計、法務省)、かつては1990年代をピークにもっと多くの非正規滞在者が存在した。 この記事では、かつて自らも非正規滞在の状態に陥り、様々な逆境を乗り越えて来たある女性のことを紹介したい。 梁 鈴麗(リョウ リンレイ)さん、39歳――バブル真っ盛りの1988年、9歳の頃に中国南部の福建

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    ppummu 2019/02/12
  • 「日本の父」に会いたいと願う子どもたち。「フィリピンの母」の苦悩と誇り|ニッポン複雑紀行

    「フィリピンパブ」の歴史から飛行機で4~5時間の距離にあるフィリピン。この国と日歴史は長い。 豊臣秀吉の時代には両国の間で交易が行われ、江戸時代にはマニラに日人町が形成されていたといわれる。明治時代から戦前にかけて、日政府の主導で日人移民が入植し、マニラ麻の栽培に従事した。戦時中は日軍がフィリピンを占領し、甚大な被害をもたらした。 フィリピン・マニラ市内。経済格差が大きく高層住宅貧困地区が隣り合う。 そして戦後、外国人労働者の受け入れを公に認めてこなかった日が事実上いち早く門戸を開けたのは「エンターテイナー」とよばれるフィリピン人女性たちに対してだった。 高度経済成長を遂げた日は1980年代、歓楽街での人手不足から、フィリピン人の女性たちに対して「興行ビザ」の発給を始めた。興行ビザは芸能やスポーツなどのために来日する人に与えられるビザだ。 女性たちはフィリピンでオー

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    ppummu 2018/11/02
  • コンビニバイトで見かける外国人留学生たちの現状。ベトナム、ネパール、モンゴルの学生に直接話を聞いてみた|ニッポン複雑紀行

    コンビニバイトで見かける外国人留学生たちの現状。ベトナム、ネパール、モンゴルの学生に直接話を聞いてみた こんにちは、編集者の徳谷柿次郎と申します。 「ニッポン複雑紀行」では初めて執筆させていただくんですが、実は私もそこそこの複雑さを感じながら生きてきました。 生まれは大阪。小2で両親が離婚し、その後借金まみれ。真っ当なレールから外れて、26歳まで朝夕刊の新聞配達、そして牛丼チェーン店「松屋」のバイトリーダーを務めてきました。 元々大阪は多様なルーツの人々を抱える土地でもあったため、一緒に働く仲間に外国人がいるのは珍しくありません。 例えば、とある中国出身の学生が生活費を稼ぐために働いていて、「ギュウドンイッチョー」とカタコトの日語でオーダーを通していたり、ワケのわからないおじさんに絡まれて「スミマセン…!」と謝っていたりなど、外国人が不慣れな土地で働く様を間近で見てきました。 「学校で勉

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    ppummu 2018/02/15
  • 宮城や福島で炊き出し100回、なぜならそれがジハードだから。被災地でカレーをふるまい続けたムスリムたちの話|ニッポン複雑紀行

    宮城や福島で炊き出し100回、なぜならそれがジハードだから。被災地でカレーをふるまい続けたムスリムたちの話 大塚にある細長いモスク JR大塚駅から徒歩5分ほど、商店街を抜けたところにその小さなモスクはある。「マスジド大塚」だ。「マスジド」とはアラビア語でモスクを意味する言葉。モスクはムスリム(イスラーム教徒)のための礼拝所である。このマスジド大塚が創立されたのは2000年のことだ。 私が初めてこの場所を訪れたのは4年前のこと。持ち金が尽き、泊まる場所がなくなったナイジェリア出身の難民申請者がモスクでお世話になっていたときのことだった。その日は外国から来た難民だけでなく、日人のホームレスの方たちもモスクで寝泊まりしていた。 マスジド大塚。小さなドームとミナレット(尖塔)が目印 モスクというとトルコの「ブルーモスク」のような豪華絢爛なイメージもあるが、マスジド大塚は質素なつくりをしている。横

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  • 難民支援協会、日本の移民文化・移民事情を伝えるウェブマガジン『ニッポン複雑紀行』をリリース。外部より望月優大氏が編集長として参画

    難民支援協会は、「難民が新たな土地で安心して暮らせるように支え、ともに生きられる社会を実現する」ことをミッションとしています。難民を救うこと、難民を受け入れられる社会を作ることは、難民支援協会が両輪として目指すことです。 日には、すでに移民と呼ぶことのできる人が数多くいます。1年以上にわたって日に滞在している外国人は約238万人(2016年末)に達しています。しかし、第一世代だけでなく、第二世代、第三世代と日に暮らしている人たちが多数いるという現実があるにも関わらず、それに対する認識や社会としての受け入れ体制はまだまだ追いついていない状況とも言えるでしょう。 私たちは「人は一人ひとり違う存在であり、だからこそ社会は豊かで面白い」と考えています。言葉や育った環境が異なる難民を受け入れるには、受け入れ社会との摩擦や衝突がつきものです。しかし、それらをどう避けるかではなく、どう乗り越えてい

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    ppummu 2017/12/06
  • 駅に来たら、母語が聞こえる。前代未聞の24ヶ国語アナウンスを始めた駅長が実現したかったこと|ニッポン複雑紀行

    新大久保は「韓流だけじゃない」 韓流の街というイメージが強い新大久保。しかし、駅から一歩出ればもっと「複雑」であることに気づく。行き交う人たちの出身国は2〜3ヶ国では済まなさそうだ。 街頭の看板も日語、韓国語、英語に加えて、ネパール語やベンガル語らしきものが並んでいる。色やデザインも独特だ。 驚いたのは、駅構内の多言語アナウンス。なんと24ヶ国語で、「事故防止のために、階段や通路は右側を歩いてください。階段は止まらずに進んでください」と流れている。駅構内の様子を実際に音声付きの動画で撮影してきたので一度聞いてみてほしい。 【動画】新大久保駅のアナウンス(クリックして再生) この多言語アナウンスは2015年に始まったという。前代未聞の24ヶ国語アナウンスを導入した当時の駅長、阿部久志さんに、取り組みのきっかけや狙いについて話を聞いてみた。 阿部久志さん。JR新大久保駅の前駅長(2012-2

    駅に来たら、母語が聞こえる。前代未聞の24ヶ国語アナウンスを始めた駅長が実現したかったこと|ニッポン複雑紀行
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    ppummu 2017/12/06
  • 上智大学・根本敬教授に聞くロヒンギャ問題

    ミャンマー(ビルマ)のラカイン州に暮らす少数民族ロヒンギャ。2017年8月下旬より衝突が激化し、10日余りで約12万5,000人が隣国バングラデシュへ避難する事態に発展。沈黙を続けるアウンサンスーチー氏国家顧問兼外相に対し、世界から圧力が高まっています。ロヒンギャ問題とは何か?ビルマ近現代史を専門とする上智大学 総合グローバル学部の根敬教授に伺いました。昨年掲載した記事ですが、ロヒンギャ問題とアウンサンスーチー氏が置かれた立場について理解することができます。 ――ミャンマーは多民族国家ですが、なぜ特にロヒンギャ民族は深刻な人権侵害の状況に置かれているのでしょうか。 二つ理由があります。一つは誰を公認の民族とするかです。ビルマでは135の民族が国家によって公認されています。その基準はイギリスの侵略戦争が始まる1年前の1823年以前から住んでいる、というものです。その段階で住んでいた民族は土

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    ppummu 2017/09/08
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