『風の谷のナウシカ』は映像面についても、色々と感じるところがあった。作画監督が小松原一男であり、原画に金田伊功、なかむらたかしが入っているのは、公開前から知っていた。僕はそれを楽しみにしていたし、事実、劇場では金田伊功や、なかむらたかしの担当パートを楽しんだ。宮崎駿なり、小松原一男なりの手は入っているのだろうが、金田担当パートは彼ならではのド派手なものになっていたし、なかむらたかし担当パートは空間の捉え方、タイミング等に彼の個性が色濃く出ていた。他にも原画マンの個性が出ていると思しきところもあり、宮崎が監督を務めた劇場作品で、作画が一番バラついているのが『風の谷のナウシカ』であるのは間違いないだろう。アニメとしてエネルギーがあるとも言えるし、作りが粗いという見方もあるだろう。どちらかと言えば僕は、エネルギッシュだと肯定したい。 これはあくまで僕の想像だが、原画マンの個性が出ているのは、小松
ラストで、ナウシカが復活する件に関しては、最近になって、ああ、なるほど、と思った。鈴木敏夫プロデューサーが、自分と映画との関係について語った「映画道楽」で、『風の谷のナウシカ』のラストシーン秘話について触れていたのだ。宮崎駿が最初に描いた絵コンテでは、王蟲の大群の前に、飛んできたナウシカが降り立つと、暴走していた王蟲が止まる。それでエンドマークになっていたのだそうだ。その絵コンテを見て、高畑勲プロデューサーと鈴木敏夫は「この終わり方はありえない」として、別の案を考えた。それはナウシカが死んで終わるというものと、さらにその後で復活するというものだった。2人は宮崎に復活案を持ちかけて、悩む彼を説得。結果としてあのラストになった。 ナウシカの死と復活が、宮崎が考えたものでないというのは納得だ。そして、最初に考えられていたラストではカタルシスが弱かっただろう。ナウシカが死んで終わるラストは、重たい
『仕事道楽―スタジオジブリの現場』(鈴木敏夫著・岩波新書)より。 【『ナウシカ』というと、ぼくがいつもふれるエピソードが二つあります。 一つは製作終盤のときの話。当然のように、どんどんどんどん制作期間を食っちゃって、映画がなかなか完成しない。さすがの宮さん(宮崎駿監督)もあせった。じつは宮さんというのは、締切りになんとかして間に合わせたいタイプの人なんです。それで、彼が高畑(勲)さんとかぼくとか、関係する主要な人をみんな集めて訴えた。「このままじゃ映画が間に合わない」と。 進行に責任を持つプロデューサーは高畑さんです。宮さんはプロデューサーの判断を聞きたいと言う。そこで高畑さんがやおら前に出て言った言葉を、ぼくはいまだによく覚えています。何と言ったと思います? 「間に合わないものはしようがない」 高畑さんという人は、こういうときよけいな形容詞を挟まない。しかも声がでかい。人間っておもしろい
今日はビミョーな話を書く。多分、第67回の「第1次アニメブームは虫プロブームでもあった」という話も若い読者にはピンとこない内容だったろう。今回は更に分かりづらい話だと思う。同年輩のアニメファンの人と話すと「ああ、確かにそうかもしれないね」と、うなづいてもらえる話なのだけれど、あの時代にリアルタイムで観ていないと、よく分からない話だろう。ここで言う「あの時代」とは、1980年から1984年頃の事だ。 第67回でも書いたようにアニメブーム期に、宮崎駿は「アニメ的」というよりは「マンガ映画的」な作品を作っていた。当時の他作品と比べれば、確かに『未来少年コナン』も『カリオストロの城』も、あるいはその後の『名探偵ホームズ』もマンガ映画的な作品だった。 ところが、宮崎駿の作品史として見ると、1980年から1984年頃、彼の作品は「アニメ」に寄っていた。そうではないかと思えるのだ。勿論、この場合の「アニ
先週からゼミで稲葉さんの『ナウシカ解読』を読んでいる。当初は一人の思想家が十年ぐらいものを考えるというのはどういうことなのかという問題をマンの『魔の山』でやろうかとも思ってたのだが、某せんせいから「『魔の山』、学生に読ませてみたけど、全然だめだったよ」と言われたので、とりあえずマンガ版『ナウシカ』を、稲葉さんの本を手がかりにしながら、読んでみることにした次第。 第一回は第二章まで。第一章「成長する物語」の担当はAくん。第一節では大まかな方向性が示されている(特に9~10頁を参照)。12年かけて書かれたマンガ版『ナウシカ』(1982-94)には12年間の宮崎駿の苦闘の跡が読み取れる。特に注目すべきは、明らかにマンガ版には、アニメ版(1984年)の安易なエコロジズムへの批判と、その克服の試みが読み取れるということ。というか、アニメ版『ナウシカ』的なものへの批判こそが、マンガ版『ナウシカ』の中心
神山 『ナウシカ』も、これは言わずと知れた作品なんで語る必要はないんだけど、オリジナル作品を、長編で成功させたという意味での金字塔という事かなあ。TVシリーズもなくてね。先行してマンガを描いたというのはありますけど、(他人の)原作なしのオリジナルの長編を、突然ポンと投げてね、しかも大成功させた。 『ナウシカ』は宮崎さんの作品の中でも分岐点で、うちの両親とかは『ナウシカ』は駄目なんです。やっぱね、蟲とかね、ああいう訳分かんない設定がでてくると駄目で。『もののけ』だと大丈夫なの、時代劇だと思ってるから。そういう意味ではね、宮崎さんの過渡期的な作品だよね。宮崎さんの好きなテイストはいっぱい入ってるし、ギンギンに気持ち悪い部分もあるじゃないですか。あの蟲は硬いからいいけど、指で押すとちょっとへこんだりしたら、かなりグロイよね。でも、観ていてそういう感覚にはならない。他の宮崎さんが関わってる作品でも
ちょっとここで断っておきたい。先のテキストでは仕事の面白さを紹介させて頂いた斉藤環先生のファリック・ガールという概念だが、以後のテキストではあまり取り扱わない予定なのだ。私は斉藤先生が書いた多くの事、例えばオタクの精神病理・葛藤の問題なんかはかなり参照しながら書いていく予定なんだけど、ひとつ、ファリック・ガールだけは色々あって切り離す事にしたのだ。 確かに、ナウシカやナムコのワルキューレのような、ファリック・ガールの定義をきっちり満たす女性キャラがオタク史のなかでも強い支持を得ていたのも事実だし、Power Dollsなどにもみられた“戦闘と美少女”なコンテンツがいつになってもなくならないのも事実だ。また、萌えという言葉が流通する前の時代(エロゲーならelf以前、漫画ならKLAMP以前の時代)において、コンテンツクリエイターとオタク達が、とりわけファリック・ガールに惹かれていた可能性につい
ナウシカあるいは旅するユートピア ――ロバート・ノージック、笠井潔、そして宮崎駿―― 稲葉振一郎 『季刊窓』22号(1994年12月) はじめに このほど完結したマンガ『風の谷のナウシカ』(徳間書店、以下マンガ『ナウシカ』と略記)を通読してみれば、この10余年を通しての宮崎駿という一人の表現者の凄まじい思想的苦闘をそこにみて取ることができる。 雑誌『アニメージュ』(徳間書店)でのマンガ『ナウシカ』連載開始が1982年であるから、完結までに要した時間は単純計算で12年間ということになる。しかもこのマンガ『ナウシカ』のアニメーション化であり、「宮崎駿」という名前を世間一般で通用するブランドとすることともなった劇場用アニメーション『風の谷のナウシカ』(徳間書店=博報堂、以下アニメ『ナウシカ』と略記)の興行が1984年であったから、本来マンガ家ではなくアニメーター、単独の芸術家的職人ではなくチーム
『風の谷のナウシカ』を批判する ※1998年の12月祭に提出したものを加筆・補正したものです。 1. 『ナウシカ』に多くの人が共感をよせている 多くの人が、『ナウシカ』をみて、それに感動し、支持をしています。しかしそのとき、多くの人の頭のなかにあるのは、マンガの『ナウシカ』の方ではなく、アニメ映画の『ナウシカ』の方だと思います。学生にとったアンケートでは、印象にのこった映画の第1位が『もののけ姫』で、第2位が『タイタニック』、そして第3位が『ナウシカ』でした。10年以上も前の作品でこれほどの支持を誇る映画は他にありません。 王蟲の怒りをしずめる冒頭のシーンからはじまって、いたるところで人間とは敵対する世界にすむ蟲たちと対話するナウシカは私たちの心に強く残ります。腐海を焼き払う大国トルメキアの道ではなく、大海嘯の先頭にたつ王蟲たちと心を開きあい、「自然との共存」をイメージさせます。人間にとっ
Yasuakiの新批評空間(アニメ、ゲーム、哲学、経営、旅行) バスローブ付きDVD! AT4体付きDVD! デスラー総統ワインセット! ・人生で必要なことは、全てアニメで学んだ・・新ホームページ作成開始!コンテンツは以前書いたものを、できるだけそのアニメを見てない人でもわかるように修正したものです。現在4つ。(06/8/25) 新世紀エヴァンゲリオン(Neon Genesis EVANGELION)・・・エヴァンゲリオンの謎解き、分析、解釈など。 ・新劇場版に補論1を追加。NEW(07/12/16) ・エヴァンゲリオン新劇場版アンケートを設置NEW(08/2/9) ・ ガンダム、富野由悠季監督作品 ・イデオンのページ・・イデオンエンディングの画像アップ、「アジバ3」へのリンク追加(06/10/22) ・シャア・アズナブル専用ページ(ガンダム〜逆襲のシャア)・・(06/3/4
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