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宮崎駿と*otakuに関するprisoner022のブックマーク (4)

  • SUKEBENINGENSUKEBENINGEN アニメなんかもう死ね!

    たまにアクセスが大量に増える時がある。大抵は掲示板にブログが貼られている。様子を覗きにいくと案の定、オタクどもがキーキーと金切り声を上げている。 「電脳コイルを糞アニメ呼ばわりしやがって!」「どうせ人と反対の事を言うのがカッコ良いと思っている中二病だよ」「フ〜ン、どうせお前の言う良いアニメなんて実験アニメかなんかだろ?ノルシュテインとか」 「フフフフフ・・・」 「何が可笑しい!」 「お前らオタクの一族はいつも同じセリフを吐く。「中二病」「優越感ゲーム」「ブーメラン」だから笑ったのだ」 結局これは「現状に満足している人間」と「そうでない人間」との価値観の戦争な訳で。 自分は今のアニメが好きじゃない。宮崎駿が死んだ日に日のアニメも死ぬと思っている。だってオタク以外に分かる言葉でキチンと喋れる人間がもう他にはいないから。 押井守なんてオタクしか観ない。むしろ押井守という存在が必要になった「オタ

    prisoner022
    prisoner022 2008/01/31
    宮崎駿が死んだ日に日本のアニメも死ぬ/押井守なんてオタクしか観ない/世間的に富野由悠季は「ガンダム」庵野秀明は「エヴァンゲリオン」の一発屋/細田守も信用ならない/「当てこすりの口実」
  • FC2ブログ 現在アクセスが集中しています。

    prisoner022
    prisoner022 2007/08/06
    ガンダムという作品で、「オタク」と言われる生活力が乏しく視野の狭い若者を大勢生み出してしまった。アニメーションという仕事を続けると、そんな若者をどんどん増やしてしまうのではないかと感じた。
  • 「なぜオタクはキモイのか」の補足 - 萌え理論ブログ

    ロリコンファル - ちょっとした追記 −技術文明度の低い時代の異質性− 萌え理論Blog - なぜオタクはキモイのか 文明度の低い時代が同質的存在ばかりで、倒錯者はいなかったのかと云うとそんなことはなくて、 倒錯者は昔はいなくてオタクのように最近から始まったという主張では全然なくて、むしろ昔からいる倒錯者の系譜を辿ると現代の末裔の一つにオタクがいたという主張です。子供は自然に倒錯していますし、同性愛などの性倒錯者も昔からいました。昔はいないというのではなくて、周縁的な存在だったという位のことでしょうか。そして、現代では平等思想が浸透したけれど(フェミニズムやゲイの運動も含めて)、それでも倒錯に対する不気味さの名残りがあって、キモイと言われるのでしょう。あと『嫌オタ流』にあるように、人種差別に比べたらオタ叩きなんて全然深刻じゃない、と言われたらそうかもしれません。 バタイユ的には、近代戦争

    「なぜオタクはキモイのか」の補足 - 萌え理論ブログ
    prisoner022
    prisoner022 2006/06/21
    アニメを見るのが普通になれば、それが常識→キモイとは言われなくなる→というか既に、宮崎駿のアニメがそういう国民的アニメーションの地位に。 サブカルが反・大人で、オタクは脱・大人だというような違い
  • 補足:以後のファリック・ガールの取り扱いに関して(汎適所属)

    ちょっとここで断っておきたい。先のテキストでは仕事の面白さを紹介させて頂いた斉藤環先生のファリック・ガールという概念だが、以後のテキストではあまり取り扱わない予定なのだ。私は斉藤先生が書いた多くの事、例えばオタクの精神病理・葛藤の問題なんかはかなり参照しながら書いていく予定なんだけど、ひとつ、ファリック・ガールだけは色々あって切り離す事にしたのだ。 確かに、ナウシカやナムコのワルキューレのような、ファリック・ガールの定義をきっちり満たす女性キャラがオタク史のなかでも強い支持を得ていたのも事実だし、Power Dollsなどにもみられた“戦闘と美少女”なコンテンツがいつになってもなくならないのも事実だ。また、萌えという言葉が流通する前の時代(エロゲーならelf以前、漫画ならKLAMP以前の時代)において、コンテンツクリエイターとオタク達が、とりわけファリック・ガールに惹かれていた可能性につい

    prisoner022
    prisoner022 2006/06/19
    そしてこのテキスト群は、そういった頭のいい人達が何故か全然書いてくれない、格好悪くて身も蓋もない事を指摘する事を重要な目標のひとつとしている
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