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高畑勲に関するprisoneronthewaterのブックマーク (7)

  • 大塚英志&片渕須直と「高畑勲展」を巡ろう【東京国立近代美術館から生中継...

    東京国立近代美術館で開催中の「高畑勲展─日のアニメーションに遺したもの」。 その会場内を、まんが原作者・国際日文化研究センター教授の大塚英志さんと、 アニメーション映画監督の片渕須直さんと巡る「生中継番組」をお届けします。 高畑勲は、1960年代から日のアニメーション界を牽引してきました。 また、作品ごとに革新的なアニメーション表現を追求してきたことでも知られています。 半世紀に渡り進化を続けた高畑勲は、絵を描かず、「演出」に専念してきました。 高畑勲の演出術の秘密に、「ジブリの教科書(文春文庫)」で高畑作品を細かく論じてきた大塚英志と、 『この世界の片隅に』の監督でもあり、高畑勲の演出助手を務めたこともある片渕須直が、生解説で迫ります。 番組前半では片渕須直による各展示についての解説を、 そして後半では大塚英志による「リアリズムとアニメ」についての解説をお届け。 別々の視点から高畑

    大塚英志&片渕須直と「高畑勲展」を巡ろう【東京国立近代美術館から生中継...
  • 高畑勲の「謎」と「解」(小原篤のアニマゲ丼):朝日新聞デジタル

    「高畑勲監督の業績は、アニメ史にとどまらず戦後文化史の中で大きな役割を果たした。手塚治虫さんの展覧会の次に取り上げる人物として、高畑さんほどふさわしい人はいない」 これは、東京国立近代美術館で10月6日まで開催中の「高畑勲展 日のアニメーションに遺(のこ)したもの」を企画・構成した鈴木勝雄主任研究員に取材でうかがった話。同館は手塚さんが死去した翌年の1990年に「手塚治虫展」を開催し、国立美術館初のマンガ展として話題を集めました(弊社も主催に名を連ねております)。サブカルチャーの大規模展はそれ以来。くしくも福岡市美術館を皮切りに「富野由悠季の世界」が開催中(兵庫・島根・青森・富山・静岡を巡回)で、「絵を描かない」タイプのアニメ監督2大巨頭がそろい踏み。公立美術館が「目に見えない」演出術をどう展示するのか、両展の紹介も兼ねて大きな記事にしました。 「富野由悠季の世界」については欄でも既に

    高畑勲の「謎」と「解」(小原篤のアニマゲ丼):朝日新聞デジタル
  • 「緊張の糸は、高畑さんが亡くなってもほどけない」――鈴木敏夫が語る高畑勲 #3 | 文春オンライン

    今年4月、映画監督の高畑勲さんが亡くなった。プロデューサーとして支えてきたスタジオジブリの鈴木敏夫氏が語る高畑さんの記憶――それは決して美談ではなかった。(#1、#2より続く最終回) ◆ ◆ ◆ この作品はいつ完成し、世の中に出せるのか。僕としてはいっさい考えていませんでした。完成したときに公開すればいい。そう腹を括って、予算を含めた態勢を組んでいたんです。間に合う間に合わないですったもんだすることに、ほとほとうんざりしていたということもあるし、高畑さんに気のすむまでやってもらおうという気分もありました。結果的に8年の歳月をかけて、日映画史上最大の50億円もの予算を費やすことになるわけですが、僕としてはいっさい焦りを見せないようにしていました。 「かぐや姫」と「風立ちぬ」同時公開というアイデア それでも、完成の目処がついたと報告を受けたときは心が揺らぎました。というのも、西村が言ってきた

    「緊張の糸は、高畑さんが亡くなってもほどけない」――鈴木敏夫が語る高畑勲 #3 | 文春オンライン
  • 「高畑勲監督解任を提言したあのころ」――鈴木敏夫が語る高畑勲 #2 | 文春オンライン

    今年4月、映画監督の高畑勲さんが亡くなった。プロデューサーとして支えてきたスタジオジブリの鈴木敏夫氏が語る高畑さんの記憶――それは決して美談ではなかった。(#1より続く) ◆ ◆ ◆ 当時、高畑さんが作りたがっていたのが『平家物語』でした。企画としてはおもしろいものの、誰が絵を描くのかという問題がありました。宮崎駿が「平家の戦いのシーンを描けるとしたら自分しかいない」と豪語していたほどで、技術的にも非常に難しいことは分かっていました。高畑さんは『山田くん』でも活躍した田辺修に描いてもらおうとするんですが、田辺も頑固な男で、「自分は人が人を殺す話は描きたくない」と言う。 そこで僕が持ち出したのが『竹取物語』でした。言わずとしれた日最古の物語で、高畑さん自身、「誰かがいちどきちんと映画にすべきだ」と言っていたのを思い出したんです。あらためて高畑さんにその話をすると、「誰かが作るべきだとは言い

    「高畑勲監督解任を提言したあのころ」――鈴木敏夫が語る高畑勲 #2 | 文春オンライン
  • 「なぜ高畑勲さんともう映画を作りたくなかったか」――鈴木敏夫が語る高畑勲 #1 | 文春オンライン

    高畑さんが亡くなり、「お別れの会」を終えたいまも、気持ちが収まる気配がありません。徳間康快や氏家齊一郎さん、あるいは親父やお袋が死んだときも、葬儀を終えてしばらくしたら、心の整理はついたんです。ところが、今回はなかなか落ち着かない。気がつくと、すぐそこに高畑さんがいるんですよ。こんなことは生まれて初めてです。それだけ強烈な人だったということなんでしょうけど、正直なところ困っています。 お別れの会でも話しましたが、高畑さんと僕は最後の最後まで監督とプロデューサーでした。ある種の緊張関係がずっとあったんです。 鈴木敏夫(スタジオジブリ 代表取締役プロデューサー) ◆ ◆ ◆ 最初にじっくり話をしたのは、高畑さんが『じゃりン子チエ』を作っているときでした。当時の僕は『アニメージュ』の編集者。制作会社テレコムがあった高円寺の喫茶店でインタビューすることになりました。席に着くやいなや、高畑さんは先制

    「なぜ高畑勲さんともう映画を作りたくなかったか」――鈴木敏夫が語る高畑勲 #1 | 文春オンライン
  • 弁証法的な緊張関係-高畑勲と宮崎駿の50年-

    ※以下の文章は、2013年9月17日発売のコミック誌「もっと! Vol.4 2013年11月号/総力特集 ジブリの狂気が大好き�・」(秋田書店)に掲載されたものです。同誌は珍しいスタジオジブリ公認のアンソロジー掲載のコミック誌でした。2013年8月末に編集の方から原稿依頼を受けたのですが、「高畑勲、宮崎駿両監督の作風総括と新作批評を短文で」という大変難しいお題でした。当時『かぐや姫の物語』公開前で取材・執筆で忙殺されていたこと、同作の初号試写前であったことなどから、以前の原稿を加筆・再構成するという条件でお受けしました。前半が加筆・再構成、後半が書き下ろしです。 2015.2.15. 高畑さんを 丸いと喩えるなら 宮崎さんは 四角い 高畑さんは 海のようだとすれば 宮崎さんは 山のようだ 似ても似つかない二人だし 近頃では希な偏屈ときている 仕事のこととなると テントウ虫の卵ほども妥協しな

    弁証法的な緊張関係-高畑勲と宮崎駿の50年-
  • 日本アニメの歴史に高畑勲をどう位置づけるか――井上伸一郎×宇野常寛『かぐや姫の物語』対談 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.031 ☆:Daily PLANETS

    アニメの歴史に高畑勲をどう位置づけるか――井上伸一郎×宇野常寛『かぐや姫の物語』対談 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.031 ☆

    日本アニメの歴史に高畑勲をどう位置づけるか――井上伸一郎×宇野常寛『かぐや姫の物語』対談 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.031 ☆:Daily PLANETS
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