さて中学受験シーズンまっただなか! そして今日は首都圏の(多くの)受験生にとっての天王山である2/1ですよ! ※本日のエントリは2年前の2/1のエントリの改訂版です ※※今日の話はかなり論理がこみいっています.本稿での「言いたいこと」とその是非は最終行を読んでから判断してください... 30うん年前の泰之君も2/1には開成を,2/3には海城を受験しました.開成は当然不合格.確か慶應中等部1次試験(1次は受かったけど2次で落ちたのでやはり慶應はろくなもんじゃないと思う^^)の帰りに海城の合格を知り……めでたく13歳の春をむかえたわけであります.また,学部生の時には栄光ゼミナール,後にTAP(SAPIXの母体……90年代にはまだ勢いがあった)の講師として中学受験に関わりました. とはいえ,今日は思い出話をしようというのではありません. 中学受験ってホントに意味があるん!?!? というお話をしま
というNBER論文をMostly Economicsが紹介している(Journal of Development Economicsのオープンアクセス版)。原題は「Top Talent, Elite Colleges, and Migration: Evidence from the Indian Institutes of Technology」で、著者はPrithwiraj Choudhury(ハーバード大)、Ina Ganguli(マサチューセッツ大学アマースト校)、Patrick Gaulé(ブリストル大)。Mostly EconomicsによるとIITや海外移住界隈のSNSでバズっているとの由。 以下はその要旨。 We study migration in the right tail of the talent distribution using a novel datase
というNBER論文が上がっている。原題は「Reducing Bullying: Evidence from a Parental Involvement Program on Empathy Education」で、著者はFlavio Cunha(ライス大)、Qinyou Hu(同)、Yiming Xia(西南財経大)、Naibao Zhao(同)。 以下はその要旨。 According to UNESCO, one-third of the world’s youths are victims of bullying, which deteriorates academic performance and mental health, and increases suicide ideation and the risk of committing suicide. This paper
というNBER論文が上がっている(ungated版)。原題は「Teachers’ Use of Class Time and Student Achievement」で、著者はSimon M. Burgess(ブリストル大)、Shenila Rawal(Oxford Partnership for Education Research & Analysis (OPERA))、Eric S. Taylor(ハーバード大)。 以下はその要旨。 We study teachers’ choices about how to allocate class time across different instructional activities, for example, lecturing, open discussion, or individual practice. Our data c
というNBER論文をデビッド・カードらが上げている。原題は「The Impact of Female Teachers on Female Students' Lifetime Well-Being」で、著者はDavid Card(UCバークレー)、Ciprian Domnisoru(アールト大)、Seth G. Sanders(コーネル大)、Lowell Taylor(カーネギーメロン大)、Victoria Udalova(米国勢調査局)。 以下はその要旨。 It is widely believed that female students benefit from being taught by female teachers, particularly when those teachers serve as counter-stereotypical role models. W
ハーバード入試の人種差別を巡る裁判で専門家証人としてデビッド・カードと対決したArcidiaconoが、表題のNBER論文を上げている(ungated版)。原題は「What the Students for Fair Admissions Cases Reveal About Racial Preferences」で、著者はここで紹介したNBER論文と同じPeter Arcidiacono(デューク大)、Josh Kinsler(ジョージア大)、Tyler Ransom(オクラホマ大)。 以下はその要旨。 Using detailed admissions data made public in the SFFA v. Harvard and SFFA v. UNC cases, we examine how racial preferences for under-represented
デビッド・カードのノーベル経済学賞受賞のニュースを聞いて、そういえば彼が専門家証人を務めたハーバードのアジア人に対する入学差別に関する訴訟の件(cf. ここ、ここ、ここ)はどうなったのかな、と調べてみたところ、(昨年4/30エントリの注記に書いたように)2019年10月に地裁でハーバード側が勝訴した後、2020年の第1巡回区控訴裁判所でもその判決が支持されたとのことである*1。今年2月には原告のStudents for Fair Admissions(SFFA)が上告し、5月にはハーバード側がその棄却を求め、最高裁は来年に開廷するかどうかを決めるに当たって米政府の見解を求めている、という状況のようである。 こちらのCNN記事やこちらのハーバードクリムゾン記事によれば、SFFAは、トランプ政権下で保守化した最高裁の状況を睨んで、アファーマティブアクションに照準を合わせる戦略を採っているとの由
というNBER論文をAutorらが上げている(ungated版へのリンク1、リンク2[それぞれ著者のKarbownik、Wassermanのサイト])。原題は「Males at the Tails: How Socioeconomic Status Shapes the Gender Gap」で、著者はDavid Autor(MIT)、David N. Figlio(ノースウエスタン大)、Krzysztof Karbownik(エモリー大)、Jeffrey Roth(フロリダ大)、Melanie Wasserman(UCLA)。 以下はその要旨。 Analyzing Florida birth certificates matched to school records, we document that the female advantage in childhood behavior
安倍晋三政権の看板政策「人づくり革命」構想の基になった「ライフ・シフト」共著者の一人、アンドリュー・スコット英ロンドンビジネススクール教授が産経新聞に寄稿し、自民党が衆院選公約に掲げる教育無償化を「良い政策だ」と評価した上で、財源に国債を充てても問題ないとの考えを示した。人口減を踏まえ、政権は1人あたり国内総生産(GDP)を重視する経済政策へ転換すべきだと提言した。 ◇ (政府・与党は)幼児教育の無償化や大学教育の負担軽減を訴えている。教育は人生や経済的な豊かさに素晴らしい影響を与えるのでともに良い政策だ。ただ(経済状況などで異なる)より多くの人たちに教育機会を与える効果は幼児教育のほうが強い。大学教育は(人材輩出を通じ)経済を後押しする効果がある。 日本は多額の公的債務を抱えているが、低金利でもあり、国債を無償化の財源にしても問題ないだろう。教育を受けた人が将来、高い収入を得るようになれ
海の向こうの日本では高等教育無償化のために憲法を改正するか否かで議論が盛り上がっていますが、議論が稚拙すぎる感じがします。ここアフリカでは1990年代以降教育の無償化が進み様々な知見が得られているので、教育経済学の議論と共にそれを紹介してみようと思います。 高等教育無償化・賛成派の議論の問題点 ① 無償化後のビジョンが欠如している アフリカで90年代以降教育の無償化が進み何が起こったかというと、就学率の急上昇です。例えば、ここマラウイは最貧国で国民一人当たりの平均所得は1日100円にも満たない状況ですが、初等教育の純就学率は95%程度あり、不就学児童の大半は障害を抱える児童か孤児かという状況で、貧しいから学校に行けないという状況はほぼほぼ解消されたと言えるでしょう。 しかし、教育の無償化による教育へのアクセスの爆発は、教育の質の低下を招きました。就学率が上昇するということは、ただ単に授業料
高等教育は「個人利益」か 安倍総理が自民党総裁として示した憲法改正提案には高等教育の無償化が含まれている。当然、財源はどうするのかといった問題が出てくるわけで、財務省は否定的な姿勢だ。 jp.reuters.com 高卒者と大学・大学院卒者では「生涯所得が6000─7000万円異なる」(独立行政法人労働政策研究・研修機構)ことから、財務省の提案では、高等教育が「生涯賃金の増加につながるという私的便益が大きい」と位置づけた。 教育がそれを受けた本人のみに利益をもたらすならば、経済効率的には政府が介入する必要はないので、この財務省の主張は正しい。教育に対する補助金はインセンティブを歪め、教育水準が過剰に上がってしまうだろう。 しかし、教育がそれを受けた本人のみならず、社会全体に利益をもたらすならば話は変わってくる。個々人は自分が受ける利益だけを考慮するが、自分の教育が社会全体に及ぼしうる利益を
日本における子供の貧困を人的資本投資、共同親権の側面から考察する 畠山勝太 比較教育行財政 / 国際教育開発 社会 #子どもの貧困#共同親権#人的資本投資#離婚 「日本の子供の6人に1人は貧困状態にある」という報道を目にした方も多いだろう。昨今、日本における子供の貧困をめぐる状況について、良くも悪くも注目が集まっている。筆者が仕事をしている途上国と異なり、日本では信号待ちの際やスーパーから出たところでストリートチルドレンに物乞いをされることもない。そのため、子供の貧困と言われてもピンとこない方が多いのではないだろうか? しかし、日本には厳然たる事実として貧困状態で暮らす子供たちが存在する。そして見落とされがちであるが、ストリートチルドレンが存在しないと言われる日本では、子供の貧困はその保護者達(若者)が貧困状態にあることを意味し、その保護者に対する支援が十分になされていないことを示唆してい
近年、日本を含めた先進諸国で、大学生の数が多過ぎるのではないか、という議論が盛んに行われている。たとえば、アメリカでは学費の高騰に加えて、奨学金枠を縮小して教育ローン枠へと転換させようという流れも相まって、教育ローンを返済できないことによる自己破産が社会問題化し、大学生の数が多過ぎるのではないかという議論が盛んに行われるようになった。一方日本でも、提案型政策仕分けをはじめ、メディアでも大学生は多過ぎるのではないかという議論が取り上げられている。提案型政策仕分けでこの議論が取り上げた背景には、18歳人口の減少、財政赤字拡大に伴う公教育投資へのプレッシャー、大学生の学力低下、のおもに3点があげられている(http://sasshin.go.jp/shiwake/detail/2011-11-21.html#A2)。 しかし、日本で行われているこの議論はすべて誤りを犯している。その理由として、第
桜宮高校体罰と柔道全日本女子前監督 大阪市立桜宮高校のバスケット部のキャプテンが自殺した問題から、顧問教諭が行っていた体罰が大きな話題となっている。選手が試合でミスをした際に、この顧問はその選手に体罰を与えていたという。このような体罰が行われているのは、この高校に限られたことではなかったことが、その後の一連の報道で明らかになってきた。 しかも、このような体罰の問題は、学校におけるクラブ活動に限られた話ではないことが、柔道全日本女子の選手15人による園田隆二・全日本女子前監督の暴力行為告発で明らかになった。日本のスポーツのトップクラスの場で、体罰や暴力が存在していたということは、桜宮高校の実態が例外的なものではないということを象徴している。 学校教育法(昭和22年法律第26号)では、第11条で校長および教員は、懲戒として体罰を加えることはできないと明記されている。最近になって決められた法律で
最近日本で話題の#保育園落ちたの私だ、について思うことを書いてみようと思います。基本的な考え方は以前シノドスさんに寄稿した「幼児教育無償化で十分か?―就学前教育の重要性と日本の課題」と殆ど変わりがないのですが。 思うこと①保育園の拡充と女性の労働参加 「Crowding-Out Effect of Publicly Provided Childcare: Why Maternal Employment Did Not Increase」というペーパーが日本の保育所の利用可能性と女性の労働参加について分析をしていて、結果をかいつまんで書くと保育所が拡大しても女性の労働参加はあまり進まない、なぜなら祖父母によるインフォーマルなケアが、フォーマルな保育園に置き換わるだけだからだ、という物です。 この保育所の利用可能性が増しても女性の労働参加は促進されないというのは、私がシノドスの記事で紹介した他
「学力」の経済学 作者: 中室牧子出版社/メーカー: ディスカヴァー・トゥエンティワン発売日: 2015/06/18メディア: 単行本(ソフトカバー)この商品を含むブログ (44件) を見る 教育については誰もが持論を持ち、自分の意見を述べたがる。また、「自分が病気になったときに、まず長生きしているだけの老人に長寿の秘訣を聞きに行く人はいないのに、子どもの成績に悩む親が、子どもを全員東大に入れた老婆の体験記を買う」(本書で引用されている西内啓『統計学が最強の学問である』の中の言葉)といったように、例外的な個人の体験談が注目されがちな分野でもある。根拠のない主観的な持論が語られるのは世間一般においてだけでなく教育政策の現場でも同様であり、結果的に、科学的根拠のない政策に多額の予算が割り当てられることにもつながる。著者が本書を通じて訴えるのは、主観的な持論がまかり通る日本の教育政策への警鐘であ
少し前に、機械によって雇用は喪失していないという趣旨の発言をサマーズがハミルトン・プロジェクトのセミナーでした、というマイク・コンツァルのブログエントリを紹介した。WaPoのWonkblogのJim Tankersleyが、その件についてのサマーズの真意を確かめるために電話で45分のインタビューを行い、内容を「Robots are hurting middle class workers, and education won’t solve the problem, Larry Summers says」という記事にまとめている。またその記事は、サマーズのサイトにも転載されている(H/T Economist's View)。 同記事でサマーズは、技術は唯一の要因でも支配的な要因でもないかもしれないが、雇用に影響を与えている、という見方を示している。そして、技術は上位1%の所得シェアの上昇と
2012/3/510:58 大学生は多過ぎるのか、大学に行く価値はないのか? 畠山勝太 ■はじめに 近年、日本を含めた先進諸国で、大学生の数が多過ぎるのではないか、という議論が盛んに行われている。たとえば、アメリカでは学費の高騰に加えて、奨学金枠を縮小して教育ローン枠へと転換させようという流れも相まって、教育ローンを返済できないことによる自己破産が社会問題化し、大学生の数が多過ぎるのではないかという議論が盛んに行われるようになった。一方日本でも、提案型政策仕分けをはじめ、メディアでも大学生は多過ぎるのではないかという議論が取り上げられている。提案型政策仕分けでこの議論が取り上げた背景には、18歳人口の減少、財政赤字拡大に伴う公教育投資へのプレッシャー、大学生の学力低下、のおもに3点があげられている(http://sasshin.go.jp/shiwake/detail/2011-11-21
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