prochronのブックマーク (70)

  • 気鋭の情報学者ドミニク・チェンが考えるデジタル表現の未来 | レビュー | Book Bang -ブックバン-

    クリエイティブ・コモンズ・ジャパンを設立した気鋭の情報学者ドミニク・チェンさんが哲学書『未来をつくる言葉―わかりあえなさをつなぐために―』を刊行。美学者の伊藤亜紗さんが書評を寄せた。 *** 子供が生まれたら、死ぬのが怖くなくなった。そう口にする人に何人も出会ったことがある。筆者自身もそうだ。出産の翌日に母子同室が許され、生まれたばかりの我が子を自分の体のとなりに横たえた。その瞬間、脳裏に浮かんだのは自分自身の葬式の鮮明なイメージだった。そして不思議なことに、底知れぬ安堵感に包まれたのである。 子供の誕生によって自らの死が「予祝」される。書の出発点にあるのは、この不思議な、そしてこの上なく甘美な感覚だ。父となったチェン氏は、娘の誕生とともに、自分の全存在が風景へと融けこむ感覚に襲われたと言う。そしてあらゆる言葉が喪われた。 思うにこの風景への融けこみは、一種の記憶喪失体験だったのではない

    気鋭の情報学者ドミニク・チェンが考えるデジタル表現の未来 | レビュー | Book Bang -ブックバン-
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    prochron 2020/03/18
  • As microbes ferment微生物が発酵するごとく

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    prochron 2019/04/30
  • 【急】ミラノ・トリエンナーレBroken Nature展にて

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    prochron 2019/04/27
  • 【破】NukaBotのプロトタイピング

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    prochron 2019/04/26
  • 【序】ぬか床ロボットNukaBotの誕生

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    prochron 2019/04/24
  • 10分遺言 :人々の「最後の言葉」を収集するアートプロジェクト

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    prochron 2019/04/09
  • 「わたし」のウェルビーイングから、「わたしたち」のウェルビーイングへ:ドミニク・チェン

  • 最終回 かたちづくる存在 | 未来を思い出すために | ドミニク・チェン | Webでも考える人 | 新潮社

    子どもの誕生の瞬間に感得した、自らの死の予祝。その正体を巡って考察を続けてきた果てに、子に宛てて遺言を書いてみるという行為のなかに、この名状しがたい感情が結実することを知った。 それは死の先にあって、決して自らは見ることのできない未来の時を生きる子に向けた祝福と共に生じる、この上ない高揚だ。 それは同時に、自分自身もこれまでさまざまな経験の「領土territoire」を出入りしながら拡げ続けた環世界の運動が、子どものうちにおいても知らず知らずのうちに継承され、自らの死後にも決して途絶えることなく続いていくことに対する、尽きることのない安堵でもある。 わたし個人としての来歴のなかには種々の悔恨があり、また、現在の心中にも未来に対する様々な不安が渦巻いている。それはしかし、どこまでも孤独で貧しい世界認識に過ぎない。子は、生まれた瞬間からすでに親の「ありえたかもしれない生life as it c

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    prochron 2018/11/29
  • Vol.16 死後の共話 | 未来を思い出すために | ドミニク・チェン | Webでも考える人 | 新潮社

    前回は、能楽とサイエンス・フィクション(SF)に共通する「世界そのものとの共話」というテーマについて書いた。奇しくも、両者ともに死者が介在している。今回は死者とのコミュニケーションというテーマについて考えていきたい。 『定家』は、式子内親王しきしないしんのうの霊と旅の僧が邂逅する話だが、そもそも夢幻能にはよく死者の亡霊がシテとして登場する。亡霊は生前に解消できなかった執着心が結晶化したような存在であり、再びこの世に現出するための媒介としてワキがその話に耳を傾け、共話を通して世界の背景に融けていく。鑑賞者は、生き続けるワキと同じ視点に立って、亡霊の成仏に立ち会うわけだが、それはまるで死者の旅立ちを見送るような体験である。 ケン・リュウの『紙の動物園』では動物の紙人形と亡母の記憶が、『もののあはれ』では主人公の死の現前と亡父の記憶が重なり合う。この二つの作品に共通するのは、死者の存在が追憶とい

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    prochron 2018/11/08
  • Vol.12(番外編) 可能な生命 | 未来を思い出すために | 連載 | Webマガジン「考える人」 | 新潮社

    2018年7月22日から27日まで、東京の日科学未来館にて人工生命artificial life領域の国際会議「ALIFE2018」が開催された。わたし自身は初参加となったが、コミッティの一人として運営の手伝いをして、論文発表も行い、会場で連日様々な議論に参加してきた。また、日における人工生命研究のパイオニアである東京大学の池上高志さんや筑波大学の岡瑞起さんたちと書いた『作って動かすALife ―実装を通した人工生命モデル理論入門』(オライリー・ジャパン)というを7月28日に上梓した。 Artificial lifeを略してALifeと呼ばれるこの領域では、「いまある生命」ではなく「ありえたかもしれない生命」のかたちを探るという共通テーマをもとに、計算機科学者から生物学者まで、実に多様な領域の研究者が集い、生命性を立ち上がらせる原理を追究している。ソフトウェアのプログラムを実行する、

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    prochron 2018/08/10
  • Vol.11 時を越える共話 | 未来を思い出すために | 連載 | Webマガジン「考える人」 | 新潮社

    子どもを持つというのは不思議な体験だ。ただその存在によって、自分というものを規定している空間的、そして時間的な境界が融解しはじめる。彼女が新しくなにかを学ぶ様を見て、自分が何十年も前に学んだプロセスが喚起される。同時に、彼女が時代と向き合うなかで獲得するであろう独自の感覚について、いつか自分が教えてもらう時が来ることもわかっている。自分にとって常に未来でありながら、どことなく懐かしい存在と、同じ現在という時間を共有している。 子どもはまた、気づいたら路上で口ずさむ、昔から知っている歌のようでもある。見知らぬ場所にはじめて一人で訪れる時、そこに子どもがいたら何を感じるだろうか、という思いがよぎる。そこから帰路につく時も、子どもの表情がまるで道標のように意識のうえを漂う。 そうして、ふとした日常の瞬間のなかで、未来の子どもの像がちらちらと浮かび上がるようになる。その時、「わたし」は背景に融け込

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    prochron 2018/07/26
  • Vol.10 学びの円環 | 未来を思い出すために | 連載 | Webマガジン「考える人」 | 新潮社

    ベイトソン父娘の双方向のメタローグは、父と娘が互いの存在を拠り所とし合いながら、それぞれの思考のみならず、関係性そのものを変化させるような営みだった。それは決して、ただの架空の思索ではないし、一時的で一過性の現象でもなかった。むしろ、何十年という長い時間経過のなかで、自己の意識のうちに相手を憑依させるということに似て、父にとっての娘、娘にとっての父の存在の輪郭がゆっくりと醸成することを助けるプロセスだった。 このような親子の関係性は、一見特殊なもののように見えて、実はあらゆる親子の間で見られるものではないだろうかとも思う。例えば、親同士の会話でよく「子どもからは学ぶことが多い」という表現が出てくる。それは、子どもから素朴な疑問を唐突に投げかけられて、改めて思考を促される時だったり、または、子どもが泣いたと思ったらすぐに機嫌を直して笑い始める様子を見て、その素直さに感じ入ったりする時などであ

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    prochron 2018/07/12
  • Vol.9 父娘のメタローグ | 未来を思い出すために | ドミニク・チェン | Webでも考える人 | 新潮社

    知性と情動は相互に補完する。二つを分離して、どちらかを優先することは、粗暴な還元主義を招く。そして、「この世界の主要な問題の数々は、自然の仕組みと人々の考え方がい違っているからだ」。 この有名な警句を遺したグレゴリー・ベイトソンは、ニューギニアやバリの人々の社会や、第二次世界大戦の帰還兵たちの心理の分析を通して、このような一元論(モニズム)の方法を探索するに至った。その過程で生み出されたメタローグという記法について、しばし思いを巡らせたい。そのためには、彼の後半生の時代背景から見ていかなければならない。 1940年代、計算機の黎明期に誕生したサイバネティクスというシステム理論の潮流から、一方では制御系の工学が世界的な産業にまで発展し、他方では複雑な社会構造を生命的に把握するための哲学の追究が興った。 この二つの流れは、コンピュータ産業が格的に離陸する1970年代末頃までには、カウンター

    Vol.9 父娘のメタローグ | 未来を思い出すために | ドミニク・チェン | Webでも考える人 | 新潮社
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    prochron 2018/06/28
  • Vol.8 環世界の相互浸透 | 未来を思い出すために | 連載 | Webマガジン「考える人」 | 新潮社

    作りながら観て、模倣しながら実験する。この循環を、デザインとアートを並行して教える大学において実践する生活のなかで、わたしや周囲の学生は少しずつ、それぞれに独自のスタイル(作風)の萌芽を顕在化させていった。当人に固有の署名のように、繰り返しさまざまな場所に現れる、微かなパターン。たとえば、ある人はいつもとても小さなグラフィックの要素を細かくつなぎ合わせ、別のある人は特定の中間色を多めに使用する。また別の人は、画面いっぱいに長方形を引き伸ばす、といったクセを見せる。自分の場合は、文字を分解した小さな図形でいくつかのモチーフを作り、それらを大量に複製して画面を構成するということを何度も繰り返していたことを、同級生の指摘を受けて気づいた。それはほとんどの場合、意図的に築き上げた様式としてではなく、何をやっていても無意識のうちに、反復的に表れ出てしまうものである。それに各自がふとした時に気づいて、

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    prochron 2018/06/14
  • Vol.7 異なる世界のルールをつくる | 未来を思い出すために | 連載 | Webマガジン「考える人」 | 新潮社

    複数の言語を習得する過程で、吃音による身体的コミュニケーションの煩わしさから逃れるために、書き言葉の領域に没入した果てに辿り着いたのが、非言語的な表現の世界だった。 はっきりとは思い出せないが、カリフォルニア大学ロサンゼルス校UCLAのデザイン/メディアアートDesign/MediaArts学科に入学した背景には、子どもの頃からゲーム機やコンピュータといったデジタル機器に慣れ親しんできたということも大きな後押しになった。情報技術で遊ぶ側から、今度は作る側に移るという考えには単純に興奮させられたのだ。それと同時に、高校の哲学の最終課題で対象とした「芸術に人間は何を求められるのか?」という問いに向き合うためには、自分の手を動かさなくてはわからないだろう、と朧げながら考えていたようにも思う。なにより、哲学の論文を書きながら感じたことは、言葉でしか記述できないこともあるが、言葉では決して記述できな

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    prochron 2018/05/24
  • Vol.6 アジールからの出立 | 未来を思い出すために | 連載 | Webマガジン「考える人」 | 新潮社

    高校時代には漠然と小説家か建築家になりたいと夢想していた。言いたいことがうまく口から出てこない、何が出てくるかわからない吃音というエラー発生装置を身のうちに抱えていたわたしには、執筆という言語的構築の理念的な世界はある種の駆け込み寺アジールとして映ったのだろう。リアルタイムな反応を強いる身体的コミュニケーションの世界と異なり、自分のペースで時間をかけて記述するという行為によってはじめて、自分の当の考えが表現できると考えていた節がある。いま思うと、「当の考え」なるものの妥当性も疑わしいものだし、仮に存在するとしてもそれが身体性を欠落したところから生まれるわけはないのに、と我ながらツッコミを入れたくなるが、当時の自分の脆い自己同一性アイデンティティを支える上で大きな救いとなったことは確かだ。 フランスの高校生にとって、高校卒業資格と同時に大学入学資格であるバカロレアに備える勉強が人生で迎え

  • Vol.4 身体的な「バグ」 | 未来を思い出すために | 連載 | Webマガジン「考える人」 | 新潮社

    語とフランス語、それぞれの言語で覚える言葉の数だけ、アクセスできる感覚が増えていき、意思の疎通が容易になるというだけではなく、対話する相手から引き出せる知識も増えていく。 いま思えば自分の「領土」、つまり認識できる世界が拡張されていく悦楽を知ったからこそ、わたしは自発的に言葉を覚えようとしたのだと思う。新しく覚える言葉の一つ一つは、身体で体験したことを記憶にとどめるためのアンカーであり、未だ体験したことのない感覚へ至るための道標だった。 コンピュータのなかで描かれるゲーム世界にも固有の言語があることを知ったのは、小学校にあがってマイクロコンピュータマイコンのキーボードに触れるようになってからだった。それまではただゲームで遊ぶという行為を通して読むことしかできなかった対象を、自分で記述する可能性に気づかせてくれたのは、パソコン雑誌の巻末についていたプログラムのソースコードだった。BASI

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    prochron 2018/04/14
  • Vol.3 ゲームの環世界 | 未来を思い出すために | 連載 | 考える人 | シンプルな暮らし、自分の頭で考える力。知の楽しみにあふれたWebマガジン。 | 新潮社

    在日フランス人のコミュニティには、純フランス人(そのような定義自体が不可能なほどフランス国家は多様な民族によって構成されているが)以外にも、50カ国以上の国籍の子弟が集まっている。そこには様々な言語的ハイブリッドが生じている。日語、英語アフリカ諸語、スペイン語、ドイツ語中国語といった言葉が、公用語であるフランス語の環世界と混ざっていき、それぞれが入り混じったハイブリッド言語を話すこどもたちがいる。わたしもまた、そうした同輩のこどもたちと一緒に、日語とフランス語が奇妙に織り交ざった言語を育てていた。片方の言葉しか話さない親たちが、わたしたちのハイブリッド言語の会話を、奇異な目で見ていたことを想い出す。 こうやって「日仏語」が意識のなかで形成されるのと時期を同じくして、我が家にはいつも最新のコンピュータが置かれていた。SF小説が好きな父親はもともとテクノロジーへの関心が高く、また8つ年

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    prochron 2018/03/27
  • Vol.1 「はじめ」と「おわり」の時 | 未来を思い出すために | 連載 | 考える人 | シンプルな暮らし、自分の頭で考える力。知の楽しみにあふれたWebマガジン。 | 新潮社

    一生の間には、それまで蓄積されてきた経験の皮膜が一度に無化し、未知の時間が始まる予兆の密度が高まり、時空がただ一点に圧縮されるような瞬間がある。それはいつも、なにかの「はじめ」であると同時に「おわり」である。未知の世界を発見する時は、既知の領域から離れる時でもある。 生まれてはじめて他者と言葉を交わしたり、見知らぬ場所に足を踏み入れたり、恋に落ちた時――無数の「はじめて」を経てもなお、わたしたちが世界を知り尽くすことはない。それは、ただ世界が広大だから、というだけではない。常に「おわり」が次の、より高次の「はじまり」の源泉となり、その度に新たな言葉が生まれるからだ。 娘が母胎の外へと這いずり出て、最初の呼吸をおこないながら産声を上げる準備をしているその刹那、自分の全存在がその風景のなかへと融けこんでいく感触に襲われた。わたしは今に至るまで、過去に体験してきた数多の優れた芸術表現や哲学概念と

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    prochron 2018/02/22
    円環時間
  • 明晰夢とアブダクション

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    prochron 2017/12/12