考古資料 / 平安 鎌倉 平安~鎌倉 / 1120~1260 一括 重文指定年月日:19330123 国宝指定年月日:19550622 登録年月日: 国宝・重要文化財(美術品) 平安~鎌倉時代の資料。
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考古資料 / 平安 鎌倉 平安~鎌倉 / 1120~1260 一括 重文指定年月日:19330123 国宝指定年月日:19550622 登録年月日: 国宝・重要文化財(美術品) 平安~鎌倉時代の資料。
兵庫県 弥生 8口 神戸市立博物館 兵庫県神戸市中央区京町24 重文指定年月日:19690620 国宝指定年月日:19700525 登録年月日: 神戸市 国宝・重要文化財(美術品) これらの一括遺物は昭和三十九年十二月神戸市灘区桜ケ岡町で土取り作業中に出土したものである。同一地点から銅鐸が数多く出土した例としては明治十八年八月滋賀県野洲から発見された十四口が最も著名であり、さらに近年その付近から十口出土しているのが注目される。それに次ぐものは昭和七年徳島市での七口の発見報告と、江戸時代に淡路の笥飯野から八口出土したことが江戸時代の記録にあるが、それらはいずれも散逸したものが多く、また一か所に保存されていないので、本遺跡出土のものはその意味においてもきわめて貴重な新例を加えたものである。しかも二口の袈裟襷文銅鐸に旧大橋家の銅鐸(国宝・伝香川県出土・現在国有)と同様の画象を鋳表わしていること、
兵庫県 鎌倉/1234 縦16.8cm 横15.3cm 丁数50丁 1帖 兵庫県川西市長尾町10-1 重文指定年月日: 国宝指定年月日:19990607 登録年月日: 学校法人大阪青山学園 国宝・重要文化財(美術品) わが国最初の仮名日記として著名な『土左日記』の写本である本書は、藤原為家(一一九八-一二七五年)が嘉禎二年(一二三六)に、紀貫之(八六八-九四六年)の自筆原本を、仮名の字体や文章の表記等を含めて忠実に書写したものである。 体裁は綴葉装冊子本、本文料紙共紙表紙の中央に「土左日記」と外題を墨書している。料紙は楮紙(打紙)を用い、丁数は五〇丁。本文は半葉八行から一〇行、一行一二字から一九字に書写され、和歌は改行せず本文に続けて一、二字分の空白に次いで書かれている。巻末には嘉禎二年八月二十九日の為家書写奥書があり、「紀氏正本」をもって一字も違わずに書写した旨を記している。 『土左日記
藤原定家 鎌倉/1226 縦22.9cm 横14.6cm 紙数157丁 1帖 重文指定年月日: 国宝指定年月日:19830606 登録年月日: 公益財団法人冷泉家時雨亭文庫 国宝・重要文化財(美術品) 藤原定家(一一六二~一二四一)が嘉禄二年(一二二六)に書写した『古今和歌集』(二十巻)で、中世以降の『古今集』研究に多大の影響を与えたいわゆる「嘉禄本古今集」の原本である.帖の末尾に嘉禄二年、定家六十五歳の時に書写した旨の奥書があり、その奥に定家の子為家がその子の為相にこの本を譲与した旨の奥書がある。本文中には定家自筆になる和歌の書入れ、校合注記、人名や場所等の勘物書入れ、朱点などが稠密に付されており、定家の『古今集』研究の跡を伝えている。 附の文書は、室町時代にこの『古今集』を冷泉家から借用披見された三代の天皇の礼状で、冷泉家における伝来を伝えている。
鎌倉/1197 縦28.9cm 横20.8cm 紙数 上帖97丁 下帖95丁 2帖 重文指定年月日: 国宝指定年月日:19830606 登録年月日: 公益財団法人冷泉家時雨亭文庫 国宝・重要文化財(美術品) 『古来風躰抄』は、歌人として有名な藤原俊成(一一一四~一二〇四)が、建久八年(一一九七)、八十四歳の時に著わした歌論書で,和歌の風躰のあり方とその変遷を明らかにし、俊成の和歌論を集大成した著述として,わが国文学史上に重視されている。本書には、建久八年の初撰本と建仁元年(一二〇一)の再撰本があるが,この冷泉家本は初撰本の原本で、下帖末に八十四歳の時に書きしるした旨の奥書がある。全文俊成の自筆になり、『古来風躰抄』の原初の姿を示したものとして、また俊成筆跡の面目を最もよく伝えたものとして、その価値は極めて高い。
高知県 平安時代後期 11世紀 紙本(料紙鳥子雲母引) 26.4×262.2(cm) 1巻 高知県立高知城歴史博物館 国宝/指定番号(登録番号):00016 (S26.6.9指定) その一部が高野山に伝来したことから「高野切」と呼ばれる、古今和歌集書写本の第二十巻。高野切は古今集の写本としては現存最古であり、かつ平安時代の仮名書の完成形を示す書跡として古来より名高い。紀貫之(?-九四六)筆と伝承されてきたが、実際には三種の書風が混在し、十一世紀中頃の寄合書と推定されている。山内家伝来の巻第廿は「第一種」と呼ばれる書風を示す。抑制のきいた端正な書きぶりは、高野切の筆者三名の中で、もっとも格の高い人物の手になるものとされる。
愛知県 江戸 徳川美術館 愛知県名古屋市東区徳川町1017 重文指定年月日:19531114 国宝指定年月日:19960627 登録年月日: 公益財団法人徳川黎明会 国宝・重要文化財(美術品) 寛永十六年(一六三九)九月二十一日、三代将軍徳川家光の長女千代姫が、二歳六か月の年齢で尾張徳川家二代藩主である光友に嫁いだ際に携えた婚礼調度類の一群である。 本婚礼調度の中核をなす初音蒔絵調度【はつねまきえちようど】は、棚飾りや貝合わせを中心に、諸調度がまとまった大揃いの婚礼調度である。蒔絵の意匠は『源氏物語』初音の巻より取材したもので、殿舎や庭園の景を表し、明石の上が詠んだ「年月を松にひかれてふる人にけふ鶯【うぐいす】の初音きかせよ」の文字(松と鶯は実際のモチーフとして表す)を散らしている。金銀の高蒔絵【たかまきえ】を中心に、金銀の切金【きりかね】や金貝【かながい】、紅珊瑚【べにさんご】などをふん
東京都 鎌倉 前輪、後輪ともに山形がやや高く、後輪の腰が強く張り、軍陣鞍の特色が強い。両肩に手形を付し、磯の高い海有鞍で、全体に黒漆を塗り、両輪の外面にはやや細めの爪足から、生える松と葛を全面に螺鈿で表す。 毛彫り、切透かしなどの技法で、薄い夜光貝を自在に表し、さらに「恋」「時雨」「染」「真」「原」などの文字を螺鈿で表す。 前輪高29.6 馬挟幅34.0 後輪高33.3 馬挟幅42.4 (㎝) 1背 公益財団法人永青文庫 東京都文京区目白台1-1-1 重文指定年月日:19350430 国宝指定年月日:19510609 登録年月日: 公益財団法人永青文庫 国宝・重要文化財(美術品)
工芸品 / 唐 京都府 唐 田相部は現状茶地大花文綾を二幅に仕立て、縁および裏に紫地唐花文綾地綾(袈裟裏裂と同じ)を用い、裏は二幅とし、黒を主色とする雑色の角打輪形を一カ所に設ける。 長180.0 幅86.3 (㎝) 1領 京都国立博物館 京都府京都市東山区茶屋町527 重文指定年月日:19530331 国宝指定年月日:19531114 登録年月日: 宗教法人教王護国寺 国宝・重要文化財(美術品) 空海がその師恵果阿闍梨から伝領したと伝えられるもので、国宝「海賦蒔絵袈裟箱」に納められていたことが『養和二年後七日御修法記』に記される。 現存の条葉と縁の綾は当初のものと見られるが、裏地は後補である。袈裟の名称については、『東宝記』などに諸説があるが未だ定説を見ない。 袈裟の田相部の綴織、横被の大花文綾は唐代染織の様相を伝えるものとして、また弘法大師将来の資料としても貴重である。
工芸品 / 唐 唐 綾組織の緯錦。主文は、径45㎝ほどの連珠円文のなかに花樹を中心として上下左右に翼馬にまたがり振り返りながら獅子を熬る四人の人物を左右相称に配す。主文の間地には、中心に花文をもつ連珠円文の周囲に忍冬文風の花唐草文を配している。 縦250.3 横134.5 (㎝) 1面 重文指定年月日:19090921 国宝指定年月日:19510609 登録年月日: 法隆寺 国宝・重要文化財(美術品) 連珠円文の中に左右相称の獅子狩文を配した独特の文様、さらに人物の容貌や頭冠の形などに、ササン朝ペルシアの影響が見られるが、馬の尻部分に「吉」「山」の漢字が織り込まれていることから、中国で製織されたものと考えられる。 複雑な文様構成であるが、文様の崩れや形式化もなく、見事な織技が見られる。
工芸品 / 唐 唐 1領 重文指定年月日:19640526 国宝指定年月日:19660611 登録年月日: 延暦寺 国宝・重要文化財(美術品) 中国の天台宗第六祖・荊溪【けいけい】大師所用と記され、古くより伝教大師が唐より請来したと伝えられている。「刺納【しのう】」の刺は刺繍【ししゆう】、納は補綴の意味で、いわばさしこの七条の袈裟と僧衣のことである。袈裟は麻地に浅紅、縹【はなだ】、茶、白、各色の麻糸のかたまりや、紫の麻裂をところどころに刺繍したもので、配色もあざやかで、保存もよい。麻製のものは正倉院や法隆寺にもなく、稀有【けう】の遺品である。刺納衣は、平絹の地に各色の裂を刺繍したもので宗祖、天台大師所用と伝えられている。
工芸品 / 宋 南宋 素地は淡卵殻色の堅い半磁質で内外全面に黒飴色の光沢の強い天目釉をjかけ、さらにその上から失透性の藁灰釉をかけて文様を表す。内面は文様の部分だけ藁灰釉をかけずに、団花文15個を斑状に配し、そのまわりに唐草文帯を廻らす。外側は天目釉の上に藁灰釉をふりかけて斑文様を表す。形は縁を僅かに捻り返し、高台の低く小さい天目形。底裏は露胎、縁に真鍮の覆輪を廻らす。 高6.7 口径11.8 高台径3.5 (㎝) 1口 重文指定年月日:19310119 国宝指定年月日:19530331 登録年月日: 相国寺 国宝・重要文化財(美術品) 玳玻天目は中国出土のものがあるが、古くから伝世したものはほとんどなく、特に本茶碗のように文様が整い、釉薬が美しいものは非常に珍しいため、古来より名碗として著名である。 江戸時代中期頃には、大阪の上田三郎右衛門が所持していたものを松平不昧公が入手し、大名物と
大阪府 南宋 僅かに鉄分のある灰白色の磁胎に、粉青色の青磁釉が厚くかかり、底裏は露胎である。形は円筒形の胴に細長い頸がつき、口は漏斗状に開いている。頸に鳳凰形の耳一双が貼り付けられる。 高33.6 口径11.0 胴径14.1 底径11.5 (㎝) 1口 和泉市久保惣記念美術館 大阪府和泉市内田町3-6-12 重文指定年月日:19060609 国宝指定年月日:19510609 登録年月日: 和泉市 国宝・重要文化財(美術品) 南宋時代浙江省竜泉窯で焼成され、舶載された作とみられる。 室町時代にはすでに名器として珍重されたことがうかがえ、三代将軍家光の時、東福門院に贈られ、のちに公弁法親王に遺贈された。万声とは後西院が「𢭏月千声又万声」の詩句によって名付けられたもので、近衛家に伝わった鳳凰耳花生を「千声」、これを「万声」としたものとの伝来が添状および『槐記』にある。 鳳凰耳花生のなかでも、と
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