しばらく原発の問題を追いかけていた間に、attachmentの訳語についての議論がtwitter上でなされていて(リンク)、おそらく彼/彼女らは私よりも若い世代ではないかと勝手に思っているのですが、いろいろと考えて立派なものだなと思ったりしました。すっかり乗り遅れた感があるのですが、追いかけてコメントをしようかと思います。 私なりに論点をまとめてみると、そこで話されていたことは次のようになるのかなと思います。 1.attachmentが愛着と訳されているけど、そもそもBowlbyは愛(love)を含意していたのか 2.たとえBowlbyがそうであったとしても、現在の理解として愛を含むのか 3.いずれにしても愛着と訳されることで臨床的に愛が強調され、しかもそれがしばしば万能的に使われてしまうのはどうなのよ (もしも見落としがあったらご指摘ください) 3については、これはどんな時にも起こりえる
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