「メイディ・マク・マク」(『非常に悪い』という意味のタイ語) 約60年ぶりに再び日本の前に立つ老婆の口からはこの言葉しか出なかった。体の傷は時間が経つにつれ癒されたものの、思い返すことすら恐ろしい心の傷は今まで鮮明に残っている。 15日の光復節(クァンボッチョル)を5日後に控えた10日、ソウル鍾路区中学洞(チョンログ・チュンハクドン)の在韓日本大使館の前では、「日本軍慰安婦問題解決のための定期水曜集会」が開かれた。同日の集会にはいい時分に日本軍慰安婦として連れて行かれ一生を異国で暮らしたノ・スボクさん(90)が参加した。 ノさんは、当時21歳の1942年、釜山(プサン)の影島(ヨンド)橋近くの井戸で洗濯をしていたところ、日本軍に連れて行かれた。家族に別れも告げられないまま、シンガポールやタイなどへ連れ回されたノさんは、以後3年間を慰安婦として生活させられた。1945年、日本の敗戦後、タイの