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  • ■サルトルは、『ボードレール』を、どう描いているか。 サルトルは、『ボードレール』について、 《父親が死んだ時、ボードレールは六歳だった》 と書くことから始めている。そして、さらに、こう書いている、 《一九二八年十一月、これほど愛していた母が、ある軍人と再婚した。ボードレールは寄宿舎に入れられた。この時期から、彼の有名な『ひび』が始まる。》 まさに、サルトルの描くボードレールの生涯は、ここから始まると言っていいだろう。そして、おそらく、江藤淳が、敏感に反応したのもこの部分であろう。ここから始まるサルトル

    ■サルトルは、『ボードレール』を、どう描いているか。 サルトルは、『ボードレール』について、 《父親が死んだ時、ボードレールは六歳だった》 と書くことから始めている。そして、さらに、こう書いている、 《一九二八年十一月、これほど愛していた母が、ある軍人と再婚した。ボードレールは寄宿舎に入れられた。この時期から、彼の有名な『ひび』が始まる。》 まさに、サルトルの描くボードレールの生涯は、ここから始まると言っていいだろう。そして、おそらく、江藤淳が、敏感に反応したのもこの部分であろう。ここから始まるサルトルの『ボードレール』の「実存的精神分析」は、江藤淳にとって、理論や知識として、あるいは教養や学問的方法論としての「実存的精神分析」ではなく、文字通り、自分自身の存在の精神分析だった。江藤淳自身が、幼くして(4歳)、母親と死別し、その後、父親は再婚している。ボードレールとは、母親と父親の違いはあ

      ■サルトルは、『ボードレール』を、どう描いているか。 サルトルは、『ボードレール』について、 《父親が死んだ時、ボードレールは六歳だった》 と書くことから始めている。そして、さらに、こう書いている、 《一九二八年十一月、これほど愛していた母が、ある軍人と再婚した。ボードレールは寄宿舎に入れられた。この時期から、彼の有名な『ひび』が始まる。》 まさに、サルトルの描くボードレールの生涯は、ここから始まると言っていいだろう。そして、おそらく、江藤淳が、敏感に反応したのもこの部分であろう。ここから始まるサルトル
    • 大江健三郎、晩年の創作意欲は? 「次はサルトル」臆測呼ぶ - 日本経済新聞

      ノーベル文学賞作家、大江健三郎が2023年3月に亡くなって1年余り。13年に最後の小説『晩年様式集(イン・レイト・スタイル)』を発表して以降、ほとんど公に姿を見せなかったが、近しい関係者の話や死後に公開された自筆原稿、近刊本から知られざる晩年の様子が垣間見えるようになった。「これからはサルトルを読もうと思います」。大江作品の装丁を担当した画家の司修氏は『晩年様式集』の完成時にそう告げられたと明

        大江健三郎、晩年の創作意欲は? 「次はサルトル」臆測呼ぶ - 日本経済新聞
      • 【楽天市場】人文書院 実存主義とは何か 増補新装版/人文書院/ジャン・ポ-ル・サルトル | 価格比較 - 商品価格ナビ

        このエリアでは、楽天市場でのお買い物をもっと楽しんで頂くために、あなたの利用状況に合わせて便利でお得な情報をタイムリーにお知らせします!

          【楽天市場】人文書院 実存主義とは何か 増補新装版/人文書院/ジャン・ポ-ル・サルトル | 価格比較 - 商品価格ナビ
        • 「サルトル」 - フランスに揺られながら DANS LE HAMAC DE FRANCE

          昨日の余韻がまだ残っている。サルトルと言えば、サルトルの考えに同意しようがしまいが(Que vous soyez d'accord ou non avec Sartre)、 L'œuvre de Sartre est l'une des plus marquantes du XXe siècle. 「サルトルの作品は20世紀で最も重要なものの一つである」 Philosophe, romancier, dramaturge, critique, journaliste, directeur de revue...... 「哲学者、小説家、劇作家、評論家、ジャーナリスト、雑誌編集者、、」 Sartre a touché à tous les genres et avec brio (La Nausée, Huis Clos, Les Chemins de la Liberté, Les Mot

            「サルトル」 - フランスに揺られながら DANS LE HAMAC DE FRANCE
          • 哲学者のサルトルの名言、「人間は自由の刑に処せられている」とは、分かりやすく言うとどういう意味なのでしょうか?

            回答 (3件中の1件目) 自由であることとというのは、自分が実存的な存在であるとするということなのです。 実存的というのは、物でも他でもない私であることであり、私ということを以てしか表現できないことです。あるカテゴリーの哺乳類の猿の仲間の人類という、クラスの従属関係とそのプロパティで己を定義するのではなく、そのいずれにも定義し得ない、この私であることを受け容れるということなのです。 サルトルは有名な「嘔吐」で石を投げるシーンがあるのですが、その時にも、私はこのような石として属するのではないことを強く念じて投げています。 サルトルと同時代のエーリッヒ・フロムは著書「自由からの逃走」の...

              哲学者のサルトルの名言、「人間は自由の刑に処せられている」とは、分かりやすく言うとどういう意味なのでしょうか?
            • サルトルを読むメルロ=ポンティ

              Maurice Merleau-Ponty dédie à Jean-Paul Sartre un article intitulé « le langage indirect et les voix du silence » paru en 1952 pour la première fois dans Les temps modernes. Dans cette étude, nous tentons de reconstruire le jeu théorique de Merleau-Ponty en le comparant avec sa variante inachevée intitulée « le langage indirect » dans La prose du monde, et nous élucidons le contraste entre les deu

              • サルトル『聖ジュネ』における不道徳作品の「善用」

                In the last section of Saint Genet (1952), Jean-Paul Sartre attempts to vindicate Jean Genet's immoral works. Sartre tries to save Genet from severe moral criticism in French literary world at the time. In this paper, I will organize Sartre's argument and examine his complex defense. According to Sartre, the immorality of Genet's works consists in the veriter's devious intention to invert our valu

                • 『フロイト〈シナリオ〉』(人文書院) - 著者:ジャン=ポール・サルトル 翻訳:西永 良成 - 谷川 渥による書評 | 好きな書評家、読ませる書評。ALL REVIEWS

                  著者:ジャン=ポール・サルトル翻訳:西永 良成出版社:人文書院装丁:単行本(335ページ)発売日:1987-06-00 ISBN-10:4409330306 ISBN-13:978-4409330302 「情緒論粗描」(一九三九年)以来のサルトルの絶えざる精神分析批判を知る者なら、その彼がフロイトを主人公とする映画シナリオを書いていたという事実には誰しも心を奪われざるをえまい。一九五八年にジョン・ヒューストンの求めに応じて書かれたこのシナリオは、二十九歳の一講師フロイトがいったんは催眠療法に惹かれながら、結局それから離れ、開業医として独自の精神分析学を創造してゆく苦しみの時代をまことに鮮やかに描き出している。サルトルはヒューストンの書き直しの要求に対して、求められたように短かくするどころかさらに加筆したらしいが、今回訳出されたのは手直し前の第一稿である。見事な日本語に移し替えた訳者の労を、

                    『フロイト〈シナリオ〉』(人文書院) - 著者:ジャン=ポール・サルトル 翻訳:西永 良成 - 谷川 渥による書評 | 好きな書評家、読ませる書評。ALL REVIEWS
                  • ジャン・ポール・サルトルの「嘔吐」で病跡学を考える4 – シナジーのメタファー

                    偶然性は、消去できる見せかけの仮象ではない。絶対的なものである。無償である。そのことを理解すると、気持ちがむかつき、吐き気をもようすことになる。 もう少し、自分のことを語るのは止める。なんの役に立つのか。吐き気、恐怖、実存、これらのことはすべて自分の胸にしまっておく方がよい。 最も強い強烈な恐怖や吐き気の際に、自分が救われることを期待していた。まだ若いし、やり直す十分な力がある。しかし、何をやり直すのであろうか。私は死に、一人で自由であり、けれどもこの自由は、死に似ている。 今日、私の肉体は衰弱しているため、吐き気は耐えられない。しかし、病人でも、病気の意識を忘れてしまうほどの幸福で衰弱なときがある(Aujourd’hui mon corps est trop épuisé pour la supporter. Les maladies aussi ont d’heureuses faib

                    • ■『江藤淳とその時代 ()』・・・サルトルの影・・・ 江藤淳は日比谷高校を卒業すると、そのまま現役で、慶応義塾大学文学部に進学した。江藤淳は、最初は、英文学ではなく、仏文学を専攻する予定った。当時の慶応仏文科は、サルトルの『嘔吐 』の翻訳者=白井浩司助教授や、後に慶応義塾の塾長になる佐藤朔教授らを中心に、フランス現代文学の研究や翻訳などの分野で、目覚ましい成果をあげていた。たとえば、サルトルの作品の翻訳は、ほとんどが京都の「人文書院」という出版社から、『サルトル全集』という形で刊行されていたが、そこで翻訳

                      ■『江藤淳とその時代 ()』・・・サルトルの影・・・ 江藤淳は日比谷高校を卒業すると、そのまま現役で、慶応義塾大学文学部に進学した。江藤淳は、最初は、英文学ではなく、仏文学を専攻する予定った。当時の慶応仏文科は、サルトルの『嘔吐 』の翻訳者=白井浩司助教授や、後に慶応義塾の塾長になる佐藤朔教授らを中心に、フランス現代文学の研究や翻訳などの分野で、目覚ましい成果をあげていた。たとえば、サルトルの作品の翻訳は、ほとんどが京都の「人文書院」という出版社から、『サルトル全集』という形で刊行されていたが、そこで翻訳を担当する仏文学者たちの大半は、慶應仏文科関係者だった。サルトルの代表的な哲学書『存在と無』の翻訳者が、早稲田大学教授の松浪信三郎教授だったのが、目立つほどだった。江藤淳は、日比谷高校時代からサルトルを読んでいたし、フランス語の勉強も始めていた。江藤淳の文学仲間の同級生たちも、後にフランス

                        ■『江藤淳とその時代 ()』・・・サルトルの影・・・ 江藤淳は日比谷高校を卒業すると、そのまま現役で、慶応義塾大学文学部に進学した。江藤淳は、最初は、英文学ではなく、仏文学を専攻する予定った。当時の慶応仏文科は、サルトルの『嘔吐 』の翻訳者=白井浩司助教授や、後に慶応義塾の塾長になる佐藤朔教授らを中心に、フランス現代文学の研究や翻訳などの分野で、目覚ましい成果をあげていた。たとえば、サルトルの作品の翻訳は、ほとんどが京都の「人文書院」という出版社から、『サルトル全集』という形で刊行されていたが、そこで翻訳
                      • 【浪速風】サルトルは辞退したが

                        「嘔吐」など実存主義の作品でノーベル文学賞の候補になっていたフランスの哲学者で作家のジャン・ポール・サルトルは、事前に選考委員会に書簡を送った。「今年も今後も、賞を受け取ることはできません」。ところが、書簡の到着が遅れ、1964年の受賞者に選ばれた。 ▶仏の最高勲章レジオン・ドヌールなどすべての公的な栄誉を拒否しており、ノーベル賞も「いかなる人間も生きながら神格化されるには値しない」として辞退した。一貫した姿勢はサルトルの評価を高めたが、一方で「彼は燕尾服の着方を知らないから拒否したんだ」と揶揄(やゆ)する声もあった。 ▶英国宰相チャーチルの受賞も論議を呼んだが、今年のボブ・ディラン氏にも賛否両論があるようだ。アルフレッド・ノーベルは、科学だけでなく文学も人類にとって重要と、遺言でノーベル賞に含めた。文学の領域を広げたと解すれば、ノーベルも納得だろう。反骨のシンガーはまさか辞退しないと思う

                          【浪速風】サルトルは辞退したが
                        • サルトル、ボーヴォワール:義塾を訪れた外国人|義塾を訪れた外国人|三田評論ONLINE

                          三田に到着し、車を降りるサルトルとボーヴォワール。「ベトナム戦争反対」のプラカードを持つ塾生が見える。 ちょうど半世紀前、1966年の9月、慶應義塾およびサルトルの日本語版全集を出版していた人文書院の招待でサルトルとボーヴォワールが訪日し、三田山上で特別講演会が開かれた。 「義塾を訪れた外国人」という興味深い企画が本誌でたてられるが、その第1回目にふさわしい人選だと思う。というのもサルトル、ボーヴォワールの来日は義塾のみならず日本にとってもひとつの事件とも呼べるような出来事だったのである。私自身は当時中学生の、文学的には奥手の少年だったので記憶は曖昧なのだが、叔母の朝吹登水子が友人そして通訳として4週間にわたる全日程に同行していたし(ホテルや旅館にも同宿していた)、また父朝吹三吉も慶應義塾大学の迎える側の教員として東京での行程のほぼ全てにつきあっていたので、そのあわただしさというのか、騒ぎ

                            サルトル、ボーヴォワール:義塾を訪れた外国人|義塾を訪れた外国人|三田評論ONLINE
                          • サルトルの文学 (精選復刻紀伊国屋新書) | NDLサーチ | 国立国会図書館

                            所蔵のある図書館から取寄せることが可能かなど、資料の利用方法は、ご自身が利用されるお近くの図書館へご相談ください 地域の図書館を設定する

                              サルトルの文学 (精選復刻紀伊国屋新書) | NDLサーチ | 国立国会図書館
                            • ■江藤淳は、サルトルの『ボードレール』論を読んで、どう変わったか。 江藤淳にとって、サルトルの『ボードレール』論ほど重要な書物はないように、私には思われる。この書物を読むことによって、文学的に開眼したことも重要だが、それよりももっと重要なことがあった。江藤淳は、幼年時代から「家庭的トラブル」をかかえていた。4歳で、母親を喪い、翌年、父親が再婚し 、新しい母親を迎える。そして義弟や義妹が誕生する。それに江藤淳はうまく順応できなかった。4歳から小中高校時代を経て、大学入学の時点まで、精神状態は 、常に不安定

                              ■江藤淳は、サルトルの『ボードレール』論を読んで、どう変わったか。 江藤淳にとって、サルトルの『ボードレール』論ほど重要な書物はないように、私には思われる。この書物を読むことによって、文学的に開眼したことも重要だが、それよりももっと重要なことがあった。江藤淳は、幼年時代から「家庭的トラブル」をかかえていた。4歳で、母親を喪い、翌年、父親が再婚し 、新しい母親を迎える。そして義弟や義妹が誕生する。それに江藤淳はうまく順応できなかった。4歳から小中高校時代を経て、大学入学の時点まで、精神状態は 、常に不安定だった。登校拒否や引きこもり、家庭内暴力、自殺未遂事件など。とても江藤淳のイメージからは想像できないような波乱万丈の少年・青年時代を過ごしている。江藤淳が、鎌倉の義祖父の家にあずけらられたのも、「家庭的トラブル」から逃れるためだった。高校時代には、義母と添い寝していた義弟を殴りつけるという事

                                ■江藤淳は、サルトルの『ボードレール』論を読んで、どう変わったか。 江藤淳にとって、サルトルの『ボードレール』論ほど重要な書物はないように、私には思われる。この書物を読むことによって、文学的に開眼したことも重要だが、それよりももっと重要なことがあった。江藤淳は、幼年時代から「家庭的トラブル」をかかえていた。4歳で、母親を喪い、翌年、父親が再婚し 、新しい母親を迎える。そして義弟や義妹が誕生する。それに江藤淳はうまく順応できなかった。4歳から小中高校時代を経て、大学入学の時点まで、精神状態は 、常に不安定
                              • JKさんちのサルトルさん / 大間九郎 さのさくら

                                再生(累計) 167356 コメント(累計) 2904 お気に入り 5270 ランキング(カテゴリ別) 過去最高: 29 位 [2021年07月09日] 前日: -- 川崎在住の女子高生・巫マリオさんが拾ったしゃべるパグ犬…その正体は「実存主義」を代表する哲学者・サルトルさんだった!? 進路に、恋に、親の仕事に…悩みが尽きないお年頃のマリオさんとその周囲の人々を、この出会いが、実存主義が、変えていく…のか!? ごきげんに生きたいすべての人に贈る、哲学コメディ!

                                  JKさんちのサルトルさん / 大間九郎 さのさくら
                                • ■『江藤淳とその時代 ()』・・・サルトルの影・・・ 江藤淳は日比谷高校を卒業すると、そのまま現役で、慶応義塾大学文学部に進学した。江藤淳は、最初は、英文学ではなく、仏文学を専攻する予定った。当時の慶応仏文科は、サルトルの『嘔吐 』の翻訳者=白井浩司助教授や、後に慶応義塾の塾長になる佐藤朔教授らを中心に、フランス現代文学の研究や翻訳などの分野で、目覚ましい成果をあげていた。たとえば、サルトルの作品の翻訳は、ほとんどが京都の「人文書院」という出版社から、『サルトル全集』という形で刊行されていたが、そこで翻訳

                                  ■『江藤淳とその時代 ()』・・・サルトルの影・・・ 江藤淳は日比谷高校を卒業すると、そのまま現役で、慶応義塾大学文学部に進学した。江藤淳は、最初は、英文学ではなく、仏文学を専攻する予定った。当時の慶応仏文科は、サルトルの『嘔吐 』の翻訳者=白井浩司助教授や、後に慶応義塾の塾長になる佐藤朔教授らを中心に、フランス現代文学の研究や翻訳などの分野で、目覚ましい成果をあげていた。たとえば、サルトルの作品の翻訳は、ほとんどが京都の「人文書院」という出版社から、『サルトル全集』という形で刊行されていたが、そこで翻訳を担当する仏文学者たちの大半は、慶應仏文科関係者だった。サルトルの代表的な哲学書『存在と無』の翻訳者が、早稲田大学教授の松浪信三郎教授だったのが、目立つほどだった。江藤淳は、日比谷高校時代からサルトルを読んでいたし、フランス語の勉強も始めていた。江藤淳の文学仲間の同級生たちも、後にフランス

                                    ■『江藤淳とその時代 ()』・・・サルトルの影・・・ 江藤淳は日比谷高校を卒業すると、そのまま現役で、慶応義塾大学文学部に進学した。江藤淳は、最初は、英文学ではなく、仏文学を専攻する予定った。当時の慶応仏文科は、サルトルの『嘔吐 』の翻訳者=白井浩司助教授や、後に慶応義塾の塾長になる佐藤朔教授らを中心に、フランス現代文学の研究や翻訳などの分野で、目覚ましい成果をあげていた。たとえば、サルトルの作品の翻訳は、ほとんどが京都の「人文書院」という出版社から、『サルトル全集』という形で刊行されていたが、そこで翻訳
                                  • 『1.4 『サルトル哲学序説』』

                                    1.4.1 『サルトル哲学序説』について こうして竹内芳郎は、ニーチェおよびベルグソンの思想との格闘を通じて、その思想的現実の追体験を通じて、ついにサルトルに辿り着く。彼は後に、サルトルの『存在と無』について、「一方では生々しく吐息するこの命、他方では鉄のように非情をきわめる論理体系――この相反する二つのものの緊密な結合にこそ、本書の無類の魅力があるのだ」と述べているが、それはまさに「生活と思索との緊密な結合」、「具体的な生に息づく真摯な生活者の思索」、「現実の苦悩に身を挺して生き、その生のいぶきにのみ一切のフィロゾフィーレンの源泉を求めること、現実にぶつかって傷つき、みずから流した己れの血だけに哲学の確実さの保証を求めて一歩もゆるがぬこと」をめざした彼の希求にこたえるものであったのだろう。そして、その思想体験は『サルトル哲学序説』(『サルトル哲学入門』)に結晶したのである。 この書は、日

                                    • JKさんちのサルトルさん - さのさくら/大間九郎 / 第1話 この世界は、リバティーとフリーダムの違いさえ分かっていない。 | コミックDAYS

                                      JKさんちのサルトルさん さのさくら/大間九郎 ふいに出会ったJKのマリオさんと犬のサルトルさん。この出会いが、実存主義が、マリオさんと周囲を緩やかに変えていく。「上手く」生きたいなら別の本を、「ご機嫌に」生きたいなら、この本を。

                                        JKさんちのサルトルさん - さのさくら/大間九郎 / 第1話 この世界は、リバティーとフリーダムの違いさえ分かっていない。 | コミックDAYS
                                      • イマジネール 想像力の現象学的心理学 ジャン=ポール・サルトル(著/文) - 講談社

                                        紹介 本書は、実存主義の旗手として知られるフランスの哲学者・文学者であるジャン=ポール・サルトル(1905-80年)が1940年に出版した哲学著作である。ここに待望の文庫版での新訳をお届けする。 パリに生まれ、高等師範学校で哲学を学んだサルトルは、1927年に高等教育修了論文「心的生におけるイメージ」を執筆した。指導教授に出版を勧められたその原稿は、版元のアルカン社の判断で前半部だけが出版される。それが1936年に刊行された初の単著『想像力(L’Imagination)』である。その後、哲学論文「自我の超越」(1936年)、短篇小説「壁」(1937年)を発表したサルトルは、1938年に刊行した長篇小説『嘔吐』で一躍作家として脚光を浴びることになる。翌年勃発した第二次世界大戦に従軍したため、高等教育修了論文の後半部と考えられる本書『イマジネール(L’Imaginaire)』の出版は、1940

                                          イマジネール 想像力の現象学的心理学 ジャン=ポール・サルトル(著/文) - 講談社
                                        • 「水いらず/著 サルトル 訳 伊吹武彦・白井浩司・窪田啓作・中村真一郎」 - モブトエキストラ

                                          実存主義という考え方に感銘してサルトルの本を読もうとしたのですが、図書館にあった本はホコリがかぶっていたし、紙も変色してるうえ字が小さくて読みにくかったので読まないまま時が過ぎました。(薄志弱行とは私のことです汗) それでも一冊ぐらいは持っておきたいと考えて本書を購入しました。あえてどんな内容なのかを知ることなく購入する闇鍋スタイル。 きっとサルトルのことだから衝撃を与えてくれるでしょう。(サルトルのサの字も知らないくせに) 水入らず(Intimite') 訳 伊吹武彦 いや、まさか最初からこんなに頭を悩ますことになるとは思いませんでした。 本の感想を書くたびに書いていますが、名前を覚えられない私は登場人物が多い作品が苦手です。これは読んだ印象ですが、私の頭を悩ませるその理由は文法の違いというよりも、サルトルは頭に浮かんだ風景を文章に書き起こすスタイルだから分かりにくいのではないかと思いま

                                            「水いらず/著 サルトル 訳 伊吹武彦・白井浩司・窪田啓作・中村真一郎」 - モブトエキストラ
                                          • サルトルの読み違い-ジャン・ジュネ『花のノートルダム』の新訳をめぐって - 光文社古典新訳文庫

                                            中条省平氏がジュネの『花のノートルダム』を新訳した(光文社古典新訳文庫、2010年)。2008年に河出文庫版(鈴木創士訳)が出ているが、'60年代末から多くの文学好きの間で人口に膾炙してきた堀口大學訳の新潮文庫版(1969年)から数えると、実に41年ぶりの「壮挙」だ。大仰に「壮挙」と言うのは、訳文そのものの現代性や素晴らしさに加えて、堀口版の解釈と表現に縛られて滞りがちだったジュネ本人と作品の理解に、中条氏の見方が深さと新しさを与えているのがわかるからだ。翻訳途上で中条氏が見たジュネの本質とは果たしてどんなものなのか。翻訳者本人が語る、いまを生きるわれわれ自身の『花のノートルダム』とは。 堀口大學訳の『花のノートルダム』はじめ、新潮文庫のジュネといえばあの美しいカバー絵ですよね。あれを描いた村上芳正さんは88歳でいまでもお元気で、一昨年の暮れにはじめての展覧会を開きました。空前絶後の1回き

                                              サルトルの読み違い-ジャン・ジュネ『花のノートルダム』の新訳をめぐって - 光文社古典新訳文庫
                                            • ショーシャンクの空に見るサルトルの自由・実存主義①ブルックについて|ちか|note

                                              https://www.amazon.co.jp/gp/video/detail/B00GKE4RUY/ref=atv_dp_share_cu_r アマゾンプライムに入っていれば見れます。 見たほうがわかりやすいですが、見なくてもわかるように書いています。 この映画を通してサルトルの自由・実存主義を考えます。 ショーシャンクの空とは「無実の罪でショーシャンク刑務所に投獄された銀行マンが知識、知性、そして自由への希求を持ち続け30年かけて脱獄する」という話です。 タイトルの通り、この映画とサルトルの関係について述べたいところですが、まずはサルトルの考えを並べます。 ・サルトルが言うには、自由とは「注意と立ち直る力を要する継続的なプロジェクトであり、それがなければ他人や制度によって規定されてしまうもの」。 ・実存主義とは、本質主義とは異なる立場。 ・本質主義とは世の全てが神によって予定されてい

                                                ショーシャンクの空に見るサルトルの自由・実存主義①ブルックについて|ちか|note
                                              • 現象学運動史におけるサルトル

                                                現象学運動史 連綿と(一応現代まで)続いてきた現象学だが、その歴史は一般に現象学運動史と呼ばれている。しかも世代ごとに区分分けもされていて、2000年代まで生きていた世代は第三世代の現象学者だ。仮に今活躍している世代の現象学者が歴史に名を連ねることになるならば、彼らは第四世代の現象学者と呼ばれることになるだろう。 こういった現象学の歴史を描き出すうえで、現象学運動の特徴を見出すことができるだろうか。現代によく知られている思想家でフッサールやハイデガーに言及している哲学者は意外にも結構存在する。デリダは現象学(というよりフッサール)批判から出発しているし、思弁的実在論という形で一般に知られているカンタン・メイヤスーも、『有限性の後で』で現象学批判(主にフッサール、ハイデガー)を行っている(詳しくは【思弁的実在論とは何かー『有限性の後で』を中心に*なるほう堂】を参照)。しかし現象学を批判したと

                                                  現象学運動史におけるサルトル
                                                • 政治的サルトルbot文献表 - 猿虎日記

                                                  政治的サルトルbothttps://twitter.com/SartrePolitiqueは、定期的にサルトルの政治的発言をtweetします。一部、140字に合わせるために表現を変えているものもあります。出典の書き方を変更中。文献表は工事中。 1945=「レ・タン・モデルヌ創刊の辞」『シチュアシオン 二』(人文書院)所収 1946=『ユダヤ人』(岩波文庫) 1948=「黒いオルフェ」『植民地の問題』(人文書院)所収 1956=「植民地主義は一つの体制である」『植民地の問題』(人文書院)所収 1961=「フランツ・ファノン『地に呪われたる者』序文」『植民地の問題』(人文書院)所収 1966=「知識人の擁護」『シチュアシオン 八』(人文書院)所収 1966b=『知識人の擁護』(人文書院)※1966と同じ日本講演の記録だがかなり異同あり 1968=「レイモン・アロンの城塞」『シチュアシオン 八』

                                                    政治的サルトルbot文献表 - 猿虎日記
                                                  • サルトル『嘔吐』あらすじ解説|実存主義文学の傑作 - 散文のわだち

                                                    あらすじ 30歳のロカンタンは、数年間の旅の末に、フランスの港町に住居を構える。利子で生活する無職のロカンタンは、殆ど交友関係はなく、ひたすら図書館に通い、ロルボン侯爵という歴史上の人物について研究している。 ある日ロカンタンは、水切りをしようと小石を手にした時に、謎の嘔吐感に襲われる。 以降、ロカンタンは生活の様々な場面で嘔吐感を覚えるようになる。図書館で出会った独学者とのランチ中にも嘔吐感に襲われ、その後立ち寄った公園でマロニエの木を見た時に原因が判明する。ロカンタンが小石を掴んだ時に感じた奇妙な感覚、それは「存在」に関する新たな気づきによるものだった。全ての物はただ偶然存在し、また自分自身も偶然存在し、その存在に何の意味もない、という気づきが彼に嘔吐感を呼び起こしたのだ。しかし、冒険の感情、そして音楽を聞いている時にだけは、嘔吐感は解消される。 ロルボン伯爵についての研究は続行不可能

                                                    • サルトルの「小さな庭」

                                                      「私はマダムの脇腹に沿って腕を滑らせた。すると不意に小さな小さな庭が見えた。背の低い、枝を横に広げた木々が生えていて、そこから毛に覆われた巨大な葉が垂れ下がっている。至るところに蟻や百足や蛾が這い回っている。もっと恐ろしい獣もいる。」 J’ai laissé aller mon bras le long du flanc de la patronne et j’ai vu soudain un petit jardin avec des arbres bas et larges d’où pendaient d’immenses feuilles couvertes de poils. Des fourmis couraient partout, des mille-pattes et des teignes.  Il y avait des bêtes encore plus horri

                                                        サルトルの「小さな庭」
                                                      • 今日の名言:地獄とは他人のことだ。サルトル#279

                                                        右目に強度の斜視があり、1973年にはそれまで読み書きに使っていた左目を失明した若干不運な方で、かつ気難しい人なんだろうなーという印象があるのですが、

                                                          今日の名言:地獄とは他人のことだ。サルトル#279
                                                        • メルマガ「山崎行太郎の毒蛇通信(2021 /10/31)「総選挙なんてしらないよ。ー江藤淳とサルトル」を送信しました。「文学と哲学を知らずして政治や経済を語ることなかれ」 - 山崎行太郎公式ブログ『 毒蛇山荘日記』

                                                          メルマガ「山崎行太郎の毒蛇通信(2021 /10/31)「総選挙なんてしらないよ。」ー「江藤淳とサルトル」を送信しました。「文学と哲学を知らずして政治や経済を語ることなかれ」 山崎行太郎のメルマガ『毒蛇通信 』 https://www.mag2.com/m/0001151310.html

                                                            メルマガ「山崎行太郎の毒蛇通信(2021 /10/31)「総選挙なんてしらないよ。ー江藤淳とサルトル」を送信しました。「文学と哲学を知らずして政治や経済を語ることなかれ」 - 山崎行太郎公式ブログ『 毒蛇山荘日記』
                                                          • 実存主義サルトルは、なぜJAZZヴォーカルに注目したのか。 - ノーネクタイのMy Way

                                                            20世紀を代表する知の巨人ジャン=ポール・サルトル(⬆上写真左)が書いた実存主義小説「嘔吐」。マロニエの木の根など様々な事物の〈存在〉を意識した途端に起こる「吐き気」に悩まされる主人公に「人間はどう生きるべきなのか」を考えさせる物語だ。その物語の最後のシーン「私はウェイトレスを呼ぶ。『マドレーヌ、お願いだからレコードを一曲かけてくれないか。ぼくの好きなやつを。ほら、Some of these days(いつか近いうちに)だよ』🎵Some of these days(いつか近いうちに)You'll miss me honey.(いとしい人よ、私の不在を寂しく思うでしょう)……いったい何が起こったのか。〈吐き気〉が消えたのだ」。「音楽は自分自身で秩序に従って終息する。私がこの美しい声を愛するのは、そのためだ」。この歌は、ユダヤ人が作曲し、黒人女性シンガーが唄ったとサルトルは描写したが、実際は

                                                              実存主義サルトルは、なぜJAZZヴォーカルに注目したのか。 - ノーネクタイのMy Way