しかも藤井聡太は筋トレも始めたようで、 将棋で勝てなくても殴り合いなら勝てるし勢が意気消沈してるの笑える。
中央線の竜王行きとか、 湘南新宿ラインの宇都宮行きとか。 いつもの降りる駅を通り過ぎて終着駅まで乗って行きたい。 終着駅で人のまばらなホームに降りて、寂れた店で立ち食いそばを食べたら、 そのまま各駅停車で更に先に行きたい。 各駅停車の終着駅では人の居ないホームに降りて、高い建物のない広い空の下で、昭和から変わらないような町を歩いて砂浜に出たい。 砂浜に座って一時間くらいゴロゴロして、暗くなってきたからホテル探して民宿すら見つからず途方にくれて、 始発まで無人のホームでベンチに座ってうたた寝したい。 始発電車で家に向かい、途中で通勤や通学で人が増えて、ピークを過ぎてまた減ってくる中を、ひたすら座ったまま建物が高くなっていく窓の外を眺めたい。 会社の最寄り駅を通り過ぎて、昼も過ぎた頃に家の最寄り駅到着し、ヘロヘロになって家に帰ってそのまま眠りたい。 追記: そっちの方向には海がないそうだけど、
大学時代、半年だけ働いていたスナックに、みーちゃんという常連客がいた。 必ず火曜と木曜に来るみーちゃんはタクシーの運転手をしていて、薄い薄い焼酎お湯割りを飲む。 60代で、いつも身綺麗にしている寡黙な人。 座るのは広いボックス席ではなく、入り口すぐ横にある、荷物置き場と化したカウンター席だ。 カラオケも歌わないし、とにかく一切喋らないみーちゃんはあまり人気者とはいえず、隣には大体チーママが座っていた。 入って1ヶ月ほどした頃、初めてみーちゃんの隣に座ることになった私は、質問してもなにも返ってこなかったから仕方なく自分の話をした。 「この店のお好み焼きが好きだ」とか「新しいiPodを買った」とか「大学で花の絵を描いてる」とか他愛もないことだ。 いつも通りみーちゃんは2時間で帰った。 これでよかったのかな…と思っているとママが見かねて「今日みーちゃん楽しそうだったわね」といってくれた。 それか
俺は正直、まったくキツいと思わなかったな。増田の読み取り方には大いに頷けるし、共感できるんだけど。 俺のような例の六つ子より一回り先輩のニート(というかニートと呼ばれる年齢も過ぎた)にとっては、結局あいつらのニート感には現実味がない。都合の良いフィクション然としたフィクション、よく出来た小咄でしかない。だからあれでダメージを受けるほどの感受性の器を用意できない。俺にとってはね。 長いことニートしてるとさ、そもそも現実の女性をコンテンツにしようと思わなくなるんだよ。増田が述べたような、現実の人間のままならなさみたいなものへの理解も当然あるし、こんな窮状で自分が誰かを幸せにできるとも思えないから、三次元の女性だのアイドルだのというのに例え「ごっこ」であっても恋愛や疑似恋愛のノリで乗っかる気がしなくなるわけ。だから、本職ニートにとって一番共感できるのは、十四松とかカラ松あたりのスタンスなんだよ。
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