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ユリシーズの検索結果1 - 16 件 / 16件

  • 『百年の孤独』の次はこれだ!文庫で読めるラテンアメリカ文学 - ウラジーミルの微笑

    はじめに 文庫で読める!!! 『百年の孤独』は日本でももうかれこれ50年ほど売られ続けている。このため、正直「文庫化」がこれほどのインパクトを与えるとは思ってもいなかった。本を買い集めるためには金に糸目をつけない自分がいかに異端で、一般の読書人がいかに「価格」に敏感かを改めて思い知らされた。 このため、この記事ではあくまで手に入り易く価格も安い「文庫」にこだわって紹介をしている。 なお、忙しい現代人のために冒頭のここで結論も書いておこう。 『百年の孤独』を読んだら、日本文学なり、ヨーロッパ近代文学なり、ふだんの自分の領域に戻る前に、絶対に絶対に絶対に、バルガス・リョサの長編から1作品、それとコルタサルの短篇集『悪魔の涎・追い求める男』を読んで欲しい! さらばマジック・リアリズム 『百年の孤独』≒マジック・リアリズム≒ラテンアメリカ文学。これらはとかく結びつけられがちである。しかし、豊穣なラ

      『百年の孤独』の次はこれだ!文庫で読めるラテンアメリカ文学 - ウラジーミルの微笑
    • 【素面のダブリン市民】第3回 ブルームの日(北村紗衣)|書肆侃侃房 web侃づめ

      先日、6月16日は「ブルームの日」(Bloomsday、ブルームズデイ)でした。ブルームの日というのはジェイムズ・ジョイスが1922年に刊行した小説『ユリシーズ』の主人公であるレオポルド・ブルームからとっています。ジェイムズ・ジョイスは1882年にダブリンで生まれたアイルランドの作家で、詩・戯曲・小説など幅広い分野の著作を残しましたが、小説が最も有名で、20世紀文学において高く評価されている小説家のひとりです。代表作である『ユリシーズ』は1904年6月16日のダブリンを描いた作品です。1904年6月16日というのは、実は著者のジョイスが後に妻となるノラ・バーナクルと初めて本格的なデートをした日でもあり、その日を舞台に小説が展開する…というわけです。 毎年、6月16日は『ユリシーズ』のみならずジョイスの作品や業績についての記念日として世界中で祝われています。2024年6月16日は120周年と

        【素面のダブリン市民】第3回 ブルームの日(北村紗衣)|書肆侃侃房 web侃づめ
      • 第5回 日本の風俗とむきあって | 土足の限界 日本人はなぜ靴を脱ぐのか | 井上章一 | 連載 | 考える人 | 新潮社

        著者: 井上章一 「玄関で靴を脱いでから室内に入る」。日本人にとってごく自然なこの行為が、欧米をはじめ海外ではそれほど一般的なことではない。建築史家であり『京都ぎらい』などのベストセラーで知られる井上章一さんが、このなにげない「われわれのこだわり」に潜む日本文化の隠された一面を、自らの体験と様々な事例をもとに考察する。 陋屋で下駄をはく いわゆる南蛮時代に来日した宣教師は、日本家屋でくらしていた。教会や修道院、そして神学校などをたてるさいにも、日本建築をもうけている。本格的な西洋建築を建設したいと、かりにのぞんでも、当時の日本ではできなかった。ミサをはじめとする宗教儀礼も、たいてい畳の上でとりおこなっている。 前にそうのべた。しかし、彼らが屋内で外履きをぬいでいたかどうかについては、まだふれていない。畳や床板の上で靴をはいていた可能性もあるが、そこについては言葉をにごしている。 こう書けば

          第5回 日本の風俗とむきあって | 土足の限界 日本人はなぜ靴を脱ぐのか | 井上章一 | 連載 | 考える人 | 新潮社
        • AIプロンプト作成に役立つマークダウン記法の基本と活用法

          AIプロンプト作成に役立つマークダウン記法の基本と活用法 2024年6月10日 2024年6月25日 AIツール, Ulysses, コンテンツマーケティング, ツール マークダウン記法を使って、AIプロンプト作成を効率的に行う方法を学びませんか?この記事では、マークダウン記法の基本から具体的な使い方、そしてプロンプト作成時の注意点まで、ステップバイステップで詳しく解説します。さらに、実例や成功事例を通じて、効果的なプロンプト作成の実践的なアドバイスを提供します。この記事を読むことで、あなたはAIが理解しやすいプロンプトを作成するスキルを身に付け、業務効率を大幅に向上させることができます。さあ、今すぐこの記事を読み進めて、マークダウン記法の活用法をマスターしましょう! はじめになぜマークダウン記法が必要なのか あなたがAIプロンプトを作成する際に、情報を整理し、効率的に伝える方法を探してい

            AIプロンプト作成に役立つマークダウン記法の基本と活用法
          • 『百年の孤独』の次はこれだ!文庫で読めるラテンアメリカ文学 - ウラジーミルの微笑

            はじめに 文庫で読める!!! 『百年の孤独』は日本でももうかれこれ50年ほど売られ続けている。このため、正直「文庫化」がこれほどのインパクトを与えるとは思ってもいなかった。本を買い集めるためには金に糸目をつけない自分がいかに異端で、一般の読書人がいかに「価格」に敏感かを改めて思い知らされた。 このため、この記事ではあくまで手に入り易く価格も安い「文庫」にこだわって紹介をしている。 なお、忙しい現代人のために冒頭のここで結論も書いておこう。 『百年の孤独』を読んだら、日本文学なり、ヨーロッパ近代文学なり、ふだんの自分の領域に戻る前に、絶対に絶対に絶対に、バルガス・リョサの長編から1作品、それとコルタサルの短篇集『悪魔の涎・追い求める男』を読んで欲しい! さらばマジック・リアリズム 『百年の孤独』≒マジック・リアリズム≒ラテンアメリカ文学。これらはとかく結びつけられがちである。しかし、豊穣なラ

              『百年の孤独』の次はこれだ!文庫で読めるラテンアメリカ文学 - ウラジーミルの微笑
            • ブルームズデイイベント(9)Taste of Joyce - Commentarius Saevus

              ブルームズデイのイベントの締めくくりとしてジョイス・タワーでリリパット・プレイヤーズによるTaste of Joyceを見た。これはジョイスによるあらゆる作品をちょっとずつ役者がやるというものである。『ユリシーズ』はもちろん、他の小説や詩、歌、めったに見られない戯曲『追放者たち』の一部なども見られる。 芝居の出来としては前の日に見たUlysses aWakeのほうが面白かった…というか、こちらは本当に味見みたいな感じでちょっとずつなので、なんとなく物足りない感じがした。また、全体的に役者陣の歌のクオリティがこの日以前に見たプロダクションに比べると素人っぽかったと思う。ただ、あまり評価が高くないらしい『追放者たち』の一部は思ったよりも面白かったので、これは一度通して見てみたいと思った。

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              • 第4回 南蛮時代のミサ聖祭 | 土足の限界 日本人はなぜ靴を脱ぐのか | 井上章一 | 連載 | 考える人 | 新潮社

                著者: 井上章一 「玄関で靴を脱いでから室内に入る」。日本人にとってごく自然なこの行為が、欧米をはじめ海外ではそれほど一般的なことではない。建築史家であり『京都ぎらい』などのベストセラーで知られる井上章一さんが、このなにげない「われわれのこだわり」に潜む日本文化の隠された一面を、自らの体験と様々な事例をもとに考察する。 畳とカトリック 天橋立は、京都府の宮津市にひろがる名勝である。そして、同市には、ヨハネの天主堂がある。こちらはカトリックの教会である。建物は1896(明治29)年にたてられた。フランスのルイ・ルラーブ神父が開設したという。 今も、ここでは、毎週日曜日にミサがおこなわれる。現役の教会である。そして、そういう施設としては、おそらく日本でいちばん古い。 木造だが、構えはゴシックやロマネスクの教会を手本としている。正面には薔薇窓らしいしつらいがある。縦長の窓には、ステンドグラスがは

                  第4回 南蛮時代のミサ聖祭 | 土足の限界 日本人はなぜ靴を脱ぐのか | 井上章一 | 連載 | 考える人 | 新潮社
                • アーカイヴの病〈新装版〉 | 法政大学出版局

                  四六判 / 194ページ / 上製 / 価格 2,530円 (消費税 230円) ISBN978-4-588-14037-2 C1310 [2017年01月 刊行] アーカイヴの概念は今日、記憶や技術、法や暴力、民主主義や幽霊たちをめぐる哲学の問いを呼びさます。起源を求めるアーカイヴの病=悪、アーカイヴを創設し管理する者の無意識、すべてを抹消する死の欲動のあいだで、歴史記述はどのようにあるべきか? 歴史家イェルシャルミの著作やフロイトのモーセ論・『グラディーヴァ』論を通じて、デリダがユダヤ性と精神分析、未来の問題を掘り下げた重要講演。〔哲学〕 J.デリダ(デリダ ジャック)1930-2004年.アルジェリア生まれのユダヤ系哲学者.パリの高等師範学校で哲学を専攻.同校の哲学教授を経て,社会科学高等研究院教授を務める.西洋形而上学におけるロゴス中心主義の脱構築を提唱し,構造主義以降の人文社会科

                    アーカイヴの病〈新装版〉 | 法政大学出版局
                  • とりぶみ 書評一覧

                    本来はそんなつもりはなかったのですが、すっかり「奇書・実験小説の書評ブログ」と化してきてしまいました。だって、誰もボクの小説読んでくれないんだもん。そんなにいいか、『君の名は。』が! いいよね、あれ。 というわけで、今までに書評した作品を一覧にしてみましたよ。検索サイトから訪問してくださった方は、他の書評も読んでみてくださいね。 ジョルジュ・ペレック『人生 使用法』 『ジャック・ルーボーの極私的東京案内』 ハリー・マシューズ『シガレット』 レーモン・クノー『文体練習』 ジェイムズ・ジョイス『ユリシーズ』 ロレンス・スターン『トリストラム・シャンディ』 夏目漱石『吾輩は猫である』 柳瀬尚紀『猫舌三昧』『言の葉三昧』 筒井康隆『残像に口紅を』 筒井康隆『虚人たち』 筒井康隆『虚航船団』 筒井康隆『朝のガスパール』 南米文学10連発!①~③ 南米文学10連発!④~⑦ 南米文学10連発!⑧~⑩ ジ

                    • 【猛暑の夏、本に親しむ】 - ブログ百科ララ♫

                      連日、あい変わらずの猛暑。 先日のブログにも書きましたが、海外の人々をも魅了する 美しい日本の四季、それは今や過去のものとなってしまったのでしょうか? 出典フォトAC 春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり 道元禅師が夜空を眺めて、日本の四季を詠った といわれる詩をふと思い浮かべます。 日本における大宗教家、曹洞宗の開祖である道元は 「禅の言葉」の中で、四季は宇宙がくれた最高の贈り物 と言っています。 確かにかつては、日本の四季は折々に風情があって、ただ眺めているだけで幸せな 気持ちになりました。 でも近年では春も秋もつかの間で、猛烈に暑い夏が長逗留し 風情どころか恐怖、危険の域に入っているのが現状です。 海外から訪れた観光客が「日本って随分暑いんですね!」 と、たまげている姿をテレビで見るにつけ気の毒に思います。 「住んでいるこっちだって、どこか涼しい場所へ避難したいわ!

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                      • ブルームズデイイベント(8)『テレマコス』 - Commentarius Saevus

                        ブルームズデイの朝のイベントとして、ジェイムズ・ジョイス・タワーで『テレマコス』を見てきた。これは『ユリシーズ』の冒頭、現在のジョイス・タワーで進行する「テレマコス」の挿話を演劇化したものである。塔の上で始まり、中盤は塔の中の部屋、最後は外で展開する。 序盤は何しろ塔の上でやるので、風と強い太陽光のせいでけっこう鑑賞環境としてはよろしくなかったのだが、中盤は落ち着いて座って見られた。終盤はなんとマリガンが対岸に水着で現れ、実際の海水浴客(暖かい日だったのでかなり混雑していた)に混じって海に飛び込むというダイナミックな終わり方である。「テレマコス」は途中で人の出入りもあるし、けっこう起伏のあるお話でお芝居にしても面白いと思った。

                          ブルームズデイイベント(8)『テレマコス』 - Commentarius Saevus
                        • ウンベルト・エーコ『開かれた作品』第一章「開かれた作品の詩学」(1962)

                          ウンベルト・エーコ『開かれた作品』第一章「開かれた作品の詩学」(1962) 芸術作品は<生>をもつか。もし芸術作品が生きていると言えるならば、それはどのような条件においてか。芸術と生をめぐるこの問いが第一章「開かれた作品の詩学」のテーマである。 作者は作品を生む。作品には形が与えられ、受容者のもとへと届く。作品という形式の中に作者はメッセージを込め、受容者はそのメッセージを解読する。こうした単純なコミュニケーションモデルが仮に成り立つとするならば、そこから導き出されるのは、それ自体で完結した作品の姿である。またこのモデルによって意味が伝達されるならば、それは単に解読の対象としての表現でしかない。作品は完結すると同時に、単なる「慣習的記号」(p.36.)と化し、「単一の意味において一義的に看取され」(p.37.)る「道路標識」に過ぎなくなってしまう。 このような記号はいつでも、どのような状況

                            ウンベルト・エーコ『開かれた作品』第一章「開かれた作品の詩学」(1962)
                          • 丸谷才一「文学のレッスン」(新潮文庫)をめぐって - 二草庵摘録

                            本のレビューと散歩写真を中心に掲載しています。二草庵とは、わが茅屋のこと。最近は詩(ポエム)もアップしています。 丸谷才一さんは小説家なんだろうか、それともエッセイスト? いやきっと批評家、あるいは英文学者なのだ。 ・・・わたしは戸惑うけれど、要するにそういったすべてを兼ね備えたエンサイクロベディストなのだと、本書を読みおえたいまは、いってみたい衝動にかられる。 はじめは小説家&翻訳家として出発した。しかし、博覧強記でユーモリストで、しかも反骨精神の持ち主。こうなっては、出版界が放っておかない。 売れたという側面だけみれば、まず第一にエッセイストである。和田誠さんの挿絵がすばらしく、わたしも7-8冊は持っている。読んだのはその半分だろうが´Д`|┛ どういうわけか、読む気になれないのが小説。代表作といわれる作品はほとんど揃えてあるけど、「年の残り」など、短編を2-3編しか読んでいない。 わ

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                            • 【テレビ】伝説のお笑い番組「リンカーン」の後継番組「ジョンソン」、早くも打ち切り

                              1: おじさん速報 2024/06/19(水) 07:10:07.62 ID:??? TID:BUGTA TBSのバラエティー番組「ジョンソン」(月曜後9・00)が9月末で終了することが18日、分かった。かまいたち、モグライダー、見取り図、ニューヨークのお笑いコンビ4組をレギュラーに据え、昨年10月にスタートしたが、1年で幕引きとなった。 番組終了の経緯を、同局関係者は「視聴率の低迷」と説明した。世帯視聴率は初回放送の4・6%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)から始まり、主に3%台で推移。2%を割ることもあった。 同局が05年から8年間放送したバラエティー「リンカーン」の後継番組として誕生。同番組はダウンタウンをメインに実力派から若手芸人らが多数出演し、さまざまな企画で人気を博した。次世代を担う人気芸人コンビ4組が集まった「ジョンソン」にも同様の盛り上がりが期待されたが、番組開始から視聴率が

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                              • パンク・ジャズ - Wikipedia

                                パンク・ジャズ(英: Punk jazz)は、フリー・ジャズなどのジャズの要素と、パンク・ロック(1978年のアルバム『ノー・ニューヨーク』に代表されるノー・ウェイヴや、ハードコア・パンクなど) を融合させたジャンルを指す。著名なパンク・ジャズの演奏家としてはジョン・ゾーンの率いる音楽バンドであるネイキッド・シティやジェームス・チャンス・アンド・ザ・コントーションズ、ラウンジ・リザーズ、ユニバーサル・コングレス・オブ(英語版) (Universal Congress Of)、ラフィング・クラウンズ(英語版) (Laughing Clowns)(ラフトレード)などが挙げられる。 歴史[編集] 1970年代末[編集] ジェームス・チャンス (1981年、ベルリン) フリー・ジャズやファンク、パンク・ロックの影響を受けたジェームス・チャンスらによって1970年代末にパンク・ジャズが形成された[1

                                • 原初舞踏を体験してきた|遠藤健太郎 Kentaro Endo

                                  1年くらい前にX(Twitter)で見てからずっと気になっていた人がいた。 その人は舞踏家の最上和子さん。敬愛を持って最上先生と書かせていただく。 僕が最上先生の言葉で、特に強く惹かれたのは死や無意識に対する考え方だろうか。 解像度の高い死への考察、意識の持ち方や把握。「なんかこの人すごいぞ」と直感的に思って、踊りのことなんて全然わからないまま先生の言葉を追いかけ続けてきた。 現代社会では自然の中に広がる美が隠され、世界の奥行きが覆われて久しい。死が除けられた社会の中で生は痩せ細り、個の時代だと叫ばれていく中で自意識は肥大化していった。 それは無論、僕も例外ではない。死を恐れながらも向き合うことを放棄して、安心安全な日々を惰性で望んできたことを否定すれば嘘になる。保証された生の元で自意識を膨らませては、社会的成功を収めた知人友人の評価を目にしては嫉妬する日もあった。 死と無意識。意識や思考

                                    原初舞踏を体験してきた|遠藤健太郎 Kentaro Endo
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