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三輪山の検索結果1 - 29 件 / 29件

  • 【辰五郎大明神】三輪山の裾 鮮やかな朱の空間 - ものづくりとことだまの国

    はじめに 狭井神社の鳥居をくぐらず山の辺の道を二十メートルほど進むと #辰五郎大明神 への道しるべ。#三輪山 の麓のお稲荷さん。江戸期の豪商が祀ったとの説がありますが由緒は不明 本文 辰五郎大明神 辰五郎大明神 (34.531933,135.853813)/奈良県桜井市三輪/狭井神社そば鎮女池から徒歩数分 三輪山への登拝口となっている狭井神社の鳥居をくぐらず、鎮女池(しずめいけ)を横目に、山の辺の道を二十メートルほど進むと、道しるべ。 辰五郎大明神への道しるべ 矢印の方向に山道を進むこと数分。 途中、お顔のキリリとしたお地蔵様、龍神様、お不動さん?らしき石像が並んでいました。 真ん中の龍神さんは、石の祠の中で、トグロを巻いておられました。 お不動さんにしては頭がナポレオン風。始めて見る個性的な像容。 さらに進むと「きよめの滝」のお滝場の建物(青い屋根)、そこから、お稲荷さんらしい鮮やかな朱

      【辰五郎大明神】三輪山の裾 鮮やかな朱の空間 - ものづくりとことだまの国
    • 【大和の神奈備】三輪山 盛夏の景色【八月一日 ほづみ・ほずみ】 - ものづくりとことだまの国

      はじめに 二十四節季では #八月一日(ほづみ)は大暑(7月23日ごろ)と立秋(8月8日ごろ)の真ん中なんですね。夏真っ盛りの朝 #箸墓古墳 を一まわり。どこからでも #三輪山 を遥拝できます #ホケノ山古墳 #万葉まほろば線 #苧環塚 目次 箸墓古墳と三輪山 巻向川・ホケノ山古墳と三輪山 神社から遥拝する三輪山 アラハバキ解46)アラハバキ解(7)【前期】前方後円墳・考 本文 旧暦の八月一日は、現在歴の九月上旬にあたります。 はじめて収穫した稲穂を摘んで(積んで)神様にお供えをし、今年の豊作を祈願したことから、八月一日をほづみ・ほずみ とも読むようになったそうです。 もちろん、現在歴の八月一日(今日)は夏真っ盛り(大暑と立秋の真ん中)でセミは鳴き、田んぼの稲は青い葉っぱがぐんぐん育っているところです。 左)遅めのノウゼンカヅラ。右)クリのイガも青々 箸墓古墳と三輪山 日本最古の前方後円墳、

        【大和の神奈備】三輪山 盛夏の景色【八月一日 ほづみ・ほずみ】 - ものづくりとことだまの国
      • 【山ノ神遺跡】山麓に点在する辺津磐座のひとつ【三輪山祭祀の原点】 - ものづくりとことだまの国

        はじめに 三輪山 #狭井神社 周辺には #大神神社 摂社 #磐座神社 に代表される #辺津磐座(群)が点在。#山ノ神遺跡 からは #三輪山の古代酒造 に関連する #土製模造品 の他 #子持勾玉 が出土 目次 山ノ神遺跡への道 山ノ神遺跡 磐座 山ノ神遺跡の出土物 本文 山ノ神遺跡への道 www.zero-position.com 前回紹介した、三輪山の裾、辰五郎大明神から山道を歩いてすぐのところに山ノ神遺跡。 (34.53215039619242, 135.8555643287027)/辰五郎大明神(前回記事)から徒歩すぐ 樹林の中に山ノ神遺跡 磐座 地図で存在は知っていたのですが、付近には当地への道案内などは一切なく、禁足地と思い込んでいたので、まさか、山の辺の道から行けるとは考えもしませんでした。 昨年秋、考古学サークル・ならこふさん(id:narakofu)のブログで、辰五郎大明神か

          【山ノ神遺跡】山麓に点在する辺津磐座のひとつ【三輪山祭祀の原点】 - ものづくりとことだまの国
        • 【三輪山と纒向遺跡】冬至の日の出 古代太陽暦と祭祀のこん跡【大神神社】 - ものづくりとことだまの国

          はじめに 冬至の日 #纒向遺跡 から東南の #三輪山 山頂から日が昇ります。遺跡には #伊勢内宮 #唯一神明造 に通じる #棟持柱 のある建物跡。一年の終わりと始まりを知らせる古代太陽祭祀のこん跡。近くの #他田坐天照御魂神社 にも参拝。#太田田根子 #大神神社 目次 冬至の高い月 纒向遺跡 冬至の日の出 纒向遺跡 居館域の建物群 他田坐天照御魂神社から三輪山 本文 冬至の高い月 2021年12月22日、冬至の朝、纒向遺跡(奈良県桜井市)から三輪山に昇る日の出を見ようと出発。 北半球の日本列島から見て、太陽が一年で最も遠くなるのが冬至の日です。 かたや、冬至の日に見える月は一年で最も高いところを通っています。 冬至の朝5時 一年で一番高い月(大阪上本町交差点 千日前通、向こうが西) 冬至の月の軌道は、夏至の太陽の軌道とほぼ同じ。理由を知りたい方はご覧ください。受験に出るそうです😀 www

            【三輪山と纒向遺跡】冬至の日の出 古代太陽暦と祭祀のこん跡【大神神社】 - ものづくりとことだまの国
          • 【古代ヤマトの国見・考】東の三輪山 西の二上山【クニを護る 御神体の山】 - ものづくりとことだまの国

            古代、大王(おおきみ)が高い所にあがって『国見、くにみ』できる範囲がクニと考えられていました。 『ヤマトのクニ』の主要な舞台は、おおよそ、周囲を山に囲まれた大和盆地(大和平野)。 大王の『ヤマトのクニ』のイメージ 飛鳥時代、甘樫丘(あまかしのおか)からの『国見』が万葉集にも収載され有名ですが、この時も、東の三輪山、西の二上山はランドマークになったことでしょう。 甘樫丘から北。左に畝傍山。その向こうが二上山。右に耳成山 話はそれますが、おそらく、甘樫丘からの視界では、斑鳩の背後の山稜から向こう側を『山の背後』、転じて京都方面を山背(やましろ、のちに山城)と呼ぶようになったように思います。 大和には 群山あれど とりよろふ 天の香具山 登り立ち 国見をすれば 国原は 煙立ち立つ 海原は かもめ立ち立つ うまし国ぞ あきづ島 大和の国は(万葉集1-0002)(作者:舒明大王) 昭和天皇の国見(甘

              【古代ヤマトの国見・考】東の三輪山 西の二上山【クニを護る 御神体の山】 - ものづくりとことだまの国
            • 【私の古代妄想史③】原始三輪山(もとみわやま)という大コンセプト【榮長増文氏】 - ものづくりとことだまの国

              はじめに 読みはじめで、私の古代妄想「史」という表題には合いませんが、今後の考察に大影響を与える予感しかない #目ウロ の良書を紹介します。#榮長増文 著 #原始三輪山(#もとみわやま)(2010年4月)#桜井市出雲 #穴師坐兵主神社 目次 原始三輪山 榮長増文著(2010年4月) 原始三輪山の広大な範囲 穴師坐兵主神社の三神殿、三種の神器 本文 原始三輪山 榮長増文著(2010年4月) たいへん面白い書籍に出逢いました。 桜井市出雲で生まれ育った榮長増文(えいながますふみ)さんが、自身の故郷の歴史を考察を通して書かれた『原始三輪山』。 原始三輪山(もとみわやま)という大きな空間を構想しているのが特長です。 原始(もと)三輪山 ~ 今まで気づかなかった現地風土 榮長増文著(2010年4月) 原始三輪山の広大な範囲 ・・・(現代人と違い、地図をもたなかった)古代人は、おおらかに考え、広域に面

                【私の古代妄想史③】原始三輪山(もとみわやま)という大コンセプト【榮長増文氏】 - ものづくりとことだまの国
              • 【狭井川 探訪(後半)】三輪山の辺津 出雲屋敷とイスケヨリヒメ伝承地【山の辺の道 茅原】 - ものづくりとことだまの国

                はじめに 前回の続き。三輪山から流れ下る #狭井川 は #山の辺の道 の #月山日本刀鍛錬道場 のところを横切ります。川べりの #大神神社 案内には、御祭神・大物主神の姫御子 #イスケヨリヒメ と #出雲屋敷 の伝承が書かれています #桜井市茅原 目次 三輪山麓の狭井川の流れ 狭井川の出雲屋敷とイスケヨリヒメ伝承(大神神社) 出雲屋敷 本文 三輪山麓の狭井川の流れ 昨日のより、西の山の辺の道の方に拡げた地図です。 www.zero-position.com 三光の滝に向かう山道(進入禁止)の行き止まりのところで、三輪山頂からの狭井川(さいかわ)が流れていましたが、この狭井川は、月山日本刀鍛錬道場のすぐそばを、西の方へ下って行きます。 左)大神神社の狭井川の案内板、右)月山日本刀鍛錬道場の横を流れ下る 狭井川の出雲屋敷とイスケヨリヒメ伝承(大神神社) 左の写真。以前、紹介したことがある大神神

                  【狭井川 探訪(後半)】三輪山の辺津 出雲屋敷とイスケヨリヒメ伝承地【山の辺の道 茅原】 - ものづくりとことだまの国
                • 葛城(大鴨)~畝傍山~藤原京~三輪山(三諸山)を繋ぐ太陽のヤタガラスのライン - ものづくりとことだまの国

                  はじめに ヤマトの国の #葛城(大鴨)と #三輪(三諸山)は #畝傍山 を通じて #太陽のヤタガラス のラインで繋がっていた話。古くは #畝火山 と呼ばれ #藤原京 が置かれた理由でしょうか。#白山 #ダンノダイラ 目次 原始三輪山から藤原京のヤタガラスへの目まぐるしい展開 葛城(大鴨)~畝傍山~藤原京~三輪山(三諸山)を繋ぐ太陽のヤタガラスのライン ご連絡 本文 原始三輪山から藤原京のヤタガラスへの目まぐるしい展開 展開が目まぐるしく、頭の整理に時間がかかりますので、藤原京のヤタガラスのシリーズはこの回でいったん終わり、しばらく考察したいと思いますが、その前に少しだけ。 そもそも、藤原京でヤタガラスを探したキッカケは、原始三輪山(もとみわやま)シリーズ です。(シリーズは11月中頃から再開予定) 三輪山を南から眺めた三輪山~巻向山~初瀬山の連山の景色が、古くは 三諸山(みもろやま) と呼

                    葛城(大鴨)~畝傍山~藤原京~三輪山(三諸山)を繋ぐ太陽のヤタガラスのライン - ものづくりとことだまの国
                  • 夏の終わりの大神神社【御神山 三輪山】親バカを 地で行く残暑 山の辺の道 - ものづくりとことだまの国

                    今年はコロナで世間も大変ですが、個人的にもいろいろあり、少し報告と願い事をかねて、春以来、大神神社にお詣りしました。 (引越しで)最寄りの近鉄上本町駅から南大阪線で桜井駅下車。土日祝日限定の運行バスで二の鳥居前まで、1回乗り換えで行けるようになりました。 大神神社(おおみわじんじゃ) 大神神社(おおみわじんじゃ)一の鳥居から三輪山 二の鳥居前 運行時間表 上空の雲の流れは速くモクモクしていて、相変わらずの夏の日差しで暑いっ! 大神神社 手水舎は蛇神さん 大神神社 拝殿・本殿 大神神社 巳の神杉(みのかみすぎ) 若宮社から山の辺の道 今日はいつもと違い、バス停のある二の鳥居まで参道を戻り、摂社・若宮社(大直禰子神社、おおたたねこじんじゃ)まわりで山の辺の道へ。(いつもは本殿のあるところから山の辺の道にまわります) 若宮社境内 三ツ杉紋の入った甕 若宮社 甕の中の水面に青空 若宮社境内 今年最

                      夏の終わりの大神神社【御神山 三輪山】親バカを 地で行く残暑 山の辺の道 - ものづくりとことだまの国
                    • 大和国一ノ宮 大神神社のご神体・三輪山ご登拝と桜と - kumakuma blog   クマ子の奈良歩き

                      世間は、コロナウィルスの話題一色。 もちろん現在、奈良県内の観光地も閑古鳥が鳴いています。 しばらく、この状態が続くのでしょうが、今年は暖冬のため、桜の開花も早くなる予報…と聞きます。 ウィルスの感染拡散を避けるため、極力お家に籠りつつも、気分だけでも、春を迎え、早急な終息を願いたいと思います。 そこで今回は、すでに削除した過去記事を大幅にリライトし、奈良県・大和国一ノ宮である大神神社のご神体・三輪山(みわさん)にご登拝する方法と、意外と知られていない、大神神社の展望台の、見事な桜をご紹介します(・ω・)ノ 大神神社(おおみわじんじゃ)とご登拝について 三輪山ご登拝の手順 いざ、ご登拝! 「大美和の社(おおみわのやしろ)展望台」と満開の桜 展望台から行けるおすすめの摂社 大神神社へは… まとめ 大神神社(おおみわじんじゃ)とご登拝について 2019年4月6日。昨年の春のお話なのですが、 念

                        大和国一ノ宮 大神神社のご神体・三輪山ご登拝と桜と - kumakuma blog   クマ子の奈良歩き
                      • 【大神神社】初もうで 新春の山の辺の道からの景色【三輪山】 - ものづくりとことだまの国

                        はじめに 朝一番の近鉄急行で #大神神社(奈良県桜井市三輪)に初もうで。新春の #山の辺の道 を歩きながら #三輪山。#狭井神社 #貴船神社 #龗神神社 #檜原神社 #井寺池 #大和二上山 #箸墓古墳 #大和三山 目次 【初もうで】大神神社 狭井神社(狭井坐大神荒魂神社) 八大龍王弁財天大神 龗神神社 檜原神社(倭笠縫邑伝承地)大神神社摂社 井寺池からの眺め(三輪山、大和二上山、大和三山、葛城) 本文 【初もうで】大神神社 連絡の桜井駅でトイレの間にJRが出てしまい、冷え込むホームで30分待ってから来たのですでにお詣りの人が結構。さすが大和国一宮。 大神神社参詣道より 御神体の三輪山 大神神社 大神神社 手水舎の蛇神さん 大神神社 大神神社は三輪山を御神体とする古い神社。拝殿のみで御本殿はありません。境内からは近すぎて三輪山は見えません。 大神神社 拝殿 謡曲「三輪」で、玄賓(げんぴ)僧正

                          【大神神社】初もうで 新春の山の辺の道からの景色【三輪山】 - ものづくりとことだまの国
                        • 【箸中・國津神社】纏向川 地主の森で三輪山と箸墓を見守る国津神の古社 - ものづくりとことだまの国

                          はじめに アマテラスとスサノオの #誓約 で生まれた五男神が御祭神の箸中 #國津神社。#箸墓古墳 近く。#纏向川 のほとりで #三輪山 を見守ります。筆頭神の #天忍穂耳尊 は #葦原中国 への #天孫降臨 を、最初に #ニギハヤヒ 次に #ニニギ と二度、息子神に譲りました 目次 箸墓古墳の東、箸中・國津神社(桜井市箸中1128) 箸中・國津神社 境内 アマテラスとスサノオの誓約(うけい)/アラハバキ解38) 本文 箸墓古墳の東、箸中・國津神社(桜井市箸中1128) (34.53928445355251, 135.84446611529154) 御祭神:正哉吾勝速日天忍穂耳尊(まさか あかつ かちはやひ あめのおしほのみみのみこと)、天穂日命(あめのほひのみこと)、天津彦根命(あまつひこねのみこと)、活津彦根命(いくつひこねのみこと)、熊野櫲樟日命(くまぬくすびのみこと)、【合祭神】素戔

                            【箸中・國津神社】纏向川 地主の森で三輪山と箸墓を見守る国津神の古社 - ものづくりとことだまの国
                          • 仏さまの再会「聖林寺十一面観音~三輪山信仰のみほとけ~」特別展 - kumakuma blog   クマ子の奈良歩き

                            去る2022年3月25日に、奈良国立博物館で開催されていた「聖林寺十一面観音~三輪山信仰のみほとけ~」特別展に行ってまいりました❣ 聖林寺十一面観音特別展 著書「古寺巡礼」にて、和辻哲郎も絶賛した聖林寺の十一面観音像(国宝)。 今回は、その美しき姿の背中を拝むことができる…とのことで、喜び勇んで出発です(=゚ω゚)ノ 聖林寺の十一面観音像とは? 大神神社の神宮寺「大御輪寺」 約150年ぶりの仏さまの再会 春の奈良公園 ミモザケーキ「ぷちまるカフェ」 まとめ 聖林寺の十一面観音像とは? 聖林寺は、奈良県桜井市にあるお寺です。もともとは、藤原鎌足長男・定慧が開基の妙楽寺(現在は談山神社となっている)の塔頭でした。 「談山神社」についてはコチラ☟ www.norikuma2.com この聖林寺を有名たらしめているのが、今回の奈良国立博物館の特別展での主役である「十一面観音菩薩立像(奈良時代・国宝

                              仏さまの再会「聖林寺十一面観音~三輪山信仰のみほとけ~」特別展 - kumakuma blog   クマ子の奈良歩き
                            • 【始まりの元伊勢・倭笠縫邑】三輪山のふもとから二上山を臨む【檜原神社】 - ものづくりとことだまの国

                              檜原神社 奈良盆地を見下ろす西向きの鳥居、境内 同床共殿(どうしょうきょうでん) 初期のころの、天皇家(ヒメ・ヒコ)は皇祖としての天照大御神(あまてらすおおみかみ)を宮中(皇居)でお祀りしていた。 そのような、神様と「同じところで寝て、ともに住まう」スタイルを『同床共殿』といった。 第十代・崇神天皇の御代(210年ごろ~)、日本書記には以下の記述がある。 ● 三年、磯城(しき)の瑞籬宮(みずかきのみや)に都をうつし、(磯城=三輪山の西の麓?) ● 五年、疫病が流り、大半の人が死亡した ● 六年、世が乱れ、これを天皇の徳(祭祀)をもっても治まらず、天照大御神(以下、アマテラス)と倭大国魂神(やまとのおおくにたまのかみ)の二神を宮中の外に出すことにした 倭笠縫邑(やまとかさぬいむら) アマテラスは、崇神天皇の皇女・豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと、初代の斎王)に託され、宮中を離れ、はじめに

                                【始まりの元伊勢・倭笠縫邑】三輪山のふもとから二上山を臨む【檜原神社】 - ものづくりとことだまの国
                              • 絶景スポット【八大龍王弁財天大神 龗神神社】三輪山の麓 狭井川あたり【貴船神社(淤加美神)】 - ものづくりとことだまの国

                                まとめ おかみのかみ。古事記では #淤加美神、日本書紀では #龗神。#水源の守護と水の祭祀 に関わる神様(女神さま)です。#三輪山 の麓・#山の辺の道 #狭井川 あたりには、二つの社があります。どちらもたいへん古い信仰のこん跡です 目次 大神神社 末社 貴船神社 狭井川(さいがわ) 八大龍王弁財天大神 龗神神社 アラハバキ解・汎日本古代信仰の謎に迫る(連載中) 本文 三輪山への登拝口・狭井神社(さいじんじゃ)から山の辺の道を歩いて約10分、花もりさんの少し先に、 www.zero-position.com 大神神社 末社 貴船神社 貴船神社が鎮座しています(御祭神:淤加美神、おかみのかみ) 大神神社末社・貴船神社 大神神社末社・貴船神社 イワクラ 狭井川(さいがわ) 山の辺の道をもう少し進むと、月山日本刀鍛錬道場(月山記念館)があり、ちょうどそのあたりに「狭井川」の道標が立っています。 現

                                  絶景スポット【八大龍王弁財天大神 龗神神社】三輪山の麓 狭井川あたり【貴船神社(淤加美神)】 - ものづくりとことだまの国
                                • 【三輪山 狭井神社あたり】春の到来 山の辺の道【清明な空気】 - ものづくりとことだまの国

                                  はじめに 毎年この時期、大神神社から #狭井神社 まで #山の辺の道 を歩きます。#三輪山 の麓一帯は空気が清明。澄んでいて花粉症が和らぎます 本文 大美和の杜展望台から。大神神社の一の鳥居が見えます 左に天香久山。中央に畝傍山。右に耳成山。畝傍山の奥に見えるはずの葛城・金剛連峰は空気がけむって見えません。たぶん花粉でしょう。汗 大美和の杜展望台から。大和三山 久延彦神社 神山(おやま、三輪山)遥拝所 狭井神社近くの池 狭井神社境内、御神水の井戸そばの水琴窟(すいきんくつ)。 #水琴窟 #狭井神社(狭井坐大神荒魂神社)境内 #御神水 pic.twitter.com/gZKGMtGtPF— 開物発事 (@Kai_Hatu) 2022年3月12日 狭井神社参道 鎮女池(しずめいけ)三島由紀夫揮毫「清明」の碑 狭井神社の鳥居そば、鎮女池(しずめいけ)の 市杵島姫神社。後ろ姿も美しい。お参りの人が

                                    【三輪山 狭井神社あたり】春の到来 山の辺の道【清明な空気】 - ものづくりとことだまの国
                                  • 卑弥呼のお墓?「箸墓古墳(大市墓)」と「三輪山本」で三輪そうめんを味わう - kumakuma blog   クマ子の奈良歩き

                                    奈良県桜井市には、卑弥呼の墓ではないかと言われている「箸墓古墳(大市墓)」があります。 この「箸墓古墳」周辺には、大和の国一ノ宮である「大神神社」や最古の古道といわれる「山の辺の道」もあり、記紀神話の世界が広がっています。 ※大和の国一ノ宮・「大神神社」についてはコチラ☟ www.norikuma2.com www.norikuma2.com 今回はその「箸墓古墳」と、奈良県桜井市の名産物である「三輪そうめん」の名店「三輪山本 お食事処」をご紹介します。 箸墓古墳(大市墓)とは 読んでビックリ「箸墓伝説」 名物「三輪そうめん」の老舗「三輪山本」 箸墓古墳(大市墓)とは 邪馬台国の卑弥呼の墓…ともいわれる「箸墓(はしはか)古墳」。 正式名称は「大市墓(おおいちぼ)」といい、第七代孝霊天皇皇女である倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめ)の陵墓とされており、現在は宮内庁の管轄になっています。

                                      卑弥呼のお墓?「箸墓古墳(大市墓)」と「三輪山本」で三輪そうめんを味わう - kumakuma blog   クマ子の奈良歩き
                                    • 【三輪山平等寺】神仏の時代 三輪別所と云われた大神神社の奥の院 - ものづくりとことだまの国

                                      はじめに JR三輪駅から #旧伊勢街道 を歩くと #三輪山平等寺。#聖徳太子 開基と伝えられる。花の手水舎には『黄金色の小麦畑と青い空を描いた』#ウクライナ 国旗。三輪は古代より盛んだった小麦栽培に発祥する #三輪そうめん が特産品 #聖徳太子 #島津義弘 目次 伊勢街道と三輪そうめん 三輪山平等寺 三輪山平等寺 境内 本文 伊勢街道と三輪そうめん JR万葉まほろば線(桜井線)三輪駅を下車して、平等寺方面への大看板があるので、道なりに。 旧伊勢街道を進む途中に、奈良県三輪素麺工業協同組合の建物に立派な、大神神社の三鳥居がマークなんですね。 三輪は日本の三大そうめん産地の筆頭ですが、三輪山麓の土壌が『小麦』の生育に適していたことに由来します。 奈良県三輪素麺工業協同組合 シンボルマークは大神神社 三鳥居 三輪山平等寺前から伊勢街道 雨上がりの耳成山がくっきり 三輪山平等寺 (34.52693

                                        【三輪山平等寺】神仏の時代 三輪別所と云われた大神神社の奥の院 - ものづくりとことだまの国
                                      • 三輪山平等寺・かつての大神神社神宮寺「島津義弘公ゆかりの寺」の知られざる歴史 - kumakuma blog   クマ子の奈良歩き

                                        過去記事で、大和国一ノ宮である大神神社(奈良県桜井市)のご神体である三輪山ご登拝の様子と、展望台の桜のことを紹介させていただきました☟ www.norikuma2.com その後、大神神社周辺を、詳しく散策してみたくなり、季節柄、桜のキレイな場所からご紹介しようと、まずは、大神神社から南東向きに「山の辺の道」を歩いてみました(緊急事態宣言発令前の3月下旬のことです)。 すると… 一つ目の見どころである「平等寺」が、内容盛りだくさんで驚きました( ゚Д゚) 事前に、下調べをした時に、このお寺は、拝観料が要らない(つまり、無料!)ことを知ったので、小さいお堂が、ちょっとあるだけのお寺なのかな…と勝手に思い込んでいたのですが…💦 さらには、日当たりがいいのか、境内の桜は満開(2020年3月23日)🌸 そこで、今回は「三輪山平等寺」に内容を絞って書かせていただきます(・ω・)ノ 聖徳太子開基・

                                          三輪山平等寺・かつての大神神社神宮寺「島津義弘公ゆかりの寺」の知られざる歴史 - kumakuma blog   クマ子の奈良歩き
                                        • 三輪山の足元で 纏向(まきむく)は唐古・鍵から始まった 【唐古・鍵周辺遺跡の逸品】 - ものづくりとことだまの国

                                          ヤマタイコク・大和説の中心地、纏向(まきむく、奈良県桜井市) 実はその文化は唐古・鍵(からこ・かぎ、奈良県田原本町)からスライドしていたことはあまり知られていない。 唐古・鍵は紀元前200年ごろ~西暦200年ごろ 纏向は西暦200年ごろ~400年ごろ 古墳時代(250年~)は纏向から始まる。 したがって「唐古・鍵」は弥生時代、「纏向」は弥生時代~古墳時代に属する。 ヤマタイコク論争のとおり、日本古代史でも多くの謎を秘めた時期だ。 古・鍵遺跡と纏向遺跡1 唐古・鍵遺跡と纏向遺跡2 先日、弥生の姫巫女(ひめみこ)に逢いに、唐古・鍵考古学ミュージアムを訪れた時、周辺遺跡・古墳時代の企画展も開催されていた。 (ミュージアムは無料、企画展は有料) www.zero-position.com 古墳時代 唐古・鍵の周辺遺跡群から出土した貴重な埴輪や土器の展示 中でも印象的な埴輪をピックアップした。 羽子

                                            三輪山の足元で 纏向(まきむく)は唐古・鍵から始まった 【唐古・鍵周辺遺跡の逸品】 - ものづくりとことだまの国
                                          • 等彌神社(1)三輪山の南 鳥見山のふもと 輝くトビ(鵄)の御神紋と謎の神像 ヤタカラス(八咫烏) - ものづくりとことだまの国

                                            等彌神社(とみじんじゃ、奈良県桜井市) 桜井市の鳥見山(とみさん) 以前から気になっているのが、奈良県桜井市の鳥見山(とみさん)。 標高245メートルの低山で、ふもとの等彌神社(とみじんじゃ)の御神体山だ。 鳥見山は、大神神社(おおみわじんじゃ)の御神体山・三輪山の南側に位置する。 ヤマト王権の飛鳥・奈良盆地から見ると、この鳥見山と三輪山の狭隘を通り宇陀、吉野へ抜けて行く入り口で、両サイドを御神体山で固める格好だ。 古代、飛鳥時代ごろまで、奥明日香・宇陀の向こう、吉野は仙人が住み、仙薬のある聖地と考えられていた。 日本で初めて大嘗祭が行われた「鳥見(とみ)の霊畤(れいじ)」 霊畤とは「まつりのにわ」の意。 神武天皇が日本ではじめて天皇に即位したとき、その就任式である大嘗祭が「鳥見の霊畤」で行われたと伝えられる。 「鳥見の霊畤」には桜井市と宇陀市、2つの候補地がある。 Wiki(鳥見山)では

                                              等彌神社(1)三輪山の南 鳥見山のふもと 輝くトビ(鵄)の御神紋と謎の神像 ヤタカラス(八咫烏) - ものづくりとことだまの国
                                            • 神社はいつ、どのようにして始まったのだろうか? 三輪山信仰と大神神社 縄文文化の木造建築技術 - ものづくりとことだまの国

                                              私たちが慣れ親しんでいる神社の木造建築様式は、弥生時代のヤマトで確立されたと思う。 www.zero-position.com 唐古・鍵遺跡(紀元前200年~西暦200年)の集落内の棟持柱(むなもちばしら)のある大型建物が、確認されているものでは日本最古級 棟持柱の大型建物は、伊勢神宮正殿の「唯一神明造(ゆいいつしんめいづくり)とほぼ同じ、今と変わらず「特別な建物」を意味していたはずだ。 棟持柱は、建物の短編中央、地面から屋根を支える太柱のことで、ひとつの建物に二本ある。 唐古・鍵遺跡 大型建物 復元想像 www.zero-position.com 唐古・鍵の文化は纏向(まきむく、西暦200年ごろ~400年)にスライドするが、纏向の至近距離に三輪山、ふもとに大神神社(おおみわじんじゃ)がある。 出雲後物部(いずものちもののべ)の始まり 大神神社の創建は紀元前100年以降と推定され、日本最古

                                                神社はいつ、どのようにして始まったのだろうか? 三輪山信仰と大神神社 縄文文化の木造建築技術 - ものづくりとことだまの国
                                              • 森本六爾・夫妻顕彰之碑 三輪山を眺める故郷に - ものづくりとことだまの国

                                                森本六爾(ろくじ)は、奈良県磯城郡織田村大泉の生まれ。 現在の桜井市大泉の交差点から三輪山の方、東へ約二百メートル、県道に面した住宅地の一角に「森本六爾夫妻顕彰之碑」が建てられている。 六爾は、子どもの頃から地元周辺の遺跡に興味を持ち、近くの唐古池(からこいけ)に通っては池底の土器片集めに没頭するなど、考古学少年であった。 アマチュアのまま成人。その情熱が覚めぬまま、東京で恩師の伝手で考古学に関わっていた。 生き方が下手な天才肌と献身的な夫人 しかし天才肌にありがちな、対人関係に無頓着な人で、同僚や先輩からは歯に衣を着せぬ言動を疎んじられるようになる。 そんな中、考古学の同好会仲間であったミツギと出会い夫婦になる。 師範学校卒の教職だったミツギは、当時としては高給取り、かつ献身的な女性で、在野の考古学者として日々研究に打ち込む夫への公私にわたる協力を惜しまなかった。 夫が希望したパリ留学で

                                                  森本六爾・夫妻顕彰之碑 三輪山を眺める故郷に - ものづくりとことだまの国
                                                • 【奈良県桜井市箸中】三輪山と箸墓古墳に囲まれた『國津神社』天照大神の5子孫神が祀られています : 勝手に堺市広報大使

                                                  勝手に堺市広報大使 地元・堺や奈良の史跡、古墳、神社仏閣をはじめとするおすすめスポットを紹介しています。奈良が大好きで明日香村、橿原市、桜井市、天理市の神社仏閣や史跡をよく訪れています。2022年12月~飛鳥応援大使に就任いたしました。飛鳥の魅力を多くの方に伝えていけるよう頑張っていきます! お問い合わせ プライバシーポリシー 個人情報保護方針 奈良県桜井市にある古墳や神社を巡るシリーズは今回で一旦完結します。最終回はホケノ山古墳から歩いてすぐのところに鎮座する『國津神社』をご紹介します。 鳥居横に『村社 國津神社』と社標が立てられています。 この國津神社は檜原神社や九日神社とも関連が深いことで知られています。 國津神社のご祭神は 正哉吾勝速日天忍穂耳尊(まさか あかつ かちはやひ あめのおしほのみみのみこと) 天穂日命(あめのほひのみこと) 天津彦根命(あまつひこねのみこと) 活津彦根命

                                                    【奈良県桜井市箸中】三輪山と箸墓古墳に囲まれた『國津神社』天照大神の5子孫神が祀られています : 勝手に堺市広報大使
                                                  • 「聖林寺十一面観音~三輪山信仰のみほとけ」展 @東京国立博物館・上野 - 墳丘からの眺め

                                                    イサム・ノグチ展を見た後は、東博の聖林寺展へ。 垂れ幕には「日本彫刻の最高傑作」とありました。 本館1階の特別室での開催で、前売り日時指定券は一般1400円。 チケット/特別展「国宝 聖林寺十一面観音 ― 三輪山信仰のみほとけ」:東京国立博物館・奈良国立博物館 入口脇の(おそらく)等身大パネル。 会場中央のガラスケースの中、少し高い位置におられて、ぐるり360度から拝観することができました。 聖林寺の観音堂では正面からのガラス越しでしか拝観できないので、横や後ろからの姿を拝めるのはこの機会しかありません。 上半身がかなり引き締まった美しいプロポーション。指先や衣文の繊細な表現も見事です。 境内のご案内 - 聖林寺(公式ホームページ) 学生時代に現地で拝観したことがありましたが、そのときより細くなった印象を持ちました。見る側の気持ちによって印象が変わるという当然のことをあらためて感じたりしま

                                                      「聖林寺十一面観音~三輪山信仰のみほとけ」展 @東京国立博物館・上野 - 墳丘からの眺め
                                                    • 奈良三輪山の桜@大和三山近辺1日ウロウロしてきました! - 老犬ミニチュアダックスと虚弱な私の日々

                                                      こんばんは! 私は東京23区に普段は住んでいますが。 実家は奈良です。 で。 只今、奈良に帰省しています。 私だけ! 夫氏は、同居のお義母さんと東京にいます。 義母は心臓病があり、たまに発作的なのが出たり。 歳なりに弱ってますから。 ひとりにするのは不安なので。 最近は、ソロ帰省です。 新幹線で。 www(⁠≧⁠▽⁠≦⁠) 昨日(3月30日)に到着し。 今日は家族と橿原考古学研究所付属博物館へ。 とにかく凄かったんですか、それはまた後日。 三輪さんにも行きましたし。 奥宮狭井神社にも行きましたし。 その近くの久延彦神社にも行きました。 そこの桜がキレイで感動♪ 様々な品種?の桜が咲いてました。 枝垂れ桜とでも言うのか、枝が垂れている桜もたくさんありました。 本当に絶景ポイント! 大和三山も見える\(^o^)/ 箸墓古墳や黒塚古墳にも行きました! これは黒塚古墳の展示館での復元実物大かな?そ

                                                        奈良三輪山の桜@大和三山近辺1日ウロウロしてきました! - 老犬ミニチュアダックスと虚弱な私の日々
                                                      • Gijyou on Twitter: "やっぱり弥生時代にも「神殿」があるんだから、神社の起源で良いんじゃないか、と主張する人が多い。「弥生神殿論」の提唱者である広瀬和雄の罪は重い。 しかし、例えば三輪山祭祀の始まりは5世紀代だし、伊勢神宮の神域から出土する祭祀遺物もせ… https://t.co/HyAUwfKHuu"

                                                        やっぱり弥生時代にも「神殿」があるんだから、神社の起源で良いんじゃないか、と主張する人が多い。「弥生神殿論」の提唱者である広瀬和雄の罪は重い。 しかし、例えば三輪山祭祀の始まりは5世紀代だし、伊勢神宮の神域から出土する祭祀遺物もせ… https://t.co/HyAUwfKHuu

                                                          Gijyou on Twitter: "やっぱり弥生時代にも「神殿」があるんだから、神社の起源で良いんじゃないか、と主張する人が多い。「弥生神殿論」の提唱者である広瀬和雄の罪は重い。 しかし、例えば三輪山祭祀の始まりは5世紀代だし、伊勢神宮の神域から出土する祭祀遺物もせ… https://t.co/HyAUwfKHuu"
                                                        • 奈良市内最古の神社『率川神社』境内には三輪山遥拝所も : 勝手に堺市広報大使

                                                          昨年末奈良市に行ってきたのですが、JR奈良市から猿沢池・興福寺方面に向かって歩いていく道中にいくつか神社に参拝したのでご紹介します。 三条通りとクロスするやすらぎの道沿いに、率川(いさがわ)神社は鎮座しています。 率川神社は奈良県最古の神社で、推古天皇元年(593年)に創建されたようです。 ・ご祭神は 中本殿:媛蹈韛五十鈴姫命 (子神) 左本殿:玉櫛姫命 (母神) と間に子神を挟むように祀られています。 本殿は春日造で、奈良県有形文化財に指定されているそうです。 境内ではお正月を迎える準備が着々と進められていました。 率川神社は子守明神とも呼ばれているようで、育児・安産のほか息災延命にご利益があるそうです。 毎年6月17日にゆりまつりが開催されているとのことです。笹百合の葉で酒樽を飾る風習があるようです。絵馬にお祭りの様子が描かれていました。 境内には他に摂社:率川阿波神社(えびすさん)、

                                                            奈良市内最古の神社『率川神社』境内には三輪山遥拝所も : 勝手に堺市広報大使
                                                          • 三島由紀夫と『奔馬』の舞台を巡る旅:三輪山登拝の記録 - nyoraikunのブログ

                                                            昨秋、私は会社から4日間の休みを得て奈良県の三輪山に登拝しました。三島由紀夫の文学を愛する私は、彼の作品に登場する場所を巡る旅を続けています。特に『豊饒の海』全4巻のうち、第2巻『奔馬』に描かれた三輪山の場面が心に残っており、その神秘的な場所を実際に体験したいと考えました。この旅の記録は、過去に書いた記事をリメイクしたものです。 狭井神社からの登山 狭井神社の社務所で手続きを終え、頂上の奥津磐座までの登山を始めました。登山道は整備されておらず、原生林の中を進む道は足元が不安定で、歩きにくい部分が多くあります。鬱蒼とした木々に囲まれ、木漏れ日の少ない薄暗い道を歩く中、普段は鮮魚部で働く私も息切れがし、肺が苦しくなりました。しかし、狭い道で立ち止まるのは迷惑になるため、何とか頂上を目指しました。 登山中、裸足で歩く多くの女性と出会いました。最初は不幸な人々の神頼みかと考えましたが、行き交う多く

                                                              三島由紀夫と『奔馬』の舞台を巡る旅:三輪山登拝の記録 - nyoraikunのブログ
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