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【始まりの元伊勢・倭笠縫邑】三輪山のふもとから二上山を臨む【檜原神社】 - ものづくりとことだまの国
檜原神社 奈良盆地を見下ろす西向きの鳥居、境内 同床共殿(どうしょうきょうでん) 初期のころの、天皇... 檜原神社 奈良盆地を見下ろす西向きの鳥居、境内 同床共殿(どうしょうきょうでん) 初期のころの、天皇家(ヒメ・ヒコ)は皇祖としての天照大御神(あまてらすおおみかみ)を宮中(皇居)でお祀りしていた。 そのような、神様と「同じところで寝て、ともに住まう」スタイルを『同床共殿』といった。 第十代・崇神天皇の御代(210年ごろ~)、日本書記には以下の記述がある。 ● 三年、磯城(しき)の瑞籬宮(みずかきのみや)に都をうつし、(磯城=三輪山の西の麓?) ● 五年、疫病が流り、大半の人が死亡した ● 六年、世が乱れ、これを天皇の徳(祭祀)をもっても治まらず、天照大御神(以下、アマテラス)と倭大国魂神(やまとのおおくにたまのかみ)の二神を宮中の外に出すことにした 倭笠縫邑(やまとかさぬいむら) アマテラスは、崇神天皇の皇女・豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと、初代の斎王)に託され、宮中を離れ、はじめに
2020/04/01 リンク