並び順

ブックマーク数

期間指定

  • から
  • まで

1 - 6 件 / 6件

新着順 人気順

二俣事件の検索結果1 - 6 件 / 6件

  • 「二俣事件の真実 死んでも残るアホーだからだ」を『実録 この殺人はすごい!』に書きました : 少年犯罪データベースドア

    2008年12月17日02:33 「二俣事件の真実 死んでも残るアホーだからだ」を『実録 この殺人はすごい!』に書きました ※2016年追記 <浜松事件>と<二俣事件>、そして山崎兵八刑事の生き様を描く本を、『道徳感情はなぜ人を誤らせるのか 冤罪、虐殺、正しい心』というタイトルで出版しました。 詳しくはこちらの記事をご覧ください。 −−−−− 今日発売の『実録 この殺人はすごい!』(洋泉社MOOK 別冊映画秘宝)という雑誌で、「二俣事件の真実 死んでも残るアホーだからだ」という記事を書きました。 二俣事件と云っても最近では知る人も少なくなり、また知っているつもりの方も古い時代の拷問冤罪事件だという程度の認識しかないのではないかと思います。 この事件も含めた終戦直後の冤罪に関する本は過去数多く出されておりますが、左翼的書き手が国家による権力犯罪を断罪するというスタンスのものがほとんどで、左翼

      「二俣事件の真実 死んでも残るアホーだからだ」を『実録 この殺人はすごい!』に書きました : 少年犯罪データベースドア
    • 二俣事件 - Wikipedia

      二俣事件(ふたまたじけん)とは、1950年(昭和25年)1月6日に当時の静岡県磐田郡二俣町(現在の浜松市天竜区二俣町)で一家4人が殺害された事件である。強盗殺人罪で逮捕・起訴された被告人の少年(事件当時18歳)が第一審(静岡地裁)・控訴審(東京高裁)とも死刑判決を受けたが、最高裁が審理を破棄差戻し、後に静岡地裁・東京高裁とも被告人に無罪判決を言い渡し、無罪が確定した。 同じ静岡県内で起きた袴田事件と並ぶ冤罪事件の一つとして知られる。この事件では、当時静岡県警察の警部補であり、多くの冤罪を作った紅林麻雄による拷問での尋問と自白強要、これに基づく供述調書作成などが、同僚警官の告発書により明らかとなった。 1950年1月6日、当時の静岡県磐田郡二俣町(現在の浜松市天竜区二俣町)で、就寝中の父親(当時46歳)、母親(当時33歳)、長女(当時2歳)、次女(当時生後11か月)の4人が殺害された。父親と

      • 『アンビリーバボー「二俣事件」について』

        不満足なソクラテス男爵の徒然なる日記 ニュース、政治・経済、勉強、読んだ本、観た映画等のトピックについて適当に綴るブログです。 ブログ主は、シーランド公国男爵・都内大学院修了・IQ 169で複数の高IQ団体会員(ISI-Society&元MENSA)・英検1級合格の東京23区在住&外資系コンサル勤務のアラサー。 「奇跡体験!アンビリバボー」をみていたら、二俣事件についてやってました。二俣事件は、1950年静岡県磐田郡二俣町(当時)で起きた冤罪事件です。4人が殺害された事件なのですが、当時敏腕刑事と呼ばれていた紅林麻雄警部補によって、すぐに犯人Aが逮捕され、犯人が自白しました。その後、裁判で死刑が確定し一件落着かと思われました。しかし、最高裁によって判決が破棄され、7年後に無罪が確定したのです。 と、ここまでは普通の冤罪事件の話なのですが、この話で興味深いのが山崎兵八刑事の存在。アンビリバボ

          『アンビリーバボー「二俣事件」について』
        • 二俣事件の真犯人について : 少年犯罪データベースドア

          2012年01月19日22:19 二俣事件の真犯人について ※2022年追記 二俣事件と浜松事件についての記事は大幅に加筆して、『冤罪と人類 道徳感情はなぜ人を誤らせるのか』(ハヤカワ・ノンフィクション文庫)として刊行しましたので、ご興味のある方は参照していただければ。 なお、『蚕の王』に記されている「真犯人」は状況から犯人とは思えず、100%の確証もなく、誰か判る形でこのような記述をするのは、まことに怪しからんことだと当方は考えております。 今日放送された「奇跡体験!アンビリバボー」の山崎兵八氏の話は、私が3年前に『実録 この殺人はすごい!』(洋泉社MOOK 別冊映画秘宝)に書いた「二俣事件の真実 死んでも残るアホーだからだ」という記事を参考にして、番組スタッフが独自に取材したもので、私はまったく関与していないのですが、一点だけどうしても見過ごせない部分があったので指摘しておきます。 山

            二俣事件の真犯人について : 少年犯罪データベースドア
          • ストーリー:二俣事件 66年後の巡り合い(その2止) 冤罪 終わらぬ苦しみ | 毎日新聞

            「明日は満雄さんの8回目の命日。報告します」と言って手を合わせる須藤春子さん(右)と、職を賭して「拷問捜査」を告発した山崎兵八元巡査の長女澄子さん=浜松市天竜区で10月10日 ◆二俣事件「警察官告発」の果てに 拷問のアザ 心の傷 チェーンソーの音が山間の集落に響く。浜松市天竜区春野町。かつて二俣警察署巡査だった山崎兵八さん(2001年8月、87歳で死去)の墓地。山鳥の鳴き声はカケスだろうか。 兵八さんの長女澄子さん(77)は、静岡県内に暮らす須藤春子さん(79)が携えてきた新聞を食い入るように読んでいた。1958年8月16日付の東京中日新聞。夫婦と娘2人の4人が殺害された「二俣事件」で、被告とされた男性の無罪が同年1月に確定するなか、「妄想性痴呆症」と決めつけられた兵八さんが名誉回復を訴えている、という内容だ。写真説明の「“オレは常人だ”と訴える山崎元刑事」に記事の趣旨が言い尽くされている

              ストーリー:二俣事件 66年後の巡り合い(その2止) 冤罪 終わらぬ苦しみ | 毎日新聞
            • ストーリー:二俣事件 66年後の巡り合い(その1) 黄ばんだ新聞の縁 | 毎日新聞

              里山の秋は早かった。浜松市天竜区春野町。イチョウの木に抱かれるように静岡県の元二俣署刑事、山崎兵八(ひょうはち)さんの墓はあった。「父は死んで、やっと故郷に戻りました」。長女の澄子さん(77)が言うと、傍らの須藤春子さん(79)の表情に悲しげな色が差した。 この日が初対面の2人を結びつけるのは、二俣町(現浜松市天竜区二俣町)で起きた強盗殺人事件。1950(昭和25)年1月7日、一家4人が殺害されているのが見つかった。容疑者として逮捕されたのが、後に春子さんの夫となる須藤満雄さんだった。当時18歳。二俣事件である。法廷では無実を訴え続けた。 「拷問でウソの自白をさせられた。アリバイがあり犯人ではない」。内部告発したのが、事件捜査に当たった兵八さんだ。だが同年暮れ、静岡地裁が満雄さんに死刑判決を言い渡した日、兵八さんは偽証容疑で逮捕され、警察を追われた。

                ストーリー:二俣事件 66年後の巡り合い(その1) 黄ばんだ新聞の縁 | 毎日新聞
              1