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人>写真家に関するエントリは14件あります。 写真photo歴史 などが関連タグです。 人気エントリには 『好景気に沸いた70~80年代日本の夜、カナダ人写真家が撮影』などがあります。
  • 好景気に沸いた70~80年代日本の夜、カナダ人写真家が撮影

    カナダの著名な写真家グレッグ・ジラード氏は1976年4月に東京に降り立った。東京にはほんの数日だけ滞在するつもりだった。当時、20代前半の「貧乏旅行者」だったジラード氏は、滞在コストの安い東南アジアの目的地に向かっていた。 ジラード氏は羽田空港で荷物を預け、泊まる場所もなく、東京での初日はカメラを片手に活気のある新宿の街を歩き回った。 「当時、西側諸国でこの近代都市(東京)をテレビなどで目にする機会は皆無だったため、見るもの全てに驚いた」 ジラード氏はビデオインタビューでそう振り返った。 西欧諸国の一般の人々がアジアの主要都市を知るきっかけとなったのはSF映画「ブレードランナー」や90年代のポップカルチャーだったが、ジラード氏が東京を訪れたのはそれよりもはるか前だったという。 「結局、東京に到着したまさにその日に、ここに滞在しようと決めた」(ジラード氏) ジラード氏の気まぐれで始まった東京

      好景気に沸いた70~80年代日本の夜、カナダ人写真家が撮影
    • 労働時間は週60時間超 日本のサラリーマンの現実を切り取るポーランド人写真家

      日本では週60時間の勤務は当たり前。勤勉を重んじる文化は今に始まったことではないが、特に顕著になったのは第二次世界大戦後だ。当時の吉田茂首相は、経済復興のため、企業の長時間労働を推奨した。それから数十年後経った今も、激務や禁欲主義を良しとする風潮は、根強く残っている。 日本の平均的なサラリーマンの労働観は、危険なほど不健全だ。過労による心不全の発症率、自殺率はいずれも非常に高く、政府は、休暇を取りやすくするための試みを何度も行なってきた。 過労が日本の労働者に与える影響を探るのに、念入りな調査は必要ない。写真家のパヴェウ・ヤシュチュク(Pawel Jaszczuk)によると、勤務時間後に街を歩きさえすればいいという。ポーランド出身のパヴェウは、東京で数年間生活するなかで、路上で眠る疲れ果てたサラリーマンを撮り続けてきた。そんな彼に、作品に込められたテーマ、被写体を搾取しているともいえる撮影

        労働時間は週60時間超 日本のサラリーマンの現実を切り取るポーランド人写真家
      • 【インタビュー】ポーランド人写真家が切り撮る日本のサラリーマンの現実

        m.m.d. 瀬戸焼ブランド「m.m.d.」と一緒に、付加価値のあるものづくりをしたい企業様、ク... 詳細を見る

          【インタビュー】ポーランド人写真家が切り撮る日本のサラリーマンの現実
        • ロシア人写真家、チェコでウクライナ難民受け入れ

          チェコ人女性から支援物資を受け取るロシア人写真家パベル・オスキンさん(右)。自身が開設したチェコ・プラハの難民センターにて(2022年4月29日撮影)。(c)Michal Cizek / AFP 【5月9日 AFP】ロシア人写真家パベル・オスキン(Pavel Oskin)さん(48)は、ウラジーミル・プーチン(Vladimir Putin)大統領と闘っている──自分にできる方法で。チェコ在住のオスキンさんは首都プラハでウクライナ難民を受け入れ、職探しを支援している。 オスキンさんは、友人の手を借り、解体予定だった元ベトナム料理店を難民センターに改装した。ぼろぼろのスーパーマーケットとカジノの間に立つ建物には現在、16人が暮らしている。あと数十人は受け入れ可能だ。 オスキンさんのスタジオにも15人と猫2匹、犬1匹が住んでいる。 タトゥーを入れ、ハーレーダビッドソン(Harley-Davids

            ロシア人写真家、チェコでウクライナ難民受け入れ
          • 写真特集:カナダ人写真家が捉えた70~80年代の日本

            カナダの著名な写真家グレッグ・ジラード氏の新刊写真集「JAL 76 88」から、1970年代後半~80年代の日本を捉えた写真を見る

              写真特集:カナダ人写真家が捉えた70~80年代の日本
            • 1970年代後半の東京の日常を2010年代末に写真集にしたカナダ人写真家 | 独占インタビュー「当時の日本は世界のことをよく知っていた」

              1970年代後半の東京に降り立った若きカナダ人写真家のファインダーをとおして切り取られた東京、そして横須賀の日常が鮮やかによみがえった。写真集『Tokyo-Yokosuka 1976-1983』を2019年6月に出版したグレッグ・ジラードに、2010年代後半の東京でインタビューした──。 1970年代の東京 ──1970年代後半〜80年代前半と現在とで、日本のなにが変わったと感じますか。 70年代後半、私が住んでいた当時の日本は、世界のことをそうとう知っていたと思います──ロンドン、ニューヨーク、パリでなにが起きているかなど。私の見ていた限りでは、テレビではなくて、とくに雑誌を読むと、文化的な視点が最も研ぎ澄まされている感覚がありました。 おもしろかったのは、東京に住んで日本の雑誌を読んでいるほうが、それらの都市に実際にいるよりも近くに感じられたことです。情報がリアルでシャープな視点や興味

                1970年代後半の東京の日常を2010年代末に写真集にしたカナダ人写真家 | 独占インタビュー「当時の日本は世界のことをよく知っていた」
              • 初期のビートルズ支えたドイツ人写真家が死去 髪型などスタイルに影響 - BBCニュース

                無名時代のビートルズの白黒写真をドイツで撮り、髪型から服装までそのスタイルに大きな影響を与えたドイツ人写真家、アストリッド・キルヒャーさんが13日、亡くなった。81歳だった。ビートルズ歴史家マーク・ルイソンさんが15日、ツイッターで報告した。 ビートルズはドイツ・ハンブルクのナイトクラブで活動していた1960年、キルヒャーさんなど地元の若者たちと知り合い、キルヒャーさんがバンドの白黒写真を多数撮影した。バンドのビジュアル・イメージに大きく貢献したとされている。 ルイソンさんはツイッターで、「ダンケシェーン(どうもありがとう)、アストリッド・キルヒャー。知的で、周りを奮い立たせてくれる人。革新的で、大胆で、芸術的で、世の中の動きをよく知り、洞察力があり、美しく、賢く、愛情深く、大勢を元気にしてくれる親友だった。ビートルズに与えた影響は計り知れない。82歳になる数日前の水曜日、ハンブルクで亡く

                  初期のビートルズ支えたドイツ人写真家が死去 髪型などスタイルに影響 - BBCニュース
                • 外国人写真家「動物の目がどれほどユニークか超近距離で撮影してみた!」 : 海外の万国反応記@海外の反応

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                  • シリア人写真家が仏パリのデモで負傷、よみがえる内戦の記憶

                    仏パリ市内で抗議デモで負傷したアミール・ハルビ氏(2020年11月29日撮影)。(c)Sameer Al-DOUMY / AFP 【11月30日 AFP】仏パリで29日、警察の暴力に対する抗議デモで、複数の受賞歴を持つシリア人報道写真家、アミール・ハルビ(Ameer al-Halbi)氏(24)が負傷した。ハルビ氏は、「激しいショック」を受け、母国での内戦の記憶がよみがえったと語った。 ハルビ氏はフリーランスの写真家として、AFPと契約。故郷のシリア・アレッポ(Aleppo)での内戦の様子を伝え、複数の国際的な賞を受賞した。 ハルビ氏は28日に行われたデモのさなかに頭を負傷したが、デモで数時間身動きが取れず、病院に行くことができなかったと明らかにした。 その状況についてハルビ氏は、「シリアの光景が頭の中によみがえった」と述べた。「15歳の時、手を2発撃たれて負傷し、アレッポでのデモで身動き

                      シリア人写真家が仏パリのデモで負傷、よみがえる内戦の記憶
                    • 米国人写真家NYタイムズに盛岡と山口を推した訳

                      理由は2つある。一つは、筆者がかつて心を打たれた街を、もう一度味わいたくなったから。 そしてもう一つは、作家・写真家のクレイグ・モド(Craig Mod)さんにインタビューさせてもらったからだ。ニューヨークタイムズ紙に「盛岡」を強く推薦し、同紙の「2023年に行くべき52カ所」で、その2番目に盛岡を抜擢させた張本人。 インタビューでモドさんが語った盛岡の姿が頭から離れず、バスに乗ったのだ。 「ちゃんと国が国民を守ろうとしている国」 早稲田大学への留学をきっかけに、23年日本に住み続けるモドさん。各媒体に寄稿して多数の著書を発表し、これまでMediumやスマートニュースなどのアドバイザーや、イエール大学(米国)の講師を務めるなど国内外で活躍する。

                        米国人写真家NYタイムズに盛岡と山口を推した訳
                      • 英国人写真家、阿蘇山で手痛いミス

                        もうもうと噴煙を上げているのは、熊本県にそびえる日本最大級の活火山、阿蘇山。1923(大正12)年10月号に掲載された一枚だ。 今も活発な火山活動が続く阿蘇山だが、その外輪山に囲まれた巨大な盆地「阿蘇カルデラ」をつくった約27万~ 9万年前の火山活動は、想像をはるかに超える規模だった。特に9万年前には、火砕流が海を越えて島原半島や山口県にまで達し、火山灰は北海道東部でも10センチ以上降り積もって、日本列島をほぼ覆い尽くしたという。 20世紀初めに阿蘇を撮影して歩いた英国人写真家ハーバート・G・ポンティングにも、巨大火山はひそかに被害をもたらした。ポンティングは2種類の感光板を使っていたが、そのうち「アイソクロマチック(整色性)」と呼ばれる感光板が火山ガスにさらされ、「二度とめぐり逢えないようなすばらしい被写体」を記録した写真が、しみだらけになっていたのだ。 ポンティングはこの失敗を著書『英

                          英国人写真家、阿蘇山で手痛いミス
                        • 駅で酔い潰れる日本のサラリーマン、外国人写真家によって芸術に昇華 : 海外の万国反応記@海外の反応

                          撮影の背景は凄くシンプルで自分も酔っ払ってたんだ 渋谷でのパーティーの後、終電で家に帰り、駅の外のフェンスで立ちションしてたら この美しい光景を目にしてカメラを取り出しこの写真を撮った 2018年の東京・東松原で撮影したものだけど今でも一番のお気に入りの写真だ

                            駅で酔い潰れる日本のサラリーマン、外国人写真家によって芸術に昇華 : 海外の万国反応記@海外の反応
                          • 若きカナダ人写真家が撮影─40年前の東京・横須賀の日常が鮮やかによみがえる | 若きカナダ人写真家の撮った『Tokyo-Yokosuka 1976-1983』

                            1970年代後半から80年代前半の東京・横須賀の日常を、若きカナダ人写真家グレッグ・ジラードが切り取って集めた写真集『Tokyo-Yokosuka 1976-1983』が、2019年6月に出版された。 約40年前の東京・横須賀を知る人には懐かしく、知らない人には新鮮な写真のなかからその一部をご覧いただこう。

                              若きカナダ人写真家が撮影─40年前の東京・横須賀の日常が鮮やかによみがえる | 若きカナダ人写真家の撮った『Tokyo-Yokosuka 1976-1983』
                            • デペッシュ・モード/エコー&ザ・バニーメン/イギー・ポップ等のアルバムカヴァー撮影 英国人写真家ブライアン・グリフィン死去 - amass

                              デペッシュ・モード/エコー&ザ・バニーメン/イギー・ポップ等のアルバムカヴァー撮影 英国人写真家ブライアン・グリフィン死去 デペッシュ・モード(Depeche Mode)の1st~5thをはじめ、エコー&ザ・バニーメン(Echo and the Bunnymen)、イギー・ポップ(Iggy Pop)、ジョー・ジャクソン(Joe Jackson)、スーシー&ザ・バンシーズ(Siouxsie and the Banshees)などのアルバム・カヴァーを手がけ、またザ・ジャム(The Jam)やエルヴィス・コステロ(Elvis Costello)の象徴的な写真を撮影した、著名な英国人写真家のブライアン・グリフィン(Brian Griffin)が死去。Clash Magazineによると、1月29日に眠るように息を引き取ったという。75歳でした。 バーミンガムで生まれたブライアン・グリフィンは多く

                                デペッシュ・モード/エコー&ザ・バニーメン/イギー・ポップ等のアルバムカヴァー撮影 英国人写真家ブライアン・グリフィン死去 - amass
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