並び順

ブックマーク数

期間指定

  • から
  • まで

1 - 10 件 / 10件

新着順 人気順

今村昌平 女衒の検索結果1 - 10 件 / 10件

  • 第1回講義録! 東大で注目の講義「ボーカロイド音楽論」全文掲載 - 東大新聞オンライン

    2016年のSセメスターに「ボーカロイド音楽論」と称したゼミが行われた。自身もボーカロイドで作曲するボカロPであり、音楽評論家でもある鮎川ぱてさんが講師を務め、人文科学の視点でボーカロイドを論じる講義という斬新さから、東大の内外から注目を集めた。 この9月から始まったAセメスターでは、主題科目として木曜5限に開講される。シラバスに掲載された「授業のキーワード」には「ぼくのかんがえたさいきょうリベラルアーツ」とある。注目の「ボーカロイド音楽論」、Sセメスターに行われた講義の第1回の様子を、書き起こしで掲載する。 (Sセメスター開講前の3月に行ったインタビューはこちら→ 初音ミクでエンタメはどう変わったのか? 東京大学初のボカロPによるゼミに迫る) ボーカロイドのなにを学ぶのか たくさんの方にお集まりいただけて嬉しいです。「ボーカロイド音楽論」、講師を務めさせていただきます鮎川ぱてと申します。

      第1回講義録! 東大で注目の講義「ボーカロイド音楽論」全文掲載 - 東大新聞オンライン
    • 「ノーマルとかアブノーマルとかいう言葉が大嫌いでした」。今から約30年前、性のタブーに挑んだ理由(水上賢治) - エキスパート - Yahoo!ニュース

      都会の片隅で生きている兄と妹。兄を深く愛していた妹は、兄が記憶喪失になったとき、恋人になりすました。こうして始まった二人の関係は永遠に続くかに思えた。しかし、兄の記憶が戻ったとき……。こんな兄と妹の想いが交差する映画「三月のライオン」。 約30年の時を経て、デジタルリマスター版となって甦った同作について、矢崎仁司監督に訊くインタビューの第二回へ。 あの頃、僕は性器をめぐる冒険の三部作を作るようなことを言っていたらしい 今回は、その物語の成り立ちの話から。デビュー作『風たちの午後』を経て、次に向けて矢崎監督はこんなことを考えていたという。 「『風たちの午後』で主演を務めてくれた綾せつこさんが、『スティルライフオブメモリーズ』(2018年)を観てくれたあとに、僕に言ったんです。『おめでとう、あの時、矢崎さんがやろうとしていたことがやっと完結できたね』と。 僕はすっかり忘れていたんですけど、 当

        「ノーマルとかアブノーマルとかいう言葉が大嫌いでした」。今から約30年前、性のタブーに挑んだ理由(水上賢治) - エキスパート - Yahoo!ニュース
      • 今村昌平 - Wikipedia

        今村 昌平(いまむら しょうへい、1926年〈大正15年〉9月15日 - 2006年〈平成18年〉5月30日)は、日本の映画監督、脚本家、映画プロデューサー、日本映画学校(現:日本映画大学)の創設者。同姓同名の別人で映画関係者(小道具関連)がいる。日本映画監督協会会員。 人物[編集] カンヌ国際映画祭で2度の最高賞を受賞した日本を代表する映画監督の一人。松竹、日活を経て、独立プロダクションの株式会社今村プロダクションの代表取締役を務めていた。映画監督の長谷川和彦は正社員として所属した[1]。 性格的には家父長志向が強く、そのことは一面では教育者としての顔も持ち合わせ、長谷川和彦を育て、映画人を育成する横浜映画専門学院を創立、後に日本映画学校となり、日本映画大学の母体となった。撮影所システムが1970年代に崩壊して、映画会社が人材育成をやめて以降の人材供給の役割を果たしていくことになった[2

          今村昌平 - Wikipedia
        • 殿山泰司 - Wikipedia

          殿山 泰司(とのやま たいじ、1915年(大正4年)10月17日 - 1989年(平成元年)4月30日)は、日本の俳優、エッセイスト。 兵庫県神戸市出身。中央区立泰明小学校、東京府立第三商業学校中退。終戦後の日本映画界において独特の風貌で名脇役として活躍した。ジャズとミステリーをこよなく愛し[1]、趣味を綴った著書も多数残している。また、波乱万丈なその人生は、映画化もされている。 来歴[編集] 生い立ち[編集] 神戸の生糸商の長男として生まれる。幼名は殿山泰爾(たいじ)である。父親は広島県生口島出身[2][3]。6歳の頃に父親の事業が破綻して両親は別居。父とその愛人(泰司の義母となる)について上京し、東京都中央区銀座で少年時代を過ごす。このとき父と義母が出したおでん屋が、銀座五丁目から移転し今も日本橋で営業をつづける「お多幸本店」である。屋号は義母の名前からとられている。 繁盛店の跡取り息

            殿山泰司 - Wikipedia
          • 村岡伊平治 - Wikipedia

            村岡 伊平治(むらおか いへいじ、1867年11月5日(慶応3年10月10日) - 1943年(昭和18年)頃)は、明治から昭和初期にかけて南方(シンガポール、マニラ等)で女衒(人身売買業者)や女郎屋経営、開拓事業などをしていたとされる日本人[1]。代表的な女衒と考えられているが、『自伝』以外にほとんど史料がなく、実像は明らかではない。 生涯[編集] (この節はほぼ『自伝』による。)村岡清平、マサの長男として肥前国南高来郡南串山村(現・長崎県雲仙市南串山町)に生まれた。姉と弟2人の4人兄弟。父は島原生まれの士族だったが、明治になって魚の荷役問屋を営み、1877年(明治10年)地租改正問題で奔走中に客死した。以後、家族は極貧を極め、伊平治は酒や野菜の行商で家計を支えた。1884年、南串山村の村会が発足することになり、その最初の村会議員の1人に選ばれる。のち一家は長崎県西彼杵郡戸町村に転居。

            • 異色作を連発する天願大介監督が語る疑似共同体”デンデラ”とは何か?

              ”うばすて山”伝説を題材にした今村昌平監督の『楢山節考』(83)はカンヌ映画祭でパルムドール(最高賞)を受賞した日本映画史に残る記念碑的作品だ。だが、もし山奥に棄てられた高齢者たちがその後も生きていたら? 女性だけのコミュニティーを築いていたら? そして自分たちを棄てた村への復讐を考えていたら? 天願大介監督の新作『デンデラ』は、そんな奇抜な物語が展開される高齢者サバイバル活劇なのだ。天願監督といえば、今村監督の子息であり、障害者プロレスの活動を追ったドキュメンタリー『無敵のハンディキャップ』(91)、エロスとユーモアを交えた大人のファンタジー『世界で一番美しい夜』(07)など独創的な作品を次々と発表している要注意人物。また、三池崇史監督の代表作『オーディション』(00)、『インプリント ぼっけえ、きょうてえ』(05)、『十三人の刺客』(10)の脚本家としても知られる。天願監督が描こうとし

                異色作を連発する天願大介監督が語る疑似共同体”デンデラ”とは何か?
              • 池辺晋一郎 - Wikipedia

                池辺 晋一郎(いけべ しんいちろう、1943年9月15日 - )は、日本の作曲家[1]。学位は芸術学修士(東京芸術大学・1971年)。一般社団法人全日本合唱連盟顧問、東京音楽大学名誉教授、文化功労者。本名:池邉 晋一郎(読み同じ)。 東京音楽大学音楽学部教授、東京音楽大学付属民族音楽研究所所長、横浜みなとみらいホール館長などを歴任した。 人物・来歴[編集] 生い立ち[編集] 茨城県水戸市出身[1]。幼少期は体が弱く、小学校就学が一年遅れるほどであったが読書にいそしみ、そして体調によってはピアノを弾き[2]、家にあったピアノを使って独学していた。近所にあった立花隆の家と家族ぐるみで付き合いがあり、立花も池辺も互いの家の蔵書まで読んでいた[2]。1963年、東京都立新宿高等学校卒業。1967年、東京芸術大学音楽学部作曲科卒業。1971年、同大学院修了[1]。中学・高校時代には、クラリネットを演

                  池辺晋一郎 - Wikipedia
                • 楢山節考 (1983年の映画) - Wikipedia

                  『楢山節考』(ならやまぶしこう)は、1983年製作の日本映画。深沢七郎の同名小説(厳密には『楢山節考』と『東北の神武たち』の2つを原作とする)の2度目の映画化作品。1983年のカンヌ国際映画祭にてパルム・ドールを受賞した。 概要[編集] 1958年版に続く、同名小説の二度目の映画作品。長野県北安曇郡小谷村の廃村をベースに[2][3][4]、オール・ロケで撮影が行われた[2][5]。(詳細は後述)歌舞伎の用法を取り入れている映画第一作とは異なり、よりドラマチックな展開となっている。 1983年のカンヌ国際映画祭ではパルム・ドールに出される。松竹から公開された『戦場のメリークリスマス』がパルム・ドールの有力候補と見られて大きく報道されていたのに対し、本映画に対する関心は低かったが、最終的には『楢山節考』が受賞。大きな反響を浴びた。 キャッチ・コピーは「親を捨てるか、子を捨てられるか。」 ストー

                  • 楽観的虚無日記

                    2024年4月8日現在 映画オールタイムベストテン ①ワイルドバンチ(1969年) ②恐怖の報酬(1977年) ③白鯨(1956年) ④狂熱の季節(1960年) ⑤花を喰う蟲(1967年) ⑥赤い航路(1992年) ⑦東京フィスト(1995年) ⑧野獣死すべし 復讐のメカニック(1974年) ⑨白昼の襲撃(1970年) ⑩クラッシュ(1996年) 日本映画ベストテン ①狂熱の季節(1960年) ②花を喰う蟲(1967年) ③東京フィスト(1995年) ④蜘蛛の瞳(1998年) ⑤野獣死すべし 復讐のメカニック(1974年) ⑥セックス・チェック 第二の性(1968年) ⑦狂った野獣(1976年) ⑧白昼の襲撃(1970年) ⑨共犯者(1999年) ⑩続 組織暴力(1967年) 韓国映画ベストテン ①アシュラ(2016年) ②新しき世界(2013年) ③オオカミ狩り(2022年) ④コックリ

                      楽観的虚無日記
                    • いつのまにか「悪」に加担してしまう恐ろしさ――映画『漫画誕生』に見る日本近代漫画の祖・北沢楽天の姿とは « ハーバー・ビジネス・オンライン

                      「漫画の神様」という言葉を聞いて、多くの人が思い浮かべるのは手塚治虫だろう。では、その手塚にも多大な影響を与えた、日本における「漫画の父」と呼べる人物は誰か。この質問に答えられる人は決して多くはないはずだ。 現在公開中の映画『漫画誕生』は日本で最初の職業漫画家であり、「漫画」という言葉を日本に定着させた人物・北沢楽天を描く。楽天は1876年(明治9年)に生まれ、政治風刺漫画や風俗漫画の分野で、明治~昭和期に活躍した。フランスでの個展開催や、日本で初めての漫画スタジオの設立など多くの実績を数え、一時期の収入は当時の総理大臣を超えていたとも呼ばれる。太平洋戦争の終結以前の日本においては、知名度、影響力ともに際立った存在であった。映画では楽天が漫画家という職業を確立させた青年期から、戦後すぐの老年期までが描かれる。 さて、「北沢楽天」という名前を出してみても、「ああ、そういえば!」とひざを打った

                        いつのまにか「悪」に加担してしまう恐ろしさ――映画『漫画誕生』に見る日本近代漫画の祖・北沢楽天の姿とは « ハーバー・ビジネス・オンライン
                      1