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儀礼的無関心の検索結果1 - 5 件 / 5件

  • 「おしゃべりは喫談室でどうぞ」の未来 - シロクマの屑籠

    子供が泣き出したら、隣の乗客が耳栓を... 「悲しくなった」母親の訴えに反響: J-CAST ニュース【全文表示】 【追記あり】子供の泣き声に耳栓されて心が折れた 最近、2018年にわずかに話題になったはてな匿名ダイアリーへの投稿についてのJ-CASTのニュース記事が目に飛び込んできた。2年前にも見た気がするが、当時はモヤモヤした気持ちを抱えながらも、スルーし、忘れてしまうことにした。 ところが2020年にふたたび相まみえてみると、あのとき自分が何をモヤモヤしていたのかわかる気がした。気の利いたことを書ける自信はないが、この「子供が泣き出したら、隣の乗客が耳栓をした」案件について今思うことを書いてみる。 正しいのは耳栓の乗客で、むしろ子連れの親が正しくないとしたら いまどきの習慣や通念にもとづいてジャッジするなら、正しく振る舞ったのは耳栓の乗客のほうで、それについて母親が悲しいと思うのはも

      「おしゃべりは喫談室でどうぞ」の未来 - シロクマの屑籠
    • ぜんぶ資本主義が悪い~『人新世の資本論』を読んでの所感~ - メロンダウト

      斎藤幸平さんの『人新世の資本論』を読んだ。 資本主義は限界を迎えており、格差や気候変動といった問題を資本主義による経済成長によって解決するのは、結論としてもう無理であると書かれていた。トリクルダウンのような無限の経済成長を前提とした格差の解消は失敗に終わり、資本の運動に身を任せて「成長」を続ければ世界が良くなるといったものは虚妄や神話に過ぎない。脱成長を目指し、社会のシステムを抜本的に再構築する必要があると書かれている。そのためにコモンズ(公富)によるレジリエンスが必要であると。ピケティなどの主張にも繋がる本だった。最近だとサンデル教授のメリトクラシー批判にも同様の主張が垣間見えるけれど、ようするにもはやこの世界は「公正」ではないのだとあらゆるところで書かれている。それが結論なのでしょう。いまやそれは当たり前の前提として共有されるべき話になっており、それをもとに政策を打ち出しているのがバイ

        ぜんぶ資本主義が悪い~『人新世の資本論』を読んでの所感~ - メロンダウト
      • 2022年社会福祉士国家試験 最期のあがき学習③『社会理論と社会システム』 - 食べるをいかすライオン

        こんにちは、あおさん(@aosan)です。 2022年社会福祉士国家試験を受験する最後のあがきで、19科目の覚えておくべき重要項目をまとめてシェアします。 私の備忘録であると同時に、他者にシェアする、他者に教えることで自分の学習効果を上げようという狙いです。 ですので、記事の作りはほぼ備忘録なので、超簡素になります。そこのところよろしくお願いいたします。 それでは3回目のスタートです。 社会システム 近代化 大衆化 情報化 人口の変動 世界の人口動態 日本の人口動態 地域・都市の理論 シカゴ派 シカゴ派以外 日本の農村社会学・都市社会学 地域社会の問題 社会集団の諸理論 家族 家族をめぐる学説 日本の現在家族の変容 2019年世帯構造 生活 役割・自己・コミュニケーション 社会的ジレンマ ジェンダー 環境問題 オススメ参考書はコチラ 社会システム 文化帝国主義 強国がメディアや経済活動を通

          2022年社会福祉士国家試験 最期のあがき学習③『社会理論と社会システム』 - 食べるをいかすライオン
        • 人間が人間でいられる社会|ひろと|note

          小学生の頃だったろうか。九州にある両親の実家へ帰省するときは決まって、自分が乗る列車や飛行機で隣に誰が座るのかが気になって気になって仕方なかった。自分のわずか数十センチ先に見知らぬ誰かが無言で座っているのに耐えられなかったのだ。 翻って現在。通勤途中の山手線で誰かが隣に座ったとしてもなんとも思わなくなった。隣になった者同士が何食わぬ顔で儀礼的無関心を装って11両編成の車内で同じ空気を吸っている。ほとんど誰も喋らない。行儀よく流れる車内アナウンスに従って、スマホの画面に目を落としたまま、まるで一人ひとりが機械のようになって秩序を乱すことなく列車を乗り降りしている。 こんなふうに、現代に暮らす僕たちはシステマティックに整備された都市のなかで、自らの存在を消すようにして、必要最低限のコミュニケーションしかとらない行動様式に慣れてしまっている。それ自体悪いことではないだろう。なぜなら、自らの要求を

            人間が人間でいられる社会|ひろと|note
          • 『「間合い」とは何か』日本流ソーシャル・ディスタンスの研究 - HONZ

            作者:諏訪 正樹 ,伝 康晴 ,坂井田 瑠衣 ,高梨 克也 出版社:春秋社 発売日:2020-02-21 いまや「ソーシャル・ディスタンス」という言葉を聞かない日はない。 「社会的距離」などと直訳されるけれど、ちょっと芸がないなぁと思う。 だって日本語にはもともと「間合い」という言葉があるからだ。 「間合い」とは、単純に考えれば「相手との距離」である。でもよく考えると、この言葉はけっこう深い。実際この言葉には豊かな意味合いが含まれている。 真っ先に思い浮かぶのは武術である。たとえば剣術の小野派一刀流には「切落(きりおとし)にはじまり切落に終わる」という言葉があるという。相手が斬りかかってくる始動のタイミングを見切って、同時に斬りかかる。ボクシングでいえばクロスカウンターだ。自分と相手との間境(まざかい)を、ここぞという究極のタイミングで見切って動く。ここでの間合いは、生死を分ける境界線だ。

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