「尊氏は武家政権を樹立するつもり」だった? 室町時代初期(1337~1392)は、南北朝時代と呼ばれています。この約600年間、朝廷は京都と奈良の吉野に分裂し、武力抗争を繰り広げました。 そうした抗争の背景には、足利尊氏と後醍醐天皇の対立があったとされています。以下はかつての通説です。 尊氏は、鎌倉幕府討伐に参加した後醍醐政権の功労者だった。だが後醍醐に不満を抱き、武家政権樹立を秘かに目指した。 尊氏は謀反を企てたとして後醍酬から追討軍を派遣されるも、これを撃破。上洛を果たすと、比叡山へ逃れた後醍醐に代わり、光厳上皇の復帰と光明天皇の即位を支援し、北朝を立てた。 対する後醍醐は吉野に南朝を開いたことで、二つの朝廷が立つ時代が始まった――。 しかし最近では、こうした通説には疑問が呈されています。尊氏には武家政権を樹立する気はなかったという見方が、現在は有力視されているのです。 動機なき謀反