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太宰春台の検索結果41 - 52 件 / 52件

  • 論語 - 凡例・目次・参考文献

    〔国内〕 石本道明/青木洋司『論語 朱熹の本文訳と別解』明徳出版社、2017年 井波律子『完訳 論語』岩波書店、2016年 宇野哲人『論語 上・下』(中国古典新書)明徳出版社、1967年 宇野哲人『論語新釈』(講談社学術文庫)講談社、1980年 江連隆『論語と孔子の事典』大修館書店、1996年 魚返善雄『論語新訳』學生社、1957年 荻生徂徠/小川環樹訳注『論語徴 1・2』(ワイド版東洋文庫 575・576)平凡社、2009年 貝塚茂樹『論語』(中公文庫)中央公論新社、1973年 貝塚茂樹編「論語古義」『伊藤仁斎』(日本の名著 13)中央公論社、1972年 影山輝國『『論語』と孔子の生涯』(中公叢書)中央公論新社、2016年 影山輝國・洲脇武志・齋藤建太「翻刻『論語義疏』(大槻本)―学而篇・為政篇―」、実践女子大学文芸資料研究所『年報』29号、2010年 影山輝國・玉鴿・柏原健右・下村泰三

    • 日朝関係史 - Wikipedia

      この項目では、日本と朝鮮半島の関係史について説明しています。 日本と朝鮮民主主義人民共和国との間の二国間関係については「日朝関係」をご覧ください。 日朝関係史(にっちょうかんけいし)では、日本と朝鮮半島の両地域及びそこに存在した国家間の関係の歴史について概説する。 古代[編集] 旧石器時代から弥生時代[編集] 紀元前1世紀頃の東夷諸国と楽浪郡の位置 初期の交流[編集] 旧石器時代から縄文時代にかけては、黒曜石が丸木舟によって運ばれて長距離交易の品物になった。現在の佐賀県にあたる地域から産出した黒曜石が、朝鮮半島の釜山にある東三洞貝塚からも出土している[1]。新石器時代の朝鮮半島の土器は、対馬や壱岐から発見されている。7000年前の縄文時代前期には、九州北部と朝鮮半島南部には漁撈民が移動生活をしながら海峡を往来していた。朝鮮半島の南部では縄文土器が発見されており、日本列島では対馬・壱岐、九州

        日朝関係史 - Wikipedia
      • 【安藤昌益】封建社会を批判し、ユートピア社会を提唱した学者 - 日本史はストーリーで覚える!

        こんにちは。本宮貴大です。 今回のテーマは「【安藤昌益】封建社会を批判し、ユートピア社会を提唱した学者」というお話です。 江戸時代は様々な学問が発達した時代です。その代表例は儒学とよばれるもので、 孔子の思想を朱熹という人物が解釈した幕府公認の学問・朱子学。 孔子の思想を王陽明という人物が解釈した民間を中心に普及した学問・陽明学。 さらに、孔子の思想を直接研究しようとうする学問・古学も登場しました。 古学派に属し、古文辞学の創始者である荻生徂徠は、『論語』の教えはという政治の在り方を示したものであると説き、それは、「世を経(すく)い、民を守る」という経世済民の術であり、経済の活性化こそが天下安泰の世を実現するために必要であると唱えました。 やがて、荻生徂徠の系統から太宰春台という人物が現れ、彼は著書「経済録」で経済の重要性を日本で初めて提唱。経世論者の先駆けとなるのでした。 江戸時代も中期

          【安藤昌益】封建社会を批判し、ユートピア社会を提唱した学者 - 日本史はストーリーで覚える!
        • 経世論 - Wikipedia

          経世論(經世論 / けいせいろん)は、近世(江戸時代)の日本で「経世済民」のために立案された諸論策、もしくはその背景にある思想。「経世思想」「経世済民論」とも称する。 他の東アジア諸国における同種の思想については、経世致用の学などを参照のこと。 概要[編集] 「経世」とは、「経世済民」(世を経(おさ)め民を済(すく)う / 「経済」の由来)、すなわち広義の「政治」を意味しており、したがって経世論の内容は、現代でいうところの「政治学」「政治・政策思想」「経済学」「経済思想」「社会学」「社会思想」など広範な領域を含んでいる。 このような思想が成立した背景にあるのは、幕藩体制の下で進行した領主財政の窮乏、統治機構の形骸化・腐敗、農民の疲弊、商人高利貸資本への富の集中など、さまざまな社会矛盾の顕在化である。経世論は、これらの問題にいかに対応するかという権力者への献言・献策として執筆・刊行され、多く

          • Shin Hori on Twitter: "1729年 太宰春台(儒学者)「徳川将軍こそが国王、ミカドは京都だけの山城天皇」 1882年 大庭成章(民権運動家)「神武天皇は国を盗んだ大盗賊」 2019年 矢作直樹(東大名誉教授)「日本の歴史は天皇中心」 ・・・昔の人の方が現… https://t.co/OAEGCaNEVp"

            1729年 太宰春台(儒学者)「徳川将軍こそが国王、ミカドは京都だけの山城天皇」 1882年 大庭成章(民権運動家)「神武天皇は国を盗んだ大盗賊」 2019年 矢作直樹(東大名誉教授)「日本の歴史は天皇中心」 ・・・昔の人の方が現… https://t.co/OAEGCaNEVp

              Shin Hori on Twitter: "1729年 太宰春台(儒学者)「徳川将軍こそが国王、ミカドは京都だけの山城天皇」 1882年 大庭成章(民権運動家)「神武天皇は国を盗んだ大盗賊」 2019年 矢作直樹(東大名誉教授)「日本の歴史は天皇中心」 ・・・昔の人の方が現… https://t.co/OAEGCaNEVp"
            • 宣長の「外部」――十八世紀の自他認識―

              (『思想』932号、2001年12月) 一、「ナショナリズムの預言者」 「ナショナリズムの場合には(他の運動については必ずしも同じことは言えないが)一つ、もしくは複数の観念が実際にどう形成されたか、あるいは誰が正確に何を言ったか、もしくは書いたかといった問題は、大して重要ではない。いずれにせよ、鍵を握る観念は、あまりにも単純で簡単であり、およそ誰でもが、いつでもそれを作り上げることができるということなのだ。そして、ナショナリズムは常に自然なものであるとナショナリズム自体が主張できる部分的な理由はここにある。重要なのは、他のほとんどの状況の下ではその観念が奇妙なものであると思われるのに反して、その観念が説得力があると思わせるような生活状況が存在しているかどうかなのである」(『民族とナショナリズム』)(1)。 アーネスト・ゲルナー(Ernest Gellner)は、ナショナリズムについてこの

              • 1008 夜 | 松岡正剛の千夜千冊

                こういう本をゆくりなく紹介できるときが、ぼくの感懐がいちばんの深甚になるときである。 吉川幸次郎ならたとえば唐詩選だろうと思う読者に、いえいえそうではなくて、長らく中国思想や中国表現文化の根本を祖述してきた著者が、仁斎・徂徠の中国思想の祖述者とそれへの反発者である宣長の視座を三方に睨んで、みずからの思索の来し方をふりかえり、その目のままに行く末を凝視しようというのが、淡々と味わい深いのだ。 これを読んだのはもう二十年近く前になるが、数年に一度しか味わえない京風汁椀の絶品をいただいた気分だった。こういうダシの味は吉川幸次郎ほどに彼の地の歴史文化や哲学文化に熟達した人でなければ、とうてい醸し出せるものでない。 はじめに、著者のおおまかな見方を紹介しておく。 仁斎・徂徠・宣長の思想は中国思想からはなかなか生まれにくかったもので、それゆえこの三者の比類のない独自性を、今日の中国思想家と日本思想家の

                  1008 夜 | 松岡正剛の千夜千冊
                • 朱引を知る歌 - Cask Strength

                  漢籍等に書き入れられる朱引(しゅびき)の手法を案内する歌としては太宰春台『倭読要領』(下巻)等に紹介されている「右所中ハ人ノ名左官中二ハ書ノ名左二ハ年号」(右の一本線は地名、中の一本線は人名、左の一本線は官職名、中の二本線は書名、左の二本線は年号)が有名ですが、『塩尻』に収められた朱引の歌は四首仕立てで、圏点や国号、篇名についての説明もなされているものでした。 星々ノ右リニアルハ字眼ナリ、左リノ星ハイラヌコトナリ 世ノ朱引右リ二ツト思フベシ、中ノカキヲバ篇トシルベシ 右所中ハ人名、左リヲバ官ノ朱引トカネテシルベシ 二ツ引中ノ朱引ハ物ノ本、左リ二ツハ年号ゾカシ (『塩尻』巻89) 篇名のところで言っている「中ノカキ」(カギのことかと最初思いましたが違うのかな)というのは以下のような長四角のことでしょうか。 (書誌学展目録126頁)

                  • 【高校日本史】元禄文化(寛永期~元禄期)の文化のまとめ

                    【高校日本史】元禄文化(寛永期~元禄期)の文化のまとめです。儒学の興隆があり、諸学問も発達した時期です。さまざまな人物作品が登場するので、確実の覚えていきましょう。それでは、【高校日本史】元禄文化(寛永期~元禄期)の文化のまとめです。 谷時中の門人で南学を継承した山崎闇斎は、神道を儒教的に解釈した垂加神道を説いた。知行合一を解く陽明学は、近江の中江藤樹が広めた。その門人の熊沢蕃山は「大学或問」を著したが、幕政批判を含むことから処罰された。 古典に立ち返ろうとした古学派には、山鹿素行が始めた聖楽、伊藤仁斎が始めた堀川学派がある。古学派を継承した荻生徂徠は、「政談」を著し、経世論に道を開いた。その弟子の太宰春台は、ぶしによる商業や専売制度の採用を説く「経済録」を著した。朱子学者の新井白石は、「読史余論」を著し、独自の時代区分論を展開した。 諸学問の発達 自然科学では、本草学が発達し、貝原益軒が

                      【高校日本史】元禄文化(寛永期~元禄期)の文化のまとめ
                    • 慶應義塾大学出版会 | 慈悲と正直の公共哲学 | 桂木隆夫

                      現世に生きる、神ならぬ人びとへのまなざし 徳川家康から福澤諭吉へ。日本の公共哲学、その淵源と持続を歴史に読む ▼本書は、戦国時代の混乱を武力を以て終わらせた徳川家康の統治思想が、日本の公共哲学の原型であるという意表を突く主張から始まる。そして、家康に淵源し、以後250年に及ぶ平和と安定を支えた公共哲学を、鈴木正三、『葉隠』、太宰春台、海保青陵、そして福澤諭吉の思想に探ってゆくのである。 西欧のヒューマニズムが基づく軍事と土地所有ではなく、軍事と商業。すなわち、武士と商人の相互性と、両者のバランス感覚としてのヒューマニズム、そしてそれが育んだ自生的秩序が日本の公共性の核心にあることを、「慈悲」と「正直」を鍵語に解き明かす。現代の公共哲学に歴史からの再考を迫る、知的冒険の書である。 はじめに 第1章 日本のヒューマニズムはどこから来たか 第1節 はじめに 第2節 マキァヴェリアン・モーメントと

                        慶應義塾大学出版会 | 慈悲と正直の公共哲学 | 桂木隆夫
                      • 【荻生徂徠】朱子学を批判した学問 古文辞学 - 日本史はストーリーで覚える!

                        こんにちは。本宮貴大です。 今回のテーマは「【荻生徂徠】朱子学を批判した学問 古文辞学」というお話です。 江戸時代に発達した学問といえば、「儒学」です。鎌倉時代に仏教が日本で発展したように、江戸時代も儒学が日本で発展しました。 しかし、一口に儒学といっても日本で流行したのは大きく3系統に分けられます。 それは「朱子学派」と「陽明学派」、そして「古学派」です。 「儒学」とは中国の孔子の教えをまとめた『論語』を解釈した学問ですが、朱子学や陽明学はその弟子達が解釈した学問になります。朱子学なら朱熹という人が、陽明学なら王陽明という人が解釈した学問です。 そして日本では朱子学を林羅山が、陽明学を中江藤樹が受容し、体系化していきました。 しかし、孔子の教えを朱熹や王陽明などの弟子の解釈から間接的に学ぶのではなく、孔子の教えを直接学ぼうとする人々が現れました。これが古学派の人達になります。以下、儒学3

                          【荻生徂徠】朱子学を批判した学問 古文辞学 - 日本史はストーリーで覚える!
                        • 佚存書 - Wikipedia

                          佚存書(いつぞんしょ)とは、中国では失われたが、日本や朝鮮などに伝存していた漢籍のこと。佚存という言葉は、江戸時代後期の儒学者、林述斎が『古文孝経』など16編の佚存書をまとめた『佚存叢書』によるとされる。有名な佚存書として、『遊仙窟』や『古文孝経』などがある。 歴史[編集] 中国では歴代王朝の禁書政策や戦禍などにより、失われる書物が多かった。一方、中国の書物は早くから周辺諸国にも伝えられており、中国国内で失われても、周辺国に伝わっている書籍(佚存書)があった。 当初は佚存書の存在自体が中国人に認識されていなかった。呉越国王の銭弘俶が商人からの情報に従って日本に使者を送り(953年)、天台宗の書籍を逆輸入したのが記録に残る佚存書輸入のはじめである[1]。また、宋の張端義は「宣和年間(1119年-1125年)、高麗に奏使する者は、その国に異書甚だ富み」と記している[2]。これらのことから、中国