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山さ行がねがの検索結果401 - 440 件 / 873件

  • 【山さ行がねが】道路レポート 岩瀬秋町線 (御母衣湖右岸道路)

    2009/11/22 9:22 《現在地》 ゲートはないが、通行止めの表示がなされた所を過ぎると、荘川営林署の専用林道となる。 しかし、ここから見える範囲はこれまで同様穏やかな雑木林の道であり、乗車のまま進むことが出来る。 隧道までの残距離はおおよそ500m。 確かに2.5km手前から廃道になりはしたが、事前情報のほど荒れていたとは思われない。 正直なところ少々拍子抜けもしたのだったが、よく考えればまだまだ先は長いのである。六厩川橋を渡りきるまでは油断出来ない。 それに、ここまで来ればむしろ“別の興奮”が、ヒタヒタと張り付いてきた。 既に360度の視界から湖の姿は消え、前面は秋町半島付け根の山影に塞がれた。 まだ坑門自体は見えないが、その所在と彼我の距離は、ほぼ明らかである。 間もなく現れるだろう秋町隧道の南口については、事前調査で視覚的情報を一切得られなかった。 つまりは、初見。 10年

    • 【山さ行がねが】廃線レポート 飯田線旧線 中部天竜~大嵐

      このレポートの「最終回」は、平成21年に探索して23年に公開されているが、その中では主に2つ、時間切れのためにやり残したことがあった。 あれからさらに2年の年月が流れたが、ようやく再訪して“穴”を埋めることが出来たので、この回を公開することにした。 2013/3/4 6:17 【周辺図(マピオン)】 ここは静岡県浜松市天竜区の北部にある大嵐(おおぞれ)。愛知県と間近に接する場所だ。 私がこれまで自転車同伴で攻略した廃道の中でも有数の難度を誇る静岡県道288号の上にいる。 現在地から、この道が廃道の牙を剥き出しにする地点まで1.5kmほどしか離れていないが、ともかく今回は県道288号と戦いに来たわけではない。 県道288号が跡地利用をしている「飯田線旧線」の方と関わりが深い、2つの小探索をやりに来たのである。 この大嵐の地へ来るのは3度目(1つの探索の中の別日に来たのを除けば2度目)である

      • 【山さ行がねが】道路レポート 鳳来湖湖底の宇連旧道

        愛知県道424号振草三河川合停車場線は、大都会名古屋を擁する愛知県にあって、その貧弱さを一目を置かれる県道だ。 全長21~22kmの路線なのだが、途中に二つも自動車が通れない不通区間があり、起点の東栄町振草(ふりくさ)と終点の新城市川合を結ぶ役割は全く果たせていない。 さらに供用中の区間についても、他の県道や国道との重複区間を除けば(実は重複区間もそのほとんどが)1車線の山岳道路であり、まさしく“険道”である。 これが最近認定された路線というわけでもなく、認定は昭和47(1972)年なのだが、未だにこのような状況だ。 ここでいきなり本題とほとんど関係ない話をするが、この県道の終点は、JR飯田線の三河川合駅である。 そしてこの終点付近の道路地図の切り抜きを左に表示しているが、見れば分かるとおり、実はこの県道、ギリギリのところで国道151号とは接続していない。接続しているのは、国道151号の旧

        • 【山さ行がねが】ミニレポート第187回 三重県道715号館町通線のとある踏切道

          2014/1/29 16:52 【位置図(マピオン)】 ここは三重県伊勢市通町の県道102号伊勢二見線、汐合橋左岸袂である。 そして、ここにある信号も横断歩道も青看も無い交差点が、三重県道715号館町通線の終点である。 県道715号は、全線を通じて国道23号の東側に並行する、あまり目立たない狭隘な路線で、沿道集落の生活道路として使われている他、地元ドライバーが抜け道に使うこともあるが、今回紹介する踏切がネックとなり、誰にでもオススメ出来る道とはなっていない。 問題の踏切をこれから紹介しよう。 正確には、踏切そのものというよりも、そこで発見した“あるアイテム”こそが、本項の主役である。 無名の交差点を右折すると、まず出迎えてくれたのが2本の道路標識。 手前が「1.4mの最大幅」の規制標識で、1.4mという数字は穏やかではない。 一般に軽自動車と呼ばれている車の全幅が148cmなので、軽自動

          • 【山さ行がねが】橋梁レポート 華厳渓谷と鵲橋

            観瀑台とエレベータを結ぶ地下通路の途中にある、鉄の扉。 その裏側には、昭和25年頃に短期間だけ使われた、華厳渓谷歩道があるのだという。 だが、この旧遊歩道への侵入経路は、上下ともに堅く閉ざされている。 上流側入口の鉄扉は施錠され、地上へ這い出す隙間は微塵もない。 下流側からの侵入経路は、古河電気工業の管理道路になっており、侵入は不可能だ。 万事休すと思われたが、昭和5年に「華厳滝エレベータ」が出来る以前は、中宮祠から華厳渓谷へ歩いて下っていたという地元の証言が、親切な読者からもたらされた。 その古い観覧路を利用して鵲橋へ直接接近することが出来るのではないか。 私は、奥日光の観光について古い資料にあたってみた。 ◆華厳瀧壺道という明治の歩道があった。 『郷愁の日光』(随想舎刊)という古い絵はがき集のなかから、「華厳滝」の頁の解説文を一部引用しよう。 かつての(華厳)滝見物は容易ではなく、はる

              【山さ行がねが】橋梁レポート 華厳渓谷と鵲橋
            • 【山さ行がねが】道路レポート 神奈川県道701号 大山秦野線

              【所在地(外部リンク)】 また、オカシゲな県道に行ってきまつた。 神奈川県の一般県道701号、大山秦野(おおやま-はだの)線だ。 その異様な様子は右の地図の通り。 県の資料によれば、「起点」が伊勢原市大山の一般県道611号大山板戸線(通称:大山街道)上にあることになっているが、地図上に県道色で塗られた道が現れ始めるのは、その県道611号から400mほど山に入った地点からである。しかも点線として。(縮尺の小さな地図では、伊勢原市側の道は全く描かれていないこともある) 海抜450mの「峠」付近は林道と重なっているのか、とにかく地図上では林道が県道色で塗られている。 そして秦野市側だが、麓へ下っていく林道を尻目に、県道は忽然と消失。 …したかと思えば、またヒョロヒョロと現れては県道70号秦野清川線にぶつかって「終点」である。 山腹に突如現れたり、峠で消えたり、まるで幽霊か蜃気楼。 「おお、山肌の

                【山さ行がねが】道路レポート 神奈川県道701号 大山秦野線
              • 【山さ行がねが】道路レポート 静岡県道77号川根寸又峡線 朝日トンネル旧道

                このレポートの元となった探索は、時系列で言うと「廃線レポ46千頭森林鉄道(沢間~大間)最終回」の直後に行われた。 よって、先に前記レポをご覧頂いた方が、展開が分かり易いと思う(だから、自転車での探索だ)。 それはそうと、実はこの探索、当初の計画には無かった。 しかし、周辺の地形を直に感じているうちに妙に気になり出し、急遽“寄り道”した内容である。 →【周辺図(マピオン)】 それでは恒例通り、次に現在の地形図を見て貰おう。 今回のターゲットは図に赤く示した部分で、県道77号「川根寸又峡線」の朝日トンネルに対応する旧道である。 距離はちょうど1kmくらいであろうか。 元の地形図には全くこの部分の道は描かれていないものの、法面と路肩がそれぞれ「崖(岩)」と「崖(土)」の記号として残っているため、「消したんだな」と明らかに分かる状態になっている。 消した=廃道 と見て、ほぼ間違いないだろう。 こ

                • 【山さ行がねが】道路レポート 塩那道路工事用道路

                  私が最初に塩那道路を探索したのは、平成17(2005)年10月9日。 そのレポートを書き終えたのは、同じ年の12月8日であった。 私が工事用道路を用いて2度目の塩那道路へ足を踏み入れたのは、平成23(2011)年9月28日。 そのレポートは現在執筆の途中であるが、第一部(第7回まで)を書き終えたのは平成27(2015)年6月17日であった。 既に塩那道路と私の関わりは10年の年月を経ている。 たった2回しか訪れていないが、それは極端な訪問の難しさを現している(車で訪れられる両端の区間はこのほかにも何度か行っている)。 そして、この10年間の途中の平成25(2013)年2月27日、私が塩那道路への思いを一層深くするきっかけとなった一通のメールを受信した。 頂いたメールの内容を簡単に要約すれば、20年前に死去した父親が自衛官として塩那道路の工事にあたった。 父親からは生前、塩那道路の話を聞いて

                  • 【山さ行がねが】ミニレポート第220回 飯田線(三信鉄道) 我科駅跡

                    【周辺図(マピオン)】 飯田線の温田(ぬくた)駅と為栗(してぐり)駅の間に、かつて我科(がじな)駅があった。 開業日は昭和11(1936)年4月26日で、私鉄の三信鉄道が温田駅から満島駅(現:平岡駅)まで延伸されたその日に、為栗、遠山口(現在は廃止)の両駅と共に設置された由緒ある開業初期の駅だった。 だが、開業からわずか6年後の昭和18(1943)年8月1日に、我科駅は廃止される。 この日は、三信鉄道を含む4社の私鉄線が一斉に国有化され、豊橋~辰野を結ぶ全長195km余りの国鉄飯田線が誕生した日である。 我科駅があった場所は、豊橋起点から100.9kmの地点で、隣接する温田駅から1.3km、為栗駅から2.4kmの距離だった。 随分と駅間の狭いことに驚きを覚えるが、私鉄由来である飯田線は元よりローカル線としては駅間距離の特に短い事で知られており、全長195.7kmに94もの駅が置かれている

                    • 【山さ行がねが】廃線レポート 飯田線旧線 向皆外隧道

                      2009/1/25 7:34 “渡らずの橋”と呼ばれる「第六水窪川橋梁」には、途中まで工事が進められながら、土砂災害により放棄された未成の旧線が存在していた。 南から北へこの3~400mほどの旧線跡を辿ろうとしている私は、やがて鬱蒼とした杉林の中で致命的崩壊の現場となった「向皆外隧道」の南口に接触。 辛うじて開口している状態ではあったが、余りに禍々しさに進入を躊躇った私は、先にこの旧線の全貌を確かめることにした。 しかし、隧道を掘るほどの急斜面である。 山腹をへつって先へ進むことはすぐに出来なくなった。 やむなく一旦、眼下の水窪川の水際に下ることにする。 目線の高さに、対岸へと迂回した現在線が見えた。 杉の木立に身体を預けながら半ばまで下ると、傾斜がいくらか緩くなった。 そこは古い崖錐と思しき、苔生した岩礫混じりの安定斜面だ。 この場所が崩壊地形だということを思い知らされる地形だ。 そして

                      • 【山さ行がねが】道路レポート 清川村道土山高畑線

                        2007/1/10 13:24 《現在地》 県道から厳重なゲートを乗り越えて侵入した村道土山高畑線。 市販の多くの地図はこの道を既成のものであるかのように描いているが、約650mの長い清川トンネルを出た先で、余りに唐突に道は終わっていた。 ゲートから数えて1.8kmの地点である。 しかし、よく見ると斜面に道は続いている。 それは、これまでのような車道ではなく、人が一人ずつようやく通れるような小径。 だが、道がある限り行くより無い。 記憶の中の”辿り着く術のない橋”は ─きっとこの先にある! この小径の幅は50cmほど。 雑木林の急斜面の土の地表を削って、なんとか道の体裁としている。 路面はゴツゴツしているわけではなく滑らかな傾斜で、そこはチャリに乗って進むことも不可能ではないように思われ…実際、それは楽しそうであり、“MTB乗り”として当然の誘惑に駆られるのだが…、 すんでの所で私は自分の

                        • 【山さ行がねが】道路レポート 東京都道211号若郷新島港線

                          2013/3/31 12:06 《現在地》 接岸の順番待ちが発生したためにダイヤより5分ばかり遅れはしたが、私は無事に東京都新島村の人となった。 船からは私を含めて数人が降り、そしてやはり数人が新たに乗り込んだ。 他に貨物の積み卸しをする港湾関係者数名と、パトカーで乗り付けた警察官が一人、この埠頭にはいた。だがその全てを合せても、大型客船にサイズを合せられた埠頭の人影は、たいへんにまばらな印象だった。 私は自ら持ち込んだ大量の荷物を両手に抱えて埠頭に降り立つと、通行の邪魔にならない所まで最小限歩いて、すぐに全てを地面に放した。 1歩でも早く自転車を組み立てて乗りたい! 60リットルリュック+自転車を持ち歩くのは、さすがに重い。 幸いにして、船は同じ輪行の舞台でも鉄道や飛行機に較べて大らかで、陸に降りたその場で自転車を組み立てても文句を言われないのがいい。 駅や飛行場の構内でそれをやったら大

                          • 【山さ行がねが】ミニレポート

                            2000.8.25撮影 岩手県沢内村~花巻市 秋田・岩手県主要地方道12号「花巻大曲線」は、奥羽山脈を二つの長大峠によって克服し両県を結ぶ全長33km余りの路線である。 しかし、昭和47年の路線指定以来ただの一度として、全線を通して通行できた日はない。 永らく二つの長大峠、それぞれ笹峠と中山峠と言うのだが、その両方が点線県道…不通区間だったのだ。 両県間には既に幾つもの整備された道があり、それらのメーンルートから外れた場所にある同路線の整備は牛歩の歩みのようであったが、それでも平成13年には遂に中山峠に風穴が穿たれた。 笹峠についても整備工事が進行中であり、近い将来その不通県道としての汚名は返上される日が来るだろう。 今回紹介するのは中山峠だが、これは開通したばかりの新道の方ではない。 かといって、そもそもが不通区間であり、旧道と呼べるものも無い。 県道の代用として利用された経緯を持つ林道

                            • 隧道レポート

                              秋田岩手両県の県道番号1番は、「盛岡横手線」で共通している。 しかしこの路線、秋田県民にとっては、余り馴染みがないかもしれない。 なにしろ、横手市から岩手県湯田町までは国道107号線と重複しており、ユニークな区間が県内には1mもないのだ。 ようやく湯田町で国道から分かれた先は、延々盛岡へ向けて北進するのみである。 途中、同県道が最も長く走るのが和賀郡沢内村であるが、この村には国道は一本もなく、県道もこの主要地方道1号線と、あとは12号線の計二本しかない。 現在でこそ、この二つの県道の整備が進み以前ほど不便ではないようだが、もともとは奥羽山脈の只中に取り残された陸の孤島であった。 その“孤島”時代からの、同村と盛岡方面を繋ぐ唯一の峠が山伏峠だ。 今回は県道1号線「山伏峠」を探索したい。 意外な余生を送っていた。 沢内村最北の集落貝沢から先はいよいよ山伏峠の上り坂となる。 沢内村は南北に長く、

                              • 【山さ行がねが】ミニレポート第180回 千葉県道174号勝浦布施大原線 未成区間

                                2013/2/1 16:20 【所在地(マピオン)】 先日、何か面白いところは無いかと道路地図を眺めているときに、こんな場所を見つけた。 現場は房総半島の南東部にある御宿町の北の辺りで、いすみ市や大多喜町とも接する山間であるが、右図のように、前後が途切れた県道がポツンと一塊だけ描かれていた。 そしてこの短い区間にもちゃんと県道の記号が付されていて、それによると県道174号であるという。 千葉県道174号「勝浦布施大原線」といえば、以前に車で通ったことがあり、山間のローカル県道ではあるが、ちゃんと全通していて未開通区間があるという意識はなかった。 基本的には東西方向の路線である同県道が、この孤立区間では明確な南北方向の路線として描かれているなど、奇妙な感じはある。 もしかしたら地図の間違いかも知れない(地図によっては県道の色で塗っていなかったりした)と思ったが、どちらにせよ「道」自体は描か

                                • 【山さ行がねが】ミニレポート 第129回 夏狩天神峠の未成市道

                                  私が最近、廃道と共に非常に“入れ込んでいる”のが、「未成道路」というジャンルである。 未成、すなわち本来の目的を果たしていない未開通の道路のことである。 部分的に開通しているものも、建設途中に中止されたものも、実際に着工はしておらず図面や計画だけのものも、晴れて開通するまでは全て未成道路の括りである。 ただし、盛んに工事が進められている最中のものは含まない。 今回、読者から寄せられた情報を元に、山梨県都留市の山間にあるという未成道路を訪ねた。 そこには、情報無くしては決して訪れることもなかっただろう地味めで静かなトンネルが、しっかり口を開けて待っていた。 未成道路ならではの不条理なムードを、たっぷり詰め込んで。 【mapion 周辺図】 現場は、都留市の中心部から西へ2.5kmほど入った加畑(かはた)にある。 未成道路であるが、既成部分が地形図に描かれており、地図読み全長は1kmほど。 加

                                  • 【山さ行がねが】道路レポート 塩那道路 (県道中塩原板室那須線) その1

                                    塩那道路を走りたい。 それは、私の長年の夢であった。 私には、全国に幾つも、そんな道がある。 生涯で、一度は走りたい道。 これまでの山チャリ人生十数年間で、そのうちの幾つかは、幸運にも走ることが出来た。 例えば「仙岩峠」に「万世大路」、それに「大峠」などだ。 そしてまた、夢の一つの実現を懸け、私は旅立った。 ターゲットは、東京から北に175kmの地。 走り慣れた東北地方を離れ、関東の北端、栃木県は塩原町。 今回の同行者は、千葉県より参戦のゆーじ氏(サイト『銀の森牧場』)ひとり。 彼とは、丸一年以上もこの計画を温め合ってきた仲だった。 彼もまた、塩那に取り憑かれた男の、一人だ。 2005年10月9日早朝、まだ日の明くる前の道の駅「塩原」に、二人の姿はあった。 残念なことに、天候は雨。 前日夕方に当地に集合した我々は、近くのファミリーレストランで対顔を祝うと共に、今回の計画の成功を誓い合った。

                                    • 【山さ行がねが】橋梁レポート 西会津上野尻の大廃橋

                                      この探索劇は、次のメールから始まった。 差出人は、498氏。 (略)阿賀川をまたぐ白い道が上野尻ダム(柴崎橋)です。ダムといっても、大きい堰という感じです。 そこより南、写真では目立ちませんが航空写真で黒っぽく写っているトラス橋があり、廃橋です。西側の橋げたが落ちています。 トラスの大きさからすると、ちょうど森林鉄道サイズに見えなくもないですが、その生い立ちはまったく不明です。 前述の知人によれば「線路ではなかった」。 私はこの廃橋がずっと気になっているのですが、インターネットで探しても全然ヒットしません。 まるで存在自体が認められていないか、箝口令がしかれているのではないかと思うほど、実に見事にスルーされています。 もし、ここに述べられているような橋が実在するとしたら、これは是非確認する必要がある。 トラス橋は非常に高価で、また耐用年数も大きな事から、そうおおく廃橋として現存する物はない

                                      • 【山さ行がねが】道路レポート 栃木茨城県道1号宇都宮笠間線 仏ノ山峠旧道

                                        2014/3/12 11:04 《現在地》 峠の集落を過ぎて少し行くとバリケードがあり、車両通行止めになっていたが、逆にいえば歩行者の通行までは妨げない。 そしてバリケードの目と鼻の先にある最初のカーブに、普通に走っていたら見落としようもないほどに目立つ石碑が立っていた。 この道で出会った第二の石碑。 前の石碑には、格式高い漢文で、明治時代の新道工事の沿革が刻まれていたが、今度の石碑には一体どんなことが記録されているのだろう? 私は吸い込まれるように、その石碑の前に立った。 一見しただけでは内容を把握出来ない難解な前碑とは対照的に、今度の碑の表現は極めて簡素かつ抽象的だった。そこに刻まれていたのは説明的な文章ではなく、当時は説明不要なほどに誰もが知る神の名だった。 「馬力神」。極めて力強い筆致で刻まれたこれを、「ばりきしん」と読む。 この碑にピンと来た方は、栃木県周辺(茨城や福島も)にお住

                                          【山さ行がねが】道路レポート 栃木茨城県道1号宇都宮笠間線 仏ノ山峠旧道
                                        • 【山さ行がねが】道路レポート 牛岳車道

                                          「牛岳車道」として長く続いたレポートも、今回で終わりである。 命も危うい危険なシーンがあったり、時間に追われてヒーヒー言ったりするのがこれまでの“最終回”の常であったように思うが、「利賀村へ辿り着きたい」という旅の目的が成就されんとする今回は、おそらくこのレポートでも最も平和な回となるだろう。 右の地図を縦にスクロールさせて見てもらいたいが、利賀村の旧役場(現在は南砺市の「利賀行政センター」)のすぐ近くにある「利賀小学校・利賀中学校」を目指している。 そこは国道471号(及びその旧道)の利賀村内における最高地点:海抜650m(ちなみに現在地は598mで、ここまでの最高所である「犬の糞尾根」は約630mだった)であると同時に、次なるステージ(利賀村の百瀬川側(栃折峠のある))への引き継ぎの地点だ。 …それでは、まったり行ってみよう! いま、利賀村が君に開かれる! 2009/4/29 11:4

                                          • 【山さ行がねが】隧道レポート 旧 佐島隧道

                                            というわけで前回の続き。 古い地形図と睨めっこしていて見つけた、佐島隧道の旧隧道らしいもの。 だが、その位置を現在の地形図に重ね合わせてみると…ヤバイ! こいつは、マズいところへ続いている可能性が…。 戦後しばらくまで小田和湾の埋め立て地は全て自衛隊武山駐屯地の敷地となっていたが、基地の縮小と共に北側半分ほどが民間に転換されている。 しかし、その大部分は今でも自由に立ち入ることは出来ない。 現在そこには、財団法人「電力中央研究所」および「立教大学原子力研究所」が稼働しているのだ。 当然入り口には真面目な守衛が立ち、みだりに立ち入ることは許されない。 正面切って「廃隧道が…モソッ…」などと言っても門前払いは目に見えている。 例によって私は裏口へ…。 前回来たときには気づかなかったが、佐島隧道の佐島側坑口から現在の県道と分かれて佐島集落内を迂回する道がある。 これは旧県道である。 隧道前からそ

                                              【山さ行がねが】隧道レポート 旧 佐島隧道
                                            • 隧道レポート

                                              「ついに、山行がも実名非公開となってしまったのか…」 そう、早合点するのは待って頂きたい! 今後も、山行がでは皆様の「知りたい」、私の「伝えたい」を重視して、実名公開は続けます。 ただし、今回は、勘弁してください。 あんまり堂々とやって、手が後ろに回ると嫌なんで…。 予め断っておきますが、私は「愚かなトンネルマニア」です。 そこに、トンネルが口を開けていれば、つい入らずにはいられません。 一種の病気かも知れません。 普通の方であれば、これからお伝えするような隧道には、入ろうとしないでしょうから、余計なお世話となると思いますけど、立ち入りは厳に謹んで下さい。 叱られちゃいますから。貴方も、私も。 隧道を愛するが故に、暴走する男の記録、見てやって下さい…。 ほんとくれぐれも、見て嘲笑するだけにして下さいね。 宮城県第二の都市石巻には、多くの道路地図に載りながら、一般人が立ち入ることを許されない

                                              • 【山さ行がねが】ミニレポート

                                                2003.3撮影 青森県岩崎村 大間越は白神山地最高峰の白神岳の直下にあり、険しい山肌がそのまま日本海に没する急峻な地形である。 梅津川河口部に拓かれた大間越集落には、江戸時代関所が置かれていた。 西津軽街道は、大間越街道とも呼ばれており、かつてこの大間越が道中最も険難な場所であったことを感じさせる。 その大間越だが、現在の国道101号線は昭和50年に完成した延長627mの大間越トンネルであっという間に通過してしまう。 そこに残る旧国道を、今回は紹介したい。 岩崎村大間越は津軽沿岸最南の集落であり、これより南には県境を越えて秋田県八森町の岩館まで10kmほど人の住む場所はない。 しかし、現国道沿いにはこれといって店も無く、集落裏手を一直線に駆け抜けている。 いかにも、バイパス的な道だ。 集落内に入る旧国道は、写真の場所から入る。 現道から見える印象とは異なり、意外に人家が密集し栄えてい

                                                • 【山さ行がねが】ミニレポート

                                                  2003.11.19撮影 仙北郡田沢湖町 先達 小ネタ集として始まったこの「ミニレポ」も、今回でいよいよ40話を数える。 今回のネタ名は、タイトルの通り「主要地方道8号 十和田角館線」だ。 もしあなたが、秋田県に長く住んでいる道路フリークであれば、不思議に思うことだろう。 「そんな道、あった?」 そう感じたなら、あなたは確かな知識をお持ちである。 そう。 2004年現在、秋田県の県道番号において、8は欠番だ。 昭和53年より今までずっとそうだ。 だが、昭和29年に認定された主要地方道8号線は、確かに「十和田角館線」を名乗っていたし、実際にこの両者を結ぶ全長73km余りの道路が、少なくとも帳票上は存在していた。 もっとも、田沢湖町と鹿角市の間にある峠は永く不通であったが。 では、これほど長大な道が、一体どこへと消えたのだろうか? 少し地図を見れば分かりそうなので、種明かしだ。 実は、昭和53

                                                  • 【山さ行がねが】ミニレポート

                                                    2003.9.17撮影 雄勝町秋ノ宮 主要地方道73号「雄勝金山線」は、秋田県雄勝町と山形県金山町とを結ぶ全長10200mの路線である。 と、県の資料は述べている。 本線は、現時点で最も番号の大きな主要地方道で、平成6年に認定されている。 だが、未だに開通していない。 果たしてどのような道なのか、辿ってみよう。 国道108号線を雄勝町横堀から宮城県境へ向けて走ると、秋ノ宮地区に入るあたりで一つの青看がある。 そこは以前紹介した『旧旧川井橋』の重厚な橋桁が野晒しに展示されており、現在では川井橋の袂となる。 この青看は、これから探索する県道73号線のヘキサが唯一記された標識なのである(←秋田県側では)。 目的地は「薄久内」と小さく表示されており、この薄久内というのは、雄勝町秋ノ宮の字に過ぎない超ローカル地名である。 本来の目的地は、遠く離れた「金山町」のはずなのだが…。 では、いってみよう。

                                                    • 【山さ行がねが】隧道レポート 五岳荘隧道 <前編>

                                                      2007年10月に藤沢市在住の高橋さまよりいただいた情報によると、おとなりの鎌倉市大町3丁目の住宅地に、気になる「廃トンネル」があるとのこと。 場所は、JR鎌倉駅から東南東に800mほど離れた、鎌倉市街を取り巻く山地のなか。 確かに大縮尺の地図には、それらしいトンネルが描かれている。 もっとも、その先は行き止まりのようであるが。 それにしても、「鎌倉市大町三丁目」とは、初耳のはずなのになぜか聞き覚えがあるような…。 そうだ分かったぞ。 秋田県人でラジオを良く聴く人ならば耳に覚えがあるだろう。 「かまくら家ってどこにあるの? わさび家のとなりのとなりだびょーん! わさび家ってどこにあるの? かまくら家のとなりのとなりだびょーん!! えーッ!! わっかんなーーい!! 大町三丁目 かまくら家 わさび家」 細部は間違っていそうだが、こんなCMが秋田では結構頻繁に流れるのである。 「かまくら」、そし

                                                      • 【山さ行がねが】道路レポート 国道113号旧道 赤芝橋

                                                        今回は国道113号の旧道をまたひとつ紹介する。 国道113号は、太平洋に面した福島県相馬市と日本海に臨む新潟県新潟市を結ぶ、東北を横断する国道である。 その性格上山がちな路線であるが、なかでも2000m級の飯豊連峰と朝日連峰に挟まれた荒川地峡(荒川渓谷沿い)を通る、山形県小国町から新潟県関川村にかけての区間は最大の難所である。 と同時に、小国町や関川村にとってはこれが唯一外界へと通じる路線になっていることから、この区間は3桁国道でありながら国交省直轄区間になっている。 これまで当サイトや「日本の廃道」でも、この区間にある旧道や廃道をいくつか紹介してきた。 その代表的な物は宇津峠や八ツ口旧道、そして片洞門(日本の廃道)である。 今回紹介する旧道は、位置的には片洞門と八ツ口の間にある。 その旧道としての規模は小さいが、かなり印象深い 特異な景観 がある。 2010/10/18 7:11 【現在

                                                        • 隧道レポート

                                                          この隧道の立地や周辺の様子については、2003年に初めて訪れた際の記録をご覧頂きたい。 今回は、前回進入できなかった内部について、報告申し上げる。 と、その前に、本隧道の歴史について、前回のレポ後に色々と情報を仕入れることが出来たので、前回までの間違いを訂正するついでに、ご紹介しよう。 本隧道は、仁別森林鉄道の支線である、奥馬場目支線にあった。 奥馬場目支線は、仁別林鉄本線から別れ仁別沢沿いにあった中ノ沢支線の終点から延長される形で、郡境の峠を越えて五城目町馬場目国有林内の北の又まで伸びていた。 紹介する隧道は、まさにこの郡境を穿つ延長500mを下らない物である。 昭和8年から建設が進められた奥馬場目支線が全通したのは、昭和10年のことであった。 その後、北の又からはさらに路線が延長され、小支線も多く開発された。 昭和16年には馬場目川に沿って北の又から延長された杉沢林鉄が、杉沢の貯木場に

                                                          • 【山さ行がねが】道路レポート 国道127号 旧道及び隧道群

                                                            国道127号は房総半島の西海岸を南北に縦貫する全長55kmあまりの路線である。 そのルートは半島南端の館山市より始まり、安房郡富浦町、同富山町、同鋸南(きょなん)町、富津市、君津市を通り、木更津市で国道16号東京環状へと繋がっている。(このうち富浦町と富山町は2006年3月に周辺数町村と合併し南房総市になった。) この路線の特色としては、海岸通りに多くの隧道を持つ事が挙げられる。 その多くは戦時中に軍事国道として整備されたもので、なお現役で利用されているほか、更に古い道筋が周辺に散見される状況にあり、全国でも屈指の旧隧道密度を誇る路線と思われる。 以下にこの道の歴史を簡単な年表にした。

                                                            • 隧道探険隊

                                                              皆さん、八郎潟はご存知だろう。 古くは日本第二の大湖として、そして、近年ではバス釣りやワカサギ釣りのメッカとして、全国的に有名である。 そして、皆さんの持つ八郎潟のイメージとはどんなものだろうか? 広い。 お米の産地。 チャリで走るとダルイ。 …これらはどれも、同感だ。 だが、広大な八郎潟の干拓によって誕生した多くの橋を、貴方はご存知だろうか? 東西12km、南北27km、周囲100kmにも及ぶ広大な八郎潟の湖畔のうち、特に湖東地区と呼ばれる東岸一帯は、もっとも古くから干拓が進められてきた部分である。 太平山系より西流する大小の河川が幾筋も湖に流れ込んでいて、その河口部にはかつての湖岸に沿うように小さな集落が点在している。 最近は町村合併の嵐が吹き荒れてきているとはいえ、現時点では小さな町が犇くように隣接している。 今回、湖東を南から北へと辿ってみた。 起点となった昭和町大久保は、一時期私

                                                              • 【山さ行がねが】ミニレポート 第126回 国道122号 沢入トンネル旧道

                                                                【周辺地図】 【拡大図】 渡良瀬川に沿って関東平野と日光を結ぶ国道122号の大部分は、江戸時代後期に、江戸と足尾銅山を結ぶ銅街道(銅山街道)として切り開かれた道をもとにしている。 牛馬が重い鉱石を背に幾つもの尾根と谷を越えて往来した難路に沿って、明治末から鉄道が延ばされ、大正元年には群馬県の大間々(現:みどり市)から栃木県足尾(現:日光市)まで開通した。 さらに、昭和一桁台後半には、従来の銅山街道を大幅に改良して自動車道が建設された。 昭和38年には二級国道122号日光東京線に指定され、狭隘であった谷沿いの道は各所で改良された。 昭和51年には沿線に大規模な草木ダム(群馬県東村、現:みどり市)が完成し、一般国道122号と改称されていた本路線にも水没区間が生じた。 また長い歴史を誇る足尾鉱山も観光鉱山として生まれ変わった。 現在の国道122号は、かつての路線名の示すそのままに関東と日光を最短

                                                                • 【山さ行がねが】隧道レポート 旧口野隧道

                                                                  当レポートが最後に辿り着く結論は、事実と異なる誤説です。 正しい事実をお知りになりたい方は、「おぶろぐ!(2010/1/22エントリ)」をご覧下さい。 一応レポートを最後まで読まれてから確認された方が、分かり易いかと思いますが…。 上の3枚の地形図は、同じ場所を示している。 【周辺地図】 明治、戦後間もなく、そして現在─。 この一世紀のうちに地上を席巻した人間の土木力は、その動線としての道路のみならず、川の流れや海の形、地形そのものまで大規模に改変してきた。 そんなことをありありと見せつける、僅か3キロ四方の地図である。 この中に、明治時代には既にありながら、戦後間もなく地図から消滅した、“足の速い”隧道が描かれている。 仮にこれを、平行位置にある現在の国道414号口野トンネルの旧トンネルと比定し、「旧口野隧道」と名付ける。 3枚の地図を一枚に重ねてみた。 そして浮かび上がるルートの変遷。

                                                                  • 【山さ行がねが】ミニレポート

                                                                    2004.3.31撮影 宮城県志津川町 (現南三陸町) だらだらと続いてきた(オイオイ…)小ネタ集、もとい「ミニレポート」も、いつの間にやら50回を迎えた。 そして、そんな私につい先日、奇跡的な発見がもたらされたのだ。 私は、以前「クアトロ秋田」さんから“その”話を聞いて以来、ずっと探していたものを、やっと、初めて発見したのである。 嬉しくて嬉しくて、もう感激しっぱなしだったのだが、そろそろその発見を自慢したくなってきたので、ミニレポ50回の記念に、紹介したい。 みんな!注目! 私の発見に、ちゅーもくっ! ここは、海。 それも、見慣れた海ではなく、世界の海・太平洋です。 宮城県桃生郡は北上町小指という、太平洋に面した漁港に、私はおりました。 旅の目的は、もちろん山チャリ。 この時は、前夜から国道398号線をひたひたと、志津川目指し北上しておりました。 ただ走っていても、風光明媚な三陸は十二

                                                                    • 【山さ行がねが】廃線レポート 千頭森林鉄道 奥地攻略作戦

                                                                      本稿では。いよいよ皆さんお待ちかね、千頭(せんず)森林鉄道の奥地探索の模様をレポートしよう。 本線延長36km、支線や作業線を含めれば50kmを超える千頭林鉄のうち、平成22(2010)年4月18日~21日にかけて集中的に行った探索では、本線は起点の沢間駅から大樽沢まで、大間川支線は起点の尾崎坂から終点まで、逆河内支線も起点の大樽沢から終点まで、それぞれ探索を終え、レポートも当サイトや書籍などで順次公開済み(本線の尾崎坂~千頭堰堤間を除く)である。 支線は既に全線の探索を完了し、残るは作業線(探索を行うかは未定)と、本線のうちの大樽沢以奥の区間である。 右図は、これまでのレポートでも度々登場したが、昭和30年頃に作成されたとみられる(だからそれ以降に敷設された支線は一部描かれていない)千頭林鉄のキロ程図だ。 図中で黄色く塗ったのが未探索区間で、今回探索を企てた区間と完全に一致する。 すなわ

                                                                      • 『廃道探索 山さ行がねが (じっぴコンパクト文庫)』(平沼義之)の感想(7レビュー) - ブクログ

                                                                        意図しない廃道歩きは大変だ。廃道だと思わないまま道に突っ込んでみたら廃道だった、というパターンだ。 思い出すと、秋田県の夜明島渓谷から太平湖に抜ける夜明島林道、長野県の朝日村から木祖村への鉢盛山林道は完全に廃道だった。 道が崩れ落ち、背丈より高い木が林立し、そういうところに限って棘のある草が生えていて引っかかって痛い。 そんな道にはクマも闊歩して、出合頭に口と目をひん剝いたクマの驚いた顔を覚えている。 オブローダー(廃道マニア)にとって最も有名なサイトが「山さ行がねが」通称、山行がである。 数十年前に離散した村が建設した林道だったり、 上高地に至る幻のスカイラインだったり、 南アルプスを走った森林鉄道の長大路線跡だったり、 華厳の滝を正面に未だ残る渓谷の橋だったり。 失われた道の記憶をたどる。 そこに今でも挑戦するアホがいる。 道は人が通ってこそ道だ。 道としての機能を呼び起こすオブローダ

                                                                          『廃道探索 山さ行がねが (じっぴコンパクト文庫)』(平沼義之)の感想(7レビュー) - ブクログ
                                                                        • 【山さ行がねが】廃線レポート 千頭森林鉄道 沢間駅~大間駅

                                                                          本稿が取り上げるのは、千頭森林鉄道本線全長41kmのうち、その最も起点側の約10kmだ。 林鉄起点「0kmポスト」が置かれていた沢間集落から、現状では沿線最奥集落であり、南アルプス登山基地ともなっている大間集落(寸又峡温泉)までを紹介する。 この区間の大部分は、昭和44年の森林鉄道廃止と前後して車道林道化の工事が進められ、昭和43~45年の3カ年で全長11,316mの「寸又右岸林道」に置き換えられている。 ただし、例によって林道と軌道跡とは一部異なっている箇所があるので、探索はそれを主に拾っていく感じになるだろう。 長大林鉄探索の始めは、まず手頃な車道化区間といった感じなのだが、ここさえも従来はあまり「軌道跡」として探索されたことが無かったのが、予想以上の成果があった。 なお、当区間の開設に関わる歴史は「歴史解説編<2>」で取り上げているので、ここでは簡単に復習するに留める。 本区間(沢間

                                                                            【山さ行がねが】廃線レポート 千頭森林鉄道 沢間駅~大間駅
                                                                          • 【山さ行がねが】道路レポート 国道20号旧道 大垂水峠

                                                                            9:58 全長3km弱の大垂水峠旧道(相模湖側)であるが、389mの海抜を有する峠まで残り300mを切った。 前回最終地点の切り通しには348mの水準点があるようなので(図上より、現地で未発見)、ここからの勾配はかなりきつそうだ。 すでにだいぶ前より、断続的ではあるがエンジンの唸りは聞こえていた。 いよいよ、その音の姿を確かめに行くことになる。 切り通しを過ぎると、谷はこれまでの反対、左側に移った。 予想したとおり、道はかなりの急勾配となっている。 引き続き路面には落ち葉が厚く堆積しており、現道はもうすぐだというのに未だに轍は見当たらない。 最後にも何か大きな難関が待ち受けているのだろうか。 道を境にして左の崖下は一面の竹林、右の山側は杉林となっている。 急な上り坂のまま、右へねじるようなきついカーブが現れた。 その山側には深い側溝が設けられている。(写真左…振り返って撮影) 側溝は、道路

                                                                            • 【山さ行がねが】道路レポート 主要地方道小出奥只見線 <シルバーライン> 第一回

                                                                              私が生涯に体験したい道10選 というものがあるとしたら、確実にあの塩那道路と共にランクインする道の一つ。 それがこの、“奥只見シルバーライン”こと、新潟県道50号小出奥只見線である。 この道は、かつて日本最大の電源開発事業のために、国力をあげて開発された道である。 行く手にあるものはただ一つ、2006年時点での国内ダム総貯水量第一位の奥只見ダム(6億百万立方メートル)。 ダムを生み出し、管理するためだけに設けられた、開発道路。 それが、“奥只見シルバーライン”と後に愛称され、年間15万台が訪れる観光道路になる道の、始まりだった。 道路の開通は、昭和32年。 国営の電源開発株式会社によって施工され、3年の年月と延180万人の労働力が投入された。 開通した全長22kmの資材運搬道路には、あわせて19本、合計延長18km余りの隧道が掘り抜かれ、他に類を見ないトンネル連続道路が出現したのである。

                                                                              • 【山さ行がねが】隧道レポート 三陸海岸 真木沢隧道群

                                                                                三陸海岸は、東北地方の太平洋岸の北半分の大半を占める、全長600kmに及ぶきわめて長い海岸線の総称で、かつてこの地方が「陸前」「陸中」「陸奥」の3国であった事から比較的近代に名付けられた。 三陸海岸と言えば全国的に有名なのが、リアス式と言われる複雑で険しい海岸線である。 中学校の地理で必ず名前が出てくることもあって、皆様の多くも「リアス=三陸海岸」というイメージをお持ちだろう。 実際に三陸海岸の大部分にリアス地形が見られるわけだが、岩手県宮古市より北側では隆起によるリアス地形、宮古以南では沈降によって生じたリアス地形というように、出来上がり方に違いがある。 無論、この違いは地形的な違いにも現れていて、南三陸ほど規模の大きな湾が多く、したがってその水深も深く、天然の良港に恵まれる。 北三陸では徐々に海岸線が海側へと後退を続けており、海岸線から垂直に切り立つ断崖絶壁という、おそらく多くの読者に

                                                                                • 【山さ行がねが】ミニレポート 第96回 JR羽越線 鵜泊隧道の謎

                                                                                  北日本の日本海沿岸有数の観光地である新潟県村上市は笹川流れ。 奇岩や断崖絶壁が海岸線に聳え立ち、特に夕暮れが海に沈む頃には最高の景観を見せる。 ここは、その中心地から10kmほど北の鵜泊地区。 海岸線に沿う国道345号線と、それに並んだJR羽越線の単線の線路が印象的な道路景観を形作っており、私の好きな場所だ。 今回のレポートは、その国道脇から見える景色に始まる。 ちょうどここにはJRの塩害試験場が線路端に設置されており、変電所の設備や架線柱などが林立している。実際に潮風にあててその劣化具合を検査しているようである。 これが、国道からも見える、問題の景色である。 そこにあるのは羽越線の現役トンネルなのだが、よく見ると、奥にも穴が見える? ここは間違いなく単線のはずだが…?(厳密には複線だが、もう一線はより山側を長いトンネルで貫いていて、ここでは地上に出ないはず) これは、調べねばなるまい。