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山さ行がねがの検索結果441 - 468 件 / 468件

  • 【山さ行がねが】ミニレポート 第131回 鶉橋遺構

    先日、私ははじめて栃木県栃木市の土を踏んだ。 もちろん山チャリ目当てだったのだが、その道すがら奇妙な橋に出会う。 場所はこの辺りだ。⇒【所在地】 まず目に付いたのがこの親柱。 御影石製の立派なものである。 すり切れるように角の欠けた姿には、足尾山地が吹き下ろす砂塵混じりの季節風に耐え抜いてきた、そんな風格を感じる。 古色を示すように堂々と達筆に刻まれた橋名は… 鶉(うずら)橋 恥ずかしながら、現地では読めなかった…。 道を挟んで対になる親柱も健在。 こちらも古い字体の気難しげな文字が、4文字刻まれている。 元縣廳堀 明治っぽい臭いがプンプンするが、こっちは読めた。 「元県庁堀」…つまり、この鶉橋が架けられている川の名前である。 現存する親柱はこの2本のみである。 だが、橋自体も現存存在している。 うわっ… これはひどい…。 いろいろとツッコミどころ満載な感じなのだが、親柱の存在感に対して添

    • 【山さ行がねが】ミニレポート

      2003.4撮影 秋田県鹿角市 湯瀬 鹿角市は、明治初めの廃藩置県当初、青森県の一部であった。 その後、鹿角郡として秋田県に編入したのが、この鹿角市と小坂町の一帯だ。 そんな経緯からも予想が付くとおり、あまりにも県都から離れている。 文化圏という分け方でも、そこは津軽地方の一部なのだ。 だから、鹿角市に行くだけでもなかなか大変な旅行である、なんせ電車でも乗り換え無しでは行けないばしょだ。 しかし、広大な鹿角市のなかでも、岩手県と接する湯瀬温泉は、特に遠い場所の一つだ。 今回初めて足を踏み入れたこの道にも、見るべき旧道があったので、報告したい。 これが湯瀬温泉だ。 秋田市からは概ね130kmの距離がある。 奥にみえる山の辺りはもう、岩手県安代町である。 米代川の両岸の狭い平地に林立するホテル群は、手前に橋梁が写る花輪線が昭和6年に全通したのを契機に建てられたものという。 一帯は、鹿角市の中心

      • 【山さ行がねが】ミニレポート

        2003.7.31撮影 秋田県湯沢市 ~ 稲川町 国道398号線は、宮城県の石巻市から奥羽山脈を襷掛けに縦貫し、秋田県本荘市に至る268km余りの路線である。 全線は山がちであり大小の峠が連なるが、温泉や景勝地も多く、観光の面からは主力路線の一つである。 もっとも、山チャリストにとっては油断のならない難路線である。 その多数の峠のうちの一つ、山谷峠は湯沢市と稲川町を結ぶ短い峠である。 車だとものの5分ほどで通り過ぎることが出来てしまう。 しかし、ここにも旧道があった。 今回は、この旧道を紹介したい。 湯沢市の中心街にて、国道398号線は国道13号線と十字を切る。 西へ進めば、出羽丘陵を経て、いずれ本荘市へ至る。 東へ進めば、この山谷峠を端緒にして、長い長い奥羽山脈花山越えの道のりが始まる。 約5kmほどで、早くも峠のトンネルが姿を現した。 直前まで点々と民家が続いており、峠越えという感じは

        • 【山さ行がねが】ミニレポート

          2003.7.17撮影 岩手県下閉伊群新里村 ~ 宮古市 自身の初!三陸海岸まで後一歩と迫った、2003年7月17日15時30分過ぎ。 盛岡を午前8時に発って以来、ただただ国道106号線を辿ってきたが、道程は長かった。 これほどに時間が掛かったのは、旧道との戯れが過ぎたという理由もあったが。 ま、その話はまた今度。 今回紹介するのは、やはり旧国道106号線にある2本の古い隧道だ。 この日の天候は生憎のどんより曇り、冷たい霧雨が時折降り注ぐコンディションでは、テンションは下がり気味である。 既に半日近くを共にして来た閉伊川の流れも、河口が近付き緩やかな景観を見せはじめた。 いい加減、どこまで行っても変化に乏しい渓谷風景に飽き飽きしていた頃である。 しかし、やっと景色に変化が現れ、さらには先には見えるのは… トンネルだ! 忘れかけていた興奮に、思わず漕ぎ足が軽やかに。 ちなみに、この道は旧国道

          • 【山さ行がねが】ミニレポート

            山チャリ活動を続ける中で得られる楽しみは多いが、そのなかでも、街のなかに融けこんだ現役の古物件を見つけた時の、なにか愛おしい気持ちは、なんだろうか。 「 ああ、 まだ頑張っていたのか 」 そんな声を、思わずかけたくなってしまう。 全然派手ではないが、私の悦びには欠かせない存在。 それが、地図を眺めただけでは決して分からない、小さな街の古物件 。 国道47号線を酒田から新庄へと向かう途中、余目町廻舘交差点を通過時に、なんとなく右手の県道の入り口に違和感を感じた。 このような違和感が、小ネタ発掘のきっかけとなることは、多い。 今回も、そのうちの一つである。 青看には、 →県道342号(西袋) ←県道358号(小出新田) とある。 この地点は、県道342号線の終点であり、358号線の起点でもある。 違和感の正体をつかむため、右折して県道342号線に入る。 この道は西袋廻舘線といい、同町内の羽越線

            • 【山さ行がねが】ミニレポート

              全長94.2kmの秋田内陸線は、全国屈指の長さを誇る第三セクターの私鉄である。 秋田県の内陸部を観光の街 角館から北秋経済の古顔である鷹巣まで敷かれた鉄路は、全長5700m近い十二段トンネルをはじめ、大小のトンネルや橋梁が配される、山岳路線である。 県内でも利用者の少ない鉄道の筆頭であり、廃止の話題は随分昔から出ている。 しかし、沿線町村の足並みも揃っておらず、廃止にせよ存続にせよ、もうしばらく結論が出ることはなさそうに見える。 内陸線は平成元年に全通したばかりの比較的新しい鉄道であるが、その計画自体は大正時代にまで遡る。 もともとは、国鉄の鷹角線として計画されたが、先に着工された鷹巣側を阿仁合線と呼んでいた。 阿仁合線は昭和38年に比立内まで伸び、角館線も昭和45年に松葉まで完成したが、残り29kmの十二段峠区間の工事は、なかなか進展しなかった。 そして、国鉄整理を受け一度は全線が廃止さ

              • 【山さ行がねが】道路レポート 国道45号 三陸峠

                全国津々浦々にある大峠。 岩手県大船渡市立根町(たっこん)と越喜来(おっきらい)の間にある海抜321mの大峠もまた、その一つだ。 この峠の直下には国道45号がトンネルで通過しており、トンネルの名前は旧町名を取って三陸トンネルという。 それゆえ、私はつい最近までこの旧道の峠も三陸峠だと信じていた。 その間違った思いこみを敢えてレポートのタイトル名にしたのは、これからお送りするレポートが大峠だけではないためだ。 近接し、異なる時代に存在した三代三本の峠道を一挙にレポートしたい。 そして、この三つの峠を総称し、便宜的に三陸峠と称する事にしたのである。 右の地形図の断片を見ていただきたい。 いかにも旧国道だろうと思われる位置(三陸トンネル直上)に大峠が記されている。 そして、今回現地に赴いて色々と知る前には、この大峠に対して新しい峠道だと疑わなかった新峠も記載がある。 だが、地形図には記載がないも

                • 【山さ行がねが】ミニレポート第174回 国道105号旧道 喜鵲橋

                  【広域図(マピオン)】 秋田県内で完結する数少ない国道のひとつである国道105号(由利本荘市~北秋田市間)の経由地のひとつである、北秋田市阿仁(あに)地区。 ここは平成17年に廃止されるまでの阿仁町で、さらにその中心をなす大字「銀山」は、秋田県の内陸山間部にひときわ歴史深い小都市を形成してきた。 この阿仁の名を県外の人が知る機会があるとしたら、一番は地理の授業だろうか。 江戸中期にこの地で発見された阿仁金山は、やがて佐竹藩が経営する阿仁銀山となり、さらに阿仁銅山へと転じてますます発展し、享保期(18世紀初頭)には銅の産出量において別子銅山(愛媛県)を凌ぐ国内最大の銅山となって、阿仁六山(十一山とも)は数万の人口を抱えた。 阿仁銅山は明治8年から明治政府の官営となり、急速に近代化が進められた。そして18年からは県内の院内銀山などとともに古河市兵衛の所有となり、その後は古河系資本によって昭和

                  • 隧道探険隊

                    私がこの隧道の存在を、地図上で初めて認めたとき、一瞬にして大変な興味が沸き起こってきたのを覚えている。 国道から、突如山のほうに突き出して描かれた一本の長いトンネル。 まっすぐなトンネルは、その線の細さが、より長さを強調し、一キロはあろうかと見えた。 そのトンネルの先には、「根子」の文字と、小学校のマーク。周囲は、本当に何もない。 ただただ、いくつもの等高線が、この小さな「文」の周りを包み込んでいた。 そして、さらに不思議であったのが、この根子の先に、道が描かれていなかったこと。 それまで直線の長いトンネルは、バイパスのもの、幹線のもの、そんなイメージがあった。 しかし、ここは違うように見える。 町の中心部からは遠く離れた山中の小集落(にしか地図上見えない)のためだけに、長いトンネルが掘られるなんてことが、あるだろうか? わたしは、こんな疑問を持ったまま、ついにこの隧道を訪れる機会に恵まれ

                    • 【山さ行がねが】隧道レポート 南伊豆の一條隧道(仮)

                      おかげさまで、最近は皆様から日々多くの情報をご提供いただいており、私自身が地図や地誌と睨めっこして探さなくても、それなりに探索のネタが集まるようになってきた。 しかも、多くは地元の方から寄せられるそういった情報の方が精度も深さも上であるから、私の仕事はますます少ない。 だが、オブローダーならば忘れたくはないのが、事前に情報の無いモノを、地図一枚で探す興奮だ。 今回は、伊豆半島の南の端からお送りするのは、そんな “なつかしい” スタイルのレポートである。 【周辺地図(マピオン)】 左の旧版地形図(大正15年5万分の1「下田」)を見て欲しい。 場所は下田市の西に接する南伊豆町一條で、伊豆半島の南端にも近いエリアだ。 赤い○で囲んだところに描かれているのは、隧道の記号に他ならない。 しかも、珍しいのは隧道が破線の道に描かれているということだ。 破線、すなわち徒歩で通るような道に隧道があるとしたら

                      • 隧道レポート

                        山形県主要地方道50号『藤島由良線』は、日本海に沿って国道121号線と国道7号線とをバイパスする路線だ。 僅か8km足らずの路線だが、『庄内夕日街道』の愛称を有し、湯野浜温泉に加茂水族館、由良海岸などの観光地を起終点及び途中に有する観光路線である。その歴史も古い。 そして、丁度その中間点付近にある油戸は、沿線唯一の人里であり、1957年まで同名の石炭鉱山が稼動する地であった。 この集落の前後の海岸線は懸崖であり、そこにはそれぞれ一本ずつの隧道が穿たれている。 現在利用されている物は、二代目であり、付近に廃隧道が残されている。 これを紹介しよう。 2003年2月6日。 海岸線の積雪は少ない、しかし海風は猛烈であり、その気温は零下を下回っている。 この状況での山チャリは、想像を絶する困難を伴う。 しかし、東北の冬の山チャリの舞台など、海沿いや都市部しか残されていないのだ。 主要地方道50号線に

                        • 【山さ行がねが】ミニレポート第142回 奥羽本線旧線 第二小繋隧道

                          2008/10/29 10:24 【所在地(別ウィンドウ)】 皆様の中で、この場所のレポートを覚えている人がいるとしたら、それは驚くべき記憶力である。 前にここをレポートしたのは、かれこれ5年も前の2003年7月だった。(→「隧道レポート 奥羽本線 小繋の廃隧道群」) この「奥羽本線旧線」とは、明治34年に官設鉄道「奥羽北線」の一部として開通したものの、トンネルの老朽化や複線化および電化のために昭和46年に現在線へ切り替えられて廃止された、全長3.9kmの区間である。 二ツ井駅から前山駅の間にあり、旧線には七座(ななくら)信号所という信号所も設置されていた。 前回のレポートでは、「小繋第4隧道」から「小繋第1隧道」まで、4つの隧道跡を捜索しているが、その結果は… 第4隧道=現存していて、通り抜けた。 第3隧道=未発見(埋没) 第2隧道=現存するが、再利用(用途不明)のため内部立ち入り不可

                          • 【山さ行がねが】橋梁レポート

                            【広域位置図(Mapionに接続)】 とんでもない橋が発見された。 場所は岩手県の最北部、数年前までは浄法寺町といったあたり。今の二戸市福田である。 この地区を安比川とともに縦断する主要地方道二戸五日市線に、安比(あっぴ)川を渡る青海(あおうみ)橋という橋が架かっている。 問題の橋は、これの旧橋である。 現地は右の地図の通り、少なくとも2代の旧道が存在している。 ひとつは「旧青海橋」と「旧福田橋」を通っていた旧旧道で、昭和47年に現在の青海橋が架けられた時点で、今度は青海橋と旧福田橋を経由するルート(旧道)に切り替えられたようだ。 そして時期が不明だが、現在の福田橋の開通を待って旧福田橋はお役ご免となり、現行のルートになった。 今回紹介するのは、旧青海橋である。 この橋は、ちょっと尋常ではない。 10月23日、午前6時過ぎ。まだ太陽は山の陰から上ってはいない。 安比川から立ち上る蒸気によっ

                            • 【山さ行がねが】ミニレポート

                              東北有数の都市近郊鉄道であるJR仙石線は、その各所で路線の近代化が行われてきた。 その中でも、昭和56年に塩竃市街地を縦貫していた路線を高架化した工事は、廃止延長2900mにも及ぶ大きなものであった。 この時に、合計三本の隧道が廃止されている。 現在では、市街地にあるこれら廃隧道はいずれも封鎖されてしまっているが、唯一、この杉の入隧道のみ、内部を確かめることが出来る。 敢えて詳細な場所は伏せるが、塩竃市杉の入の仙石線の高架の傍に、隧道はある。 時刻は夕暮れ。 隧道とは、仙台に仕事で出張した帰りに、おもむろに連れてきていたチャリに跨って一路三陸を目指した、そのスタート直後の遭遇であった。 え? コウシコンドウでないかって? …。 とある民家の物置小屋。 しかし、その背後にちらりと見える、なにやらコンクリートの壁。 ア レ は まさか? 間違いない。 坑門が隠されている! 直前に仙石線の旧隧道

                              • 【山さ行がねが】ミニレポート第158回 大館市長坂の長坂橋

                                秋田県の北部に位置する大館市の一角に、東北第5位の大河である米代川を渡る、一本の橋が存在する。 橋の名は長坂橋といい、市内の大字長坂と同 外川原とを結んでいる。 そして市道として、現役の橋である。 右の通り地図上にもその姿は描かれているが、微妙に前後の道とズレというか…。 長い割に、とても細く描かれているのが特徴的である。 果たしてこの橋はどんな橋なのか、行ってみた。 国道からわきに入る砂利道を通り、普通車がギリギリ通れる踏切を渡って、 さらにあぜ道のような農道を川に向かって進んでいくと、 出て来た。 近くを走る国道7号からもこの橋の姿はチラッとだけ見ることが出来るが、 両者の間にはそれなりに広い水田とそこを横切る奥羽本線があるので、 近付いてみるまで全体像は分からなかった。 想像以上に巨大。 そして 特異な姿。 橋の袂に着いた。 一見したところ水路橋のようで、渡れるにしても本来は立入禁止

                                • 【山さ行がねが】道路レポート 大白川林道

                                  【所在地(別ウィンドウ)】 これから紹介する大白川林道には秘密がある。 それはかつて一夏だけ、国道158号の迂回路として一般車両が通行していたという事実だ。 国道の迂回路として並行する林道が使われたという記録は各地にあるが、その道が現在ではすっかり廃道になっているという点で特異といえる。 大白川林道が国道の迂回路になったのは、昭和41年の7月頃から翌42年春までの半年ほど。 その原因は、国道を襲った大規模な斜面崩壊だった。 そして、あなたは既にその現場を見ているかも知れない。 以前に紹介した『道路レポート 国道158号旧道 水殿ダム~奈川渡ダム(第2回)』の「ずみの窪隧道」脇の旧道こそ、まさにこの時廃止された区間だったのである。 それでは、 誰も知らない、一夏だけの国道へ、GO!

                                  • 隧道レポート

                                    私の住む秋田市の東半分は、太平山を頂点とする深い山岳に支配されている。 そしてそこには、隅々まで林道が張り巡らされている。 まだ少年だった私が、チャリの面白さと林道の奥深くへと分け入る興奮を覚えたのは、これらの林道のおかげであり、その意味で我が山チャリ発祥の地といってよい。 今回の舞台、上新城は小又沢上流に伸びる小又林道も、それら若き日の旅の一ページを、いや、それ以上を彩った思い出の道である。 しかし、次第に行動範囲が広がるにつれ、地元の山々である太平山地から、他へと興味が移って行ったのも自然な流れだっただろう。 そして、初めての山チャリから10年目の秋。 再びこの地に私の目を向けさせる、衝撃の情報がもたらされた。 情報提供者は、FTDティーさん。 以下に、その衝撃的なメールの一部を抜粋して紹介させていただきたい。 上新城のトンネル(廃モノ含む)が3つほど紹介されてますよね! 私、上新城に

                                    • 隧道レポート

                                      この二井山隧道については、当コーナーでも既に一度紹介している。 よって、その背景などについては改めて紹介はしない。 再びここを採り上げる理由は一つ、遂に崩落してしまったという情報が、相互リンクリンク先の『踊る大雄勝線』サイト様よりもたらされたためだ。 第一報は、確か今年2003年の雪解けの頃であったように記憶している。 実際の状況をこの目で確かめる為に、遅まきながら、この度再探索を試みた。 これは、前回の調査から、約15ヶ月後の姿となる。 もうすっかり御馴染みになった、二井山集落側坑門への道の入り口である。 ここから坑門までは既に2度歩いており迷う心配は無いが、余りの密林ぶりに躊躇いを禁じえない。 思えば、前回2年前の探索は雪解け直後の4月だったし、初めての探索となった1996年は8月だったが、まだまだこれほど荒れてはいなかった様に思う。車の通行止め処置がとられてから余りたっていなかったの

                                      • 小ネタ集

                                        2003.2撮影 秋田県秋田市八田 秋田県道232号線「太平山八田線」は、平成14年度の資料によれば、秋田市太平と秋田市八田とを結ぶ、全長7514mの一般県道である。 市街地に接続し、太平山のリゾート地に市民を運ぶ、重要な路線の一つであるが、この路線の名にまつわる謎は、長く私を悩ませ続けてきた。 「太平山八田線」という名は、どうして、その終点と起点を取って、単に『太平八田線』とならなかったのか? この分かりやすい矛盾点は、 「秋田には登山道が県道の道がある」 という、全国的に知られたる都市伝説を、生み出しさえもした。 この伝説は、いうまでも無く、その名が示すとおりに太平山の山頂に起点があるのではないか、という憶測によって生まれたのであろう。 しかし、先にあげた資料の通り、いや、それ以前にも、正式にその可能性は否定されており、やはり謎は、謎のまま。 都市伝説はやはり、伝説に過ぎなかった。 そ

                                        • 隧道探険隊

                                          東北日本海側では男鹿半島に次いで大きく海へと突き出しているのが、青森県の西の果て、舮作岬である。 近年では、世界遺産登録された白神山地のお膝元であり、海の見える露天風呂が有名な黄金崎不老不死温泉を抱える一帯は観光地化してきているものの、もともとは、立ち寄る者も稀な、まさに僻地。 極寒・極風にさらされる、陸の孤島。 ハタハタ漁を初めとする漁撈に生計を立てる人々のみが僅かに住まう、そんな場所だった。 一帯のメーンストリートである国道101号線から、案内標識にしたがって、海側へ1kmほど走ると、黄金崎不老不死温泉にたどり着く。 立派な道が通っており、ひっきりなしに吹きすさぶ海風を除いては、最果てというムードではない。 目指す隧道は、この温泉の前を過ぎ、さらに海へと降りてゆく道にある。 岬は突端部まで段丘上にあり、まさに海岸線は断崖である。 この断崖を立派な道が下って行くがさすがに勾配はきつい。

                                          • 隧道探険隊

                                            1996年の国道108号線鬼首道路の開通は、明治より秋田と仙台を結ぶ最短ルートとして開発されてきた歴史を持つ同路線が、初めて名実共に仙秋の最短路線になった瞬間であった。 その後、予想通り交通量は増大し、多大な経済効果をあげている。 沿線には鬼首道路開通どころか、一時改築以前の旧道も、かなり残されている。 とくに、鳴子町の荒雄湖畔の国道を注意深く走っていれば、今では利用されなくなり自然に還りつつある橋が散見される。 今回、全くの事前調査もなく、思いがけず古橋達に出会ったので、現地で知りえた以上の情報はお伝えできないし、まだまだ見落とした古橋・廃橋もあろうかと思う。 それらについては、皆様からの情報に頼りたい。 2003年4月上旬、鬼首道路は年中通行できるのだが、旧峠はまだまだ背丈よりも高い積雪の下である。 私にとっても、この鬼首峠は、便利な新道の開通を素直に喜べる場所の一つである。 その鬼首

                                            • 【山さ行がねが】ミニレポート 第115回 旧 会青橋

                                              主要地方道に指定されている福島県道21号(喜多方会津坂下線)は、その名の通り喜多方市と会津坂下(あいづばんげ)町を結ぶ、全長21km余りの幹線道路である。 会津盆地を南北に縦断する国道121号と東西に走る49号を短絡する性格も持ち、朝夕の通行量はかなり多い。 会津地方の生活と深く結びついてきた「命の川」阿賀川を跨ぐのは、その道中の中間地点から少し南下したあたりだ。 川はちょうど喜多方市と会津坂下町の境界線ともなっている。 そこには、真新しい橋と、役割を終えた橋とが並んで架かっている光景を見る。 南へ向かうため車を走らせる私が、夕暮れ時の会青(かいせい)橋に差し掛かる。 架かっているのは真新しい橋だった。 そのとき右側に、いかにもといった風体のコンクリート橋が並んで架かっているのを見た。 ちょうど橋の前後も真新しいバイパス道になっていたので、旧橋の存在が疑われたところだった。 はじめ寄り道す

                                              • 【山さ行がねが】廃線レポート 藤琴森林軌道 粕毛支線 表紙

                                                このレポートの最終回ないし最新回の 「この位置」に、レポートへの採点とコメント入力が出来る欄を用意しています。 あなたの評価、感想、体験談などを、ぜひ教えてください。 【トップページに戻る】

                                                • 【山さ行がねが】ミニレポート第162回 新潟県道477号荒谷竜光線 荒谷狭区

                                                  新潟県道477号荒谷竜光線は、長岡市川口荒谷(旧北魚沼郡川口町)と魚沼市竜光(旧北魚沼郡堀之内町)を結ぶ全長約9kmの一般県道である。 この路線の沿道には起点の荒谷と中間地点の木沢(旧川口町)および終点の竜光を除いて集落はなく、標高100~350m程度の丘陵地帯を通る山岳路線だ。 しかも、木沢から竜光にかけては未だに車道が開通しておらず、不通のままになっている。 だが、今回紹介するのはこの不通区間ではなく、起点荒谷から武道窪に至る区間で、ここを逆方向に探索した。 道路地図でも普通に県道として表示はされているが、しごく細い線で描かれているのが気になっていた。 県道でありながら、おおよそ幹線道路として活用されているとは思えぬ超ローカル路線には、どんな景色が待ち受けていたのか。 おおいに肩の力を抜いて、お楽しみ下さい。 ちなみに、山古志村を中心に甚大な震災を及ぼした平成16年の中越地震(M6.8

                                                  • 【山さ行がねが】ミニレポート第164回 会津坂下の桜橋

                                                    【所在地(マピオン)】 会津坂下(あいづばんげ)町の洲走(すばしり)地区にに洲走温泉と言うのがありまして、その近くに山肌にに突っ込むかのような橋があります。この橋は、新道の計画で建設された物らしいのですが、新道は別なルートを通りこの橋はまったく役に立たなくなっております。比較的良い橋です。税金の無駄遣いにも思います(^^;) probowlerさま(正式なHNがございましたらご連絡ください)による提供情報 上記の情報をもとに現地へ行ってみたところ、期待に恥じぬ、寂しい景色がが待っていた。 ↓↓↓ 2008/6/1 19:19 《現在地》 ぐにゃ~~ ってカンジだ。 情報提供者によると、この道は建設の途中でコストが掛かる山越えを断念し、川沿いへルートを変更したとのこと。 それが地図には描かれていない、右へ折れている線形らしい。 そして、計画変更前に建設されていた末端部は、未成道のまま放置さ

                                                    • 廃道レポート 栃木県道369号黒磯田島線 深山隧道旧道

                                                      ※このレポートは、「廃線レポート 白湯山林道(森林鉄道)」の続編となります。 【周辺地図(マピオン)】 栃木県道369号黒磯田島線は、栃木県那須塩原市の黒磯と福島県南会津町の田島を結ぶ、全長57kmあまりの路線で、県道指定は平成8年で比較的最近だ。 だが、県境の男鹿峠は10年以上も不通のまま廃道化が進行しており、路線名も全うされているとはいえない。 とはいえ、今回この路線で取り上げるのは男鹿峠の廃道区間ではなく(探索は済んでおり、今年4月頃に発売を予定している「廃道をゆく3」に収録予定)、黒磯側から男鹿峠に向かう途中にある、旧道の廃道だ。 木の俣地蔵がある東一帯の平坦部を「地蔵平」と呼んでいるが、その背後には標高788mの尖った山があり、北側の斜面は那珂川に大きく迫り出し絶壁を作っている。 そしてこの難所に“良い道”を通すべく、これまで数回の試行錯誤…路線の付け替えが行われてきた。

                                                      • 【山さ行がねが】ミニレポート第137回  七里岩ループ道

                                                        「ヨッキさんの好きそうなループ橋を見つけました! ネット上にはほとんど紹介されていませんが、絶対に気に入ると思います。 是非見に来てください。」 同ループ橋についての情報は、別の読者様からも寄せられていた。(工藤様、ダラマスト様、ありがとうございました。) 場所は山梨県韮崎市。県道17号にあるという。 縮尺の大きな地図で確認すると、韮崎市街から西へ「七里岩」(しちりいわ)の上に登っていく県道の途中に、確かに小さなループが描かれている。 ループ橋という物自体珍しくはあるのだが、ここには特に変わった何かがあるというのだろうか。 車で「神岡」へ向かう途中、ちょっと立ち寄ってみた。 《現在地》 「ちょっと立ち寄ってみた」などとは書いたが、せっかく読者の教えてくれた物件である。 車で通り過ぎつつ写真を何枚か撮って、それで「体験済」というのでは、ちょっと味気なさ過ぎる。 ここは情報提供者と物件自体に敬

                                                        • 【山さ行がねが】ミニレポート 第128回 上野大滝林道 旧山吹橋

                                                          【mapion 周辺図】 この一風変わった廃橋が有るのは、埼玉県秩父市大滝の中津川上流、広河原沢に沿って走る上野大滝林道である。 旧大滝村辺りの深い山と谷を“奥秩父”と呼ぶが、その中でもここは特にふか~い場所である。 距離でいえば、国道140号から中津川、神流川、そして広河原沢という風に、親・子・孫まで川を遡ること約14kmの地点である。 広河原沢出合いにある林道の入口からだと、現地まで約3km。 かなり荒れたダートである。 現地手前には、素堀に毛が生えた程度の小さな隧道が、全部で3本もある。 そして林道は、中津川から数えて曾孫支流の山吹沢を渡る。 前後の道より心持ち幅の広い、しかし至って代わり映えのない長さ20mほどの橋である。 銘板さえ無い。 目指す廃橋は、この橋の旧橋である。 橋の手前と奥に山吹沢上流方向へ入る道跡があるので、ここからアクセスできる。 下流側のアクセスは藪が殆ど無いの