並び順

ブックマーク数

期間指定

  • から
  • まで

41 - 80 件 / 659件

新着順 人気順

山さ行がねがの検索結果41 - 80 件 / 659件

  • 【山さ行がねが】廃線レポート JR上越線 旧湯檜曽駅跡

    ↓ いかがだろう。 駅の移転という大筋については、上図のうち赤く着色した部分だけを追っていけば良い。 つまり、昭和6年に湯檜曽駅は旧位置に開業し、昭和42年の複線化開業に合わせて、新位置に移転したということである。 ただ、上の図が少し複雑になっているのは、旧新位置ともに、それぞれ湯檜曽駅として使われる前後史があるせいだ。 例えば、昭和24年12月から昭和38年3月までの期間、大穴仮乗降場と呼ばれる仮駅が現在の湯檜曽駅の位置に存在していたこと。 そしてもうひとつ、旧駅が廃止された昭和42年9月以降も、昭和59年11月までそこに北湯檜曽信号場が置かれていた事だ。 大穴仮乗降場については、それの現役当時に書かれた『町誌みなかみ』に、右の1枚の写真と共に僅かながら記録されていた。 p.359より引用しよう。(ちなみに当駅絡みの記述はこれで全てだ) 大穴仮停車場 昭和24年12月より、冬季スキー客乗

    • 廃線・旧線・森林鉄道・未成線~山さ行がねが・廃線レポート~

      令和に入って存在が明るみになったマイナーな森林鉄道に着目し、様々な資料からその場所を探し当て、探索した。全く先が読めない探索を刮目して注目せよ!

      • 【山さ行がねが】道路レポート

        大崩海岸。 なんと直感的な名だろう。 誰しもがその名から容易に想像する険しい断崖絶壁は、“東海の親不知”とも呼ばれ、絶海を隔てて富士を眺める風流景勝の地であると同時に、交通の難所として日本の交通史に存在感を示し続けてきた。 大崩海岸とよばれる約5kmの海岸線は、静岡県静岡市と焼津市の境にある。 南アルプスの南端が太平洋駿河灘に落ち込む、陸と海の鬩(せめ)ぎ合いの合戦場だ。 険しい場所ではあるが、内陸へ入ればそこには数千メートル級の山脈が連なっているため、沿岸地域は古くから東西日本を繋ぐ交通の要衝であり続けた。 日本武尊の時代から戦国、平安、そして江戸時代、明治・大正・昭和・平成まで、国の要となる大路がこの一帯を通過してきた。 徒道、そして鉄道、さらに自動車道へと形を変えながら。 近世以降、日本最大の道であった「東海道」。 現在の国道1号は東海道をほぼ忠実になぞっており、海岸線から10kmほ

        • 【山さ行がねが】道路レポート 多々石林道

          南会津に一部の林道ライダーに知られた大荒れの林道があるという情報は、「国道?酷道!?日本の道路120万キロ大研究」(←7月16日発売です。皆さまよろしくお願いします!)の打ち合わせの際に、実業之日本社の磯部祥行氏に教わった。 その林道の名は多々石林道。 標高1320mの戸板峠を越えて旧田島町の針生と旧伊南村の古町(現在はいずれも南会津町)を結ぶ道で、右図のように最近の道路地図にも林道名とともに描かれているため、そこまで荒れているようには思えないが、実際は相当にひどいらしい。 旧版「会津の峠 下」(歴史春秋社発行/昭和51(1976)年)によると、戸板峠は江戸幕府が定期的に派遣していた巡検使の通路であり、天明8(1788)年の巡検使に随行した紀行家古川古松軒も、「東遊雑記」に戸板峠のことを次のように書いている。 「針生を出て針生峠(戸板峠のこと)という大難所の坂ありて、この山中に見馴れざる草

            【山さ行がねが】道路レポート 多々石林道
          • 【山さ行がねが】道路レポート 国道158号旧道 沢渡~中ノ湯

            廃道の中の廃道。 皆様にとっての廃道とは、どんなイメージだろう。 草むした砂利道、苔の生えたアスファルト、ひび割れたコンクリート、消えかけた白線、色あせた道路標識、忘れられた路傍の石碑、照明の消えた真っ暗な隧道、落石に埋もれたガードレール、路面を奔る沢水、崩れ落ちた橋や路肩、草いきれのする藪、弱音、諦め、安堵とガッツポーズ… ここには、それら考えられる要素のほとんど全てのものがある! 廃道の中の廃道とは、決して険しいだけの廃道だとは思わない。 ここには、演出過剰なほどに分かりやすい、“廃道の真景”がある。 それゆえ、以前執筆させていただいた『廃道をゆく (イカロス・ムック) 』にも、巻頭企画としてこの道を紹介した。 この道を辿ることは、廃道の酸いも甘いも同時に体験することに他ならない。 同書にて一度紹介済みではあるが、本とネットでは表現方法も異なることであるし、今回はより詳細なレポートを作

            • 【山さ行がねが】廃線レポート 奥羽本線旧線 赤岩地区

              これから紹介するのは、奥羽本線の旧線である。 場所は、福島県福島市赤岩。 最寄り駅は、同線赤岩駅である。 奥羽本線については、名前くらいは全国区だと思うし、今さら多くを紹介する必要はないだろう。 福島と山形と秋田と青森を結ぶ、全長485kmの幹線鉄道で、全通は明治38年である。 赤岩という地名はかなりローカルではあるものの、鉄道ファンにはよく知られたる4駅連続スイッチバックの一つ赤岩駅は、まさに 赤岩地区の中心駅である。 最も、この書き方は二つのアヤを含んでおり、まず一つ、4駅連続スイッチバックは既に過去のものであると言うこと。 そして、「中心駅」と言うには相応しくない、秘境閑散駅であるということ。 いわば、奥羽本線きっての、ローカル駅なのである、赤岩は。 普通なら、駅などありよう筈もないような山中。 失礼だが、そんな場所だ。 そして、この赤岩に、豊富な旧線遺構が眠っている。 その古さ、残

              • 【山さ行がねが】道路レポート 国道17号旧道 二居峡谷

                俺はまたしても、トンデモナイ廃道に遭遇してしまった! 上越国境とは上州(関東圏・群馬県域)と越後(北陸圏・新潟県域)とを隔てる線であり、すなわち県境である。 このエリアでは古くから「三国峠越え」と「清水峠越え」の二本の道が、国家の幹道としての主導権を争って来たのであるが、現在では決着済みである。 近代において両者の優劣を決定づけたのは、上越国境を結ぶ初めての自動車道が三国峠に拓かれたことによる。 昭和34年、戦前から計画されてきた三国トンネルおよび前後13km余りの山岳道路が一級国道17号として開通し、馬さえ通れなかった三国峠が近代的自動車道へと変貌を遂げたのである。 しかし、この段階ではまだ新しい国道も十分な機能を発揮できなかった。 なぜなら、この新潟側に連なる火打、二居、芝原などの峠が未改良で、自動車による通行に大きな危険を強制したためである。 続いて上記各峠も改良が進められ、昭和40

                • 【山さ行がねが】廃線レポート 飯田線旧線 向皆外隧道

                  【周辺図】 JR飯田線の向市場駅と城西駅の間には、“世にも珍しい”橋が架かっているという。 その名も「第六水窪川橋梁」。 しかしこれ、“珍形式”の橋かと言えばそうではなく、よくあるディックガーダー(上路プレートガーダー)らしい。 それが15連も連なっていて全長は400.7mあると言うから、山中の橋としてはかなり長いのだが、その理由が“珍”なのである。 この橋が変わっているのは、地形図で見て一目瞭然であるとおり、水窪川を渡るように見せかけてそのまま戻って来るという“珍線形”だ。 一名、「渡らずの鉄橋」というそうだ。 道路橋でもたまにこういう線形を見ることがあるが、なるほど鉄道では初めて見るかもしれない。 そしてこの“珍線形鉄橋”(←この言葉10回言ってみれ)にも、その建設に関わる旧線が放棄されているとの情報を読者さんから頂いていた私は、前回の「第一久頭合隧道」解決後、すぐこの場所へ向かうこと

                  • 廃道・旧道・酷道・不通道路の探険~山さ行がねが・ミニレポート~

                    廃道・旧道・酷道・不通道路の探険~ミニレポート~

                    • 【山さ行がねが】橋梁レポート 華厳渓谷と鵲橋

                      日本有数の観光名所である栃木県は日光。 広大な日光観光圏のなかでも特によく知られた景勝地が、華厳滝(けごんのたき)である。 大谷(だいや)川にかかる落差97mの直瀑は「日本三大名瀑」に数えられる偉容を誇り、初めて目にした老若男女誰しもが感嘆の吐息を漏らす。 私は日光市の回し者ではないが、今まで自身が二度観光で日光を訪れ畏怖を持って滝を眺めた経験と、その展望台で一様に魂を抜かれたように滝を眺める群衆を目撃した経験からそう言える。 先に言ってしまうと、残念ながら今回のレポートでは天候の都合上、ナマの華厳滝は拝めなかった。 なので、華厳滝をまだ見たことがないという読者の期待には応えられないかもしれないことを、あらかじめお断りしておく。 さて、華厳の滝を実際に観覧された経験のある方ならばお分かりだと思うが、通常この滝を間近に眺める方法は一通りしかない。 それは、「華厳滝エレベーター」という有料のエ

                      • 【山さ行がねが】道路レポート 国道291号 清水峠 新潟側

                        おそらく、日本でもっとも有名な廃道の一つである。 多くの廃道ファンや国道ファンが、畏敬を込めて、こう呼ぶ。 清水国道 と。 清水国道の歴史は古く、明治の初期にまでさかのぼるのであるが、これは後にしよう。 それよりも、先に現状から説明したい。 清水峠は、群馬県と新潟県の県境(上越国境)上にあり、列島の中央分水界をなす、海抜1,448mの峠である。 この道は国道291号に指定されているが、峠の前後あわせて約28kmが「自動車交通不能区間」となっており、俗に言う“酷道”のひとつである。 これはおそらく、全国でも最長クラスの国道における自動車交通不能区間であるが、それでも群馬県側の大半は登山道になっていて、多少健脚であれば誰でも歩くことが可能である。 そして、素晴らしい景観を誇る清水峠に立つことも出来る。 だが、新潟県側の大半の区間(約12km)は廃道になっていて、 ここ何年、或いは何十年の間、誰

                        • 【山さ行がねが】廃線レポート

                          入口は、県道416号(旧国道)の石部(せきべ)隧道から50mほど焼津側に戻った地点にあった。 これから向かう場所は、私の感覚としてだが、廃線の中で日本屈指の有名物件である。 ここ最近の鉄道廃線ブームを考えれば、既に現地は観光地化しているのではないかという懸念を持っていた。 だが幸いにして、廃モノ相手に関係行政も足並みを揃え難かったのか、入口にそれと分かる看板一つ出されてはいなかった。 ただ、この物件との関連性は断定できないものの、なぜか入口の真っ正面に私設の時間極駐車場(1時間100円)が存在する。(当には人家など無い) 付近の駐車スペースとしては、石部隧道の静岡側に10台ほど入る路側駐車スペースがあるが、廃線跡に最も近いのはこの時間極駐車場と言うことになるだろう。 …やはり、相当に訪問者は多いのかも知れない。 今回、探索前に私が事前資料としたのは、廃線ファンにはお馴染みの『鉄道廃線跡を歩

                          • 【山さ行がねが】道路レポート 十二ノ森公園の謎の道

                            ちょっと右の地図をみておくれ。 愛用している「スーパーマップルデジタル ver.11」の画像なんだが、中央付近の山の中に、この場所には似つかわしくない注記がある。 「野球場」「並木公園」「十二ノ森公園」の3つだが、下地の等高線はかなり険しく描かれており、2つの公園についてはともかく野球場というのは流石にこんな場所に作れるだろうか? 麓の道からは140mくらい高いところだぞ。 それに、いくら縮尺を上げてみても、この3つの場所に行くような道は現れない。 もしかして廃公園とか、そういうのか? 何となく気になったので、行ってみた。 <この場所について> ここは群馬県利根郡片品村の北部に位置する戸倉地区【周辺地図(マピオン)】で、沼田と会津を結ぶ街道の宿場としてひらけた場所で、現在は尾瀬の玄関口として知られている。 2010/8/23 14:39 《現在地》 私がここに行ったのは8月末の平日だが、

                            • 【山さ行がねが】道路レポート 早川町新倉集落の“2トン制限一方通行路”

                              今回は、私が山チャリの最中に偶然見つけた、とても印象深い道 をご覧頂こう。 所在地は、南アルプスに深く抱かれた、山梨県早川町。 そのほぼ中央にある 新倉(あらくら)集落 である。 新倉集落について、『角川日本地名大辞典山梨県編』は、集落人口470人(昭和54年)で「町内で最大の集落」としており、町役場がある薬袋(みない)集落などを差し置いて町内随一の都邑を形成していた事が伺える。(ただし、同書の刊行は昭和59年であり、現在も「町内最大」であるかは不明) 早川町といえば、以前に角瀬トンネル旧道を紹介しているが、あそこから早川沿いに12kmほど奥地へ入った所に新倉集落は位置している。 カシミール3Dを使って新倉集落周辺の鳥瞰図を表示した。 南アルプスのイメージに恥じない、峻険な山々に取り囲まれている事が一目で見て取れる。 集落があるのは早川沿いの低地で、その標高は500m前後である。 対して周

                              • 【山さ行がねが】隧道レポート 上品濃トンネル(未成)

                                mixiの山行がコミュを通じてKubodi氏によってもたらされた情報をもとに、探索を行った。 横浜市戸塚区の上品濃(かみしなの)というところに、未完成のまま長年放置されたままになっていると思われるトンネルがあるとのことだ。 下調べもそこそこに、早速現地へ向かってみた。 その場所は、ここだ。【所在地】 2008/6/27 16:54 横浜市といえば、私が小学6年生までの幼少を過ごした思い出深い街である。 住んでいたのは鶴見区だったが、この戸塚区からはそう離れていない。 だが、東京移住から1年半を経っているのに、いまだ鶴見区には行ってない。 だからなんだといわれると返答に困るが、ともかく、土地勘はないが愛着は感じる。そんな状況での探索であった。 問題の場所は、JR横須賀線東戸塚駅から北西に1kmほど丘を登ったところで、地名は上品濃という。品のあるいい名前である。 周りには夏草の緑が目立つが、既

                                • 【山さ行がねが】廃線レポート 大間線 序

                                  本州最北の町、大間。 県都青森市から最短の陸路を使って約140km、車なら約3時間、鉄道とバスを乗り継いで行こうものなら日帰りが難しいほど。一方、津軽海峡を挟んで対岸の北海道戸井地区とは約30km、函館までも50km以内という、まさに本州最果ての地に相応しい立地といえる。 かつて、この地を目指し建設が進められた鉄道があった。 その形状がよく手斧に喩えられる下北半島だが、この半島が鉄道の便に初めて浴したのは大正10年。半島の付け根にある野辺地から“持ち手”の部分の海岸沿いを伝い、半島最大の街であった田名部(たなぶ、現・むつ市)を経て、海軍の警備府が置かれていた大湊(現・むつ市)までを結ぶ、大湊線(現・JR大湊線)が開通したことに始まる。 当時、国政の主導権を掌握しつつあった軍部の意向は鉄道計画にも大きく影響を及ぼし、半島の突端である大間(大間町)に津軽海峡を防備するための要塞を建設する計画と

                                  • 【山さ行がねが】隧道レポート 仙台市愛宕山の謎の穴

                                    人工120万を擁し、東北唯一の大都市といわれる仙台。 この都心である仙台駅からわずか1kmという地点に、「謎の穴あり」 という情報が飛び込んできた。 流石に人口綢密の地だけあって、この穴に関する目撃証言をネット上でいくつか拾うことが出来た。 しかしそれらはみな心霊スポットとしての情報ばかりであった。 それら“心霊情報”が語るところによれば、穴の正体は 1.戦時中の高射砲の基地 2.亜炭鉱山 3.藩政時代の抜け穴 4.防空壕   …etc など、多彩である。 また、それら情報の出所を踏まえれば当然とはいえ、一様に目撃者たちは「気持ち悪かった」「なにかいる」などと評しており、おそらくは都市のエアポケット的な地底空間なのだろうと思われた。 ただし、それらの情報は最新のものでも2003年頃までで、都市の中心部という立地を考えれば、現在も口をあけたままに放置されているとは考えにくいのではないか。 し

                                    • 【山さ行がねが】隧道レポート 松姫湖の廃隧道

                                      2006/8/13 16:13 《現在地》 下段トンネルが封鎖されていたことを受け、すぐに上段トンネルへ戻ってきた。 上段のトンネルには、ダムトンネルや下段トンネルにはなかった銘板が存在していた。 それによると、この鶴寝トンネル(全長321.0m)の竣工は1999年(平成11年)6月で、アンゴルモアの大王が来ると予言されていた前の月である…ことはさておき、ダムの完成と同じ年のことである。 前回考察したとおり、封鎖されている下段トンネルは、こちらが完成した時点で既に利用が終了していたと思われるので、その廃止年度は平成11年以前ということがいえる。 なお、鶴寝トンネルの発注者は山梨県林政部であり、県営林道であることを裏付けている。 この左右2枚の写真は、2010/3/15の探索で、上と同じ地点から撮影したもの。 前回(4年前)と較べて、坑門や周辺の地形に目立った変化はみられず、強いていえば坑門

                                        【山さ行がねが】隧道レポート 松姫湖の廃隧道
                                      • 【山さ行がねが】ミニレポート第156回 沼田市利根町の“トンデモナイ”坂道

                                        2010/8/23 17:42 《現在地》 [こんな坂道、見たこと無い!] などと、また煽ってしまった。 数分後に多数の読者さんが落胆し、或いは怒っているような事にならなければいいのだが…、今回はいちおう大丈夫だと思う。 ミニレポ史上最大級の衝撃を… 少なくとも私は 受けた。 …そんな風景が、この変哲ない道の先に待っていた。 現在地は片品川左岸に広がる段丘の上の畑で、たしか中学校の教科書かなにかでは、典型的な河岸段丘として片品川が紹介されていたと思う。 そして写真は川の方向を撮影したもので、深い谷の向こうに太陽が沈んだばかりの武尊(ほたか)前衛の山々が、おそろしく黒くそびえている。 地名的には群馬県沼田市利根町追貝(おっかい)といい、尾瀬や丸沼、金精峠などの観光地に恵まれた片品村は、このすぐ北に接している。 ここも数年前までは利根村とよばれ、市になったいまでも幹線道路を少し離れれば、こんな

                                        • 【山さ行がねが】隧道レポート 草木トンネル (旧三遠南信自動車道)

                                          前回の動画の最後に急停止した私が、見つけたものは何だったか。 ↓↓↓ ↓↓↓ 2011/3/3 7:22 自転車の急ブレーキをかけて狭い避難坑内でUターンをし、脇目に「なにか」を見た場所へと戻ってみた。 するとその場所の側壁には、黒い小さな穴が、ぽっかりと口を開けていた。 3Dグラフィックスの“テクスチャ欠け”のように見える、おおよそ50cm四方の穴。 本坑のある側である。 これまでこんなモノは無かったと思うが、なぜここに来て急に現れたのか? ドキドキしながら、さらに穴の前へと近付いてみる。 地球のお肉、登場。 私に地質学の知識があれば、トンネル内に思いがけず現れたこの地肌に、もっと気の利いた解説を与えられただろう。 しかし、何か学術的な意味をもって指標的に残された露頭だろうという想像は、間違っていないだろう。 このトンネルが貫通する日本最大の大断層「中央構造線」に関する、“人工露頭”なの

                                          • 【山さ行がねが】廃線レポート 千頭森林鉄道 [総扉ページ]

                                            その経営規模は極めて大きく、昭和44年度の予算規模は約11億5千万円と全国350署中の一位を占め、日本における表街道である東海道筋にそのようなマンモス署が存在することは特異なことといえる。 昭和46年版「千頭営林署管内概要」より 昭和44年当時の千頭(せんず)営林署は、全国350の営林署のなかで最大の予算規模を誇っていた。 このことは同署発行の「管内概要」自らが「特異」だとしているが、確かに誰もが知っている青森や秋田、それに木曽などの“林業国”を差し置いて、静岡県の一部を所管する千頭営林署がそのような地位にあった事は意外である。 ということは当然のことながら、千頭営林署を所管する東京営林局の中でも同署が最大の営林署であった。 膨大な予算は、首都の名を冠する東京営林局が半ば宿命的に持たされていた、わが国の林業の模範となりまた先進的でなければならないという性格を反映させたものでもあった。 それ

                                            • 【山さ行がねが】ミニレポート第149回 大月市梁川町にある「どうやって行くのか分からない道」

                                              最近のgoogleマップは凄い。 日本国内の地図は“あの住宅地図の”ゼンリンに提供されているだけあって、特に高縮尺の精度においては、私が愛用する「スーパーマップル」シリーズも、「プロアトラス」シリーズも適わないようだ。 googleマップを見ていて、どうやってそこへ行けるのか分からない道を見つけたので、 そこがどうなっているのかを見てきて欲しいという、匿名での情報提供があったのは平成21年の8月。 今回だいぶ遅れてしまったが、実際にそこを見てきたので報告しよう。 大きな地図で見る→ 右図は情報提供者が教えてくれたgoogleマップの問題の箇所だ。 地図のちょうど中央に薄い「坑口」の記号があり、そこから南南西の方向に伸びる道が描かれている。 その道は、おおよそ200mほど南下した地点で、中央自動車道の太い線にぶつかって消滅している。 確かにこの地図を見る限り、中央道以外のどの道とも繋がってい

                                              • 【山さ行がねが】道路レポート 奈川渡ダムの謎の道

                                                前に、長野県松本市にある奈川渡ダムそばの国道158号、「入山トンネル」の東口坑口前で、右の隧道を発見したのを覚えているだろうか。 そのときのレポはこちら→【道路レポ 国道158号旧道 水殿ダム~奈川渡ダム (第5回)】 その場所はこちら→【周辺地図(別ウィンドウ)】 それは、人が立って入るのがやっとと言うくらいに狭い、明らかに人道用の隧道である。 写真に出口は写っていないが、長さはかなり短くて、覗き込むと向こうの光が20mくらい先に見える。 しかし、入り口には施錠された鉄格子が填められていて、進入はできない。 この閉ざされた隧道は、こんな異様な場所にある。 国道の直角コーナーの先にあるにしてはあまりにも目立っていない。 周りに存在感のある標識や看板が多すぎるためだが…。 ドライバーに危険な錯誤を起こさせかねない正面の隧道にはスッコンデいてもらいたい。 それが松本工事事務所の本音であろう。

                                                • 【山さ行がねが】隧道レポート 利賀村の栃折隧道

                                                  【周辺地図(マピオン)】 この村、ちょっと凄いぜ。 私が本気でそう思っているのが、富山県西部の東礪波(となみ)郡に平成16年まで置かれていた、利賀(とが)村である。 今は、南砺(なんと)市利賀村を名乗っている地域だ。 何が凄いって? 右の地図を見て欲しい。 南北にとても細長い村域には、とにかく山と谷しかない。 しかも、村内を東西方向に横断しようとすると…山→谷→山→谷→山 である。 まるで“蛇腹”かと思うような起伏ぶりだが、高低差も大きく、海抜300m~700m範囲に集落が点在する。 また、村を囲む山の高さは1000mを越える。 この村の中心地区は利賀川沿いにあるが、東の百瀬川沿いにも、西の庄川沿いにも集落がある。 だが相互に往来するためには、必ずといっていいほど山越えをしなければならない。 東西には狭いはずの村だが、地形を見る限りその狭さを感じない。むしろ、東西の方が遠いくらいだ。 関東

                                                  • 【山さ行がねが】道路レポート 都道194号 成木河辺線

                                                    都内にある自動車交通の出来ない都道は西部の多摩地区に集まっている。その多くは山間部ないし郊外にある。今回紹介する一般都道194号成木河辺線もまた、そのような路線の一つである。 そしてこの道は、ある“特異な事情”により通行不能となっている。 その事情ゆえ、従来この通行不能区間の南半分については踏査が難しく、ネット上にもこれといったレポートが存在しないようである。今回、私は意を決して挑戦してきた。 結論から言えば、道はある。 だが、この道を通ろうとするものは皆、心臓にふさふさの毛を生やす必要がある。もの凄く図太くなる必要がある。 レポートに入る前に、右の地図を使って路線を概説したい。 本線(都道194号成木河辺線)は、東京都青梅市の東部を南北に縦貫する路線である。資料によれば全長は6697mあるが、このうちちょうど中央部に位置する小曽木3丁目(都道28号交差点)から塩船までの約2.2kmが自動

                                                    • 【山さ行がねが】道路レポート 奥多摩古道 (氷川~除ヶ野)

                                                      東京都の奥座敷、奥多摩町の中心が氷川(ひかわ)である。 多摩川と日原(にっぱら)川の合流地点に開けたさほど広大でもない緩斜面に町役場、小学校、JR青梅線の終着駅である奥多摩駅、国道411号などの都市機能が集中的に立地している。 そして氷川から日原川に沿って1kmほど北上した山腹に、除ヶ野(よげの)集落がある。 取り立てて何がある場所でもないが、古くから人の住う土地であったことは、この意味ありげな地名にも現れている所だ。 現在、除ヶ野から氷川へは、日原川に架かる北氷川橋渡って行くのが普通であるが、このルートは安寺沢林道が除ヶ野まで開通した昭和50年代から使われるようになったという。これは除ヶ野集落で聞いた話である。 そして古い地形図を見ると、除ヶ野から氷川まで順当に日原川左岸の山腹を緩やかに下って行く道が描かれている。 その表記は「破線」であり、小径の域を出ないものであったと察せられる。 そ

                                                      • 【山さ行がねが】隧道レポート 草木トンネル (旧三遠南信自動車道)

                                                        草木(くさぎ)トンネルとは、おそらく日本中でここにしかない、 高速道路から一般道路へと転落したトンネルである。 レポートのタイトルにある「三遠南信自動車道(さんえんなんしんじどうしゃどう)」は、その名の通り、三(三河)・遠(遠江)・南信(南信濃)の各地方を結ぶ、我が国の高速道路のひとつである。 今回紹介する草木トンネルとその前後の道は、この三遠南信自動車道の旧道である。 高速道路の旧道といえば、【道路レポート:中央自動車道旧道】もそうだったが、それと大きく異なっているのは、こちらには現道が今のところ存在しないという点だ。 にもかかわらず旧道があることを不思議に思われるかも知れないが、草木トンネルとその前後の道は三遠南信自動車道として建設されたが、その後の計画の変更によって、一般道路に格下げされたのである。 そして、新たな「三遠南信自動車道」はと言えば、まだ完成していない。 現道はないが、旧

                                                        • 【山さ行がねが】橋梁レポート 秋田木材専用線 桧山川橋梁(仮称) 再訪&机上調査編

                                                          2003(平成15)年11月10日に公開したミニレポート【能代駅近くの謎の廃鉄道橋】を記憶しているという方は、当サイトの熱心な読者さまの中でも、かなり少ないと思われる。 本橋は、秋田県内に残る数少ない鉄道用廃橋ではあるが、余り目を引く規模ではなかったし(特に川面からの高さが小さいことがインパクトを薄めている)、私自身もレポートから数年後に住居を秋田から東京ヘと移してしまったため、ますます印象から遠ざかってしまっていた。 だから、これを再訪したのは、里帰り期間中のほんの偶然の悪戯(友人とドライブしている最中に近くを通りかかったので立ち寄ってみた)でしかなかった。 しかし実はこの廃鉄橋、わが国の橋梁史上に燦然と名を連ねうる、逸材だった。 本編は「再訪&机上調査編」と題して、2012(平成24)年の再訪をきっかけに判明した本橋にまつわる「貴重な事実」と、未だ解き明かされぬ謎について、まとめておき

                                                          • 【山さ行がねが】ミニレポート 第120回 福島県道391号広野小高線

                                                            「日本の廃道」編集部も、東日本大震災の被災地復興を応援しています。 東日本大震災の被災地となってしまった地域のレポートを1冊にまとめた、「震災復興支援特別号」(\400)を販売中です。 本誌の売り上げは、全額被災地支援の募金にあてさせていただきます。(「日本の廃道」編集部) 壮大にくだらないミニレポ!! <導入> また新しき道の獣が、この山行がを舞台に、その鎌首を擡げようとしている。 その名は、 福島県一般県道391号 広野小高線 おそらく、様々な道路サイトを足繁く通ってきた御仁でも、この名を聞いてピンと来る人はない。 そう。 ヤツは限りなくマイナー。 そして、狡猾。 ヤツは、一度捕らえたと思っても、決してその全貌を曝すことはない。 何度でもその尾をちぎり、捕らえんとする我々から逃げおおせる。 そして、気付いたときにはもう、ヤツは居ない。 ハッキリ言おう。 この道は、カーナビ如きでは攻略で

                                                            • 【山さ行がねが】ミニレポート第245回 JR中央線外郭環状架道橋

                                                              情報提供 JR中央線で西荻窪-吉祥寺間に、道路も何もないところに道路を越えるための橋梁構造部があります。 どうやら中央線高架複々線化工事の際に、東京外環道路が出来たときのために準備をしていた様なのです。 場所は武蔵野市立本宿小学校の横です。 右図は、最新の地理院地図で見るJR中央線の西荻窪から吉祥寺までの区間である。(西荻窪駅の位置:マピオン) この駅間距離は約1.8kmあるが、そのちょうど中央に武蔵野市立本宿小学校がある。 この大縮尺の画像だけで場所が分かる人ならば、おそらく地元の人であろうから、ここにこのようなもの……外環道を越えるための橋……が存在していることを既にご存知かもしれないが、一般的には相当知られていない事実ではないかと思う。 私自身、中央線沿線の日野市(現場から約20km)に住むようになって10年以上になるが、この情報を目にしたのはこの一度きりだった。 なお、中央線の説明

                                                              • 【山さ行がねが】道路レポート 国道158号旧道 水殿ダム~奈川渡ダム

                                                                右図は、安曇三ダムと通称される梓川に連なる3つのダムを中心とした、松本市安曇地区(旧安曇村)のマップである。 3つのダムは、東京電力が昭和30年代以降に開発したもので、主に発電、次いで農業水利と洪水頂設に用いられている。 最も下流の稲核(いねこき)ダムから水殿ダムをへて奈川渡ダム、そしてその上流端である沢渡まで、水面高低差200mを付けながら、梓川には約15kmも湖が連続していることになる。 ダム有るところに、廃道あり。 このセオリーはこの場所でも生きている。 梓川の本流に平行する国道158号はもちろん、奈川渡で南に分かれる県道26号、そして前川渡で分かれる県道84号のいずれにも、当然のように水没を喫した廃道が存在する。 おいおい紹介していくことにもなるだろう。 だが、私にとってこの国道158号の梓川筋は、単に廃道を巡って終わりという、行きずりの場所ではない。 日本中の道の中でも、ここの現

                                                                • 【山さ行がねが】隧道レポート 掛川市の岩谷隧道

                                                                  2011/3/4 12:34 ここは東海道筋の宿場と茶の産地で有名な掛川のはずれにある、何の変哲もない丁字路。 ここが出発地点だ。 「地図」はもうちょっとだけ待ってね。 お目当ての「変なもの!」が出て来たら、すぐに明かします。 うふふふふ。 掛川に住んでる人ってきっと、「東海道」と「茶」の二言だけで掛川の紹介を済ませようとする人のこと軽蔑するだろうな。軽蔑されたくないので、もうひとつだけ掛川ミニ知識。 掛川は「電波ソング」の街らしいぞ!(wikipedia:「掛川市」より)←ホントかい! なにはともあれ、山行が“初”掛川だ~! 現行1/25000地形図にあるトンネル記号を目当てに入ってきたこの道だが、初っ端から狭いのだ。 路面には一応コンクリートの舗装がされているが、その幅は軽トラのタイヤの幅とぴったり一致。 普通車だと、この時点でちょっと怖じ気づくかと思うが、それ大正解。 特にこの先にあ

                                                                  • 【山さ行がねが】廃線レポート 大井川鐵道井川線 接岨湖水没旧線

                                                                    【周辺図(マピオン)】 大井川鐵道井川線のアプトいちしろ~接岨(せっそ)峡温泉間には、平成2年10月2日に長島ダムの建設に伴って付け替えられた旧線が存在している。 廃止された旧線の総延長は5.6kmあり、区間内には駅もあった。 元々は昭和29(1954)年に中部電力の井川ダム建設に伴う工事用軌道として敷設された路線で、昭和34(1959)年から大井川鉄道(現・大井川鐵道)井川線として旅客営業を行っていたのだが、国の長島ダム事業の進展によって水没補償を受ける形で新線へ移転したものである。(新線には日本で現役唯一のアプト式鉄道区間がある) 長島ダムが大井川を堰き止めて生み出された人造湖を接岨湖という。 接岨湖に旧線は水没し、新線は湖畔や湖上を駆け抜けている。 中でも新線にある奥大井湖上駅は、その名の通り(おそらく日本で唯一)湖の上にある駅として独特かつ爽快な景観を誇ることから、秘境駅ファンに

                                                                      【山さ行がねが】廃線レポート 大井川鐵道井川線 接岨湖水没旧線
                                                                    • 【山さ行がねが】道路レポート 青森県道256号青森十和田湖自転車道線(十和田市区間)

                                                                      “大規模自転車道”(※)は、 闇 が深そうだ。 前々から薄らと感じてはいたが、平成24(2013)年にほんの僅かな時間を過ごした「和歌山県道802号太地新宮自転車道線」において、その予感は決定的な確信へ繋がった。 ※大規模自転車道とは…… 昭和48年に旧建設省がスタートさせた道路事業で、当時のサイクリングブームを背景に、国民の健全なレクリエーションの増進を図るべく、全国に約5000kmの自転車専用道路(大規模自転車道)を整備するとした。各路線は都道府県や指定市が事業主体となって、国の高率の補助金を受けて整備された。各路線が一般都道府県道として供用されており、路線名は「一般県道○○自転車道線」のようになる。この事業は国土交通省となってからも受け継がれ、平成21年現在の全体計画4300kmのうち、約3600km(計134路線)が供用されている。 全国に134路線もあるという大規模自転車道の一覧

                                                                        【山さ行がねが】道路レポート 青森県道256号青森十和田湖自転車道線(十和田市区間)
                                                                      • 【山さ行がねが】道路レポート 東京都道211号若郷新島港線

                                                                        東京都には、これまで当サイトのレポートでもその一部をご覧頂いてきたとおり、東京という大都会の他に、奥多摩町や檜原村のような山岳地帯が存在する。 そしてさらにもう一つの大きな場面としては… 離島 がある。 具体的には、伊豆諸島や小笠原群島に属する200を越す島や岩礁がこれにあたるが、今日一般人が定住している島は伊豆諸島に9島、小笠原群島に2島があるのみだ。 そしてこれらの有人島も無人島も全て東京都に所属していて、東京諸島という総称も存在する。 東京諸島の広大な地域(海域)の広がりは、東京福岡間に匹敵する1200kmをも越えており、実は東京都こそが日本一の広がりを持った都道府県といえる。 しかしこれら島嶼(島しょ)と呼ばれる東京都のエリア人口は少なく、平成20年当時のデータだが、28,741人と記録されている。 これは東京都民1,279万人の0.22%に過ぎない数字だ。 ともかく、海の上にも東

                                                                        • 【山さ行がねが】隧道レポート 大井川鐵道井川線 旧第九号隧道

                                                                          先日発売されたばかりの『新・鉄道廃線跡を歩く3 北陸・信州・東海編』は、前作『鉄道廃線跡を歩く8』にも収録があった「大井川鐵道井川線」に関わる廃線区間を再び取り上げている。 写真はもちろん撮り直されているが、文章の方はあまり変わっていないと油断していたら、密かに前作にはなかった情報が仕込まれてあった。 川根小山~奥泉間の第九号トンネルは長島ダム建設のための道路拡張により山側に新しく掘り直されており(昭和56年(1981)3月竣功)、入口側に旧トンネルの坑門が残され廃線跡が存在する 今回(平成22年4月)私は、初めてこの大井川鐵道が走っている大井川の中流から上流にかけての「川根」と呼ばれる地域を訪れたのだが、大井川鐵道井川線の旧線跡のいくつかを探ることは、大きな目的であった。 そして、全体的に険しい山岳地帯にある井川線関連廃線の中でも、最も小規模で、かつ軽易に訪問できそうな物件として、この数

                                                                          • 「山さ行がねが」の今後の執筆方針について | ヨッキれんの おぶろぐ! 〜廃は廃でもヤマイダレ〜

                                                                            皆さま、日頃より「山さ行がねが」をご愛顧くださり、ありがとうございます。 つい先日、サイト内のコメント感想欄を通じて、匿名の方より今後のサイトの運営方針についてのご要望を頂きました。その要点を私なりに抜き出してみると、以下のような内容です。 最近、このサイトを見ていて思うのが、わざわざコメントに文句とか催促を書く人が増えたと言うことです。私も皆さんと同じことを思わなくもないのですが、山行がを応援する読者の一人として誹謗中傷はしたくないです。ただ、無料のサイトだから文句を言うなとの書き込みが以前ありましたが、私に言わせれば「それは違う」と思います。いくら無料だからといっても、そこにはヨッキ氏の書籍の販売があるし、他業種のリンクが多数貼ってあります。つまり、ヨッキ氏が利益を得る仕組みが入っている以上、ヨッキ氏も読者をないがしろにすることはしてほしくないです。前にある方から「意図的にやっているの

                                                                            • 【山さ行がねが】道路レポート 国道156号旧道 福島歩危

                                                                              福島村と尾神村の間なる、岩山の絶壁を斫(切)割て路を作れり。 郷中にも、国内にも、比類なき嶮難の歩危路にて、鬚摺・睾丸縮等の名に負う難所あり。 「白川村誌」引用の「斐太後風土記」より転載 これは江戸時代に編纂された飛騨国の風土記「斐太後風土記」の一文(書き下し)で、「国内に比類なき嶮難の歩危(ほき)路」について語っている。 この「歩危」というのは地域性のある表現だが、飛騨地方では専らこの字を当て、川に迫る岩場の難所を示す地名として頻出する。 東北で言えば「へつり」のようなものか。また「大歩危(おおぼけ)」という景勝地が四国にあるが、これも同義と思われる。 そしてなんと言っても最大のインパクトは、鬚摺(ひげすり)・睾丸縮(こうがんちぢむ)といった難場に付けられた名称だ。 これらも難所地名であり、鬚摺とは路が狭くて岩場に鬚を擦らなければ通り抜けられないような道と言うことだろうし、睾丸縮は男性に

                                                                              • 【山さ行がねが】道路レポート 中央自動車道 旧道

                                                                                2008/1/3 10:57 初めて訪れる廃高速道路の物珍しさにより、なかなか入口付近から奥へ立ち入ることをしなかったが、そろそろ実際にこの路盤の跡を走ってみよう。 新旧の高速、合計10車線分の路盤に挟まれた白頭神社を後に、愛車に跨って大月・名古屋方面への西進を開始する。 ときは正月の第三日、一般に祝日ではあるが、わざわざこんな日にコタツを抜け出して、冷たいアスファルトの上を訪れる同志も無いようだ。 凧揚げ・はねつき・ストリートファイトなんかをするにも絶好の広場と見える旧路盤だが、まさに車亡き後何も残らなかったという、高速の悲哀をそのまま体現している。 まあ、一応立入禁止なので当たり前と言えば当たり前なのだが。 4車線のうち、中央分離帯を乗り越えて2.5車線分までが柵に閉ざされ、二重の立入禁止となっている。 さすがにこの2度目の柵は突破する気になれなかった。 わざわざそれをしなくても、残さ

                                                                                  【山さ行がねが】道路レポート 中央自動車道 旧道 
                                                                                • 【山さ行がねが】道路レポート 秩父湖一周ハイキングコース

                                                                                  今回は、関東人にはお馴染みとなった行楽エリアの秩父(ちちぶ)にある、ハイキングコースを紹介しよう。 その名も、秩父湖一周ハイキングコース。 ハイキングコースとしては王道とも言える、湖畔系のハイキングコースである。 いまさら、ハイキングなんて興味はないぜ… というアナタ。 廃キング な ら ば、 どうかね? ここはガチのリスクあり。 くれぐれも、廃キングは侮るなかれ。 2012/10/12 9:05 【周辺図(マピオン)】 この探索に事前情報はなく、偶然の遭遇から始まった。 きっかけは、秩父湖畔を通る国道140号旧道で出会った1本の大きな吊り橋だった(→)。 橋は地形図にもちゃんと描かれており、湖に架かる目立つ吊橋は観光スポットであった。 もっとも、あまり流行っていない感じはしたが、決して廃吊橋ではない。 これだけのことならば、別の探索の途中でもあったし、素通りしていたかも知れない。 だが、