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山さ行がねがの検索結果201 - 240 件 / 874件

  • 【山さ行がねが】道路レポート 国道135号旧道 トモロ岬

    一般国道135号は、伊豆半島の東岸を南北に縦貫する、観光及び物流の両面で代替路の無い極めて重要な路線である。 実際に通行してみると、確かに、ほぼ全線2車線しかない路幅の中を溢れんばかりに、様々な車が通っているのが分かる。 大型トラックから観光バス、オープンカーやバイク、自転車に至るまで、季節にもよるが、ありとあらゆる車を見ることが出来た。 そしてこの道は、伊豆半島という希代の観光地に全線の立地を置いたため、随所に有料バイパスとの分岐や合流がある。 その中には既に無料開放化されて久しい物も少なくないが、今でも、地方からの観光客やサンデードライバーの多くが、何気なく有料バイパスへ連れて行かれている。小田原から熱海の間はとくに、図らずも二度ばかり有料バイパスへ連れて行かれることになる。 今回紹介する旧道もまた、有料バイパスとの関わりの中で生きた道だった。そして、ある激甚な災害によって死んでいった

    • 『廃道ナイト(4)よん!~納涼!節電!!廃隧道で夕涼み~』ライブレポート:毎回即完売の異常超人気の世界に一つだけの廃道好きの大集会!(11.8/13開催) TOKYO CULTURE CULTURE:@nifty

      人に捨てられ、人が通らなくなった道=『廃道』。 そんな廃道を愛して止まないオブローダー達が 今回もお台場はカルカルに大集結…!! さて、「節電」が叫ばれるこの夏、 冷房設備の使用をためらっている方も多いことだろう。 でも暑い!実に暑い! だったら涼しい場所へ行けばいいじゃないか! とっておきの”涼みスポット”がある。 そう、それが『廃隧道』だ!! …というワケで、4回目の開催となった廃道ナイト。 今回は隧道“涼みスト”のヨッキれん氏が 廃隧道での究極の涼み方を提案&伝授してくれる。 また廃道熱中人としてテレビ出演を果たした 和装女流オブローダー・トリ氏が番組の舞台裏や 理想の王子様(廃道)像を語り尽くす。 もちろんガチな超危険・廃道探索レポートも…! ========== 開場10分前… カルカルのバルコニーは入場待ちのお客さんで埋め尽くされていた。 皆さん、この日を心待ちにしていた様子。

      • 【山さ行がねが】道路レポート 国道256号 飯田市上村の地形図に描かれていない区間

        2011/4/21 14:03 《現在地》 上村市営住宅の裏手にある「マムシの大岩」(←酷い略称だと思うがお許しを)の前で、車が通れる「国道」はいとも呆気なく終わりを迎えた。 自転車も、ここまでだ。 第二第三の「大岩」が転げ落ちてくることを阻止すべく、山の縁には真新しい土留め擁壁が施工されており、一見すると国道どころかいかなる道も続いていなさそうだったが、見えざる道を見る者であるオブローダーの本領発揮とばかりに付近を詮索した結果、写真の位置を「道」と判断した。 「マムシの大岩」の裏から東へ伸びる、高い擁壁と低い擁壁に挟まれた、細い上り坂のような敷地である。 周囲を「長野県」の用地杭が囲んでおり、「国道だから」だといいたいところだが、県が施工した「急傾斜地崩壊対策工事」の関係かもしれない。 いずれにしても民家の敷地ではないようだから、大手を振って歩いても…、良いのかな…? 擁壁と擁壁の隙間を

        • 【山さ行がねが】ミニレポート第246回 東由利 蔵の洞門 現地調査編

          洞門トンネルの開通 (東由利町・明治時代) 道の両側に並ぶ人びとの服装は和服あり、洋服あり、笠をかぶったり帽子をかぶったりと和洋折衷。明治中期から末期ごろの撮影と思われる。 この手の写真集には必ず1枚は入っている、トンネル開通の良き日を撮影した写真だ。 「ああ、あのトンネルの生まれた時の姿なんだな」と合点するのが、だいたいのパターンである。 だが、私はこのトンネルに、全く見覚えがなかった。 こんなトンネル、東由利町のどこにあったんだ?! なお、土地鑑のない方に説明すると、由利郡東由利町は、秋田県の南部、出羽丘陵地帯の真っ只中に存在した山あいの町だ。 平成17(2005)年に広域合併し、由利本荘市の一部となったためにもう存在しないが、永く秋田に住んだ私にとっては既知の土地であり、この写真のトンネルを見知っていないことは、それだけで大きな衝撃を受ける出来事だった。 そもそも、秋田県はさほど“明

          • 隧道レポート

            五百刈沢隧道は、秋田市の北部、外旭川と上新城を分ける稜線上に幾つもある隧道のひとつだ。 この稜線は、太平山地の末端に位置し、太平山前衛の山々を取り囲むように存在するが、その標高は100mにも満たない。 そして、上飯島地区の飯岡山を最後のピークとして、あとは、かつては海の底であった広大な水田地帯に落ちている。 五百刈沢隧道は、私にとって、山チャリで出会った初めての隧道(トンネルではなく、隧道)であり、その消長というほどではないが、十年来の姿を追ってきているので、とくに思い入れがある。 まあ、当サイトで紹介している他の隧道に比べれば、迫力には乏しく、ただの狭くて小さな隧道と見えると思うが、どうかお付き合い願いたい。 今回は、新たな発見があったので、これを中心に、五百刈沢隧道の再訪レポートをお送りする。 2003年12月11日、午前8時すぎ、自宅から5kmほどの地点にある五百刈沢隧道を目指し、主

            • 【山さ行がねが】隧道レポート 大多喜町の共栄隧道

              2011/2/9 9:33 目の前の景色に一瞬我が目を疑ったが、 すぐに、こんな“名(迷)所”が千葉にはあったということを思い出す。 いつか教えて貰った“アレ”は、ここだったんだと。 そういうことならば、さっそく探索を開始しよう! 先ずは…、 一歩前へ。 これがどういう状況か、お分かりだろうか。 いま私の前に口を開けているトンネルは、この坑門の奥にあるものだ。 だから、照明がついていることからもお分かりの通り、廃隧道ではない。 それをなぜか、こうして今見下ろしている。 この“坑門”からは、一歩も洞内に入ることは許されない。 無理に入ることは出来るかも知れないが、それは4mほど下のアスファルトに転落することに他ならない。 そういう意味でこの坑門は、普通の廃隧道の坑門以上に無能な存在である。 実際、縁には緩く土嚢が積まれているだけであり、 こうして突端に立つことは、全くオススメできない。 旧坑

              • 【山さ行がねが】道路レポート 金沢区朝比奈の“脅迫的な”市道

                2009/9/28 11:14 《現在地》 爽やかな果樹畑を脇目に見てから1分後、道は再び急峻な地形に挑み始めた。 そして、それと同時に現れたのが、ガードレールだった。 しかも普通の見慣れたガードレールではなく、板も柱も普通のヤツより一回り小さいサイズだ。 支柱は白く、板は茶色だが、これも当初からそうだったのではなく、茶色は白い塗装が錆びて剥がれた色である。 私がこの規格のガードレールを見るのは、初めてではない。 しかし、滅多に見るものでないのは確かだ。 現在も生産されているのだろうか? これが新たに設置されているのを見た憶えが全く無いが、実は前時代の遺物なのではなかろうか。 そもそも、ガードレールというのは防護壁の一種の製品名であり、その目的は通行人や車が路外に逸走する事を防ぐ事にある。 そして、ガードレールの強度は道路構造令で定められており、JIS規格もある。 この場所のガードレールが

                • 【山さ行がねが】道路レポート 神奈川県道515号 三井相模湖線

                  このレポートで紹介する道は、神奈川県が指定する県道路線のひとつ、三井相模湖線である。 路線番号は515番が充てられている。神奈川県では、「500番台は県央北部の路線に充てる」などという風な独自の県道命名規則を設けているため、県土が狭い割りに700番台までの県道があったりする。 昔、小学生6年まで横浜市に住んでいたが、当時は全然県道の路線番号なんて気に留めたこともなかった。 この三井相模湖線が結んでいるのは、相模原市三井(みい)と同 千木良(ちぎら)の間の約7kmである。 ほぼ全線が人造湖である津久井湖の北岸の険しい山腹にあり、途中、名手から赤馬(あこうま)までの2km区間が通年通行止めとなっている。 今回の計画は単純なもので、現在地である城山町城山にて県道513号鳥屋川尻線へ入ることからスタートする。 この県道はターゲットの515号と相通じて津久井湖北岸の湖畔路線を形成しており、私は『城山

                  • 道路レポート

                    かつて、盛岡と太平洋岸の野田(現在の九戸郡野田村)を結んだ街道は野田街道と呼ばれ、南部牛方という行商人達が歩いた道である。 野田街道には本野田街道と沼宮内(ぬまくない)廻野田街道の二つがあり、黒森峠は沼宮内廻野田街道のなかで最も高い峠であった。 峠は、牛方達が宿とした吉ヶ沢と山形川沿いの小屋畑集落の間に、海抜876mをもって聳えている。 近代、県内の主だった旧街道が国道や県道に再指定される過程で、この野田街道最大の難所であった黒森峠も、主要地方道(県道30号線)葛巻安代線に指定された。 しかし、地形図をはじめ、新旧を問わず道路地図においては、峠の葛巻側の僅か2kmほどに、道は描かれていない。 期待と不安を胸に、2005年の春、雪解けを待ち愛車に跨った。 岩手県二戸郡一戸町 中山 まいった。 思惑が、もろに外れてしまった。 これでは、…ネタにならない。 おかしいな…、話が違うじゃないか。 青

                    • 【山さ行がねが】橋梁レポート 山形県道375号 十里塚遊佐線

                      このタイトルなのに「橋梁レポート」? 何かの間違いじゃないの?? そう思われるかも知れない。 だが、この県道の近くには、是非とも紹介したい橋が2つある。 この県道、一般県道375号十里塚遊佐線は、右の地図の通りの短い路線である。 遊佐町の役場所在地である遊佐と、海岸沿いの十里塚とを結ぶ、わずか5km足らずの道だ。 だが、この道は2つの顔を持ち合わせている。 一つは西の海岸線近く、砂丘の防砂林を越える小さな峠区間。 残る東側は広大な田園風景である。 僅かばかり、遊佐の街並みの景色もある。 そして、私が紹介したい橋は、ちょうど路線の中程の江地(えち・えぢ)地区にある。 レポートは、終点である遊佐より始まる。 時は夕暮れ。 ご覧頂こう。 霊峰鳥海の南の一角を占める遊佐(ゆざ)町。 平成の大合併でも、巨大化した酒田市に呑み込まれることを回避し、観光に根ざした独自の町作りが模索されている。 鳥海山の

                      • 【山さ行がねが】隧道レポート 国道49号 本尊岩隧道

                        国道49号は太平洋岸のいわき市と日本海沿岸の新潟市とを結ぶ全長250km近い国道である。 都会化の進む起終点の両市をはじめ、その沿線にも福島県の中心的都市である郡山市や、会津地方の中心地会津若松市などを擁し、並行して磐越自動車道が通うなど、南東北を代表する列島横断国道と言えるだろう。 だが、この道が一応の近代的な交通路としての面目を得たのは比較的近年であり、昭和39年の一級国道昇格を機に各地で一時改良工事が進められてからのことである。 それ以前は二級国道115号平新潟線と呼ばれており、明治15年頃に二代福島県令三島通庸が拓いた「会津三方道路」(会津若松から栃木、山形、新潟へとそれぞれ繋がる新道整備や道路改良)の名残を残す、殆どが砂利道以下という難路であった。 そのなかでも最大の難所だったのが、昭和39年に現在の隧道が掘られるまで、三島時代の隧道をそのまま使っていた本尊岩(ほんぞんいわ)であ

                        • 【山さ行がねが】隧道レポート 旧 佐島隧道

                          東京へ越してきた私が、最初に集中的探索を実施した場所が三浦半島だった。 ここには、明治以降に掘られた大量の隧道が存在し、その多くが改良を受け現役で活躍している。 私にとって、たくさんの古い隧道と戯れられる場所というのは、大変魅力的だった。 三浦半島は最南端の三浦市城ヶ島から北端とされる横浜市金沢区円海山まで約25キロ、平均幅が5キロほどの丘陵性の半島であるが、東京湾を挟んで対岸に位置する房総半島があまりに肉厚で巨大なせいで、小縮尺の地図上ではそれほど目立った存在ではない。だが、幕末に黒船に乗ったペリーが上陸したのは半島内の久里浜港だし、鎖国が解かれて開港したのはその隣の浦賀港だった。また、横須賀港は明治以降、日本海軍最大の拠点港として発展した。どちらかというと軍事寄りの歴史が多いけれど、歴史がたっぷり詰まったという意味での土地の濃密さは凄い。そして、おそらく日本で最も人口密度の高い半島では

                          • 【山さ行がねが】道路レポート 寸又峡の旧遊歩道

                            飛 龍 橋。 全長72m、高さ69m。上路スパンドレルブレーストアーチ。 奥黒法師から流れ出る大間川の深谷を跨ぐ、現役の道路橋で、架設された昭和32年当時はここを千頭森林鉄道が通っていたが、同44年に車道橋へと改築された経緯を持つ。これは土木学会により権威ある「歴史的鋼橋」にも認定された名橋であり、寸又峡を代表する観光名所ともなっている。 しかし、この橋は今回の主役ではない。 夢の吊橋。 全長90m、高さ8m。吊り橋。 この橋は飛龍橋の500mほど下流、寸又川との合流地点にある「大間堰堤(ダム)」に架かる、人道用の吊り橋で、これまた寸又峡の代表的観光名所である。 もちろん、今回の主役ではない。

                            • 隧道レポート(初期レポート集2)

                              このレポートの最終回ないし最新回の 「この位置」に、レポートへの採点とコメント入力が出来る欄を用意しています。 あなたの評価、感想、体験談などを、ぜひ教えてください。 【トップページに戻る】 前回紹介した、旧横荘鉄道廃線後に残る隧道のうち、唯一不通となっている隧道である。 ここを2002年春、山チャリがてらの内部調査を行った。 今回は、そのレポートである。 今回の探索のスタートは、この二井山集落である。 この地にかつて二井山駅があったが、廃止されて40年近く経過した現在では、そのことを伝えるのは、一本の立て札のみだ。 二井山集落を離れると、すぐにのぼりが始まる。 ここから長い山間部の道なりとなる。 かつての鉄路は、現在の車道(県道48号線)に沿って存在したようだが、その痕跡は見つけられなかった。 結構な勾配であり、SLや気動車では、速度は出なかっただろうなー。 1Km程で、車道は、直角のカ

                              • 【山さ行がねが】ミニレポート 第120回 福島県道391号広野小高線

                                総延長55kmという、3桁県道としては異例の長さを誇る県道391号。 南相馬市小高区の終点から広野町の起点へ向けて走り続ける私も、いよいよ3番目の行政区分に入る。 一帯の郡名と同じ名前を冠する、双葉町だ。 【大きめの地図を別窓で開く】 今回紹介するのは、県道391号の双葉町にかかる区間の全てである。 海岸に面する3つの大字を縦貫するのであるが、これまでの激しい迂回や右往左往の様相に較べればシンプル。 細かい屈曲こそあるが、全体としてはほぼ直線的に走っている。 まして、北側半分については数年前に待望のバイパスが開通しており、もはや「蛇の道」は過去のものとなっている。 町内延長は、4.7km(バイパス経由は4.5km)ほどだ。 そして、地図の南端部分に怪しい存在感を醸し出しているのは、東京電力福島第一原子力発電所である。 ここまで何度かその存在を匂わせるものを見てきたが、ついに現れる。 双葉町

                                  【山さ行がねが】ミニレポート 第120回 福島県道391号広野小高線
                                • 道路レポート

                                  区 界 峠くざかいとうげ。 これほど、旅情をかき立てる峠の名を、他に知らない。 この峠は、岩手県は盛岡市と宮古市を結ぶ一般国道106号線最大にして唯一の峠である。 北上川に沿って南北へ連なる長大な平野部と、太平洋岸のリアスを基調とする険しい海岸線、そしてその中間を埋める広大な北上山地。 県としてはもっとも広い岩手県の地勢は、意外に簡単に説明できる。 そして、内陸平野部と沿岸部の間には幾筋もの街道が拓かれてきた。 それらの多くは、険しい北上山地を越える峠道であり、区界峠もそのうちの一つである。 国道106号線は、全長約100km。 その長い行程の全てが、区界峠越えといっても差し支えない。 盛岡を発すると一路東進。 梁川に沿って、緩やかに、そして徐々に勾配を極めながら登ること30kmと少し。 そこが、県都と下閉伊郡川井村の行政界にして、北上水系と閉伊水系の分水界である、区界峠である。 海抜75

                                  • 【山さ行がねが】道路レポート 国道127号 旧道及び隧道群 明鐘岬編

                                    2007/3/6 11:58 《現在地》 なんじゃこりゃ! いろいろな隧道を見てきた私も、流石にこれにはぶっ飛んだ! これほどの異形の隧道。 流石に今まで人知れず存在していたわけではなく、「知る人ぞ知る」の状態で長らくあったわけだが、私にとっては全くの初見。 地形図一枚の他は、何一つ事前に情報収集を(敢えて)しなかったということが、ここで活きた。 その存在をあてにして来ていたのでは、これほどの驚きは無かったはずだ。 しかしこの異常としか言いようのない断面は、何故に生じたものなのだろう。 富津市史にこの異形の隧道に関する情報はなく、実際のところ、どれだけの高さがあるのかさえ不明。 だが、チャリと比較してみても、10m以上あることは間違いない。マンションの3階くらいだろうか。 並行する現在の城山隧道の竣工年や、古い地形図を見る限り、昭和18年まではこの道が房総半島を縦貫する幹線道路であった。

                                    • 【山さ行がねが】道路レポート 林道鹿曲川線

                                      【周辺図(マピオン)】 今回探索した林道鹿曲川線は、長野県の東信地方南部、八ヶ岳連峰の北端をなす蓼科(たてしな)山の北側山中にある、全長約10kmの民有林林道である。 路線名通り、千曲川支流の鹿曲(かくま)川に沿う渓谷の道で、全線が佐久市(旧望月町)に属す。 中山道の古い宿町で旧町の役場所在地だった望月から、長野県道151号湯沢望月線を終点の春日温泉まで約8.5km、そこから市道約2.5kmを介して本林道がスタートし、約10kmを上りきった先に「仙境都市」なる妙に格好いい地名が、手元のスーパーマップルデジタル(ver.16)には書かれているのである。 右の図は最新の地理院地図から本林道の南側半分、「仙境都市」の周辺を切り出したものである。 なぜか地理院地図には仙境都市という名は出ておらず、同じ辺りに「富貴の平」の地名があるが、本編では呼称を「仙境都市」に統一して進める。 仙境“都市”と言

                                      • 【山さ行がねが】道路レポート 中央自動車道 旧道

                                        今回紹介するのは、数多くの道を紹介していた「山行が」でも初めてのジャンルである。 それは、高速道路の廃道である。 そんなものがあるのかと思われるだろうが、確かに高速道路で廃道になった路線はない。 昭和38年の名神高速道路栗東IC~尼崎IC開通以来、日本の高速道路45年の歴史の中で、一度開通した高速道路は今日まで継続的に利用されてきた。(ただし一例のみ、北陸道において一般道路に格下げとなった区間が存在する) 今回採り上げる“高速道路の廃道”とは、線形改良によって生じた部分的廃道である。 一般道路においては線形改良による路線の更新は頻繁で、全国にそれこそ無数に存在しているわけだが、ことさら大がかりな工事と、それ故十分な事前調査を行って産み出される高速道路においては、そういったケースでさえ稀で、私がネット上で調べた限り全国でもわずか2例しかない。 そのうちの一例が、中央自動車道の上野原IC~大月

                                        • 【山さ行がねが】隧道レポート 国道140号 駒ヶ滝隧道

                                          なにやら秩父の山奥には、現役の国道でありながら一風も二風も変わったトンネルがあるらしい。 以前、当サイトで大々的に読者様から情報を募った際にも、そのトンネルの情報は複数の方から寄せられた。 いずれも関東近郊の方からの情報で、「関東に来たならぜひ」とか、「こちらの名物です。ぜひ見てくれ!」というような熱い内容だったと記憶している。 そして今回私は、初めて自転車でこのトンネルを通った。 その結果、現役のトンネルとしては特別に強烈なインパクトを有するものであると、そう認識するに至った。 故に、ここ1年間ではたった1例しか前例のない、現役でありながら隧道レポに登場という(きっと名誉でもなんでもない)快挙となったのである。 前置きはこのくらいにして、早速レポを始めよう。 いきなり隧道というのではそのインパクトを伝えきれないので、少し手前から始めたい。 2007/9/3 6:24 【埼玉県秩父市大滝 

                                          • 【山さ行がねが】ミニレポート第224回 熱海の野中山トンネル

                                            先日、地理院地図を眺めているときに、面白いトンネルを見つけた。 あなたにも、見つけてもらいたい。 ↓↓↓ ↓↓↓ ここ、どうなってるの?! ごくごく短いトンネルが、180度のカーブを描いているように見える。 この奇妙なトンネルの道は、行き止まりのようだが、とても気になる。 実際にどんな景色が現地にはあるのか、見に行ってみよう。 場所は、日本有数の温泉歓楽街である、熱海(あたみ)だ。 2016/2/21 13:29 【現在地(マピオン)】 ここは、静岡県熱海市のJR熱海駅前。 東海道本線と東海道新幹線そして伊東線が停車するこの賑わいの駅を、観光やビジネスなどで訪れた経験を持つ人は大勢いることだろう。 しかし私はこの日この場所へ鉄道を使わずやってきた。 遙か昔に失われた豆相人車鉄道の跡を、人車鉄道並みの速度しか出ない自転車で追い掛けながら、辿り着いたのだ。 もっとも、ここに辿り着く直前に、人

                                            • 【山さ行がねが】道路レポート/廃線レポート 草木湖水没交通遺構群

                                              平成24年の夏は猛暑であったが、加えて東日本ではまとまった雨が少なく、必然的に各地のダム湖は渇水に見舞われた。 そのため、いくつかのダムは貯水率が一桁にまで低下する異常事態となったが、そこまで行かなくても、ダム湖の水位が普段より下がっている状態というのは、オブローダーにとって発見の良い機会である。 普段は湖面の下にあって見る事が出来ない様々な水没した地物が、地上に現れることになるからだ。 今回私が訪れたのは、群馬県の渡良瀬川にある草木(くさき)湖で、水資源機構が昭和51年に完成させた草木ダムが生んだ、比較的に規模の大きな人造湖である。 前日の時点でモニタされた草木ダムの貯水率は30%を切っており、私は渇水の湖底に現れているかもしれない “ある” ものを探すべく、朝一番で訪問したのだった。 私が探しているものは、以下のふたつ。 国道122号の旧道。 国鉄足尾線の旧線。 特に国鉄足尾線には、岩

                                              • 【山さ行がねが】廃線レポート 千頭森林鉄道 逆河内支線

                                                ※このレポートは、「廃線レポート 千頭森林鉄道 千頭堰堤~大樽沢」の続きになります。 ※千頭森林鉄道全体については、【こちら】にまとめています(執筆途中)。 逆河内 読みは、サカサコウチ なんでこんな名前なんだ? どうしても「真っ逆さま」というという言葉を連想してしまって、良い印象がないんだが。 それにここは、一部で有名な“あの橋”のある谷だろ…。 ともかく、この逆河内は寸又川最大の支流であり、河内には谷という意味があるせいで、地図でも「~川」とか「~沢」は付いていない。そのまま逆河内という。 そしてこの逆河内に沿って、千頭森林鉄道の支線が存在した。そのまま、逆河内支線である。 本線との分岐地点は大樽沢(おおたるさわ)だが、ここからして既に最奥集落の大間(寸又峡温泉)から軌道跡を14.1kmもさかのぼった地点である。この探索の模様は、「廃線レポート千頭森鉄 千頭堰堤~大樽沢」をご覧頂きたい

                                                • 【山さ行がねが】隧道レポート 栗原鉄道 赤坂山隧道

                                                  このレポートの内容は不完全なものであることが判明しました。 赤坂山隧道の尾松側坑口は、他に存在するとのこと。 読者の皆様におかれましては、その点をご了承下さい。 「再調査計画中」 またひとつ、レールが消えようとしている。 2007年3月いっぱいで全線のバス転換が予定されている、くりはら田園鉄道線。 通称「くりでん」がそれである。 くりでん。 大正10年「栗原軌道の部分開通」から今日までの80年近い歴史は、まさに波瀾万丈。 僅か26km余りのミニ鉄道でありながら、おおよそ一つの鉄道が経験できる全てのイベントを経験していると言っても過言ではない。 以下に、この鉄道の体験した経歴のうち代表的なものを記す。 まず全線(26.2km)が開通したのは昭和17年。当時は「栗原鉄道」に改称されていた。 昭和27年、電化。 開業当初は軌間762mmであったものを、昭和30年に現在の1076mmへ改軌。 この

                                                  • 【山さ行がねが】道路レポート 国道158号旧道 猿なぎ洞門

                                                    平成3年10月18日、 国道の現役の洞門が巨大な土砂崩れに呑み込まれ、あっという間に破壊されるという事故が発生した。 しかも、その模様は偶然にも、対岸の集落に住む安曇村役場職員によってビデオ撮影がされていた。 真新しいコンクリートの洞門が、落雷のような轟音とともにひしゃげ、無惨に崩れ落ちて行くショッキングな映像は、当日夕方のニュース映像にも使われており、ご記憶にある方もおいでだろう。 私もおぼろげながら見た記憶がある。 現在もこの映像は土木の世界において各種の解析に用いられているという。 これは、長野県松本市と福井県福井市を結ぶ国道158号上で、関東方面から上高地へと向かう玄関口の安曇村島々地区、「猿なぎ洞門」での出来事だった。 一歩間違えれば、昭和46年に静岡県の国道150号で発生した石部洞門崩落事故や、平成8年に北海道の国道229号豊浜トンネルでの崩落事故のような大惨事になっていただろ

                                                    • 当サイト読者さまへの、切なるお願い! | ヨッキれんの おぶろぐ! 〜廃は廃でもヤマイダレ〜

                                                      「山さ行がねが」を応援して下さる皆様に、大きなお願いがあります。 今年の春にイカロス出版社より発売となりました「廃道をゆく2」でございますが、先日売り上げの中間報告的なものが出て来まして、出版社サイドからの意見として、「あともう少し売れれば、“3”が出せる」ということでした。 でもこれ、逆に言えば、 このままでは、“3”は難しい ということです。 グフッ 「廃道」という未だニッチな市場で、これまで”廃道の本”が3冊も出せていることでも、本当ならば満足しなければならないのかも知れません。 でも、1,2とシリーズ化してきた以上、ここでシリーズが止まってしまうことは、残念で仕方ありません。 正直なところ、最近は昔ほど頻繁にサイトを更新できていませんし、皆様の情報によって得られた成果を、十分には還元できていない気がします。そこでこんなお願いをすることは、むしが良いようで心苦しいところがあります。

                                                      • 【山さ行がねが】道路レポート 国道16号 八王子バイパスの未供用ランプの謎

                                                        八王子バイパスの中谷戸~片倉間に存在する未供用のランプウェイに関して、本編(前後編)で提示した謎は以下の5つである。 八王子バイパスは、計画当初からハーフインターを多用する設計だったのだろうか? なぜ、使われていないのか。 使わないのならば、なぜ建設されたのか。 名前は、予定されていたのだろうか。 今後、活用される可能性はあるのだろうか。 また、特に謎解きの「手掛り」として示したものが2つあった。 北野台地区での片倉ICの案内が不親切で、故意にそうしている様に感じられる。 北野台地区には八王子バイパス建設当初に設置された、大気汚染と騒音のモニター装置がある。 謎の答えを探すべく、私はまず、八王子バイパス建設計画の始まりを探ってみることにした。 前編にも述べた通り、八王子バイパス(全長10.5km)には無料の区間と有料区間があり、先に無料区間(6.0km)が開通し、後から有料区間(4.5km

                                                        • 【山さ行がねが】道路レポート 国道253号旧道 八箇峠

                                                          山行が合調隊メンバーのふみやん氏(新潟県長岡市在住)より、今からだいぶ前に現地の廃道情報がもたらされた。 それは、新潟県十日町市と南魚沼市を結ぶ八箇峠の旧国道に関するものであった。 彼は普段から余り感情を表に出すことはないが、こと、この八箇峠については、並ならぬ感情が含まれている気がした。 そして、彼は言った。 「夏場には近づけない」 -らしいと。 私は、彼が示すいくつかのサイトのレポートを見たが、確かに偉大なる先人の数人が峠に辿り着いてはいるものの、みな、盛夏期を避けているようだ。 はたして、夏場にはどんな景観がそこにあるのだろう。 本当に、近付くことさえ出来ないというのだろうか。 たかが、たかが薮ではないのか?! 別に私は、そんな無意味な挑戦に駆られたわけでは決して無く、単に、この時期に通りかかってしまっただけである。 まさか、あんな重大な困難が待ち受けているとは、思っていなかった。

                                                          • 房総廃キング 保台古道隧道群と悪夢の元清澄山周遊コース / Bushmasterさんの元清澄山・三石山の活動データ | YAMAP / ヤマップ

                                                            かねてから訪ねてみたいと思っていた、素堀り隧道群で有名な、鴨川の保台古道に行ってみました。保台元清澄連絡道路とか遠沢林道とも呼ばれ、2008年に「山さ行がねが 」のヨッキれん氏が紹介し、一躍有名になりました。8つの素堀り隧道があり廃マニアなら行っておくべきエリアでしょう。現在では、一応ハイキングコースとなっていますが、2019年房総半島に大被害をもたらした台風15号の影響か、ルートは倒木、崩落だらけで、ハイキングとしては、かなりハードモードを強いられます。心してかかるべし。

                                                              房総廃キング 保台古道隧道群と悪夢の元清澄山周遊コース / Bushmasterさんの元清澄山・三石山の活動データ | YAMAP / ヤマップ
                                                            • 廃線レポート

                                                              森吉林鉄のダム付け替え区間の探索が4度を数え、いよいよ次で完全踏破も見えてきていた、2004年5月15日。 一通のメールが、私のもとへ届いた。 そこには、衝撃というより他はない一枚の写真と、さらに衝撃的な文章が綴られていた。 その差出人は、ここではT氏としたい。 この1通のメールが、未だ醒めやらぬ新たな興奮、森吉の新しい冒険譚の幕開けを告げたのである。 文章は、いたって簡潔であった。 ここに要約するまでもないほどだ。 太平湖のまだまだずうっと奥に、まだ隧道がある。 貼付されてきた写真の凄まじさもあり、私はその日から問答のように、彼へメールでの質問を続けた。 彼は、徐々に、徐々に、その場所を明かし始めた。 一つ一つ明らかにされるたび、私は期待と、それ以上の無力感を同時に感じていた。 明かされた隧道の場所は、余りにも… 余りにも遠かった。 右図で、青い○で囲んだ一帯に、T氏が示した隧道(以下『

                                                              • 【山さ行がねが】隧道レポート 横浜市の柴燃料隧道(仮称)

                                                                今年最初に道路業界を駆け巡ったニュースは、関係者にとっては頭の痛い問題であるとしても、我々オブローダーにとっては心の躍るものだった。 2014年(平成26年)1月5日付け神奈川新聞配信(電子版)ニュースの見出し、 『小柴の“放置”トンネル問題:さびた看板、暗い蛍光灯、一年中水漏れ… 「どこに補修頼めば…」周辺住民困惑』 ――放置トンネル問題は、我々オブローダーが日常的に取り組んでいる問題であり、今回も新聞社に発表の先を越されたことへの悔しさよりは、「あそこか」といううすら汚い笑みがまず漏れた。 この場所、2009年(平成21年)9月に何気なく行っており、何ともいえない感情を持ったものの、市街地で地図さえあれば行きにくい場所でもないと思ったので、報告のための机上調査をしないまま放置していた。 私の中でも放置トンネルとなっていたのである。 そんなつまらない冗談はさて置き、記事の中身(おそらく記

                                                                  【山さ行がねが】隧道レポート 横浜市の柴燃料隧道(仮称)
                                                                • 廃隧道・旧隧道・変なトンネル・謎の穴~山さ行がねが・隧道レポート~

                                                                  千島海流によって削られた高さ100m近い海食崖が連なる昆布森海岸。地図を見る限り、海岸線を人が行き交う状況は想定しづらい絶壁なのだが、そんな海食崖に穿たれた古隧道があるという情報を入手した。“割れ岩トンネル”というらしい。いくつかの条件をクリアしなければ到達出来ない隧道に挑む!

                                                                  • 【山さ行がねが】道路レポート 塩那道路 (県道中塩原板室那須線) その1

                                                                    塩那道路を走りたい。 それは、私の長年の夢であった。 私には、全国に幾つも、そんな道がある。 生涯で、一度は走りたい道。 これまでの山チャリ人生十数年間で、そのうちの幾つかは、幸運にも走ることが出来た。 例えば「仙岩峠」に「万世大路」、それに「大峠」などだ。 そしてまた、夢の一つの実現を懸け、私は旅立った。 ターゲットは、東京から北に175kmの地。 走り慣れた東北地方を離れ、関東の北端、栃木県は塩原町。 今回の同行者は、千葉県より参戦のゆーじ氏(サイト『銀の森牧場』)ひとり。 彼とは、丸一年以上もこの計画を温め合ってきた仲だった。 彼もまた、塩那に取り憑かれた男の、一人だ。 2005年10月9日早朝、まだ日の明くる前の道の駅「塩原」に、二人の姿はあった。 残念なことに、天候は雨。 前日夕方に当地に集合した我々は、近くのファミリーレストランで対顔を祝うと共に、今回の計画の成功を誓い合った。

                                                                    • 【山さ行がねが】道路レポート 都道204号日原鍾乳洞線 旧道

                                                                      11:52 いままで幾人ものオブローダーを退けてきただろう、大崩壊斜面。 いま、長年の想いが叶い、そこを前にした私。 私は、これまで歩んできた道を振り返るが如く振り返った。 もはや、そこに道があった証しは、岩陰から僅かに覗くコンクリートの法面以外に無い。 路面をロックガーデンに変えてしまった、猛烈な土砂崩れ。 だが、これから挑む大崩壊斜面は、これとは全く別の性質ものだった。 向き直る。 道は、無い。 比喩的な意味ではなく、本当に道がない。 ここは、松の木峠の崩壊箇所とは決定的に異質である事が、この時点で判明した。 というのは、松の木の場合、道は確かに存在するが、その上に膨大な土砂が堆積して斜面となっている。 一方、この日原は全然違って、路盤がそもそも存在せず、ただの流れる瓦礫斜面である。 左の写真は、崩壊地を道の先端から覗き込んでいるのだが、本来ならばこの足下の延長線上に道はあったはずなの

                                                                      • 道路レポート

                                                                        あなたは、この穴の姿を覚えているだろうか? 忘れもしない、2004年9月22日。 我々、山行が合調隊の3名が、悪天候を押し突入した粒様沢深部の林鉄探索。 延々と濁流を掻き分け、命まで押し流されそうになりつつの遡行。 遭難の恐怖に怯えながら、暗い森で火も起こせぬ野営。 翌9月23日、長い夜が明けると、空は嘘のように晴れ上がっていた。 まもなく我々は、遂にレールの敷かれたるままの軌道跡を発見。 そこは、まさに林鉄探索者垂涎の楽園であった。 さらに上流へと、錆びたレールは何キロも残っていたのだ。 誘われるように、レールを辿り歩く我々だったが、ある地点を境にして、それは途端に消えた。 静かなブナの森の底で、二つの清流が出会い、一つになっていた。 そこで我々は、右の沢を、選んだ。 かつて、狩猟に生きたマタギ衆すら尊んで近づかなかった、山の神の領域。 地形図上には、ただ「様ノ沢」とだけ記された、その峡

                                                                        • 【山さ行がねが】廃線レポート 白湯山林道(森林軌道)

                                                                          【周辺図(マピオン)】 那須塩原市の北部、那珂川源流の那須山地一帯には、いくつかの森林鉄道が存在した。 今回紹介する白湯山(はくとうさん)林道は、近世に山岳信仰の対象となっていた奥那須の白湯山から流れ出る湯川と、大川に挟まれた山林(図中では左上の僅かな面積だが、実際はこの背後に広大な山林がある)通称“七千町歩”からの伐木運材を目的に開削された、全長12kmの路線である。 ただし、この全線に軌道が敷かれていた訳ではないようだ。 昭和8年版の地形図でも、軌道が描かれている部分(矢沢より北側)と里道として描かれている部分(矢沢より南側)があるが、『黒磯市史』によると、白湯山林道は起点「谷地田原」から「地蔵平」までの4kmは牛馬道として、「地蔵平」から終点「七千町歩」までの8kmは軌道として、昭和6年に開通したというのである。 また、この林道を計画し建設したのも営林署ではなく、七千町歩の伐採権を

                                                                          • 道路レポート|国道107号旧線 白石峠 その1

                                                                            岩手県で、最も古いトンネルとして記録されているのが、これから紹介する白石峠にあった、白石隧道である。 過去形で記さねばならぬのは辛いが、現実に、今はもう、存在しない。 この隧道が掘られたのは、記録によれば明治18年。 この時代にはまだ、東北地方に自動車など殆ど存在せず、鉄道といえば唯一釜石にあったのみ。 国道県道といったような道路行政もまだ未成熟で、江戸時代から続く「街道」の名が人々に行き渡っていた。 この、県内最古の隧道が掘られたのは、盛街道。 いまの大船渡市と水沢市とを繋ぐ北上山地横断の道の途中、白石峠という場所だった。 現在も、この峠には国道が通い、三陸中部の主要な交通路となっている。 かつて、平泉黄金文化を支えた鉱山ヤマのみちであると同時に、沿岸と内陸の文化交流のみちでもあった盛街道に、今は無き隧道の痕跡を求める。 岩手県気仙郡住田町 世田米せたまい 住田町世田米から東の白石峠を越

                                                                            • 【山さ行がねが】隧道レポート 鶏足山の大沢隧道

                                                                              2008年7月に「てんてん」さんからお寄せいただいた情報には、茨城県北部の城里町にて一本の廃隧道を発見したという報告が含まれていた。 名称不明、由来不明、前後のルートも未解明、洞内の様子も貫通しているかさえ分からない。 情報は不十分であり、そこから隧道の正体をとらえることは難しかった。 だが、それだけに私は、この場所に対して強い興味を抱くことになった。 地図で見る東茨城郡城里町は、茨城県中東部、笠間市の北にある山間の地区であるようだ。 自身にとって、茨城県の東部は全く未体験の地である。 果たしてそこにはどのような廃道と、廃隧道が待ち受けているのだろう。 久々にプレッシャーの無い期待感を胸に、私は城里町へクルマを走らせた。 目指す廃隧道と思われるものは、最新の二万五千分の一地形図にも記載されている。 確かに前後の道は点線であり、廃道っぽい。 だが、すぐ傍に林道と思しき車道が描かれており、アプ

                                                                              • [iPhone, iPad] 廃道クエスト: 誰も通らなくなった道にも歴史がある。「廃道」を探検しよう。無料。 | AppBank

                                                                                廃墟と同じように、廃道にもストーリーがあります。「廃道クエスト」で廃道の魅力に触れてみましょう。 同名のDVDの発売を記念してリリースされたアプリです。たくさんの高画質の画像と音声で、廃道の魅力を紹介します。 廃道や廃トンネルといえば、ホラーっぽく紹介する番組が多いですが、こちらのアプリは景色の美しさや、歴史にスポットを当てています。 それではミステリアスな廃道の世界に行ってみましょう。 「廃道クエスト」を動画で見る 廃道探索開始! アプリを起動したら画面をタップして始めます。 越床峠 3つのスライドショー付き音声データを楽しめます。最初は「越床峠(こしどことうげ)」から聞いてみましょう。 廃道や廃トンネルの紹介サイト「山さ行がねが」の管理人「平沼義之」さんのトークで進みます。 越床峠は栃木県にあります。美しさはレベル5です。 落ち葉が積もったアスファルトに落ちた木もれ日がキレイですね…。

                                                                                  [iPhone, iPad] 廃道クエスト: 誰も通らなくなった道にも歴史がある。「廃道」を探検しよう。無料。 | AppBank
                                                                                • 【山さ行がねが】廃線レポート 久留和漁港の海上に伸びるレール

                                                                                  2014/11/28 13:55 《現在地》 まあ、こういうこともあろうかと、心の準備だけはしてきたのさ。 え? 装備の準備はないよ。着替えもないし、もちろんウェーダーなんて言う嵩張る道具を、サイクリングに持ってきているはず無いでしょ。 もうこの時間に濡れてしまったら、夜までに乾くこともないだろう。絶対寒いだろうけど、どうせまた来てやり直すくらいならばね、今でしょ? それに、装備の準備こそないものの、周到に時間を調整してきたのである。 気象庁サイトの潮位表を見て、本日日中の干潮時刻14:58(ここに近い湘南港の数字だが)を目安にしてここへ来たというクレバーぶり! そういう意味では、内心では最初から覚悟を決めてきていたとも言える。 といいつつ… 探索当日の(日中の)干潮時刻における潮位は91cmで、同日の満潮の潮位より30cmくらい低いとはいっても、実は1ヶ月の中でも最悪の高潮の日を選んでい