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山さ行がねがの検索結果201 - 240 件 / 468件

  • 【山さ行がねが】道路レポート 割石の高崖みち

    2008/7/4 7:01 《現在地》 このレポートを書いている時点ではまだ最終回を迎えていない長編、廃線レポート「神岡軌道」の探索は、7月3日に始めたが一日で目的を達することが出来ず、本日4日へとずれ込んだ。 3日は神岡の市街地(飛騨市神岡町)にある「道の駅かみおか」で夜を明かし、この日は朝から、前日の終了地点である東漆山へとチャリを漕いで向かった。 もちろん、前日から引き続き相棒nagajis氏がいる。 その途中、割石という地名のところで、トンデモナイ風景に遭遇してしまった。 国道41号を神岡市街から富山方向へ向かうと、はじめのうち高原川の左岸を、対岸に神岡鉱山の巨大施設や禿げ山を見ながら進むことになる。 そして、2kmの少し先で「吉ヶ原橋」という大きな橋で右岸に移ったかと思うと、また1km以内に「割石(われいし)橋」で左岸へ戻る。 この辺りが割石地区であるが、国道沿いに集落は無い。

    • 【山さ行がねが】道路レポート 切ヶ久保新道

      今年11月始め、『廃線隧道のホームページ』を運営される“しろ氏”より、興味深い情報のご教示を頂いた。 「みやま書房」が昭和43年に発行した『三国街道』なる本のなかに、群馬県北部の「切ヶ久保峠」というところに、明治7年に隧道が掘られたという記述があるというのだ。そして、現在はそこに車道らしいものはないという。 明らかに“明治廃隧道”を匂わせる情報。しかし、遠方のため自身では容易に調査できないということで、私にその貴重な情報を教えてくれたようだった。 自身にとっても初耳である切ヶ久保峠。そして隧道。 まずは国土地理院のサイトへ行き、地形図にその名を探した。 【マピオンで位置を確認】 最新の地形図にも、切ヶ久保峠の名前ははっきりと記されていた。 現在の地名で言うと群馬県利根郡みなかみ町の布施(ふせ)地区の南方で、この峠を挟んで吾妻郡高山村中山地区に接している。 図中の切ヶ久保峠は、峠の南側に道が

      • 【山さ行がねが】ミニレポート 第125回 檜原村の未成BP橋

        【マピオンによる周辺図】 都心から西に50km。 多摩の奥地、秋川谷の山峡に広がる緑と清流の村、檜原(ひのはら)。 そういえば聞こえもいいが、(離島を除く)都内で唯一過疎の“村”という現実は、担当する行政官にとって悩ましいに違いない。 そんな檜原村にとって最大にして唯一の縦貫道路である都道33号「上野原あきる野線」。 ミニレポ第119回(後編)において、この道の改良を期して建設されたものの、いまなお完成せぬまま放置されている橋を紹介した。 また同じ都道33号の沿道で奇妙な橋に出会った。 前回同様、柵に阻まれた、行き先無き橋である。 ご紹介しよう。 檜原村役場のある元郷地区から都道33号を西南方向へ進むこと約7.5km、南郷地区の下川乗という所へ来る。 都道は間もなく甲武トンネルのある山梨県境の峠越えに立ち入る訳だが、その上りが始まる少し手前、ずっと平行してきた南秋川の清流を二度連続して渡る

        • 【山さ行がねが】道路レポート 鬼怒川温泉の廃観光道路

          例年、その年の一番始めに書くレポートを何にするかで悩む。 やはり一年の始まり、自分自身の士気を高める上でも、あまりしょうもないレポで明けたくないし、また、多くの読者様の「廃道初め」になるのかも知れないと思うと、そう軽々とネタを決定できないものだ。 そんな中で、今年はわりかしすんなりと決定した。 表題は仮称なのだが、正式な道路名がまだ判明しないので、やむを得ない。 しかし、この道の状況をよく現すタイトルにはなったと思っている。 「東京の奥座敷」と呼ばれ、箱根と共に関東を代表する温泉場である栃木県日光市の鬼怒川温泉。 そこに廃道があるとの情報を手にしたのは、平成18年の夏頃だった。 情報提供者は、『険道と標識のページ』を運営する春日氏である。 どうもその廃道の途中には一本の隧道があるらしく、それより先は訳あって未調査だという。私は彼からその調査を託された形となって、いざ訪問の機会を覗っていた。

          • 【山さ行がねが】道路レポート 国道7号旧線 三崎峠

            北日本の環日本海交通のメーンルートである国道7号線(新潟~秋田~青森間)。 この道が山形県と秋田県の境で越える峠が、三崎峠である。 だが、現在の国道を車で走る限り、県境を示す巨大な標識さえ無ければ、そこがかつて難所と呼ばれた峠であることは窺い知れないだろう。 この三崎峠の沿革を簡単に述べれば、国道7号線の前身であるところの藩政時代以前の羽州浜街道に端を発する。 当時の道は海岸線に近い位置を通っており、かの俳聖松尾芭蕉も「奥の細道」紀行で通った道であるが、明治期に入って馬車交通の要請には応えらぬ難路であったという。参考写真:三崎峠の旧街道(歩道) この道は当時の雰囲気を残した遊歩道となっており歩くことが出来る。 そして、この峠に文明開化をもたらしたのは、またしてもこの男。初代山形県令三島通庸である。 彼は、これまで山行がでも繰り返しその業績を(文字通り)辿ってきたわけだが、秋田山形両県間の交

            • 【山さ行がねが】ミニレポート 第102回 太白山第二橋

              以前、読者情報によって発見した「青葉山橋」は、東北最大の都・仙台の遠大な都市計画が置き残した、未完の道の名残であった。(→ミニレポ「青葉山橋」) それが、特に高速道路の上を跨いでいたために、多くの人の目にとまりながらも、長らく謎の存在として放置され続けてきたのである。 今回、新たにもう一本、おそらく似たような経緯によるものと思われる、行き止まりの橋が発見されたので報告しよう。 場所は、青葉山橋から南にわずか2kmほどの地点だ。 仙台市太白区は、政令指定都市仙台の南西部を、奥羽山脈に接する形で区域としている。 西部は秋保温泉や二口渓谷などの観光地として、東部は仙台市のベッドタウンとして開発が進んでいる。 紹介する太白山第二橋は、東部住宅地と西部の山地とを大まかに分かつ東北自動車道を跨ぐ橋である。 ただし、橋の西側には道がない。 ご覧頂こう。 七夕の日の早朝、前夜遅くまで仙台で仕事をした私は、

              • 隧道レポート

                北日本の環日本海を縦貫する羽越本線は、新潟と秋田とを結び、東北の代表的な幹線鉄道の一つである。 とくに、奥羽本線の一部区間がミニ新幹線化するなどして、貨物輸送に適しなくなって以来は、東北本線とともに、北日本の貨物輸送を担う最重要貨物幹線となっている。 日夜を問わず多数の列車が行き交う羽越本線であるが、特に、山形県鶴岡市三瀬付近から新潟県村上市までの海岸沿いの区間は、大小の隧道が連続している、建設上の難所であった。 ここは、奇景とも称される「笹川流れ」の複雑な海岸線に鉄道が挑んだ場所であり、一部の駅間においては、地上部分よりも地下部分の方が長いと思われるほどだ。 羽越本線の歴史は、幹線としてはやや後発ながらも、大正13年7月末に新津秋田間が全通している。 このうち、温海駅から鼠ヶ関駅間は、陸羽西線の一区間として大正12年に開通しており、全通時に羽越本線に編入されている。 さらに、この二駅の中

                • 【山さ行がねが】ミニレポート第163回 新潟県道23号柏崎高浜堀之内線 竜光未成区

                  2011/5/15 18:05 《現在地》 十二平は、県道23号沿いにある集落の中で唯一小千谷市に属する、芋川谷底の小集落である。 地元では「じょんでぇら」と訛って発音するらしく、わざわざそれだけを刻んだ石碑が立っていた。 この石碑が立っている場所もそうだが、集落内には空き地が妙に目立つ。 単なる過疎の風景とも思ったが、どうやら先の中越地震で大きな被害を受けたことも関係しているようだった。 右の碑の他に「中越大震災之碑」というものがあり、そこには地震に伴う土砂崩れで集落が完全に孤立し、住民がヘリで救出されたということが書かれてあった。 商店はおろか自動販売機さえ見あたらない十二平集落を過ぎると、すぐに1本のトンネルが現れた。 そしてその右の道はいかにも旧道らしいが、地形図だと、途中までしか描かれていない。 あまり時間がないの迷ったのだが、とりあえず入口の状態は悪くなかったので、旧道に入って

                  • 【山さ行がねが】ミニレポート第135回  国道121号 五十里トンネル旧道

                    【周辺の地図を表示】 国道121号の五十里(いかり)湖付近は、旧道・廃道の宝庫である。 ここには鬼怒川から男鹿川に繋がる長大な縦谷が奥羽山脈と帝釈山地に挟まれる形で走り、古くから会津地方と関東を結ぶ重要な交通路となってきた。 五十里の名前も江戸日本橋から数えて50里(おおよそ200km)の位置にあったことにちなむものである。 しかしもとより深く険しい谷筋に沿う道であったから、洪水や山崩れによってたびたび道は付け替えを余儀なくされてきたし、その都度生き残る道は一本だけだった。 しかし、この谷筋から人の往来が途絶えることは一度としてなかった。 近年においても、この界隈の道の付け替えは盛んに行われている。 例えば、昭和31年に利根川水系で最初の多目的ダムとして完成した五十里ダムは、歴史ある旧道を大量に湖底へ持ち去った。 この時に谷底から山裾へと移された道は国道121号となり、その後も改良が繰り返

                    • 【山さ行がねが】ミニレポート第161回 山梨県道37号南アルプス公園線 保隧道

                      2011/2/16 7:35 【広域地図(マピオン)】 このレポートは、【道路レポ142】の続きである。 とはいえ、同じ日に同じ道の続きとして探索したと言うだけで、“直後”ではない。 【道路レポ142】の終点だった角瀬地区から、県道37号を終点方向へ道なりに進むこと約4kmで、今回スタート地点に到着する。 この間には、早川最大の支流である雨畑(あめはた)川に沿う県道801号雨畑大島線との別れや、昭和31年まで硯島村と都川村の境(現在はともに早川町)であった小さな峠越えがあるが、特記するほどのものは見あたらなかったので、一気にここまでやって来た。 ではここは何かというと、見ての通りの分岐である。 なんの分岐かといえば、新旧道の分岐なのである。 丁字路を右に向くと、ご覧の橋が架かっている。 色褪せた「14t」制限標識が迎えてくれるこの1車線の橋は、草塩(くさしお)橋という。 対岸に見える家並

                      • 隧道探険隊

                        国道344号線を、八幡町から真室川町へ青沢越えの長い道のりの途中、すぐ脇にこの写真の隧道を発見。 位置的に、国道の旧道(多分、国道がまだ主要地方道酒田金山線であった時代だろうが)と考えられたが、その隧道は、現役であった。 この場所は、鳥海山の南麓に当たる八幡町上青沢大芦沢。 ご覧のような、のどかとしかいうよりほかのない、山村である。 それでは、いよいよ接近してみよう。 西側の坑口の様子。 重厚な造りの、小隧道である。 延長は実測20mたらず、幅員高さとも3m強といった、スモールサイズである。 坑口の左に設置された真新しい黄看板が、この道が現役である事を物語っており、微笑ましい。 内部は、短いわりにウェットであり、コンクリの内壁には無数の削痕が見て取れた。 …かなりの歴史を持つ隧道らしかった。 東側の坑口の様子。 殆ど、隧道にする意味の感じられない立地である様に見えたが、写真の左に写る土の斜

                        • 【山さ行がねが】廃線レポート 小阿仁森林鉄道 南沢~中茂口

                          2007年8月末、当サイトの情報提供フォームより、「アルト」と名乗る人物から一件の情報が寄せられた。 subject: 南沢トンネル下のトンネル 秋田県北秋田郡上小阿仁村 南沢 付近で南沢トンネル脇の旧道下にトンネルがあります。 15年前釣りをしていてみたことがあります。 覗いてみると、15~20Mくらいあったと思います。 既に秋田を離れて半年を経っていた私には、事の真偽を直ぐに確かめることは出来なかった。 しかし、この上小阿仁村南沢の一帯は、私にとっても大変なじみの深い場所であり、一通りの旧道や廃道について把握しているという自負があった。 にもかかわらず、トンネルがあるというのである。 未知のトンネルは2本しか残していないと自負して離れた秋田に、謎のトンネル情報。 しかも情報提供者の遭遇も約15年前という。近年の状況については、この情報からは伺えなかった。 一体それはどのようなトンネルな

                          • 【山さ行がねが】ミニレポート第147回 大多喜町横山の謎の橋

                            東京に引っ越して2年、房総半島の東半分には立ち入ったことが無かった私だが、今回初めて東海岸に属する夷隅(いすみ)郡のなかでは西寄りの大多喜(おおたき)町に行ってみた。 もちろん何のあてもなく行ったわけではなく、廃なるものの呼び声に導かれたのである。 「でもミニレポ?」 夷隅在住のあなた、そう残念がらないで欲しい。 行ったのはここだけではない。 だが、ここが最初である。 2009年3月18日から20日にかけて行われた「房総東部探索」は、この探索によって幕を開けた。 場所は右図の通り。 大多喜町の中心部から北西に2kmほど行った横山地区。 国道からは1km弱西に入った沢沿いである。 この地図上には沢に沿って1本の行き止まりの道と小さな溜め池が描かれているだけだが、現地にはここにないものが…。 朝6時前、まだ明けきらない空の下、私の初めての夷隅郡での探索が始まった。 初めての土地というのは、緊張

                            • 【山さ行がねが】道路レポート 静岡県道288号 大嵐佐久間線

                              2009/1/24 7:35 国道473号の佐久間発電所入口交差点。 JR飯田線佐久間駅に近いこの場所から「道路レポ」を始めよう。 これからまず向かうべき場所は佐久間ダムだ。 そこが今回の本題「県道288号」の終点なのだ(終点→起点方向の探索)。 現在地からダムまでの距離は約4.2km、高低差プラス120mほどであるが、敢えて省略はせずレポートしたい。 交差点を西に進むと、まだ新しい国道473号の標識と共に金網に囲まれた一角が現れる。 そこは飯田線旧線の佐久間隧道が眠る、「電源開発株式会社 佐久間発電所」の敷地だ。 金網から下を覗くと、思いを残す塞がれた坑門が間近に見えた。 そして現れる、2車線を収容するには以下にも窮屈そうな隧道。 直前に立つ標識は、S字カーブにトンネルの記号を組み合わせたような特注品だ。 「トンネル内狭く カーブ 注意」らしい。 全く殺風景な坑門には扁額など自己主張する

                              • 【山さ行がねが】道路レポート 国道45号 羅生峠旧道

                                よく岩手県は峠の国などといわれる。 地形図に峠と記されているものいないものを含め、県内には二千を越える峠があるとも言わるほどに、古来多くの峠が拓かれてきた。 それは、岩手県が全国有数の山がちな県域を持つことと当然無関係ではないが、そればかりではなく、今も民謡などに伝わる馬追衆の営みなど、もとより岩手県の民は遊牧や交易に生計を立てる素質を持っていたのである。 県内には、北上川流域を除けば稲作に適した肥沃な土地が少ない。 特に北上山地一帯や三陸地方においては、毎年吹き付けるやませと呼ばれる冷たい季節風が、著しい稲作不適地域を生じさせてきた。 かつての人々は生きるために流浪を余儀なくされたとも言える。 三陸地方にも、多くの峠が拓かれてきた。 そのうち、メーンとなるルートは、藩政期までは浜街道と、明治には東浜街道と呼ばれ、時代に応じて整備されてきた。 昭和30年代以降、ようやく自動車交通時代が要請

                                • 【山さ行がねが】ミニレポート第157回 犬走島の隧道

                                  伊豆半島南部の港都、下田。 (下田市の位置) 稲生沢川の河口に位置するこの街の中心部は、天然の良港として名高い下田湾を抱きかかえるような形になっている。 下田湾は奥行き1.5km、幅800mほどの小さな湾だが、湾内にはいくつかの小島が浮かんでいる。 犬走(いぬばし)島も、そのひとつだ。 犬走島は、下田湾口のほぼ中間に浮かぶ周囲300mほどの小島だが、現在は西の「和歌の浦」側の陸地と、長さ350mほどの防波堤でつながっている。 したがってこの防波堤を通れば、船を用いずに島へ上陸することが出来る。 島は無人だが、東に30mほどの海上に「下田犬走灯台」が設置されており、和歌の浦と犬走島と灯台は全て防波堤でつながっている。 そうして全長500m近い波よけを形作り、下田の街の中心部を高波から守っている。 1/25000地形図では島に道路は描かれていないが、「スーパーマップル・デジタル11」など、さら

                                  • 【山さ行がねが】道路レポート 静岡県道388号接岨峡線旧道 東藤川地区

                                    【周辺地図(マピオン)】 今回採り上げるのはタイトルの通り、静岡県道388号接岨峡(せっそきょう)線の旧道にあたる道である。 右図に赤く示したラインが、それである。 地図上では、この旧道にこれといった不自然さは見あたらないと思うが、冒頭で「県道の旧道」と言い切らず、「旧道にあたる」という遠巻きな表現をしたのには訳がある。 もう一度地図を見て貰いたい。 この場所は、川根本町の中心地である千頭地区から5km半ほど北に入った奥泉地区で、寸又峡へ向かう県道77号川根寸又峡線と、接岨峡へ向かう県道388号接岨峡線が二岐に分かれている。 寸又峡へ向かう道と、接岨峡へ向かう道が、混在している場所。 この2系統の道が、それぞれのペースで新道を建設してきた結果、「旧道にあたる道」は、少しだけ複雑な変遷を遂げているのだ。 その過程で、名前も何度も変わってきた。 本編に入る前に、一帯のルートの変遷を地図上で見

                                    • 【山さ行がねが】ミニレポート第139回 栃木県道249号黒部西川線 五十里湖畔の旧道

                                      【周辺の地図を表示(別ウィンドウ)】 鬼怒川上流の男鹿川を堰き止めた巨大な人造湖、五十里(いかり)湖。 江戸から50里(約200km)の位置にあるこの湖の湖畔には、ダム湖畔には珍しい旧道が多く存在している。 それは、このダムがかなり古くからここにあるということを意味している。 事実、五十里ダムは昭和31年の完成と、利根川水系では最古参に類するダムであり、戦前、というか大正時代から既に着工されていた点に特色がある。 本編に繋がる続編「ミニレポ140回」で詳しくは触れるが、この五十里という地は、本当にダムと縁の深い場所なのである。 …まるで、「水没すべし」という呪いでもかかっているかのようにね…。 以前、「ミニレポ135回」でこの五十里湖畔の古い旧国道を紹介したが、今回はそれよりも新しく、平成14年に廃止された「旧県道」を紹介する。 右の図で赤い太線で示した部分がその区間で、これだけを見ると

                                      • 隧道探険隊

                                        院内銀山は、1600年代初頭に発見された日本有数の銀山であり、佐竹藩の重要な財源の山であった。 一度衰退するも、1800年代はじめ再び活況となり、ピーク時には、1万5000人が暮らす、久保田城下(いまの秋田市)を凌ぐほどの繁栄を見せた。 明治に入り近代化されると、さらにそのの産銀量は増大し、わが国第四位の銀山となる。 しかし、大正に入る頃には、金本位制度の台頭などにより著しく銀価が暴落。 各地の銀山と同様、衰退の一途を辿ることとなる。 昭和に入ってからも採掘は続いたが、遂に昭和29年、全山休山が宣言され、その350年間の歴史に終止符が打たれた。 その院内銀山跡地も、今では住む者の一人とない。 数万人が暮らした巨大な都も、いまや、鬱蒼たる山野に還り、当時の面影を残すものは、何もない。 そこに、生あるものの気配は、ない。 はじめにお断りしておくが、院内銀山跡の一帯は、県内有数の心霊スポットとし

                                        • 【山さ行がねが】ミニレポート 第121回 都道165号伊奈福生線 伊奈狭区

                                          東京都にはおおよそ340路線の都道が存在しているが、このうち島嶼部に存在するものを除いた本数は約300本。 この中には、地方出身者である私の目から見ても、とても都内とは信じがたいような未整備の道が、何本か存在している。 そういった路線は、「東京都道」という言葉とのイメージギャップの大きさが受けるのか、或いは渋滞に日夜苦しめられる都民生活からの誤ったユートピア感に支えられているのか、他県の俗に“険道”と呼ばれるような路線以上に、特定のファンが多い。 一部ではファンの間では、そのような都道を指して「兎小屋程度の道」「兎がようやく通れるような道」という意味合いからか「兎道」と俗称されることもある。 今回は、そのような侘びしい都道の一つ、「東京都道165号伊奈福生線」の一部を紹介しよう。 都道伊奈福生線は、東京都福生(ふっさ)市の国道16号(東京環状)を起点に、同都西多摩郡日の出町の南縁部を経て、

                                          • 【山さ行がねが】道路レポート 国道135号旧道 宇佐美峠

                                            熱海と伊東の間に、初めて車道の建設が始められたのは明治40年である。 この道が現在の国道135号の前身となるが、予算不足と関東大震災による建設中道路の大破などにより、全通は実に19年越しの大正14年だった。 ようやく出来上がった県道も、幅2.7mほどと極めて狭く、なお伊豆の陸上交通は発展途上の状況にあった。 大正14年12月には静岡県会によって「伊豆大循環道路促成改築案」が議決され、初めて半島の海岸沿いを循環する車道を体系的に整備するプランが立てられた。この工事は西伊豆(現:国道136号)、東伊豆(現:国道135号)の各所で進められ、現在の東伊豆町トモロ岬が昭和8年6月に開通したことで全通を見た。 昭和5年に北豆大地震が発生し、大正14年以来の熱海伊東間の県道は数ヶ所で大破した。 しばらくは徒歩連絡を余儀なくされたが、国庫補助が適用され、より強い道として甦った。 昭和28年二級国道135号

                                            • 隧道レポート 津軽森林鉄道 相の股隧道と六郎越隧道

                                              日本で最初に完成した森林鉄道は、青森県の津軽半島を走っていた。 明治39年に、日本三大美林の一つに数えられる、津軽半島のヒバ林を効率的に運材する目的で着工された日本初の森林鉄道は、明治41年 から利用が開始され、42年にはその本線である67kmが完成に至った。 本線上では当初から外国製の蒸気機関車が用いられ、その当時の主流であった筏流しや、橇、手押しトロッコなどを圧倒する運材力を遺憾なく発揮した。 その後も支線の開設が相次ぎ、県内のみならず日本国内でも例を見ないほどの細密な、半島の隅々まで行き渡る路線網が確立されたのである。 運材料の全盛期は、大正3年頃であったという。 交通の立ち後れていた半島内の住民の足としても活躍した津軽森林鉄道であったが、昭和26年には国鉄津軽線の一部が開通、昭和30年代からは全国の例に漏れず、トラック運材への転換が急速に進み、その茫漠な路線網も次第に無用のものとな

                                              • 隧道レポート

                                                真室川営林署管内図(S41)に描かれている と、このようになる。 概要が、お分かり頂けただろう。 で、改めて今回紹介するのが、「真室川林鉄 安楽城線」の、釜淵側から数えて二本目の隧道、推定名称「二号隧道」である。 前回のレポートをご覧頂ければお分かりのように、既に私に残された時間は些少であり、残念ながら詳細な調査は出来ていない。 もう、とにかく隧道さえ確認できればよいという体制で臨んだので、いつも以上に、探索が雑である。 申し訳ない。 三号隧道の調査から、命からがら戻ってみたら、チャリに備え付けの食料が食い荒らされていた。 しかし、近くに店など無く、補給は不可能だ。 仕方がないので諦めて、時間の許す限り探索を続行することにした。 この判断は、一般的には誤りなので、真似しないようにして欲しい。 山にはいるときは、多めに食料を持っていきましょうね。(←説得力なし) それと、夕方直前から山にはい

                                                • 【山さ行がねが】ミニレポート 第101回 国道45号旧道 摂待峠

                                                  仙台と八戸を三陸海岸を縦断するように結ぶ国道45号が、昭和38年にそれまでの2級国道から1級国道へと昇格した当時、それはまだ海沿いの小さな漁村どうしを一筆書きでどうにか繋いだような、迂遠屈曲の連続する大変な道程であった。 昭和40年代にどうにか一時改良を終え、全線が大型車でも通れるようになったときまでに、その全長が200km(これは実に東京-長野間に相当)も短縮されてしまったのは今も語りぐさとなっている。 岩手県宮古市北部の、数年前までは田老町と呼ばれていた一帯もまた、海岸線に直交するように落ち込んでいく幾筋もの稜線を、有名無名の多数の峠で国道は貫いていく、元々は難所だった区間である。 今回はそのような峠の中から一つ、典型的な新旧道の成り立ちを見せる摂待峠を紹介しよう。 ここは、現在も未改良のままに残る小本の急坂からは南に7kmほどの地点である。 (山行がとしては)珍しく、車でも通過できる

                                                  • 【山さ行がねが】ミニレポート第144回 鷲ノ瀬隧道

                                                    突然ですが、クイズです。 ← これは なんでしょうか? 1.ビル 2.冷凍庫の中のアレ 3.法面 正解は、「3.法面」でした。 すごいでしょ? こんな場所、見たこと有る? ここは、「森吉山ダム」の原石山である。 原石山というのは、ダムを作るために大量に必要となる岩石を採取するための場所で、だいたいは現場の近くに設けられる。 この森吉山ダムの場合も堤体から5kmほど上流の川べりにあり、将来はダム湖に面する場所である。 特に、国内最大級のロックフィル形式ダムである同ダムの原石使用量は、生半可ではなかった。 それですっかり山ごとイッってしまった訳である。 10年前にはこの写真いっぱいにあった山がまるまる無くなってしまった姿は、本当に恐ろしい。 まさに、平成の逆さピラミッドである。 【現在地をmapionで見る(別ウィンドウ)】 平成22年の完成予定にむけ、工事の最終段階に入りつつある森吉山ダム

                                                    • 小ネタ集

                                                      2001.4撮影 秋田県仙北郡南外村 大曲市から、本荘市に向けて国道105号線を走ると、途中は出羽丘陵の只中であり、小さな峠が連続する。 そのうちの一つ矢向峠は、大曲市と南外村の境を成すもので、大曲市街を出て最初の峠となる。 現道は、1985年開通の矢向トンネルを含むバイパスで短絡しているが、旧道はトンネルの手前で、分かれる。 写真は、分岐点。 直線的な現道にそって、やはり直線的に登ってゆく。 ただし、高度差は次第に開いてゆくが。 現道にトンネルが現れても、旧道は意に介さず、まっすぐのまま。 両側から雑草が伸び、だいぶ草臥れてはいるが、舗装はしっかりしている。 早速峠が現れた。 ここまで分岐点から、僅か500mほど。 道幅も十分で、かつ直線的であり、それほど難所であったようには思われない。 低山の峠らしく、切り通しからの視界は開けない。 私は春先に探索したが、雑草の茂る夏場ならなおさらだろ

                                                      • 【山さ行がねが】ミニレポート 第119回 甲武トンネルの末端廃道

                                                        県道上野原あきる野線は、山梨県上野原市と東京都あきる野市を結ぶ全長29km余りの主要地方道である。 主な経由地としては、上野原側に棡原(ゆずりはら)、あきる野側に東京都唯一の村である西多摩郡檜原村(ひのはらむら)や、秋川渓谷がある。 このうち、棡原と檜原を結ぶ峠が同路線の最高所であり、主に渓谷沿いを走るこの道でただ一カ所の峠越えである。 この峠は、平成2年に初めて車道が通った場所で、甲武トンネルと栗坂トンネルの二本で尾根を貫いている。 言うまでもなくこの「甲武」の名は、甲州(山梨県)と武州(関東地方)をつなぐという意味合いから、地域交流のシンボルとなる期待を込めて名付けられている。 かつて、棡原と檜原の間の国境には、浅間峠や日原峠といった歩き道があって、行商人や富士詣の旅人が大勢通った。 しかし、海抜900mを越えるそれらの峠は険しく、近年まで車道が開通することはなかった。 そこに、甲武ト

                                                        • 【山さ行がねが】隧道レポート 七影隧道

                                                          その存在は、とことん不幸で、不運だった。 関わった人々を終始振り回し続け、時に禍さえもたらした。 まるで、地上に存在を許されぬ、呪われた宿命がそこにあるかのようだった。 戦時中のごく短期間、最果ての津軽半島の山中に存在“しようとした”一本の隧道は、まさにそのような存在だった。 その名は、七影隧道。 小泊磯松連絡林道(以下「連絡林道」と略)は津軽森林鉄道網の一部をなすもので、路盤には軌道が敷かれ、木材貨車を連ねたトロッコが運行していた。 おなじみ『全国森林鉄道 JTBキャンブックス』巻末資料によれば、昭和17年竣功、昭和46年廃止とある。 津軽半島の西にぴょんと突き出した小泊半島の基部を峰越で結ぶ、林鉄としては珍しいタイプの路線だ。 そして、標題の七影隧道は、この峠越えの区間に建設された。 しかし、結局供用の日は見なかった。 七影隧道について語る資料はきわめて少ない。 津軽森林鉄道と言えば、

                                                          • 【山さ行がねが】隧道レポート 国道128号旧道 向台隧道

                                                            “隧道レポ”という割にちょっとした廃道探索もあった前回の更新分「浜隧道(仮)」とは違い、今度のレポートはより端的に廃隧道である。 時系列順では、「おせんころがし」の後で、「浜隧道(仮)」の前になっている。 →【周辺図】 「向台隧道」(むこうだい-)は、勝浦市鵜原の国道128号上にある。 右図参照の通り昭和27年以前からあって、定番『道路トンネル大鑑』には昭和34年竣功として記録されている。 だが実は明治36年版にも描かれているので、明治隧道である。 そしてそれを裏付ける資料として、大正12年に夷隅郡役所が出した『千葉県夷隅郡誌』がある。 2009/3/19 11:28 《現在地》 向台隧道まであと200m地点。 見えてます! 峠の隧道というわけではないので“道中”は皆無で、あけすけな大口は市街地にひらけて少しも隠れようとするところがない。 それでもまだ、隣の線路に較べれば慎み深いと言うべき

                                                            • 隧道探険隊

                                                              鳴子隧道は、山形・宮城両県の北部を結ぶ重要な幹線、かつては北羽前街道と呼ばれた国道47号線にある。 東北有数の温泉地として古くから栄えたる鳴子温泉の程近く、大谷川の両岸に垂直の断崖が続く、鳴子峡と呼ばれたる難所に、隧道はある。 残念ながら、この隧道について私の知る情報は少ない。 どのような経緯でこの隧道が廃されたのかなど、気になることは多いのだが。 というわけで、早速だが、現地のレポートをご覧いただこう。 2003年4月、まだまだ山は冬の装いだが、里から春が上ってゆく。 自宅から150km以上離れた鳴子町は、秋田県とは県境を接する。 鬼首道路の開通でだいぶマシにはなったが、やはり宮城県は遠い隣県である。 鳴子町内の国道47号線の旧道。 1996年頃、この近くのJR鳴子御殿湯駅で仮眠したことを思い出し、懐かしく思った。 あの頃とは、走り方も、考え方も、旅の目的も、自転車も、年も、変っていない

                                                              • 【山さ行がねが】道路レポート 静岡県道77号川根寸又峡線 朝日トンネル旧道

                                                                このレポートの元となった探索は、時系列で言うと「廃線レポ46千頭森林鉄道(沢間~大間)最終回」の直後に行われた。 よって、先に前記レポをご覧頂いた方が、展開が分かり易いと思う(だから、自転車での探索だ)。 それはそうと、実はこの探索、当初の計画には無かった。 しかし、周辺の地形を直に感じているうちに妙に気になり出し、急遽“寄り道”した内容である。 →【周辺図(マピオン)】 それでは恒例通り、次に現在の地形図を見て貰おう。 今回のターゲットは図に赤く示した部分で、県道77号「川根寸又峡線」の朝日トンネルに対応する旧道である。 距離はちょうど1kmくらいであろうか。 元の地形図には全くこの部分の道は描かれていないものの、法面と路肩がそれぞれ「崖(岩)」と「崖(土)」の記号として残っているため、「消したんだな」と明らかに分かる状態になっている。 消した=廃道 と見て、ほぼ間違いないだろう。 こ

                                                                • 【山さ行がねが】ミニレポート

                                                                  2000.8.25撮影 岩手県沢内村~花巻市 秋田・岩手県主要地方道12号「花巻大曲線」は、奥羽山脈を二つの長大峠によって克服し両県を結ぶ全長33km余りの路線である。 しかし、昭和47年の路線指定以来ただの一度として、全線を通して通行できた日はない。 永らく二つの長大峠、それぞれ笹峠と中山峠と言うのだが、その両方が点線県道…不通区間だったのだ。 両県間には既に幾つもの整備された道があり、それらのメーンルートから外れた場所にある同路線の整備は牛歩の歩みのようであったが、それでも平成13年には遂に中山峠に風穴が穿たれた。 笹峠についても整備工事が進行中であり、近い将来その不通県道としての汚名は返上される日が来るだろう。 今回紹介するのは中山峠だが、これは開通したばかりの新道の方ではない。 かといって、そもそもが不通区間であり、旧道と呼べるものも無い。 県道の代用として利用された経緯を持つ林道

                                                                  • 隧道レポート

                                                                    秋田岩手両県の県道番号1番は、「盛岡横手線」で共通している。 しかしこの路線、秋田県民にとっては、余り馴染みがないかもしれない。 なにしろ、横手市から岩手県湯田町までは国道107号線と重複しており、ユニークな区間が県内には1mもないのだ。 ようやく湯田町で国道から分かれた先は、延々盛岡へ向けて北進するのみである。 途中、同県道が最も長く走るのが和賀郡沢内村であるが、この村には国道は一本もなく、県道もこの主要地方道1号線と、あとは12号線の計二本しかない。 現在でこそ、この二つの県道の整備が進み以前ほど不便ではないようだが、もともとは奥羽山脈の只中に取り残された陸の孤島であった。 その“孤島”時代からの、同村と盛岡方面を繋ぐ唯一の峠が山伏峠だ。 今回は県道1号線「山伏峠」を探索したい。 意外な余生を送っていた。 沢内村最北の集落貝沢から先はいよいよ山伏峠の上り坂となる。 沢内村は南北に長く、

                                                                    • 【山さ行がねが】ミニレポート第180回 千葉県道174号勝浦布施大原線 未成区間

                                                                      2013/2/1 16:20 【所在地(マピオン)】 先日、何か面白いところは無いかと道路地図を眺めているときに、こんな場所を見つけた。 現場は房総半島の南東部にある御宿町の北の辺りで、いすみ市や大多喜町とも接する山間であるが、右図のように、前後が途切れた県道がポツンと一塊だけ描かれていた。 そしてこの短い区間にもちゃんと県道の記号が付されていて、それによると県道174号であるという。 千葉県道174号「勝浦布施大原線」といえば、以前に車で通ったことがあり、山間のローカル県道ではあるが、ちゃんと全通していて未開通区間があるという意識はなかった。 基本的には東西方向の路線である同県道が、この孤立区間では明確な南北方向の路線として描かれているなど、奇妙な感じはある。 もしかしたら地図の間違いかも知れない(地図によっては県道の色で塗っていなかったりした)と思ったが、どちらにせよ「道」自体は描か

                                                                      • 【山さ行がねが】ミニレポート 第129回 夏狩天神峠の未成市道

                                                                        私が最近、廃道と共に非常に“入れ込んでいる”のが、「未成道路」というジャンルである。 未成、すなわち本来の目的を果たしていない未開通の道路のことである。 部分的に開通しているものも、建設途中に中止されたものも、実際に着工はしておらず図面や計画だけのものも、晴れて開通するまでは全て未成道路の括りである。 ただし、盛んに工事が進められている最中のものは含まない。 今回、読者から寄せられた情報を元に、山梨県都留市の山間にあるという未成道路を訪ねた。 そこには、情報無くしては決して訪れることもなかっただろう地味めで静かなトンネルが、しっかり口を開けて待っていた。 未成道路ならではの不条理なムードを、たっぷり詰め込んで。 【mapion 周辺図】 現場は、都留市の中心部から西へ2.5kmほど入った加畑(かはた)にある。 未成道路であるが、既成部分が地形図に描かれており、地図読み全長は1kmほど。 加

                                                                        • 【山さ行がねが】橋梁レポート 西会津上野尻の大廃橋

                                                                          この探索劇は、次のメールから始まった。 差出人は、498氏。 (略)阿賀川をまたぐ白い道が上野尻ダム(柴崎橋)です。ダムといっても、大きい堰という感じです。 そこより南、写真では目立ちませんが航空写真で黒っぽく写っているトラス橋があり、廃橋です。西側の橋げたが落ちています。 トラスの大きさからすると、ちょうど森林鉄道サイズに見えなくもないですが、その生い立ちはまったく不明です。 前述の知人によれば「線路ではなかった」。 私はこの廃橋がずっと気になっているのですが、インターネットで探しても全然ヒットしません。 まるで存在自体が認められていないか、箝口令がしかれているのではないかと思うほど、実に見事にスルーされています。 もし、ここに述べられているような橋が実在するとしたら、これは是非確認する必要がある。 トラス橋は非常に高価で、また耐用年数も大きな事から、そうおおく廃橋として現存する物はない

                                                                          • 隧道レポート

                                                                            「ついに、山行がも実名非公開となってしまったのか…」 そう、早合点するのは待って頂きたい! 今後も、山行がでは皆様の「知りたい」、私の「伝えたい」を重視して、実名公開は続けます。 ただし、今回は、勘弁してください。 あんまり堂々とやって、手が後ろに回ると嫌なんで…。 予め断っておきますが、私は「愚かなトンネルマニア」です。 そこに、トンネルが口を開けていれば、つい入らずにはいられません。 一種の病気かも知れません。 普通の方であれば、これからお伝えするような隧道には、入ろうとしないでしょうから、余計なお世話となると思いますけど、立ち入りは厳に謹んで下さい。 叱られちゃいますから。貴方も、私も。 隧道を愛するが故に、暴走する男の記録、見てやって下さい…。 ほんとくれぐれも、見て嘲笑するだけにして下さいね。 宮城県第二の都市石巻には、多くの道路地図に載りながら、一般人が立ち入ることを許されない

                                                                            • 【山さ行がねが】ミニレポート

                                                                              2003.3撮影 青森県岩崎村 大間越は白神山地最高峰の白神岳の直下にあり、険しい山肌がそのまま日本海に没する急峻な地形である。 梅津川河口部に拓かれた大間越集落には、江戸時代関所が置かれていた。 西津軽街道は、大間越街道とも呼ばれており、かつてこの大間越が道中最も険難な場所であったことを感じさせる。 その大間越だが、現在の国道101号線は昭和50年に完成した延長627mの大間越トンネルであっという間に通過してしまう。 そこに残る旧国道を、今回は紹介したい。 岩崎村大間越は津軽沿岸最南の集落であり、これより南には県境を越えて秋田県八森町の岩館まで10kmほど人の住む場所はない。 しかし、現国道沿いにはこれといって店も無く、集落裏手を一直線に駆け抜けている。 いかにも、バイパス的な道だ。 集落内に入る旧国道は、写真の場所から入る。 現道から見える印象とは異なり、意外に人家が密集し栄えてい

                                                                              • 【山さ行がねが】ミニレポート

                                                                                2003.11.19撮影 仙北郡田沢湖町 先達 小ネタ集として始まったこの「ミニレポ」も、今回でいよいよ40話を数える。 今回のネタ名は、タイトルの通り「主要地方道8号 十和田角館線」だ。 もしあなたが、秋田県に長く住んでいる道路フリークであれば、不思議に思うことだろう。 「そんな道、あった?」 そう感じたなら、あなたは確かな知識をお持ちである。 そう。 2004年現在、秋田県の県道番号において、8は欠番だ。 昭和53年より今までずっとそうだ。 だが、昭和29年に認定された主要地方道8号線は、確かに「十和田角館線」を名乗っていたし、実際にこの両者を結ぶ全長73km余りの道路が、少なくとも帳票上は存在していた。 もっとも、田沢湖町と鹿角市の間にある峠は永く不通であったが。 では、これほど長大な道が、一体どこへと消えたのだろうか? 少し地図を見れば分かりそうなので、種明かしだ。 実は、昭和53

                                                                                • 【山さ行がねが】ミニレポート

                                                                                  2003.9.17撮影 雄勝町秋ノ宮 主要地方道73号「雄勝金山線」は、秋田県雄勝町と山形県金山町とを結ぶ全長10200mの路線である。 と、県の資料は述べている。 本線は、現時点で最も番号の大きな主要地方道で、平成6年に認定されている。 だが、未だに開通していない。 果たしてどのような道なのか、辿ってみよう。 国道108号線を雄勝町横堀から宮城県境へ向けて走ると、秋ノ宮地区に入るあたりで一つの青看がある。 そこは以前紹介した『旧旧川井橋』の重厚な橋桁が野晒しに展示されており、現在では川井橋の袂となる。 この青看は、これから探索する県道73号線のヘキサが唯一記された標識なのである(←秋田県側では)。 目的地は「薄久内」と小さく表示されており、この薄久内というのは、雄勝町秋ノ宮の字に過ぎない超ローカル地名である。 本来の目的地は、遠く離れた「金山町」のはずなのだが…。 では、いってみよう。