濃畑 三郎(のうはた さぶろう 1885年(明治48年)2月22日[1][2] - 1943年(昭和18年))は、日本の実業家、政治家。宮市大丸(現:大和)常務取締役[2]。みくに新聞社社長。福井県議会議員[1]。 北海道朝田庄次郎の三男として福井県三国町に生まれ、その後先代・安吉の養子となる。濃畑家は三国町で金銀箔も扱う紙問屋・四日市屋で、「四の三(しのさん)」と呼ばれていた[3]。『茶の本』『東洋の理想』等の著書で知られる日本美学界の泰斗・岡倉天心の母・この(旧姓:濃畑(野畑))とも関係があったという[4]。 1922年(大正11年)、家督を相続する。明治大学修業、内務省勤務を経て福井県議会議員や宮市大丸常務取締役を歴任[5]。金沢市から福井市に宮市大丸を誘致し、福井駅前の現在の北陸銀行福井支店西隣辺りに福屋デパートを開店した(詳細は「福井大和」を参照)[6]。 その後、三国町の地元紙