![](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/b09fde881fd5056ff164fd7cb26794125fe08f92/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fgendai-m.ismcdn.jp%2Fmwimgs%2Fc%2F2%2F1200m%2Fimg_c2b22d0a09e724bccbe306a3ece52de789024.jpg)
エントリーの編集
![loading...](https://b.st-hatena.com/bdefb8944296a0957e54cebcfefc25c4dcff9f5f/images/v4/public/common/loading@2x.gif)
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
苦しすぎる人生に救いはないのか…すべての人間が抱える「根源的な苦悩」に効く「哲学のヒント」(藤田正勝)
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
![アプリのスクリーンショット](https://b.st-hatena.com/bdefb8944296a0957e54cebcfefc25c4dcff9f5f/images/v4/public/entry/app-screenshot.png)
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
苦しすぎる人生に救いはないのか…すべての人間が抱える「根源的な苦悩」に効く「哲学のヒント」(藤田正勝)
「生と死」という大問題 第8講では「自然」を取りあげる。自然は古代から現代にいたるまで私たちの身近に... 「生と死」という大問題 第8講では「自然」を取りあげる。自然は古代から現代にいたるまで私たちの身近にあったし、ありつづけている。古代の人々はそれを観察し分析するのではなく、共感し、畏怖すべきものとして、自然と一体になって生きた。そうした自然のとらえ方は、たとえば人間がこしらえあげた「法世」ではなく、「自然の世」こそが理想の社会であるという江戸時代の思想家・安藤昌益の主張のなかにも受け継がれている。またいわゆる自然、客観的な存在としての自然ではなく、「志向的」存在である人間との関係のなかで出会われる「風土」こそ私たちの生の「具体的地盤」であるという、日本の倫理学研究の礎を築いた和辻哲郎の「風土」理解のなかにも流れている。和辻から刺激を受け、独自の風土論を作りあげたオギュスタン・ベルクの思想にも言及することにしたい。 第9講では「美」を問題にする。明治の初めに西洋の美学が紹介されて以降、日本で