1952年にイスラエルのテルアビブ空港で、日本赤軍のメンバーが26人を殺害したテロから半世紀。事件の背景と、唯一生き残った実行犯である岡本公三の知られざるその後について、イスラエル紙「ハアレツ」が報じている。 日本赤軍とレバノン 今から50年前、世界の民間航空産業は深刻な打撃を受けた。原因は石油危機でもなければ、感染症の世界的大流行でも、飛行機事故でもなく、イスラエル第2の都市テルアビブのロッド空港(現ベン・グリオン空港)で起きた虐殺だった。 この事件の社会的な影響により、世界中の搭乗客は、今日に至るまで飛行機に乗るたびに事前に厳格な保安検査を受けなければならなくなっている。 個人レベルでも、この1972年5月30日の事件の残響は尾を引いている。殺害された26人の被害者の遺族たちは、今も愛する家族を失った悲しみに暮れており、犯人らが訓練を受けた北朝鮮に賠償を求める闘いを続けている遺族もいる