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旧街道の検索結果1 - 6 件 / 6件

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旧街道に関するエントリは6件あります。 自動運転ニュース などが関連タグです。 人気エントリには 『続・関西の「狭隘路線バス」5選 住宅街に旧街道 細道で光る運転テク! | 乗りものニュース』などがあります。
  • 続・関西の「狭隘路線バス」5選 住宅街に旧街道 細道で光る運転テク! | 乗りものニュース

    近畿圏の路線バスから、狭隘な道路や坂道をゆくものを紹介します。住宅街から50km先の絶景を眺められる路線や、T字路を「三角ターン」する路線など、いずれもその地域ならではの特徴を持ったものばかりです。 狭いけど「バス道路」です! 路面にデカデカと 曲がりくねった住宅街や山道をゆく「狭隘(きょうあい)路線バス」は、高い運転技術を見られることからバスファンのあいだでも人気です。京阪神地区では、山間部などの限られたスペースに開かれた住宅街と市街地を結ぶ手段として欠かせない生活の足となっています。 今回は2020年8月に配信した「京阪神の狭隘・急坂バス路線5線」の第2弾として5路線を紹介します。高度成長期に発展した住宅街や、千数百年の歴史を持つ街道などを走る、さまざまな路線バスの座席から景色や車窓を眺めてみましょう。 【大阪】大阪シティバス12系統:一方通行の「バス道路」表示を進む! ・運行区間:あ

      続・関西の「狭隘路線バス」5選 住宅街に旧街道 細道で光る運転テク! | 乗りものニュース
    • 旧街道の静かな神社 - NIIGATAさんぽびと

      角田山麓の小さな村々を通る旧街道。 静かな集落の道を進んでいくと、ちょっと趣のある神社があった。 昔、角田山の麓を北国街道(ほっこくかいどう)が通っていた。 港町として栄えた新潟から中山道の追分宿(軽井沢)まで続いていた旧道だ。 佐渡の金銀を江戸へ運ぶ大切な道で、多くの人や物資が往来していた。 松尾芭蕉や吉田松陰も歩いたとされ、当時はメインストリートだったのだが、 今は、知らない人からすれば、車や人の往来も少ないただの集落の中の細い道にしか見えないだろう。 その日は、桜満開でたくさんの人で賑わう上堰潟公園を散歩した後、 (公園は広いので「密」になることはなかったが) なんだか疲れて、誰もいないところへ無性に行きたくなった。 そして自然とこの道へ。 集落の中、細い道を走っていくと、鬱蒼とした木々の向こうに鳥居が見えた。 脇に竹林もあってなかなか趣のあるたたずまい。なによりありがたいのは静かな

        旧街道の静かな神社 - NIIGATAさんぽびと
      • 旧街道で出会った梅 - NIIGATAさんぽびと

        昔はたくさんの人が行き交った旧北国街道。 集落の細い道を走っていると、満開の梅が目に飛び込んできた。 畑のような空き地に立っていた梅の木。 満開の花が白く輝いている。 この2日前に出かけた亀田の梅林で、タイミングが合わずにガッカリして帰ってきたばかり。 思わず車を止めて、プチお花見。 この日はまだ、この辺りの梅も咲いていなかったのだが、 どうしてこの木だけ、これほどの勢いで咲いているのか不思議。 陽当たりが良いためか、よほど土がいいのか。 白い花が青空によく映えて。 奥に見えるもう一本も満開だった。 似た感じの木だが、同じ空き地にあるということは、同じ血を引く(?)木だろうか。 おそらく「他に先んじて咲くべし」を旨とする梅の一族… (んなこたぁない) 先日見た「藤五郎梅」とは、花びらの数や雰囲気が違う。 この木も梅干しを作ったりするのだろうか。 桜もそうだが、同じ木でも見方によって表情が変

          旧街道で出会った梅 - NIIGATAさんぽびと
        • 幻の五新線と旧街道の町並みが残る五條新町をめぐる - 大和徒然草子

          皆さんこんにちは。 前回は旧筒井家重臣で、五條新町や肥前島原城築城で知られる松倉重政の事跡を中心にご紹介しました。 www.yamatotsurezure.com 暴君として悪名高い松倉重政ですが、重政が発展の礎を築いた五條新町は、江戸時代初期から現在まで生活の息吹が続く、ノスタルジックな町並みが名高いスポットとして知られます。 今回は五條新町を中心に、見所のスポットやエピソードをご紹介します。 五條新町とは 五新線新町高架橋 神田橋~新町橋 新町橋~鉄屋橋 鉄屋橋以西 五條代官所~天誅組関連史跡 五條新町とは 江戸から昭和初期にかけての町屋が、旧紀州街道(伊勢街道)である新町通り沿いに立ち並ぶ五條新町は、伝統的建造物群保存地区に指定され、旧街道の町並みが残るエリアとして、広く知られています。 ところで現在、五條新町で一つの町の名を示すように呼ばれていますが、実は五條と新町はルーツが異なる

            幻の五新線と旧街道の町並みが残る五條新町をめぐる - 大和徒然草子
          • 宇陀松山~旧街道沿いの町並み散歩 - 大和徒然草子

            貴重な歴史的景観を保全するため指定される重要伝統的建造物群保存地区(以後、重伝建地区)。 現在奈良県内では、橿原市の今井町、五條市の五條新町、そして宇陀市松山の3つの地域が指定されています。 実は、県内の重伝建地区で最も指定地域の面積が広いのが宇陀松山。 現在は山間の静かな町ですが、近世以降、宇陀松山は商家町として賑わい、昭和40年代頃まで宇陀地方の中心地として栄えました。 今回は宇陀松山の町の概略と現在の様子をご紹介します。 宇陀松山とは 酒蔵通り 松山通り 上町通り 春日神社 松山西口関門 下町通り 道の駅・宇陀路大宇陀 関連情報 参考文献 宇陀松山とは 宇陀松山の場所はこちら。 近鉄榛原駅からバスで20分ほど、名阪国道針ICから自動車で30分ほどの場所にあります。 宇陀松山は、大阪から伊勢に至る伊勢本街道と、和歌山から吉野を経由して伊勢に至る伊勢南街道を結ぶ旧松山街道沿いに発達した商

              宇陀松山~旧街道沿いの町並み散歩 - 大和徒然草子
            • 竜田越え奈良街道・西和最大の宿場町、龍田。旧街道沿いの町並みと龍田神社、中井正清ゆかりの古刹とぽっくり寺・吉田寺を巡る - 大和徒然草子

              皆さんこんにちは。 前回は、住宅街に埋もれた幻の城郭・龍田城についてご紹介しました。 今回は旧竜田越え奈良街道(以下、奈良街道)に残る龍田の町並みを中心に、龍田神社周辺と、吉田寺(きちでんじ)ご紹介します。 龍田の町とは 竜田越え奈良街道沿い 龍田神社 浄慶寺 吉田寺 龍田の町とは 龍田は奈良県斑鳩町の町役場から西側、龍田神社を中心として旧奈良街道沿いを東西に広がるエリアです。 江戸時代の龍田は奈良と大阪を結ぶ奈良街道の宿場町で、その規模は郡山に次ぐ規模を誇り、西和地域最大の商業地として栄えました。 龍田神社の門前は当麻街道と分岐する辻で、旅籠や商家が軒を連ね、人々が盛んに往来する様子が18世紀後半に出版された『大和名所図会』にも描かれています。 大和名所図会巻三 立田新宮(奈良県立図書情報館蔵) 商業地としての龍田の歴史は古く、法隆寺の寺内行事が記述された『寺要日記』1243(寛元元)年

                竜田越え奈良街道・西和最大の宿場町、龍田。旧街道沿いの町並みと龍田神社、中井正清ゆかりの古刹とぽっくり寺・吉田寺を巡る - 大和徒然草子
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