2011年1月29日、カタール・ドーハで行われたアジアカップ決勝・オーストラリア戦。120分間に及ぶ死闘に決着をつけたのは、ジョーカー・李忠成(京都)だった。劇的かつ華麗なスーパーボレー弾が生まれた歴史的一戦は深夜にもかかわらず視聴率33・1%を記録した。 「絶対にヒーローになるんだ」 大会を通してほぼベンチに陣取っていた男は、つねに自分を奮い立たせ、自らのサッカー人生を大きく変えた。血気盛んな仲間との刺激に満ちた10年前の日々と自身のキャリアを今、改めて彼に語ってもらった。 ギリギリの状況で送り出されたジョーカー 2010年南アフリカワールドカップ(W杯)16強入りから半年。アルベルト・ザッケローニ監督が就任し、日本は初めての大舞台であるアジアカップに向かっていた。当時所属のサンフレッチェ広島でゴールラッシュを見せ、大会メンバーにギリギリで滑り込んだのが李だった。しかし、初戦・ヨルダン戦