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死なう団の検索結果1 - 9 件 / 9件

  • 79歳“在野の昭和史研究者”保阪正康 妻子持ちの32歳で大学院への道を捨てた日 | 文春オンライン

    ◆ はじめから昭和史ということを考えていたわけじゃない ――国会図書館のサイトで保阪さんの著作を検索しますと、単著、共著、文庫化などを含めて314件もヒットしました。単著だけで100冊以上、その多さにあらためて驚きました。しかも医療問題から会社研究まで幅広い。ジャーナリスティックな手法で、なぜとりわけ昭和史についての取材と執筆を続けてきたのか、伺えたらと思います。 保阪 それはまた単純な話なんです。昭和45(1970)年11月25日、三島由紀夫が割腹自殺をした事件がありましたね。その時に、「ともに死なう」と三島が自衛隊員に呼びかけている檄文を読みました。ともに死のう、ということです。 それを読んで「昔、そういえば『死のう団事件』ってあったな」と思い出した。国会図書館へ行って調べたら、本が書かれていない。じゃあ僕が調べて本にしようと思ったんですね。当時の資料を丹念に調べ、生存者を探して取材し

      79歳“在野の昭和史研究者”保阪正康 妻子持ちの32歳で大学院への道を捨てた日 | 文春オンライン
    • なろうの騎士とか

      ※愚痴です 騎士と言えば、あの重たい鎧をを纏って戦うだけの強靭な肉体を持っているはずだが、 比較的あっさり死ぬことが多い。モンスターとの大規模な戦いになればなるほど死は避けられないのだろう。 そんな騎士だが、主人公と軽い付き合いや仲間になることがある。 しかし主人公と付き合いがある騎士は死ぬことが多いため、その場合主人公が死神に見えてくる。 まぁ主人公は死ぬことが無く、騎士は生いきる死ぬかの戦いをするので、騎士の戦闘の方が面白いとは思えるが。 だが、筆者はこの戦いにおいて嫌いな展開がある。それは騎士が女キャラクターをかばって死ぬ場合である。 騎士の誉れだとかなんだとか色々あるかもしれないが、主人公の仲間の女は死なずに、騎士のかっこいい おっちゃんが死んだりすると、どうしてあの女が死ななかったんだ!と毎回思う。 そう。騎士は死にやすい。そこそこの付き合いがある騎士であっても、後に死ぬというこ

        なろうの騎士とか
      • それでも家を買いました(購入編) - Some Were Born To Sing The Blues

        19歳の時、大学進学を機に上京した。初めての独り暮らしは4畳半一間の学生専用ボロアパート。トイレ、風呂共同。家賃が1万5千円だった。部屋の窓を開けると大家の家の壁が見えた。というか、壁しか見えなかった。 それから36年、多少は部屋のランク(広さと家賃)は上がったが、ずっと賃貸物件暮らし。別に「俺は一生賃貸で構わない」というポリシーがあったわけじゃない。ただ単純に家を買うという選択肢が俺の人生で発生しなかっただけのこと。 20代で結婚し、30歳前後に35年ローンでマンションを買う。そういった世間に存在する王道のライフプランとは無縁だった。これは俺が若い頃に1度失敗してバツがついていることも影響している(詳細は書かない)。 相方と知り合った時、俺は38歳だった。相方は2つ歳下。それから2年交際して一緒になった。ちなみにプロポーズは相方からだ。これも詳細は書かない(書けない)。 俺も相方も40代

          それでも家を買いました(購入編) - Some Were Born To Sing The Blues
        • 2月17日はえんぶり、二の午、一粒万倍日、祈年祭、天使のささやきの日、雪の特異日、中部国際空港開港記念日、ノアの洪水の日、ツタンカーメン王墓発掘の日、電子書籍の日、千切り大根の日、等の日 - 風に吹かれて旅するブログ (話題・記念日&ハッピートーク)

          おこしやす♪~ 2月17日は何の日? その日の出来事は? 2023年(令和5年) 2月17日はえんぶり、二の午、一粒万倍日、祈年祭、天使のささやきの日、雪の特異日、中部国際空港開港記念日、ノアの洪水の日、ツタンカーメン王墓発掘の日、電子書籍の日、千切り大根の日、等の日です。 ●えんぶり( 日本青森県八戸市) 2月17日- 2月20日 青森県八戸地方に春を呼ぶ豊年祈願の郷土芸能「八戸えんぶり」が、3年ぶりに開かれる。1979年に重要無形文化財の指定を受けた。 www.youtube.com 会期は2023年2月17日(金)~20日(月)までの4日間。およそ30のえんぶり組が1日を通して八戸市中心街や市内各所でえんぶりを披露する。 えんぶりは苗作りから、田植え、草取り、稲刈りを経て、米俵を大地主の旦那に収めるまでの一連の流れを表現したもので、豊作を祈願する「田植踊」の伝統芸能だ。一番の見どころ

            2月17日はえんぶり、二の午、一粒万倍日、祈年祭、天使のささやきの日、雪の特異日、中部国際空港開港記念日、ノアの洪水の日、ツタンカーメン王墓発掘の日、電子書籍の日、千切り大根の日、等の日 - 風に吹かれて旅するブログ (話題・記念日&ハッピートーク)
          • 芥正彦 - AKUTA MASAHIKO

            原爆、天皇、三島由紀夫、東大全共闘。大袈裟な名前を四つほど出しました。それはもう、それがそれである、それでしかない、ということです。 なぜ原爆と天皇を一緒にするか。私たちは原爆とともに生まれ、瓦磯でオギャーといい、天皇が人間に過ぎないというような、平和憲法、日本国憲法ができた。そのとき三島由紀夫は 『仮面の告白』で、俺は生まれたときの記憶があるという捏造(ねつぞう)の眼差しの一点を設定することで、あの作品を成功させた。しかし、我々は捏造でなく、原爆の輝きによって、ありとあらゆる無根拠なオカルト的権力が消滅して、瓦磯が瓦磯である真実そのものの光を放ったところにオギャーと生まれてきた。その精神と眼差しの始まりを、二十歳になったんですから、自分の居場所で再現してみせるということで、我々は解放区をつくり、いかなる権力も介在できない空間を誕生させたわけです。 天皇の消滅ということに関して、認められな

            • 北海道開拓の二重性 米国依存とアイヌ民族への露骨な植民地政策|保阪正康 日本史縦横無尽

              1939年、北海道生まれ。同志社大卒。編集者を経て「死なう団事件」でデビュー。「昭和天皇」など著書多数。2004年、一連の昭和史研究で菊池寛賞。本連載「日本史 縦横無尽」が『「裏切りの近現代史」で読み解く 歴史が暗転するとき』(講談社)として好評発売中。

                北海道開拓の二重性 米国依存とアイヌ民族への露骨な植民地政策|保阪正康 日本史縦横無尽
              • 社会主義者や朝鮮人を殺せば「出世する」と教えられた|保阪正康 日本史縦横無尽

                1939年、北海道生まれ。同志社大卒。編集者を経て「死なう団事件」でデビュー。「昭和天皇」など著書多数。2004年、一連の昭和史研究で菊池寛賞。本連載「日本史 縦横無尽」が『「裏切りの近現代史」で読み解く 歴史が暗転するとき』(講談社)として好評発売中。

                  社会主義者や朝鮮人を殺せば「出世する」と教えられた|保阪正康 日本史縦横無尽
                • 私的・2020年の良かった買い物、作品などの振り返り - 光景ワレズANNEX

                  自分の中では年末恒例のまとめ系エントリです。年末はまとめたいし、まとめるから年末気分になる。人のまとめも好きです。でもNAVERまとめは消えてよかった!!!!! akasofa.hatenablog.com 2019年版は無いのですが、これはあまり買い物をしなかったという意味ではなくて人に言いたいほど特徴的な買い物がなかったという意味ですかね。よく新型iPhoneが出るたびに「革新的な機能はなかった」的にガッカリ空気出すやつがいますが、これだけスマホが一般的になった今そんなに革新的なことあるわけねえだろ、淡々と良くなったねで十分だろというのと同じ意味合いです。 で、今年覚えてる、思い出せた範囲の良かった探しです。 ----- セラブレス 私も立派な中年なのでニオイのケアはなるべく気を遣いたいと思っています。マイナスの印象を与えないという意味で。でもまず自分で自分を臭いなと思う(有森裕子の名

                    私的・2020年の良かった買い物、作品などの振り返り - 光景ワレズANNEX
                  • 「今に見ていろ。必ず復讐してやるから。必ず!」…東條英機が「血染めの軍服」に誓った復讐(保阪 正康)

                    暗殺が歴史を動かした——。 血盟団事件、五・一五事件、神兵隊事件、死なう団事件、そして二・二六事件……。 暴力の連鎖が生んだ悲劇を繰り返さないために、「暗黒の歴史」から何を学ぶべきか。 『テロルの昭和史』は、昭和史研究の第一人者による警世の書である。 ※本記事は保阪正康『テロルの昭和史』から抜粋・編集したものです。 暴力と殺人と独善の支配する国家空間 昭和5年11月の濱口雄幸首相へのテロから昭和11年の二・二六事件に至るテロやクーデター計画は、大別すると軍人が中心の事件、民間右翼の側が主導権を握った事件に分けることが可能である。 神兵隊事件(未遂、昭和8年7月)までは民間右翼が中心になってのテロ、あるいはクーデター計画であった。昭和6年の三月事件、あるいは十月事件などは軍人が中心になっていたが、民間側も相応に親軍勢力の政権樹立に共鳴、共感していた事実もあった。 しかし昭和9年11月の陸軍士

                      「今に見ていろ。必ず復讐してやるから。必ず!」…東條英機が「血染めの軍服」に誓った復讐(保阪 正康)
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