1995年1月17日午前5時46分。 あのとき、もし私たちの手元にスマートフォンがあったなら、阪神・淡路大震災はどう伝えられただろう。 地震発生後に起きた事象を時間ごとに、当時の写真や動画で追いながら、あの日を再現する。 ※ページ内には当時の被害に関する映像・音声を使用しています。
今日、阪神淡路大震災の日を神戸で過ごした方の投稿を見てふと思い出したことがある。 私は1995年1月17日の阪神淡路大震災の当日に産まれた。 ただ、産まれた場所は東京でその後12年間を都内で過ごした。 12歳になった頃、親の転勤で兵庫県神戸市に引っ越した。 メアド交換をする際にアドレス帳に誕生日を登録することがよくあったり、赤外線通信でメアドを交換すると自分で設定した誕生日がそのまま向こうにも登録されることから相手に自分の誕生日が伝わることが多々あったのだけれど、私が1995年の1月17日に産まれたことを伝えると、皆口を揃えて「震災の日!?」と驚いたような反応をしていた。 その後驚きは好奇心に変わるようで、どんな状況で産まれてどうやって震災を乗り越えたのかを矢継ぎ早に聞いてきた。 私はその度に申し訳ない気持ちになりながら「産まれは神戸じゃないんです、東京なんです。」と答えていた。 すると相
2024年元日に発生した能登半島大地震は、まさに日本全体がお正月のホンワカムードに浸る中の出来事で、一体何が起こったのか理解できた人は少なかったのではないだろうか。もちろん筆者もその1人である。 お正月番組を全部吹っ飛ばしてテレビ放送は一斉に地震速報に代わり、震源地や震度、度重なる余震、津波警報の情報が拡散された。揺れが伝わる地域の方は、スマートフォンの地震警報が連続で発せられ、落ち着かなかっただろう。 それで思い出すのが、今から13年前となった東日本大震災だ。3月11日は平日で、子ども達は学校に居た。当時筆者は埼玉県に住んでいたので、ある意味地震災害の当事者とも言えないこともないが、深刻な被害を受けたわけではない。テレビのニュースは同じ情報を繰り返すだけで、むしろ情報源として貴重だったのが当時のTwitterだった。 当時からすでにネットニュースはTwitterにリンクを流していたが、陸
計画停電時代懐かしいな この10年でスマホが普及したなぁって感じ あの頃はまだガラケー使ってたわ SSDやらUSB3.0もかなり普及したなぁ ニコニコが凋落してYouTubeが強くなったよなあ 常磐線は去年ようやく全線復旧したけどコロナで話題にならなかったな ドローンもかなり普及したなあ コロナが長丁場になればテレワークがどんどん拡大していくのかなぁ ああそういえばWindows8が数年後サポート終了だから今後はずっと10になるんだったなぁ 新しい10年はどうなるんだろうなぁ リニアは静岡がごねてるしなぁ 地方はどんどん人口減って限界集落でてきてるもんなあ でも医療技術は大して進化してない気がする IPS細胞は10年前にもあったけど 今後10年で一般的にも利用できるようになって欲しいなあ あとやっぱり癌だね 癌の特効薬 これがそろそろできて欲しい AIDSとかも特効薬ができて欲しい はー1
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