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牧野省三の検索結果1 - 9 件 / 9件

  • 牧野省三 - Wikipedia

    牧野 省三(まきの しょうぞう、1878年9月22日 - 1929年7月25日)は、日本の映画監督、映画製作者、脚本家、実業家。 日本最初の職業的映画監督であり、日本映画の基礎を築いた人物でもある[1]。「映画の父」と呼ばれたD・W・グリフィスになぞらえて「日本映画の父」と呼ばれた[1]。千本座の経営者から映画製作に乗り出し、300本以上の時代劇映画を製作。尾上松之助とコンビを組み、彼の忍術映画でトリック撮影を駆使した。歌舞伎や講談、立川文庫から題材を求め、「スジ、ヌケ、動作」を三大原則とした映画製作で大衆から支持を得た[2]。その後マキノ・プロダクションを設立し、阪東妻三郎、片岡千恵蔵、嵐寛寿郎、高木新平、月形龍之介、市川右太衛門といったスター俳優や、監督の衣笠貞之助、二川文太郎、井上金太郎、内田吐夢ら、脚本家の寿々喜多呂九平、山上伊太郎らを育て上げた。 来歴・人物[編集] 生い立ち[編

      牧野省三 - Wikipedia
    • 浅野忠信、京都国際映画祭「三船敏郎賞」を受賞 「牧野省三賞」は新藤次郎氏に : 映画ニュース - 映画.com

      喜びをかみ締めた浅野忠信[映画.com ニュース] 吉本興業グループが企画推進する京都国際映画祭2017が10月12日、京都・西本願寺で開幕し、オープニングセレモニー内で「牧野省三賞」「三船敏郎賞」の授賞式が行われた。今年は故新藤兼人監督の次男としても知られるプロデューサー・新藤次郎氏が「牧野省三賞」、「沈黙 サイレンス」「マイティ・ソー バトルロイヤル」(11月3日公開)などに出演し、世界でも活躍する俳優・浅野忠信が「三船敏郎賞」を受賞し、歓喜のコメントを寄せた。 「牧野省三賞」のプレゼンターを務めた俳優・津川雅彦から「新藤兼人監督と一緒に数々の名作を世に送り出してくれた功績によって、今回の受賞に至りました。次郎ちゃん、『牧野省三賞』もらってくれてありがとう!」と激励の言葉を投げかけられた新藤氏は、「私の父も同じ賞を受賞させいただいております。とにかく光栄です」としみじみ。「新藤兼人が京

        浅野忠信、京都国際映画祭「三船敏郎賞」を受賞 「牧野省三賞」は新藤次郎氏に : 映画ニュース - 映画.com
      • 京都国際映画祭2015「牧野省三賞」は野上照代氏、「三船敏郎賞」は仲代達矢が受賞 : 映画ニュース - 映画.com

        三船敏郎賞を受賞した仲代達矢[映画.com ニュース] 吉本興業グループが企画推進する京都国際映画祭2015が10月15日、京都・祇園甲部歌舞練場で開幕し、オープニングセレモニー内で「牧野省三賞」「三船敏郎賞」の授賞式が行われた。 日本映画の父である故牧野省三監督の名を冠した「牧野省三賞」は、日本映画の発展に寄与した映画人に贈られる。今年は「羅生門」以来、故黒澤明監督作品でスクリプターを務めた野上照代氏が受賞。同賞選考委員の中島貞夫監督は「今年は文句なく、野上さんに差し上げたい気持ちでした」と満場一致だったことを明かし、「映画人の在り方を語り続けてくれています。我々にとっても大変貴重な語り部で、尊敬すべき先輩でございます」と講評を述べた。 野上氏の自伝的小説を映画化した「母べえ」に主演した吉永小百合からビデオメッセージも届き、「これからも私たちのあこがれのミューズとして、日本映画に対して温

          京都国際映画祭2015「牧野省三賞」は野上照代氏、「三船敏郎賞」は仲代達矢が受賞 : 映画ニュース - 映画.com
        • 豪傑児雷也 - Jiraiya the Hero (Goketsu Jiraiya) /牧野省三 - Shozo Makino (1921)

          "Jiraiya the Hero" is japanese old ninja film by Shozo Makino. Jiriya is fictional ninja character from a story in Japanese Edo era. He is popular and appears in Kabuki and the comics. 「豪傑児雷也」は牧野省三監督による1921年の無声映画。当時の特撮技術により、主人公の児雷也がガマ、宿敵大蛇丸は大蛇、綱手はナメクジに変身するなどのシーンを見事に表現している。 児雷也(自来也)は江戸時代の読本から生まれたキャラクターで義賊の忍者として登場し、仙人のもとで修行し身につけた妖術を駆使して活躍。石川五右衛門と並び歌舞伎でも取り上げられ、現在にいたるまで日本人の忍者観に大きく影響した。世界的に人気のコミック「NAR

            豪傑児雷也 - Jiraiya the Hero (Goketsu Jiraiya) /牧野省三 - Shozo Makino (1921)
          • 日本映画の黄金時代を築いた、牧野省三・マキノ雅弘 | 宣伝会議 2014年5月号

            広告費の削減や人々のマスメディア離れが言われはじめて久しいが、それでもなお今日の日本において広告・メディアの力はその強さを持ち続けている。その力は、先人たちから脈々と受け継がれてきた精神、そして技術を発展させることによって成り立っているにほかならない。先人たちの優れた功績を見つめ直し、原点に立ち返ることで、広告・メディア界の現在、そして今後を考える。 創成期をリードした日本映画の父 牧野省三(1878(明治11)年9月22日~1929(昭和4)年7月25日)は、「日本映画の父」と言われる。日本映画製作の創始者であり、最初の職業的映画監督であり、数多くの映画スターを育てた。牧野省三の情熱と創意が日本映画を急速に大衆の娯楽にし、その後に拡がる映画の黄金時代を作る道筋をつけた。 京都・千本座を経営していた省三が、当時、活動写真と呼ばれていた映画の世界に入ったのは、興行師・横田永之助から活動写真製

              日本映画の黄金時代を築いた、牧野省三・マキノ雅弘 | 宣伝会議 2014年5月号
            • 【牧野省三没後90年 よみがえるマキノ映画の神髄】“嫉妬”もメロディーに乗せて歌う、楽しい時代劇! 「鴛鴦歌合戦」(1/2ページ)

              牧野省三の作品作りは多くの血縁者に引き継がれた。長男であるマキノ正博(雅弘など別字表記あり)は製作・監督・松竹太秦撮影所長などを務め、その異母兄の松田定次も映画監督。四女で女優のマキノ智子の子が長門裕之、津川雅彦。津川の娘、真由子も女優だ。血縁をたぐると、次々と映画関係者が出てくる。 正博は20代から父が残した多額の負債を返済しながら仕事を続けた。作風は多彩で、31歳で異色のオペレッタ時代劇、片岡千恵蔵主演の『鴛鴦歌合戦』を監督した。 気楽な浪人、浅井礼三郎(千恵蔵)をめぐり、隣人の町娘、豪商の娘、叔父が持ってきた縁談の娘が四角関係に…。 皆が困惑していると骨董(こっとう)好きの大名(ディック・ミネ)が娘のひとりを側室にと言い出し大混乱になるという物語。 女同士の嫉妬もメロディーがついて、♪な、な、なんです~と歌にしてしまうお陽気な展開。公開当初は評価されなかったが、近年、衣装や小道具、音

                【牧野省三没後90年 よみがえるマキノ映画の神髄】“嫉妬”もメロディーに乗せて歌う、楽しい時代劇! 「鴛鴦歌合戦」(1/2ページ)
              • 【牧野省三没後90年 よみがえるマキノ映画の神髄】編集中にフィルム焼失で短くなった! 「忠魂義烈 実録忠臣蔵」(1/2ページ)

                「忠臣蔵」映像作品は300本以上あるといわれる。その元祖ともいえるのは、牧野省三が1910年に撮った『忠臣蔵』。以後、省三は何度も「忠臣蔵」ものを撮っているが、ほとんどの作品は現存していない。 現在、見られる貴重な作品は『忠魂義烈 実録忠臣蔵』だ。キャストは大石内蔵助に新派の伊井蓉峰、浅野内匠頭に諸口十九、吉良上野介に市川小文治、大石主悦は、省三の跡取りのマキノ正博。脇坂淡路守・寺坂吉右衛門に嵐長三郎(嵐寛寿郎)、吉良方の清水一角に月形龍之介、ラストで登場する目付服部一郎右衛門に片岡千恵蔵。 物語は、内匠頭が吉良の嫌がらせで、勅使饗応の儀に装束違いの上に遅刻をして恥をかき、「鮒侍」とののしられ、松の廊下で刃傷に至る当日から始まる。即日切腹となった内匠頭が「庭先の桜が見事…」と言われ、ふと見ると片岡源五右衛門の姿が。涙でにじんで、その姿がぼんやり見えるところまで再現するきめ細かさ。そして、赤

                  【牧野省三没後90年 よみがえるマキノ映画の神髄】編集中にフィルム焼失で短くなった! 「忠魂義烈 実録忠臣蔵」(1/2ページ)
                • 【牧野省三没後90年 よみがえるマキノ映画の神髄】日本が誇る特撮映画の原点…着ぐるみ、逆回転など当時の技術で“妖術”を表現 「豪傑児雷也」(1/2ページ)

                  今年は「日本映画の父」と称される牧野省三の没後90年。今月開催された「京都国際映画祭」で「牧野省三賞」が、牧野の孫で昨年亡くなった津川雅彦(監督名・マキノ雅彦)さんに贈られたことも話題になった。 1878(明治11)年、現在の京都市右京区に生まれた省三は、母が義太夫の師匠だったことから、芸事に精通。後に芝居小屋「千本座」を経営しながら、自らも舞台に立った。残された省三の写真を見ると、役者としても十分通用する二枚目である。 小屋で活動写真の上映をした縁で、映画会社の横田商会から依頼され、省三は『本能寺合戦』を撮り、日本初の職業監督となる。 彼が見いだしたのが、千本座に出ていた旅役者の尾上松之助だった。75(明治8)年、岡山に生まれた松之助は実に1000本もの映画に出演。「目玉の松ちゃん!」と映画館で庶民から声がかかるスターとなった。

                    【牧野省三没後90年 よみがえるマキノ映画の神髄】日本が誇る特撮映画の原点…着ぐるみ、逆回転など当時の技術で“妖術”を表現 「豪傑児雷也」(1/2ページ)
                  • 【牧野省三没後90年 よみがえるマキノ映画の神髄】津川雅彦が「マキノ雅彦」監督として名作を継承! 「次郎長三国志」(1/2ページ)

                    義理人情に厚い次郎長親分を慕う大政、小政、森の石松ら威勢のいい子分たちが大暴れする『次郎長三国志』。 牧野省三の長男、マキノ正博(雅弘)は昭和30年代の映画全盛期に、次郎長映画の傑作を世に送り出した。その正博のおいであり、作品に出演経験もある津川雅彦はマキノ雅彦監督として2008年、中井貴一主演で新たな『次郎長三国志』を撮った。 公開時、監督にインタビューした際、正博は次郎長撮影時、津川宅(津川の母は省三の四女で女優のマキノ智子)に居候していて、中学生だった雅彦は現場にもよく行っていたと聞いた。そこで印象的だったのは、正博の『これはヤクザ礼賛の映画やない』という言葉だったという。 しかし、彼らには彼らなりのけじめがあった。親分の危機を救うために子分のおけ屋の鬼吉は親に無心に行く。だがばくちで勝った金なら喜んで使うが、堅気の金は使っちゃいけないと親分から怒られる。次郎長には、アウトローの美学

                      【牧野省三没後90年 よみがえるマキノ映画の神髄】津川雅彦が「マキノ雅彦」監督として名作を継承! 「次郎長三国志」(1/2ページ)
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