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白洲正子の検索結果1 - 14 件 / 14件

  • モノ執着は白洲正子ヘの憧れ!母娘バトルの末に希望「ウチ断捨離」感想 - 貯め代のシンプルライフと暮らしのヒント

    モノを買い集めた理由が明かされる 11月1日放送のBS朝日「ウチ、断捨離しました!」は、以前に登場された70代の「ともこ」さんのその後の暮らしぶりが放送されました。 戸建ての家にひとり住まいのともこさんは、大量のモノに囲まれて、娘たちから心配されています。 断捨離から半年、相談者の暮らしはどう変化したのでしょう。 スポンサーリンク 服の海におぼれそうな親の家 物を買い集めた理由 憧れと現実 娘とのバトル再発 古くて味わいのあるものを活かすには? モノを活かそう 服の海におぼれそうな親の家 いたるところに服が積まれている ブログ画像はすべて、私の家を撮影した写真であることをご了承下さい。 11月1日は放送の「ウチ断捨離しました」は、高齢のともこさんが実は知性派で、読書好きであることと、骨董に憧れていることが明かされます。 ともこさん 収集癖があるお母さん 74歳 めぐみさん 40代の次女 前

      モノ執着は白洲正子ヘの憧れ!母娘バトルの末に希望「ウチ断捨離」感想 - 貯め代のシンプルライフと暮らしのヒント
    • 白洲正子「器つれづれ」をよむ。 - 兎徒然

      白洲正子がこの時代に生きていたら、アートシーンでは常に話題の人だったと思う。白洲正子の随筆を読んでいると、ちょいちょい、ん?となる。(゚ω゚)なかなかぶっぱなすなぁ、と。 現代ならばSNSが常に炎上してるだろうな、と読んでいくと既に当時からアレコレ言われたようだ。 ※以下色つきの文は「器つれづれ」からの抜粋 器つれづれ 作者: 白洲正子,藤森武 出版社/メーカー: 世界文化社 発売日: 1999/07/01 メディア: 単行本 購入: 1人 クリック: 5回 この商品を含むブログ (6件) を見る 人を小馬鹿にしたような侮蔑の目を感じる。はじめのうちは気になって、あれこれ言いわけをしたものだが、この頃は「勝手にしやがれ」と思うようになった。 フフ、と笑ってしまう。それぐらいの人でないと、ものを語るすべはもたない。 でも、多分これは侮蔑というより、妬みと僻みな気がする。人は自分の劣等感という

        白洲正子「器つれづれ」をよむ。 - 兎徒然
      • 都心から1時間。白洲次郎白洲正子ゆかりの記念館「武相荘」旧白洲邸 訪問レポート(前編) | 和樂web 美の国ニッポンをもっと知る!

        東京都心から電車とバスを乗り継いで約1時間半。神奈川県との県境に近い、町田市の鶴川にある「武相荘」という、一見冗談のような名前のミュージアムをご存知でしょうか?正式名称は「旧白洲邸 武相荘」(きゅうしらすてい ぶあいそう)といい、数々の名著で知られる作家・白洲正子と戦後の名宰相・吉田茂のブレーンとして日本国憲法制定と戦後復興のキーマンとして活躍した白洲次郎が亡くなるまで暮らした家として知られています。 実はこの武相荘、2001年の創刊時から繰り返し取材を重ね、その魅力を読者にお伝えしてきた、「和樂」にとって非常に思い入れのある取材先の一つなのです。そんな「武相荘」が2019年秋から雑誌「和樂」で定期購読者向けに発行している「和樂パスポート」の提携先に加わりました!(※詳細は本記事の最後をご参照ください) 和樂Webでは、これを記念して、和樂本誌とともにミュージアムの歴史を共に共有してきた「

        • 白洲正子 「たしなみについて」 を読みました - Magenta Pink の小鳥

          白洲正子『たしなみについて』目次 ・たしなみについて ・新しい女性の為に ・智慧というもの ・進歩ということ ・お祈り ・創造の意味 たしなみについて 新装版 作者:白洲正子 河出書房新社 Amazon この本を読み、思ったこと。 興味深い随筆集でした。 彼女が信じているものを、私も信じています。 自然風景やすらぐ夏の夕焼けの空 白雪にきらめく冬の山にも 「それ」は新しく、めずらしく、あらためて驚かされるもの。 古い古〜いものであるにも関わらず、予想外の新しさなのです。 「それ」は、その都度まったく同じものでありながら まるで初めて起こった出来事のよう。 瞬く間に消えてしまう。 しかし度重なる中に次第にはっきりと形を備えて、 大きく美しく鮮やかな輪郭をあらわし育ってゆく。 そういうものを芭蕉は「不易」と名付けました。 世阿弥は「花」と言いました。また ある人々は「つねなるもの」と表現し、

            白洲正子 「たしなみについて」 を読みました - Magenta Pink の小鳥
          • 『∂ほんもの 白洲正子』

            ∂白洲正子の随筆集。 随筆という形式は女性の感性と適応しやすいのかもしれない。 生活の中の些細な出来事を抜き出し、デフォルメし、人々の共感を呼ぶ。 清少納言の時代からそれは変わらないような気がする。ラジオトーク向きの形式である。 ある種のいやらしさ、細かいところに気付くアンテナ、損得感情、そして小さな出来事について冗長に(あっちにへ飛んだりこっちへ飛んだり)話せる技術、が必要になってくる。心の声を彩り鮮やかに表現する言語感覚は男のそれより女性の方が発達しているのかもしれない。 ∂内容紹介 本当の〈ほんもの〉は、もはや贋物のように魅力的で、危険極まりない――。「私はひたすら確かなものが見たいと思った」。おしゃれ、結婚、死生観、昭和について、そして白洲次郎、小林秀雄、青山二郎、吉田健一、洲之内徹ら、作者が見据えた〈危険なほんもの〉たちの生と死と、その懐かしい風貌姿勢を、ハードボイルドなまでの文

              『∂ほんもの 白洲正子』
            • 白洲正子著「ほんもの」|komaneko

              私が白洲正子という人を知ったのは いつ頃だっただろう。 おそらく10年以上前のことだと思うが 元々、明治、大正、昭和初期に活躍した 女性に興味があり、いろいろと乱読して いるうちにたまたま知ったのだろう。 「白洲正子」という名の文字と音の美しさ 青山次郎につけられたあだ名「韋駄天お正」 という、疾風のごとく駆け抜ける神々しい イメージに強く惹かれた。 薩摩隼人の血を受け継ぐ はっきりとした顔立ちと強いまなざし。 圧倒的、ぐうの音も出ない 私とはあまりにもかけ離れた存在ではあるが、 ほんものを探求し続けた彼女から発せられる 言葉に触れると、いつも心の安定感を得られる。 白洲正子(1910〜1998) 薩摩藩士の伯爵樺山家に生まれる。 随筆家。4歳で能を習い始め、 14歳で女性として初めて能舞台に上がる。 同じく14歳の頃、 アメリカのハートリッジスクールに入学。 18歳で白洲次郎と結婚。 青

                白洲正子著「ほんもの」|komaneko
              • 花供養 白洲正子+多田富雄 藤原書店

                白洲正子+多田富雄 A5変上製 248ページ ISBN-13: 9784894347199 刊行日: 2009/12 白洲正子最晩年の濃密な交流の核心 「白洲正子さんが逝ってもう十年、時々無性に会いたくなる…」 白洲正子が「最後の友達」と呼んだ免疫学者・多田富雄。 没後十年に多田が書下ろした新作能「花供養」に込められた想いとは? 二人の稀有の友情がにじみでる対談・随筆に加え、作者と演出家とのぎりぎりの緊張のなかでの制作プロセスをドキュメントし、白州正子の生涯を支えた「能」という芸術の深奥に迫る。

                • 茶会で白洲正子さんの魅力に触れる|奈良新聞デジタル

                  この記事の残り文字数:229文字 この記事は社会ジャンルの有料記事です。 続きをご覧になりたい方はログインまたは会員登録をお願いします。 ログインして続きを見る 初月無料で今すぐ見る (会員登録画面へ)

                    茶会で白洲正子さんの魅力に触れる|奈良新聞デジタル
                  • 森林浴しながら、古民家で白洲正子の仕事を偲ぶ――長女・牧山桂子さんに聞く“白洲家の流儀” | 文春オンライン

                    伝統芸能、神社仏閣、骨董また忘れ得ぬ名人たちへの愛惜を書き続けた随筆家・白洲正子。彼女が多くの作品を編み出した茅葺きの家は、いまミュージアムとして一般公開されている。幼い頃からその地で育ち、今も暮らす、長女で著述家の牧山桂子さんにお話を聞いた。(写真:石川啓次) 取材・文 文春文庫 ◆◆◆ 小田急線の鶴川駅から徒歩15分。いまや町田市の史跡に指定されている旧白洲邸「武相荘」をたずねた。街道から小道をあがり、初夏の日射しを浴びる瑞々しい緑の樹々の間、少し濡れた土の上に敷かれた石を歩く。 白洲正子の長女・牧山桂子さん(84)はテラスで待っていてくれた。紺色のツーピースにデニムのジャケット、父上・白洲次郎似の美貌が健在の、エレガントな婦人である。 「これ、どちらもユニクロよ」 両耳にはジェンセンのイヤリング。 「結婚前に、ねだって、次郎さんに買ってもらったの。正子さんも私も、宝石はあまり好きでは

                      森林浴しながら、古民家で白洲正子の仕事を偲ぶ――長女・牧山桂子さんに聞く“白洲家の流儀” | 文春オンライン
                    • 白洲正子、牧山桂子、青柳恵介、八木健司 『白洲正子のきもの』 | 新潮社

                      「人に見せるのでなく、自分がたのしめばよい。きものはその為にあるのです」。眼利き、文章家として知られる白洲正子の本領は、実は「きもの」でした。小千谷縮や結城紬、紅型、芭蕉布など、遺愛の優品を鑑賞しつつ、晴れ着よりも普段着を好んだ独自のきもの観、ドレスダウン術に学ぶ。白洲家長女の率直な回想記も収録。

                        白洲正子、牧山桂子、青柳恵介、八木健司 『白洲正子のきもの』 | 新潮社
                      • 「型絵染」の人間国宝・芹沢銈介と、<br />伝統美を愛する白洲正子との交流 | 「文藝春秋」写真資料部 | 文春写真館

                        明治四十三年(一九一〇年)、華族の家に生まれた白洲正子(写真右)は、幼少期より能に親しみ、十四歳で舞台に立った、生粋の審美眼の持ち主である。「能面」「かくれ里」など数多くの著作により、日本の風土に根差す美を紹介した功績は大きい。 その白洲正子が畏敬した人物が、染色工芸家・芹沢銈介。あるとき正子が骨董店で見つけ魅了された屏風を、逡巡しているうち、先に買っていった人物がいた。そうしたことが何度かあり、その相手がいずれも芹沢であったという。正子はのちに、雑誌の取材で芹沢邸を訪れ、蒐集品の確かさはもとより、「世間の評価がどうでも、作者も時代も分からずとも、良いものは良い」という見事な態度に感じ入り、人物に魅了される。 芹沢銈介は明治二十八年、静岡市で呉服商の家に生まれる。東京高等工業学校(現・東京工業大学)で工業図案を学び、柳宗悦と交流し「民藝運動」の主要な担い手となる。着物・帯・屏風・暖簾といっ

                          「型絵染」の人間国宝・芹沢銈介と、<br />伝統美を愛する白洲正子との交流 | 「文藝春秋」写真資料部 | 文春写真館
                        • 『武相荘の夏』展 2020〈開催終了いたしました〉 | 2023年12月までの記事 | 武相荘 - 白洲次郎・白洲正子の旧邸 - 東京都町田市

                          会期:2020年5月29日(金)〜8月30日(日) ミュージアム開館時間:10時~17時 (入館は16時半までとなります) ※受付場所が変更となっております。 ご観覧の際は、奥の茅葺きの建物を直接ご訪問ください。 スタッフが在中しておりますので、観覧チケットをお求めください。 武相荘の夏 開催にあたって 夕方、カナカナ蝉が騒がしくなる頃です。 きまって山盛りの蚕豆の鉢とビールを目の前にならべ いつの頃からか毎年植えるようになった 刻々と花びらをひろげていく夕顔を眺めながら、 人生でも夕方を迎えていた次郎と正子の二人は 過ぎ去った昔を語り合うのが常でした。 牧山桂子

                          • 『世阿弥』(白洲 正子,水原 紫苑):講談社文芸文庫 製品詳細 講談社BOOK倶楽部

                            文芸(単行本) 既刊一覧 講談社文庫 既刊一覧公式サイト 講談社文芸文庫 既刊一覧公式サイト 講談社ノベルス 既刊一覧公式サイト 講談社タイガ 既刊一覧公式サイト 講談社X文庫ホワイトハート 既刊一覧公式サイト レジェンドノベルス 既刊一覧公式サイト 講談社ラノベ文庫 既刊一覧公式サイト 星海社文庫 既刊一覧公式サイト 星海社FICTIONS 既刊一覧公式サイト 群像 公式サイト 小説現代 公式サイト 講談社現代新書 既刊一覧公式サイト ブルーバックス 既刊一覧公式サイト 講談社+α文庫 既刊一覧 講談社+α新書 既刊一覧 講談社学術文庫 既刊一覧公式サイト 講談社選書メチエ 既刊一覧公式サイト 講談社サイエンティフィク 公式サイト 星海社新書 既刊一覧公式サイト 週刊現代 公式サイト FRIDAY 公式サイト 現代ビジネス 公式サイト クーリエ・ジャポン 公式サイト FORZA STYL

                              『世阿弥』(白洲 正子,水原 紫苑):講談社文芸文庫 製品詳細 講談社BOOK倶楽部
                            • 旅行中、白洲さんは風景を食べていた―盟友の脳裡によみがえる人間・白洲正子 | 文春オンライン

                              白洲正子の流儀とは何か 傑出した人間と面と向かうのは心労だから、その人の凄さを感じつつも横で眺めておくようなつきあいで済ましておいて、後になってからさも近しくつきあったごとく他人に、あの人は凄い人であったと吹聴するような狡(ずる)さを、断じて許さなかったのが白洲正子だった。いつも逃げずに真正面からその人間に近づいてゆく。時に、人が普通接近する際に保つ距離を超えて。 しかし、同時に白洲さんは、面と向かうだけでは人も物も見えてこないということも熟知していた。人なら時間をかけて丁寧につきあう。物なら身辺において何年も眺め、いじる。そして風景なら同じところに何遍も繰り返し足を運ぶ。意識的に、無意識的に、さまざまな局面に接して見る。見たものを書くのではない。見えてくるものを書くのだ、というのが白洲正子の流儀である。本書を読まれた方々はその消息を理解されるだろう。そうした流儀を彼女はいかにして獲得した

                                旅行中、白洲さんは風景を食べていた―盟友の脳裡によみがえる人間・白洲正子 | 文春オンライン
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