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旅行中、白洲さんは風景を食べていた―盟友の脳裡によみがえる人間・白洲正子 | 文春オンライン
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旅行中、白洲さんは風景を食べていた―盟友の脳裡によみがえる人間・白洲正子 | 文春オンライン
白洲正子の流儀とは何か 傑出した人間と面と向かうのは心労だから、その人の凄さを感じつつも横で眺めて... 白洲正子の流儀とは何か 傑出した人間と面と向かうのは心労だから、その人の凄さを感じつつも横で眺めておくようなつきあいで済ましておいて、後になってからさも近しくつきあったごとく他人に、あの人は凄い人であったと吹聴するような狡(ずる)さを、断じて許さなかったのが白洲正子だった。いつも逃げずに真正面からその人間に近づいてゆく。時に、人が普通接近する際に保つ距離を超えて。 しかし、同時に白洲さんは、面と向かうだけでは人も物も見えてこないということも熟知していた。人なら時間をかけて丁寧につきあう。物なら身辺において何年も眺め、いじる。そして風景なら同じところに何遍も繰り返し足を運ぶ。意識的に、無意識的に、さまざまな局面に接して見る。見たものを書くのではない。見えてくるものを書くのだ、というのが白洲正子の流儀である。本書を読まれた方々はその消息を理解されるだろう。そうした流儀を彼女はいかにして獲得した