「満州」という言葉はもともとは地名ではなく民族名として用いられていたのだが、この言葉が地名の意味を持つようになったのは19世紀に入ってからのことで、清国を支配した満州族の居住地域を、西欧で「マンチュリア(Manchuria)」と呼ばれるようになり、これに対応して漢字文化圏でも「満州」と呼ぶようになったとされる。 以降「満州」は中国東北部を指すようになったのだが、この地は満州族の故地であり、もともと人口が少ないうえに清国が出来て、漢民族を統治するために支配階層が北京に移り住んだことで、さらに人口が減少していた。そこで清朝皇帝は、満州族の故地である満州に漢人が住み着くことがないように、この地域を「封禁の地」として漢人が立ち入ることを禁止したという。そのために清の時代には満州の広大な地域に人口がわずかしかいなかったのだが、清国が弱体化していくと、「封禁の地」であった満州を諸国が狙うようになった。