1945年8月6日の午後だったと思うが、拙者は山口市郊外のとある民家の門の日陰に腰をおろしていた。演習中の休憩時間であった。雲一つない晴天だった。一緒に数人で休んでいた兵の一人が「広島に新型爆弾が落ちたげな」と誰にともなくポツリと言った。「どんな新型なのか」と誰も聞き返そうとはしなかった。聞いても精確な答えが返ってきそうになかったし、多分これまでよりも大きい型くらいのものだろうと想像したからである。あとでこの新型なるものがこれまでのとは全く性質を異にした途方もないしろものであることを知った。 演習を終えて帰営すると、さっそく病院の当番兵の勤務が回ってきた。広島の原爆で傷ついた将兵が続々と山口の陸軍病院に回されてきたからである。一期の検閲を終えた兵は演習以外の日は各種の当番として勤務することになっていた。拙者は病院の当番は嫌いではなかった。というのは重い荷物を運ぶ使役などに回されると、荷物を
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