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戦争に関するqpqのブックマーク (9)

  • 原爆投下後の陸軍病院 - 激高老人のぶろぐ

    1945年8月6日の午後だったと思うが、拙者は山口市郊外のとある民家の門の日陰に腰をおろしていた。演習中の休憩時間であった。雲一つない晴天だった。一緒に数人で休んでいた兵の一人が「広島に新型爆弾が落ちたげな」と誰にともなくポツリと言った。「どんな新型なのか」と誰も聞き返そうとはしなかった。聞いても精確な答えが返ってきそうになかったし、多分これまでよりも大きい型くらいのものだろうと想像したからである。あとでこの新型なるものがこれまでのとは全く性質を異にした途方もないしろものであることを知った。 演習を終えて帰営すると、さっそく病院の当番兵の勤務が回ってきた。広島の原爆で傷ついた将兵が続々と山口の陸軍病院に回されてきたからである。一期の検閲を終えた兵は演習以外の日は各種の当番として勤務することになっていた。拙者は病院の当番は嫌いではなかった。というのは重い荷物を運ぶ使役などに回されると、荷物を

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    qpq 2006/09/30
  • わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる: ローマ人の物語II 「ハンニバル戦記」の読みどころ

    スゴ。「ローマ人の物語II ハンニバル戦記」は凄まじく面白かった。これから「ローマ人」に手をつけようとするなら、ぜひとも「ハンニバル戦記」から始めることを強くオススメする。文庫では第3巻からの上中下が相当する。律儀に最初から読むよりも、まず美味しいところからを喰らってみてはいかが? 高校世界史で何やってたんだろうと思うが、教科書では次の5行に収まる。 ──イタリア半島を統一した後、さらに海外進出をくわだてたローマは、地中海の制海権と商権をにぎっていたフェニキア人の植民都市カルタゴと死活の闘争を演じた。これを、ポエニ戦役という。カルタゴを滅ぼして西地中海の覇権をにぎったローマは、東方では、マケドニアやギリシア諸都市をつぎつぎに征服し、さらにはシリア王国を破って小アジアを支配下に収めた。こうして、地中海はローマの内海となった── 教科書で駆け抜ける歴史が、物語で読むと寝を忘れるぐらい面白

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  • 洪思翊: 極東ブログ

    韓国ネタはしばし書くまいと思っていたが、書く。頭に血が上りすぎかとも思うし、ディテールを書くほどの知識もないので簡単にする。 中央日報「【噴水台】親日派『洪思翊』」(参照)で次の文章を読んだとき、脳内血管がぶちっと切れたような感じがした。 洪思翊が、自らの死の前で詩篇を聞こうとしたのは、戦争犯罪によるものではなかった。彼の内面を苦しめた親日行為を贖罪するためだった。洪思翊にとって、親日は出生の時に持って出た、原罪のようなものだった。 「親日行為を贖罪するため」と、そこまで言うかよ、と。「日帝国の将軍だったが、創氏改名は最後まで拒否した」というのなら、ただの歴史の無知だが。 しかし、その先を読み続けながら、筆者全栄基(チョン・ヨンギ)政治部次長とやらは、なんとか洪思翊の名誉を守ろうとしているのかもしれないとも思った。少なくとも、全は洪への敬意を持っていて、なんとか親日反民族行為の真相調査対

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    qpq 2006/08/30
  • 石原さとみ meets 小野田寛郎 - heuristic ways

    年末年始は特別番組が多いのでTV情報誌を買ってチェックしているのだが、昨夜仕事に出かける前に気づいたのが、TBS系で深夜の時間帯に放送の「石原さとみと小野田寛郎の戦争と平和を巡る旅」。「戦後60年特別企画“おじいちゃん、当のことを聞かせて”」と銘打ってある。「?」と首を傾げながらも、とりあえず石原さとみさんが見たいので録画した。小野田さんと言えば、私が子どもの頃、フィリピンから30年ぶりに帰還した軍人として騒がれていたことをかなり強烈に記憶している。昭和49年というから、私が8歳のときだ。なぜ彼が戦後長い間フィリピンに潜伏していたのか、当時の私はよく理解できなかったけれども、とりあえず過去に暗い戦争があり、小野田さんのようにして命からがら生き延びてきた人もいたのだということはインプットされた(たしかカエルなどをべて飢えを凌いでいたらしいという挿話は覚えている)。 しかし、なぜ「石原さと

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    qpq 2006/04/16
  • http://www.gunpyou.com/

  • 2005-08-17

    過去を賛美しながら過去を反省すると言う日 http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2005/08/16/20050816000006.html 朝鮮日報なのだが、やりにくそうだなぁ、ではある。純ちゃんがネタを供給しなかったし、アメリカがこの件に関してほとんど沈黙に近く、かつ、日大事でっせという態度に出ている模様だから。 で、その歴史なんだが、 にもかかわらず、日はこのアジア人がともに体験した歴史に背いて、日が記憶したい歴史だけを取捨選択するという姿勢をとってきた。 反省とは、基的に「共通の記憶」と「共通の体験」を前提とする。現在、日推し進める教科書歪曲は、結局このアジア人の「共通の記憶」と「共通の体験」を否定することだ。<< 日にも問題点はあるとは思うが、別に基ラインを無視したり、過去になかったことをあったとか言ってると

    2005-08-17
  • 敵は米英だった - セカンド・カップ はてな店

    さてさて8月15日。終戦したのは9月なんだからとは思うものの、この日が一応の分かれ目になったという意味ではとりあえず終戦または敗戦の日として認識するのもそう間違いではないだろうと私は思う。ま、相手方がこの日にV-Jをいうからそう思い込んでいるという側面もある。だから、そこから考えれば、当に終結した時点を選んで祝うべきなのかなとも思う。そうなればそれは戦闘の集結のことでもあり、引き上げの完了のことでもある。終戦時の武装解除のタイミングおよび手順によって、なくてもいいはずの二時損壊とでもいいたくなるようなトラブルが起きていたことを思うと、戦争というのはそこまで考え得てはじめてやってもいいもの、遂行できるものなのだろうなと思う。 ただ、そこで覚えておかなければならないのは、それが戦争であるからには、どこにも「きれいごと」などないということでもある。ソ連やチャイナの行動を知れば、戦争などもっての

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  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    ハリイカの焼売と中華炒め ハリイカをよく、見かけるようになりましたよ。生け簀で、泳いでいたものを一杯購入しました 立派な大きな墨袋や肝は冷凍保存して 柔らかな身は季節のお豆、お野菜と合わせて中華の炒めものに。新鮮なにんにくの茎は刻み、香り高く欲そそられますね 下足はミンチにし…

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    qpq 2006/02/18
  • ゴジラが皇居を襲わなかった本当の理由〜何もわかっちゃいない産経コラム - 木走日記

    今日の産経コラムは不肖・木走の琴線に触れた怪獣オタク魂に火をつけたのでした。 ●破壊王ゴジラでさえ、タブーを守っている〜だからどうした産経抄 日(10日)の産経新聞コラム産経抄から・・・ 九十一歳で亡くなった作曲家の伊福部昭さんは、ゴジラ映画音楽を担当したことで“おたく族”にも熱烈な信奉者がいるが、テーマ音楽のみならず、ゴジラの鳴き声も「発明」したそうだ。 ▼封切りが迫るなか、ゴジラの鳴き声が決まらない。録音部が動物園で猛獣の咆哮(ほうこう)をとり、回転速度を変えたり、複数の動物の声を混ぜたりしたが、しっくりこない。そこで音楽担当の伊福部さんがコントラバスの弦を、松ヤニを塗った革の手袋でしごくアイデアを思いついた。空想の怪物に命が吹きこまれた瞬間だ。 ▼北海道生まれの伊福部さんは幼いころアイヌの歌や踊りに触れ、独学で作曲を始めた。大学も北大農学部に進み、音楽家としては異端の道を歩んだ。

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