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ブックマーク / drmarks.hatenadiary.org (2)

  • ユダヤ教において「親の罪を子が被らなければならぬ(Must Take Over)」というのは一般的ではない、況やキリスト教においてを乎、について - Comments by Dr Marks

    ああ、忙しい。今日は夕方にレッスンもある日なのになあ。10時までに事務所に行かなきゃならないし。日時間の12時半だけど、起きてる人は起きてるから急ごう。(これというのも、私が野次馬で先生が出ている黒古先生のブログに書き込んでしまったのが発端だから、身から出た錆なんだ、嗚呼。そのコメントの一部を下に引用しておく。) 罪を被るというとイエス・キリストの十字架の死(人類の罪の身代わり)を想像してしまうが、あれはもともと動物が担うものであって、ユダヤ教に綿々として受け継がれている思想はむしろ人身御供の禁止である。また、「親の因果が子に報い」的思想の根拠として出エジプト記20:5(関連して、民数記14:18、申命記5:9)を挙げる人がいるが、いずれも素人さんと思っていい。これは神と人間との信仰と契約の関係であって、人間社会の法秩序ではない。これは聖書学者の常識。 それでは、人間社会の法秩序の常

    ユダヤ教において「親の罪を子が被らなければならぬ(Must Take Over)」というのは一般的ではない、況やキリスト教においてを乎、について - Comments by Dr Marks
    qpq
    qpq 2009/07/26
  • コメントにならないコメント−16 (時には聖書学者風に、うふ) - Comments by Dr Marks

    Finalevent さんが、とてもよいドヴァイスをしていた。旧約聖書の成り立ちに興味をもたれた方(Kousyoublog)に、日語WPだけでなく、もっとも読むといいよ、というものだ。同感である。そこで浮かんだ印象をいくつか。 Kousyoublogに紹介された日語WPを二、三見てみた。間違いではないが舌足らずの表現で誤解されそうな記事が多い。(以下、印象だから詳しい説明は省く。)例えば、創世記(モーセ五書の一)が捕囚期にできたとか、一神教がそこで成立したとか書いてあるが、大成した時期であり、始原ははるか昔に遡るのである。その辺りの説明がない。 Finalevent さんは学生時代にノート(Martin Noth)のを読んだらしい。原著は半世紀以上前のものだが、今でも各国語に訳されている基図書の一つだ。しかし、同世代のラート(Gerhard von Rad)も日語に訳されている

    コメントにならないコメント−16 (時には聖書学者風に、うふ) - Comments by Dr Marks
    qpq
    qpq 2008/08/21
    [聖書]
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