「宗像寮」では、午前7時に校歌が大音量で流され、入寮したばかりの寮生は否応なく起こされた。午前8時に大型バス5台を連ねて、45分ぐらいで大学に到着するのである。大学に行くのでさえ大変なのだから、福岡市の中心部に行くことは滅多になかった。もっともぼくが出不精なだけで、天神あたりにしばしば繰り出していた寮生はいたのだろう。 そのころの天神といえば、音楽喫茶「照和」が知られていた。「昭和の世の中を明るく照らしたい」というオーナーの願いで名付けられたそうだ。当時は「妙安寺ファミリーバンド」などがメインだった。すでにチューリップ、海援隊が巣立ったあとで、翌年には甲斐バンドもプロ・デビューする。 ●音楽喫茶「照和」(撮影:1995年) ※音楽喫茶「照和」は1978年に一時閉鎖したが、1991年4月に復活している。 まだ「照和」ができる前のことだが、RKBの「スマッシュ!!11」では視聴者が作った音楽を