渡邉です。 先月発売された新雑誌『早稲田文学増刊 wasebunU30』に書いた原稿(「世界は密室=映画でできている」)もそうなのですが、ここ2年ほどの僕は、主に映画評論の分野で仕事をすることが多くなっています(もちろん、これは今後映画批評家としてやっていくということではありません。もともと物書きとしては文芸批評でデビューしたし、いまも定期的に新作小説はチェックしています)。現代の映画(映像)文化や映画批評という制度に対する僕の主張というのは、先の『U30』の論文も含め、『ユリイカ』08年7月号のスピルバーグ論、昨夏に刊行した限界小説研究会編の評論集『社会は存在しない』(南雲堂)に収録されたゼロ年代日本映画論などに、おそらく併せて2、300枚ほどは書き散らしていると思うのですが、『U30』の論文に対する反応などを仄聞する限り、僕の主張の意図が十分に伝わっていない面があるようです。そこで、こ