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批評に関するque-quiのブックマーク (15)

  • 擬似ドキュメンタリーのタクシノミー―映画雑記(1) - daisukewatanabe1982’s diary

    渡邉です。 先月発売された新雑誌『早稲田文学増刊 wasebunU30』に書いた原稿(「世界は密室=映画でできている」)もそうなのですが、ここ2年ほどの僕は、主に映画評論の分野で仕事をすることが多くなっています(もちろん、これは今後映画批評家としてやっていくということではありません。もともと物書きとしては文芸批評でデビューしたし、いまも定期的に新作小説はチェックしています)。現代の映画(映像)文化映画批評という制度に対する僕の主張というのは、先の『U30』の論文も含め、『ユリイカ』08年7月号のスピルバーグ論、昨夏に刊行した限界小説研究会編の評論集『社会は存在しない』(南雲堂)に収録されたゼロ年代日映画論などに、おそらく併せて2、300枚ほどは書き散らしていると思うのですが、『U30』の論文に対する反応などを仄聞する限り、僕の主張の意図が十分に伝わっていない面があるようです。そこで、こ

    擬似ドキュメンタリーのタクシノミー―映画雑記(1) - daisukewatanabe1982’s diary
    que-qui
    que-qui 2010/03/23
    「ゼロ年代的な想像力とそこで培われてきた言説を、蓮實以降の映画批評の豊饒な蓄積にいかに接続するか」
  • マッチポンプの「思想」 - Tip. Blog

    西田亮介のblog 所属 : 慶應義塾大学政策・メディア研究科後期博士課程。同助教(有期・研究奨励Ⅱ) 専門は政策形成とソーシャルイノベーション。 最近の研究分野は湘南の地域活性化と大規模商品間関係の分析。 NPOや自治体、企業などのソリューション・デザインにも携わっています。 また、『思想地図』vol.2や『α-SYNODOS』等に寄稿させていただきました。 企画立案や執筆、非営利組織のファンディング等、仕事の依頼はサイドバーの「about me」からお願いします。 This weblog written by Ryosuke Nishida, Graduate Shool of Media and Governance, Keio University in Japan. Major in regional development(Shonan, Japan

    que-qui
    que-qui 2009/08/01
    本書からは全く伝わってこなかったが、ストリートに思想を見出すことは確かに可能なはずなのである。
  • 1Q84のことなど - 仮想算術の世界

    (若干ネタバレ注意>『1Q84』) こんにちは。東さんのブログにつられて『スタートレック』見に行ってきたのですが、これは面白かった…。まぁ僕はスタートレックには詳しくなくて(むかしTVで『ヴォイジャー』を何話か見て「リベラルでメタフィクションなのだなぁ」と思ったくらい)、何かを語る資格はまったくないのですが、とりあえず「偽史」の話とモロに絡んでいるのは明らかだったので、その意味では今号の『思想地図』の論文(「ホモ・エコノミクスの書く偽史」)はけっこういいテーマ選択だったのかもしれません。 しかしまぁ、J・J・エイブラムズって毎度毎度技巧的な作品撮っててすごいですね。実は僕は、『思想地図』のvol.2にエイブラムズに言及した論文を送って落とされた経験があるのですが(笑)、もう一回書き直してみようかな…。『LOST』のシーズン4も良かったし。 * 一応僕の議論の前提を言えば、今日の作家

  • 批評のゼロ年代と「幻影城」の七〇年代 - ENDING ENDLESS 雑記帖

    asahi.Com http://www.asahi.com/obituaries/update/0527/TKY200905270111.html 訃報を知り、驚いている。 第9回格ミステリ大賞の受賞者記者会見で、私は話した。江戸川乱歩のような過去の作品は子どもの頃から読んでいたが、同時代に生み出されたミステリを読んだのは栗薫『ぼくらの時代』が初めてだった、と。同じく、同時代の文芸評論で読んだ最初の一冊は、中島梓『文学の輪郭』だった、と。今思えば、文芸・音楽評論家と称する円堂都司昭のジャンル横断体質は、初期の中島梓/栗薫から受けた影響が大きい。 しかし、結局、人にお会いすることのないままだった。 ご冥福をお祈りします。 『「謎」の解像度』のコンセプトからはズレていたため収録しなかったが、自分は過去に約60枚の中島梓/栗薫論を書いたことがある。 http://noririn414

    批評のゼロ年代と「幻影城」の七〇年代 - ENDING ENDLESS 雑記帖
    que-qui
    que-qui 2009/06/10
    70年代と00年代の批評-サブカルチャーの類似性。
  • アラザル2

    que-qui
    que-qui 2009/04/29
    「アラザル2」が文学フリまで販売。インタビューが円城塔、大谷能生、陣野俊史、佐々木敦。この紹介は杉森大輔(杉森氏の原稿は、デリダ経由の歌と言葉論)から
  • 『日本語が亡びるとき』水村美苗(筑摩書房) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 「「帰国」を説明する」 依然として書店の平積みコーナーを占拠し続ける書。つい最近も「ユリイカ」で水村特集が組まれたりして、日文学と英語のかかわりにこんなみんなが関心を持つのは良いことであるなあ、と筆者などは職業柄つい軽薄に喜んでしまうのだが、実際に読んでみると、けっこう変なである。そして、たぶん、そこがこのの持ち味。 出だしは明らかに私小説である。 「ユリイカ」のインタビューでも話題になっているが、日での自律神経失調症に悩む生活から、アイオワ大ワークショップでのややすさんだ滞在生活へと話が展開するあたり、日語論や英語教育論とは無縁、むしろいつもの水村節を、さらにきわどく押し進めたような自虐の語りで、病の匂いが強く漂う。 ところがふつうに読んでいくと、それが一見冷静な現状分析に引き継がれ、日近代文学の誕生の過程、「国語」概念の発生、「普遍語」の支配といった

    『日本語が亡びるとき』水村美苗(筑摩書房) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG
  • 2月4日(水) - 帰ってきた炎の営業日誌

    que-qui
    que-qui 2009/02/10
    山崎ナオコーラ『手』について。「現代の、強く交わることを恐れる人との微妙な距離感」と言うけど、距離感自体の微妙さについては同意できるけど、「恐れ」から生まれるものなのかは疑問もある。
  • ドメインパーキング

    blogzine.jp

    que-qui
    que-qui 2009/02/10
    「レビューハウス」は、最近が勢いがあっていいなあ。
  • NaokiTakahashiの日記

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  • メディアと身体化の快楽:荻上式!電網テレビ批評 | みんなのテレビ:So-net blog

    メディアを身体化することの快楽について考えるために、いくつかのゲームをとりあげてみよう。例えば、ファミリーコンピュータの代表的なゲームソフト『スーパーマリオブラザーズ』においては、クッパ姫にさらわれたキノコ王国のピーチ姫を救いだすため、配管工の兄弟マリオとルイージがクッパ軍団と戦いながらクッパ城を目指す、というストーリーがつけられている。だが、このゲームにはオープニングはなく、唐突に横スクロール画面のゲームが始められる。このようなことから、私たちがこのゲームをプレイする際、「ピーチ姫を助けにいく」という「物語性」のためにマリオをプレイする者はほとんどいないだろう。 初期のゲームソフトの多くは、説明書の最初のページに百字程度の「ものがたり」がつけられているくらいで、唐突にゲームの世界に放り込まれることがほとんどであった。それは一つには、冗長なオープニングで演出するための容量が足りなかったとい

  • 読書会をプレイする場 | こどものもうそうblog

    Selected Entries 読書会をプレイする場 (02/07) Categories WORKS (594) 講座 (236) game (153) BOOK (373) computer (23) iPhone&iPad (2) MOVIE (48) music (38) News Dig (23) PLAY (136) publication (52) web (20) web game (26) すごいよ! (45) カード (15) ゲームをつくろう (3) ゲーム実習 (14) コックリさん (11) 気になるの (109) 写真 (24) 日々 (128) 萌え発想 (32) Archives August 2017 (1) April 2017 (1) December 2016 (1) November 2016 (1) October 2016 (3) Septe

    que-qui
    que-qui 2009/02/08
    米光一成、『吾輩は猫である』の読書会をプレイする!?
  • いくつかのネット社会論に疑問をはさんどく:荻上式!電網テレビ批評 | みんなのテレビ:So-net blog

    情報技術の発達等により、「規律訓練型」の(権力を求める)社会から、「環境管理型」の(権力を求める)社会になった。そうした「新しい社会」では、「アーキテクチャ」、すなわち社会的に埋め込まれた様々な「コード」の「設計」如何によって、人々を特定の仕方へとコントロールする匿名的な権力が肥大化しうる一方、「人間らしさ」の概念が変容しつつある。そこでは人々が「人間らしく」振舞わなくても、相応に社会が駆動することが期待されるようになり、実際人々は「思考」をシステムに委ね、ますますエコーチェンバーに閉じこもるようになっている――。 「情報思想」について議論する場に参加すると、こうした「物語」を前提化して語りかけてくる人にしばしば遭遇する。だが最近になって、こうした理解は非常にクリアなものである反面、多くの現実を捨象してしまうという思いを強くしている。初期段階の仮説としては有効だったかもしれないが、少なくと

    que-qui
    que-qui 2009/02/03
    いくつかのネット社会論に疑問をはさんどく [メディア論]
  • 表現のリポジトリ - 仮想算術の世界

    最近は『ユリイカ』の連載に使えるかなと思って、柄谷行人『隠喩としての建築』を読み直していました。まぁ古いなんですが、いまふうに言えば「ソシオフィジックス」の走りみたいな論文が収められていて、いろいろ考えさせられます。 たとえば、このには、クリストファー・アレグザンダーの「ツリー」と「セミ・ラティス」の区別が採用されていますが、これはいまふうに言えば、新聞やテレビに代表される垂直統合型のマスメディア=ツリー構造に対して、さまざまな素材を横断的に組み合わせながら随時異なる集合を組み立てていくニコニコ動画=セミ・ラティス構造の区別にも対応させることができる。つまり、一方の要素が他方の要素を完全に包摂してしまうのではなく(ツリー構造)、むしろある要素と別の要素の組み合わせが部分的に「オーヴァーラップ」し、かつそのアナログな重なり合いが無数の要素間で形成される(セミ・ラティス構造)、そういう多

    que-qui
    que-qui 2009/01/27
    水村美苗『日本が亡びるとき』論
  • 文芸空間 批評放送 藤田直哉×古澤克大×松平耕一鼎談「非モテは革命の夢を見るか?」

    現代思想は大きく二派にわけることができる。藤田直哉をその一人とする東派右派と、古澤克大を切り込み隊長とする東派左派だ。東派右派は、環境管理の力により、動物たちの遊んで暮らせる楽園を作ることを目指す。東派左派は、環境管理の重要性と、正義という言葉の持つ欺瞞を認識しつつも、それでもなおかつ、ヘーゲル左派のなかから出てきたマルクスのごとく、世界の革命を志向する。革命家は、石を持って追われる時代なのか、それとも、国際的な民衆の一斉蜂起は生じうるのか。21世紀の日を、アジアを、世界をリードしていくのは、東派右派なのか、東派左派なのか。批評放送、藤田直哉×古澤克大×松平耕一鼎談「非モテは革命の夢を見るか?」世界を、革命するために! ○批評放送α(ニコニコ動画版) ・前編約22分 ・内容は『xamoschi』『kampania』批評会 ・後編約27分 ・内容は『新文学』批評会 ○批評放送β(キャスピー

  • ハッキングされる美術批評 ──黒瀬陽平さんロングインタビュー - 荻上式BLOG

    2008年5月某日、渋谷にて美術家・黒瀬陽平さん(id:kaichoo)のインタビューを行いました。黒瀬さんといえば、ミニコミ『RH』の編集委員であり、『思想地図』に掲載された公募論文「キャラクターが、見ている ―アニメ表現論序説」などでも注目を集めている、「新進気鋭」という言葉がストレートに当てはまるような批評家です(黒瀬さんは1983年生まれ)。インタビューでは、『思想地図』論文の背景にある、黒瀬さんの問題意識や生い立ち、手法への意識などを中心にお話を伺いました。 『思想地図』論文を読んですぐに話を伺いにいったのですが、公開が少し遅れてしまいました。すみません。それでもなお、鮮度たっぷりなインタビューを、どうぞ一気にご覧くださいませ!(「インタビュアーのくせに喋りすぎ問題」は、今回は平気なはず!) ■プロローグ:『思想地図』論文への問い 渋谷のカフェにて 荻上:今回は、黒瀬さんが、その

    ハッキングされる美術批評 ──黒瀬陽平さんロングインタビュー - 荻上式BLOG
    que-qui
    que-qui 2009/01/17
    黒瀬陽平と荻上チキの対談。表現論と社会批評の関連で、おもしろい。
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