25年前の6月4日早朝、訪中作家団の団長として、北京に滞在していた水上勉さんは、戦車がたてる地響きで目を覚ました。天安門から300メートルほど離れたホテルの部屋から外をのぞくと、激しい銃撃が始まっている。 ▼「くもの子のように散っては集まる若い男女。見物する町衆。発砲と命中者の死と負傷。血みどろの男を抱く血みどろの女。この世のものでない地獄風景だった」(『骨壺の話』)。 ▼そのときに受けた衝撃も原因の一つだろう。3日後に帰国できたものの、自宅に戻ってすぐ心筋梗塞を起こし、9カ月の入院生活を送っている。前日、学生たちが現場に持ち込んだ白いシーツで作った旗は、帰ってきたときには、血に染まった赤旗となっていた。これは北京に滞在していた別の日本人の証言である。 ▼もっとも中国のテレビと新聞は、反革命分子が鎮圧された、としか報じなかった。大多数の国民は、人民解放軍が人民に向かって無差別発砲するなどと
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