お散歩日記路地裏、バラック、長屋、昭和の香りがする飲食街、遊郭赤線跡地、廃墟、古い町並み、山奥・・・・そんな場所を訪れては下手糞な写真を撮っております。 静岡県登録有形文化財鈴木邸にて開催された鈴木邸秋の探書会2019、台風一過の澄んだ青空のもと、多くの方がお運び頂きました。 早い時刻に鈴木邸に到着すると、既に書籍目当ての方が玄関付近で開場を待っておりました。聞けば毎回探書会へ見えられている常連様とのこと。探書会の開場時刻となると書籍を手に取り真剣な眼差しです。掘り出し物は見つかりましたでしょうか? 十月十三日に鈴木邸の大広間で行ったカストリ雑誌を題材とした座談会へも多くの方がお運びになり、只管感謝申し上げる次第です。ありがとうございました。そして毎回フォローを頂いている司会の静岡あべの古書店店主鈴木大治さんには、今回もトーク中に随分と助けて頂きました。 ※写真はカストリ雑誌を朗読する鈴木
江戸東京たてもの園は、1993年江戸東京博物館の分館として、小金井市の旧武蔵野郷土館の敷地に建設されました。園内には都内に現存した江戸~戦後までの文化的価値の高い歴史的建造物が移築復元され、後世に伝える文化遺産として保存展示されています。 今回は園内の洋風の近代建築を中心にご紹介します。 ■常盤台写真場/昭和12年(1937)築/板橋区常盤台1丁目 郊外住宅地の常盤台に建てられた写真館で、外観は装飾を排除し直線を基調としたインターナショナル・スタイル。 建物かどのアールと英語で書かれた「TOKIWADAI PHOTO STUDIO」の屋号がモダンな感じです。 ■縦長の窓と階段の円形にくりぬかれた壁が昭和のモダニズムを醸し出しています。 ■戦前の写真館はスタジオの安定した照度を得るため、北側に大きな窓を配置しているのが特徴。 撮影:2017/08/12 ■高田小熊写真館/明治41年(1908
旗屋小学校武家屋敷門(第51号) 認定地域建造物資産(にんていちいきけんぞうぶつしさん)は名古屋市が築50年以上経過して登録地域建造物資産の登録要件[1]を満たした上で、市が定める認定要件に該当する建造物について認定する制度[2]。 認定要件[ソースを編集] 名古屋市の都市景観条例に基づき都市景観重要建築物に連なる位置づけがなされており[3][4]、認定要件として以下のものがある[2]。 歴史的建造物の一定の集積がみられる地域において、その景観形成の一端を担うもの 町並み・界隈の重要な要素、ランドマークとなっているもの 歴史性、物語性を有するもの 意匠、材料、技術、立地などに地域の特徴を有するもの 2011年(平成23年)10月17日に35件が認定されたのを皮切りに、2014年(平成26年)12月25日までに61件が認定されたが[2]、内14件は登録地域建造物資産からの移行で、これらについ
登録地域建造物資産(とうろくちいきけんぞうぶつしさん)は、愛知県名古屋市が築50年以上経過した景観的・文化的価値を有する建造物について登録する制度[1]。 登録条件[編集] 名古屋市の都市景観条例[2]に基づき都市景観重要建築物・認定地域建造物資産に連なる位置づけがなされており[3][4]、登録条件として以下のものがある。 老朽化が著しくなく、修復・活用が可能なもの 所有者に存続の意思があるもの 登録対象には寺社や店舗・工場のほか個人住宅などが含まれているが、情報については一部が所有者の意向によって非公開となっている[5]。 2011年(平成23年)10月17日に第1回・17件が登録されたのを皮切りに、2022年(令和5年)5月26日時点までで233件が登録されている[1]。 物件一覧[編集] 番号 画像 物件名 所在地 年代 用途 備考
いつもの散歩コースの桜が開花しました。 最近のぽかぽか陽気で一気に開花が進んだようで、週末には見ごろを迎えそうです。 いつもと同じ桜ですが、ちょうど去年の今頃から闘病生活が始まったことを思うと、感慨深いものがあります。 戦争という理不尽な暴力で、突然人生を奪われた人々のことを思うと、生きて桜が見られる幸せに感謝しかありません。 一刻も早く戦争が終わり、ウクライナの人々のいつもの日常が戻るのを願うばかりです。 JR飛騨萩原駅の西側、十六銀行益田支店の斜め向かいに明治44年築の旧店舗が現存しています。 開業時は明治期の地方銀行でよく見られる木造土蔵造りの建物でしたが、現在はRC造に改築され、十六館としてギャラリーなどとして再生活用されています。 玄関部分は改変されていますが、漆喰塗りの外壁やアーチ窓の意匠など外観は当時の姿をよくとどめています。 ◆十六館(旧十六銀行益田支店)/岐阜県下呂市萩原
開庁時間 月曜日から金曜日 午前8時45分から午後5時15分まで(休日・祝日・年末年始を除く) (注)開庁時間が異なる組織、施設がありますのでご注意ください 郵便番号:460-8508 愛知県名古屋市中区三の丸三丁目1番1号 電話番号:052-961-1111(代表)
由緒ある建物を壊したくない。先祖伝来の我が家を補修して活用したい。 町にある古風な家がぼろぼろになっている。何とかしたい。誰かに相談したい。 そんな時、私たちがお力になります。 ■平成30年度 なごや歴史的建造物保存活用工事助成の募集をします■ 身近に歴史が感じられるまちづくりを進めるため、クラウドファンディングにより資金募集して 歴史的建造物の保存活用を行う事業を募集します。 ★概要については、ご案内をご覧ください ★詳細については、募集要項をご覧ください ★申請には、事前相談が必要です。 申請に必要な書類等については、事前相談の際に交付します。 【事前相談窓口】 名古屋市歴史まちづくり推進室 TEL: 052-972-2779 E-mail: a2779@kankobunkakoryu.city.nagoya.lg.jp ≪助成対象事業の決定について≫ 第4号助成対象事業が決定しました
~ 『立川ペニシリンパウダー』他 ~ このシリーズもすでに8回目を数えるわけですが、今回は今も手に入る成分ですが、こんな風に使われていたという品物を御紹介したいと思います。 1. 『立川ペニシリンパウダー』 これは立川といっても立川市でなく当時は立川医薬品工業(株)、昭和56年頃の薬価本にも立川ペニシリン(株)として収載されている抗生物質メーカーが作っていたペニシリンの粉末製剤、つまりシッカロールです。 その成分の製法は次のようなものです。 “プロカインペニシリンにホモスルファミン、銅クロロフィンナトリウム、日局炭酸カルシウム、タルク、亜鉛華、 カオリン、焼明礬及び香料を加え無菌的に操作し1瓦1000単位になる様に製造しました。” このコレクションは記載の最終有効年月日が昭和33年(1958年)3月とあることから昭和30年頃に製造されたもののようですが、その適応症が現代では考えられないもの
スーパーのチラシといえば、日常生活に溶け込み過ぎた「ザ・チラシ・オブ・チラシ」であり「チラシ界の雄」もしくは「ドン」と呼べる存在である。わざわざ手元に残しておく人は、まずいないだろう。 しかし、これが50年前のチラシとなれば途端に話は変わってくる。古いパンフレットは古本屋等で入手可能だが、スーパーのチラシとなるとそうもいか ない。身近すぎるあまり保管しようとすら思わないせいか、新聞紙と一緒にちり紙交換に出されるパターンがほとんどだと思われる。 そんな絶滅危惧種レベルに貴重な大昔のチラシを、大量に見せてもらえる機会に恵まれた。じっくり読み込んでみたい。
愛猫写真集 トピックス 神戸・旧外人居留地の近代建築チャータードビルヂング内ギャラリー1にて開催した歌人北夙川不可止と書家田面遙華のコラボレーションによる「伯爵と魔女」は、盛況のうちに無事閉幕いたしました。 北夙川不可止舞台・公演担当ディレクターを務める国際現代アート展西宮船坂ビエンナーレ2012はお蔭様で大盛況のうちに閉幕いたしました。 「わたちのマチオモイ帖」展は、東京ミッドタウン・デザインハブに続いてメビック扇町にて大阪展も開催されました。北夙川不可止は映像作家若林あかねさんとのユニット『都市探險家倶樂部』としてムービー部門に出展しました。 北夙川不可止は書家田面遙華、画家有坂ゆかり、造形作家宮本洋子、音響アーティスト柿田龍丸との五名ユニットで、中之条ビエンナーレ2013に参加します。 イベントガイド!! 2月15日更新 2月16日に東京でトークライブに出演します!! サイトの説明
~ 星製薬 ~ 今回登場しますかつて栄華を極めた星製薬の主力製品の『ホシ胃腸薬』につきましては「今は昔 売薬歴史シリーズ 2」でご紹介いたしました。 その際の内容と一部重なる部分もありますが、本号では『ホシ胃腸薬』以外のかつて同社で販売していた薬品や関連の資料などをご紹介して創業者の星一翁の足跡や業績を振り返ってみたいと思います。 星製薬の創業者の星一(ほしはじめ)については星薬科大学の創立者でもあり、SF作家、ショートショート作家の星新一の御尊父でもあり、その膨大な業績や人生を専門に研究、記録し保存する研究者もいる程です。 明治6年(1873年)に福島県の現いわき市の農家に生まれた星一は、東京の商業学校を卒業後、アメリカのコロンビア大学に留学しました。 当地ではかの野口英世と出会い、トーマス・エジソンとも交流を持ち、さらに伊藤博文、新渡戸稲造、後藤新平などとも親交を深め、これらの経験が星
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なぜだろう・・? (由美) 2012-08-24 16:14:56 靖国通りを子供にとっては長い横断歩道を渡ると、 ここに行かれたんです。 私の幼い頃はなぜかここをバックに写真を撮ることが多かった。 お正月も、七五三も、お誕生日も、我が家を出て靖国通りまで数十歩、目の前にはいつもこの景色。 そして写真を撮ってもらう。 もう無いのですね。 ふるさとが無くなる気がします。 ここに昔々「編み物教室」があり、まだ独身で若かったお年頃の私の叔母が通っていた。 たまに一緒に連れていかれ、毛糸であやとりをして待たされていたのを思い出した。 帰りに「まるか」の鍋焼きうどんを交換条件で。 そんな叔母も60代後半のたくましい母になりけり。 Unknown (kenmatsu) 2012-08-24 20:42:02 既にすっかり更地になってしまいましたね。長い間、この場所の顔として存在していたものが、簡単に消
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