だから私は、大学でフェミニズムを習って――講義をとったのは、江原由美子・瀬地山角・上野千鶴子の諸先生方でした――これは「男らしさ」の無さで軽侮されがちな「オタク」にとっても解放の思想であると、大いに関心をそそられたものです。今でもそう考えてます。
![墨東公安委員会 on Twitter: "だから私は、大学でフェミニズムを習って――講義をとったのは、江原由美子・瀬地山角・上野千鶴子の諸先生方でした――これは「男らしさ」の無さで軽侮されがちな「オタク」にとっても解放の思想であると、大いに関心をそそられたものです。今でもそう考えてます。"](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/5332e3fe820d14ce21b13ab8abed920324990c78/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fpbs.twimg.com%2Fprofile_images%2F490746627842248704%2Fn4QDazAb.jpeg)
日本人は、信仰=バカげたこと、と決めつけて人の信仰を腐すことで、自分が「科学的で合理的」みたいに思いあがろうとする傾向があるとは、常々感じています。 https://t.co/KfDN2zUymR
コミケが終わって一週間経ちましたが、今回は前回のように、会場で差別問題が生じたといった話は聞こえてこず、準備会がカタログで発した警告はそれなりに効を奏したようで、まずは結構なことと思います。で、それに関連して多少個人的なことを。
こちらから始まる一連のツイートには、私もまったく賛同するものです。私自身、オタクが一般化するにつれて自省心や葛藤を失くしたのではないかと、かねてから指摘して参りましたが、その点を内部から証言して下さっています。 https://t.co/WMd2eSwCvQ
「オタクの表現の自由」の問題は、それがアプリオリに存在しするように捉えて、自分たちであるべき表現の自由の姿を作ろうという視点がないことです。そのため、しばしばその活動は、「偉い人」にすり寄って権利を守ってもらおう、という利権擁護的発想になり、全体としての表現の自由を損ないます。
佐々木俊尚氏に限らず、少なからぬ技術者やそれに詳しいと称する人々にとって、科学というものは真理を探究する知的営為の積み重ねではなく、天皇制と同様のできあいの権威にすぎず、その権威と一体化することで自己を肥大化させ満足しているのである。こうなると科学は、オカルトや魔法と変わりない。
つくづく思うのですが、日本では人権というのは「天与のもの」という観念がなく、「お上に認めてもらうもの」であるとか、あるいはそれ以上に、「“世間”が認めたもの」という偏狭な認識がまかり通っています。なので、人権を求めて声を上げると、「身の程知らず」と叩かれるのです。
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