タグ

ブックマーク / fallibilism.blog69.fc2.com (2)

  • 仏教と批判的合理主義 『法華経』と釈尊の思想

    はじめに 今回は『法華経』について少し考えてみたいとおもいます。 『法華経』は大乗経典ですから、歴史上の釈尊の説法をそのまま記録したもの(ノンフィクション)ではありません。あくまでもフィクションです。しかし、フィクションによって、歴史上の釈尊の思想がより生き生きと伝わるということはありえますし、実際、宮沢賢治のような人にはありありと伝わったんだろうとおもいます。 ある大乗経典について、それが伝えようとしている思想を理解した上で、「歴史上の釈尊の思想に反する」とおっしゃるのであれば、それはそれで一つの立派なお立場だろうと思います。しかし、世の中には、「大乗経典はフィクションだから価値はない」というような短絡的なことをおっしゃる方もおられるようです。こういうことをおっしゃる方は、ドキュメンタリー映画しかご覧にならないのかなといつも不思議におもいます。アニメを観て感動するといったこともおそらくな

    quick_past
    quick_past 2017/12/18
    大乗経典は阿含等をすでに学んだ者でないと読み解くのが難しいとは聞くけど、ここ踏まえずに勝手な教義に作り変えちゃう新興宗教のなんと多いことか。
  • 仏教と批判的合理主義 『法華経』が十二支縁起を方便と位置づけている理由

    『法華経』が十二支縁起を方便と位置づけている理由 前々回の記事「『縁起と一念三千』の付録」では、【『法華経』が十二支縁起を方便と位置づけている理由】についても触れました。そこでは、その理由として、【『法華経』成立当時すでに優勢となっていた「三世両重の因縁」という解釈に対する『法華経』作者の批判的立場】というものを想定してみました。 しかし、【『法華経』が十二支縁起を方便と位置づけている理由】としては、もう1つ、より質的な理由があるようにわたしには思えます。今回は、その【もう1つの理由】について、ごく簡単に述べてみたいとおもいます。 時間的縁起と論理的縁起 『法華経』が十二支縁起を方便と位置づけているのは、『法華経』作者が、【縁起には時間的縁起と論理的縁起の両方が含まれるのであって、時間的縁起だけが縁起なのではない】という立場に立っていたからであるようにわたしには思えます。 時間的縁起と論

    quick_past
    quick_past 2017/12/18
    法華経は成立した経緯や周辺の知識が無いと読み下せないな・・・。じゃないと、ただ法華経自体を礼賛する意味のわからないものになってしまう
  • 1