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ブックマーク / artscape.jp (7)

  • デジタルアーカイブ百景(28) 08年4月│沖縄アーカイブのために

    さていよいよ沖縄について書こうと思う。地域ごとに書き始めるにあたり、北海道の次は沖縄と思ったが、そのとき何か中心になるもの、それが豊富なアーカイブでなくてもよいが、そういうものがないことから見送った記憶がある。 昨年(2007年)11月1日に、沖縄県立博物館・美術館が開館した。 古くからあった県立博物館のリニューアルに合わせて県立美術館を新設し、複合施設としたものである。美術館では、沖縄および沖縄ゆかりの作家の近現代美術とアジアの現代美術を作品収集の中心としている。それではここに入ってみよう。 まず「博物館」である。常設展、企画展・特別展(過去のものを含む)について一通り見ることができるが、今の標準からすると簡潔すぎないだろうか。図書も併せて収蔵品検索は通常のデータベース検索となる。キーワードを入れられない場合、展示資料のレイアウト、分野から入っていくことになるが、まだ整備途上だからか、中

  • 12音技法 | 現代美術用語辞典ver.2.0

    予め作曲家によって決められた、平均律の半音階12音による音列で構成する作曲技法。19世紀後半から生じた無調が20世紀に入って先鋭化し、1925年にシェーンベルクが12音技法を考案した。当初は彼の弟子周辺にしか知られていなかったが、1930年代にS・ヴォルペらドイツ・オーストリア圏からの亡命作曲家がアメリカに12音技法をもたらした。日では1950年代に入ってから入野義朗が12音技法での実作を始めた。調性音楽の場合、ある調を構成する音階内の音は主音や属音といった機能を担い、そこには明確なヒエラルキーが存在する。一方、12音技法では各音の機能や音列内のヒエラルキーは存在しない。平均律上の12音すべてが同等に扱われ、音列内の音の重複や反復を避けることで理論的にも聴覚的にも調性感を回避する。12音技法による音楽は音列の変形と置換からなり、基形の音列の終点から始まる逆行、音列の第1音を軸にして反転

    12音技法 | 現代美術用語辞典ver.2.0
  • セリー音楽 | 現代美術用語辞典ver.2.0

    Musique sérielle(仏), Serial Music(英), Serielle Musik(独) 1オクターヴの12の半音すべてを含む音列の操作を12音技法というが、この音列操作を持続、強度、音色といった音響事象のすべてに適用したのがトータル・セリエリズムである。総音列主義とも呼ばれる。O・メシアンが《音価と強度のモード》(1949)で始めたトータル・セリエリズムは、50年代初めにダルムシュタット夏期現代音楽講習会に登場したL・ノーノ、P・ブーレーズ、K・シュトックハウゼン、B・マデルナらによって前衛音楽界に浸透した。アメリカではM・バビット、E・カーターらがヨーロッパの伝統の延長線上で12音技法やトータル・セリエリズムを受容し、実験音楽とは異なるアカデミックなアメリカ現代音楽シーンを築いた。こうしたある種のオートマティスムによる作曲技法が興った背景には、あらゆる芸術はそれ自

    セリー音楽 | 現代美術用語辞典ver.2.0
  • 印紙・証紙 小さなグラフィック・デザインの世界:artscapeレビュー|美術館・アート情報 artscape

    quick_past
    quick_past 2021/04/29
    切手や貨幣とちがって、コレクター目線ではあまり注目されてないと思う
  • 彫刻を見よ──公共空間の女性裸体像をめぐって:フォーカス|美術館・アート情報 artscape

    で育った大多数の人々にとって、「美術」「彫刻」と聞いて真っ先に思い浮かぶのは、古風な衣服をまとった西洋人の石膏像と並び、駅前や公園など、屋外の公共空間にある記念碑的な人物銅像(その多くが裸体を晒している)ではないだろうか。しかし(「美術」「彫刻」という言葉と同じく)国内でそうしたイメージが定着したのはそれほど古いことではない。その過程に何があったのだろうか? 最近のartscapeでも、 3月1日号村田真レビューでは「小沢剛 不完全─パラレルな美術史」展、また同じく4月1日号の星野太レビューで荒木慎也『石膏デッサンの100年──石膏像から学ぶ美術教育史』がピックアップされている。今号では、彫刻家で彫刻・銅像・記念碑研究者の小田原のどかが、公共空間での「女性」裸体像の起源に迫る。なお稿に関連し、昨年4月15日号高嶋慈レビューによる小田原の個展「STATUMANIA 彫像建立癖」評も参照

    彫刻を見よ──公共空間の女性裸体像をめぐって:フォーカス|美術館・アート情報 artscape
    quick_past
    quick_past 2020/02/02
    誰かが声を上げなければ、機械的に何も考えずだらだらと古いことを続けるだけ。そのくせに、声を上げると急に意識が芽生えて「伝統だ!!」とか言い出す国。脳みそを使うことが嫌なだけやろ
  • 芸術の自律性をいかに回復させるか──あいちトリエンナーレ2019から私たちが引き継ぐべき課題:キュレーターズノート|美術館・アート情報 artscape

    この連載は「キュレーターズノート」という名称で、展覧会レビューと自館事業の紹介を繰り返し行なっている。その定期的な報告が難しいと感じたのは東日大震災のとき以来かもしれない。この8月から9月にかけて、なるべく普段通りの日常を過ごそうとする自分がいたのも確かだが、結局のところ、多くの時間が「あいちトリエンナーレ2019」をめぐって怒り、考えたことや知らなかったことをほかの人と共有し、いくつかの活動に参加することに費やされた。したがって、今回はいつもの連載とは異なり、「表現の不自由展・その後」展の中止とそれによって引き起こされた出来事をめぐって考えたことを書く。 ※稿は2019年9月22日時点で書かれたものであり、その後の経緯については加筆していません。 戦争を生み出した人間の罪──《旅館アポリア》の複層性 ただ、もちろん今回のあいちトリエンナーレにも多くの優れた作品が展示され、それを十分に

    芸術の自律性をいかに回復させるか──あいちトリエンナーレ2019から私たちが引き継ぐべき課題:キュレーターズノート|美術館・アート情報 artscape
    quick_past
    quick_past 2019/10/03
    日本はパトロンも少なく作品と社会を結びつける評論の力が弱いから、表現者側がセルフプロデュースする必要に迫られ、村上界隈みたいなそうした力が強い人ほど世間に知られてしまうし、それがアートだと思われる
  • 本草学の眩暈──人と病と諸事物の歴史:フォーカス|美術館・アート情報 artscape

    喘息持ちで体が弱く、さまざまな身体的異変に苛まれ、幼少期から二十歳まで生きることはないと直感していた父は、小学校低学年のころ急性腎炎を患った。いわゆる西洋医学の治療を受ける一方で、少年は明治生まれの祖母にカタツムリの殻をすり潰した奇妙な粉末を飲まされたという。現代医学の処方に慣れたわたしたちからすれば(もちろん父にとっても)、原材料があまりに生々しいこの粉末を飲む勇気はなかなか湧いてこない。けれどもここで重要だったのは、カタツムリによって生きることだ──。こんな話を思い出してしまったのは、大阪梅田のLIXILギャラリーで開催されていた「薬草の博物誌──森野旧薬園と江戸の植物図譜」展(2016年2月16日まで。東京ではLIXIL: GINZAにて3月3日-5月21日)を訪れたからだ。 草学、この雑多なるもの 展覧会にあわせて刊行された『薬草の博物誌──森野旧薬園と江戸の植物図譜』(LIXI

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