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ブックマーク / blog.goo.ne.jp/wiseman410 (3)

  • 沼津の近代史 その1 石油コンビナート計画の阻止 -  私の思いと技術的覚え書き

    私の好きな格言に「賢者は歴史に学ぶ、愚者は経験ぶ」という軍政家ビスマルクの言葉がある。今、もしくは未来の方向を判断する場合、歴史に学ぶことを忘れてはならないのでしょう。また、「歴史は繰り返す」とも良く云われますし、私の生きてきた僅かな期間の中でも、その言葉通りの現象は思い当たるところです。 今、沼津市は「沼津駅を中心とした都市機能をより魅力的に生まれ変わる」として鉄道高架事業が、いよいよ用地買収も8割方終わり、進められようとしています。これには賛成もしくは反対、そして云って見ればどうでも良いという無関心派がいるのだと思います。そんな中の賛成派から聞こえてくる意見として、沼津は過去から何でも反対してきた。だから沼津の発展は遅れ没落したんだという意見が聞かれます。そんなことから、まずは沼津を取り巻く近代史として、今回の石油コンビナート阻止運動を、次回は新幹線沼津駅が実現しなかった問題を記録の意

    沼津の近代史 その1 石油コンビナート計画の阻止 -  私の思いと技術的覚え書き
    quick_past
    quick_past 2020/08/20
    四日市で暮らしていた人間として、変わるべき部分と変えてはいけない部分をちゃんと考えてきた結果だと評価したい。
  • 沼津の近代史 その2 新幹線沼津駅反対運動はあったのか? -  私の思いと技術的覚え書き

    過日の石油コンビナート計画は、もし出来ていたら沼津の税収は潤沢で、住民の市税も軽減され、市の公共施設も立派なものが揃ったことでしょう。人口も現在より、大幅に増えていたかもしれません。しかし、牛臥海岸には巨大火力発電所が鎮座し、その煤煙に沼津市内は悩んでいたかもしれません。静浦から江浦辺りは、巨大タンカーの接岸に伴い、ほぼ漁業は絶えたことでしょう。コンビナートの貯油タンクや精製所が出来る予定の三島市中郷や清水町辺りは、巨大な敷地で囲まれた、住宅空白地帯が生まれたことでしょう。 ここで、忘れてはならないのが、環境へ与える公害だけでなく、巨大施設により景観が一変してただろうと云うことです。例えば、今、牛臥公園からは富士山は見えませんが、江浦方面は淡島辺りまでが見える訳ですが、タンカーの停泊場所などで見えなくなったでしょうし、淡島辺りからは富士がよく見える訳ですが、火力発電で見えるかどうか。三島や

    沼津の近代史 その2 新幹線沼津駅反対運動はあったのか? -  私の思いと技術的覚え書き
  • バルブシートリセッションのこと -  私の思いと技術的覚え書き

    この用語は、現在40以上の方とか、相当な旧車に乗っているマニアでメカニカルな知識がある方なら、その意味もお判りのことであろう。今回は、そんな用語聞いたことないよという方向けに記すものだ。 昔のクルマ(排ガス規制以前)は、例えガソリンがレギューラーもしくはハイオクの別なく、4エチル鉛がアンチノック剤として使用される前提で、エンジンが設計・製造されていた。ただ、ハイオクは、4エチル鉛の含有量が多いという違いだった。ところが、排ガス規制が実施され、酸化触媒や三元触媒が使用されることになり、触媒の早期劣化を生じることから、鉛の使用を制限せざるを得なくなった。この無鉛ガソリンの普及は、レギュラーで1975年、ハイオクで1987年に、それぞれ完全達成されている。 なお、無鉛ガソリンにおけるアンチノック性能の確保としては、当初はMTBE(メチル・ターシャリー・ブチル・エーテル)の含有などで行われたが、こ

    バルブシートリセッションのこと -  私の思いと技術的覚え書き
    quick_past
    quick_past 2019/08/02
    旧型のMiniがこれだっけ。給油時に追加で無鉛対応の添加剤を入れないとだめとかで
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